All Chapters of 植物人間の社長がパパになった: Chapter 1191 - Chapter 1200

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第1191話

翔吾と太郎は目を合わせ、これなら行けると判断した。「わかった。じゃあ住所を教えて」雅彦は病院の住所を伝えた。行き先が病院だと知った瞬間、二人の胸はずしりと重くなり、自然とあの悪夢がよみがえる。まさか本当にママに何かあったのだろうか。どれほど深刻なのかもわからない。二人の沈黙と沈んだ雰囲気に気づいた雅彦は、慌てて話題を変えた。「君たち、お金は持ってきたか?」「持ってる!」はっと我に返った二人は慌てて電話を切った。菊池家に戻ってからというもの、困るのはお金以外のことばかりだった。あの家は、少なくともお金に困ることだけはなかったからだ。二人はタクシーをつかまえ、病院へと告げた。運転手はちらりと二人を見やる。小さな子どもが二人並んで病院へ向かう姿は、家族の病を気づかい、学校帰りに見舞いに行く子どもたちを思わせた。胸を締めつけるような切なさに、運転手は思わず同情を覚える。だからこそ、早く安全に送り届けたあと、料金を受け取らずに車を走らせた。翔吾はどうにかお金を渡そうとしたが、短い足では追いつけず、結局あきらめるしかなかった。「仕方ない。とにかく上に行こう」翔吾は気を取り直し、太郎の手を引いて病院に入った。看護師に案内され、桃の病室へと向かう。ドアを押し開けると、そこにはベッドに横たわる桃の姿があった。久しぶりに目にしたママの姿に、二人の胸は言葉にならないほど高鳴り、一斉に駆け寄ろうとした。だが、雅彦が慌てて立ちはだかった。「今は体に傷がある。無理に触るな。傷口が開いたら大変だ」その言葉で翔吾と太郎は立ち止まり、ようやく気づいた。桃の体にはいくつもの包帯が巻かれ、痛々しい痕跡があちこちに残っている。翔吾の鼻の奥がつんと痛み、黒く澄んだ瞳がじわじわ赤く染まっていった。太郎もまた俯いたまま、指先をいじりながら必死にこらえている。二人はずっとママに会いたかった。その思いだけで、これまで我慢し、菊池家での暮らしにも必死に馴染もうとしてきた。いつか力を得て、あの家の支配から抜け出すために。けれど――目の届かないところで、ママがこんなにも傷ついていたなんて。「僕ら、無理にさわったりしないよ。ただ、近くでママを見たいんだ」あまりにおとなしく言われ、雅彦はもう止められなかった。腕を下ろし、二人を通してやった。翔吾と
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第1192話

「ここで一緒にいてくれれば、きっとすぐに目を覚ますさ」雅彦も、保証することなど口にできなかった。そもそも子どもたちにとって、父の存在は決して大きくはない。そのうえ、もしここで取り繕うようなことをすれば、完全に信頼を失ってしまうのではないかと、恐れていた。はっきり答えを出せない雅彦を見て、子どもたちもそれ以上は追及せず、一人は左に、一人は右に立ち、桃のベッドを守るように寄り添った。その姿はまるで小さな門番だった。雅彦は二人のランドセルを片づけ、ベッド脇に置くと、少し考えて学校へ電話をかけた。事情を説明し、休みを取らせてもらう。こんな状況では授業に集中できるはずがない。それなら母のそばにいさせた方がいい。ふと、二人がまだ何も食べていないことに気づき、すぐに人を呼んで食事を運ばせた。けれど子どもたちは一歩も動かず、桃から離れようとしない。雅彦が「ご飯を食べなさい」と促しても、首を横に振るだけだった。「食べなければ倒れてしまうぞ。もしそうなったら、ママが目を覚ましても気づけないだろう?」必死に言い聞かせると、ようやく二人は箸を手に取った。しかし、心に重い石を抱えたままでは、好物を前にしても食欲など湧くはずもない。ほんの少し口にしただけで、すぐに箸を置いた。その姿に、雅彦の胸は締めつけられた。妻を守ることもできず、子どもたちの心も体も支えられない。夫としても父としても、何ひとつ果たせていない。だが翔吾と太郎にとっては、もう父に構っている余裕などなかった。母が目の前でこんな姿になったのだ。責める言葉さえ飲み込み、ただそばにいるだけで精一杯。慰めの言葉など出てくるはずもなかった。そうして夜が深まっていった。学校で一日を過ごし、長い道を歩いてきた二人の小さな頭は、やがてこっくりと傾き始める。雅彦はそっと抱き上げ、隣のベッドに寝かせようとしたが、二人は気配にすぐ気づいて目を開けてしまう。仕方なくそのまま見守っていると、ついに眠気に抗えず、病床に突っ伏すように眠り込んだ。その瞬間を逃さず、雅彦は二人を抱きかかえて移し、靴や上着を脱がせて楽な姿勢に整えてやった。安らかな寝顔を見つめ、雅彦は苦く笑った。そして桃に視線を移し、低くつぶやく。「桃……見てくれ。翔吾も太郎も、君が目を覚ますのを待ってる。俺の顔なんか見たくないかもしれ
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第1193話

雅彦はすぐに異変に気づいた。桃の体がどれほど弱っていても、こんな状態になるはずがない。まさか傷口が感染したのか、それとも別の原因なのか。慌てて立ち上がり、医者を呼びに行く。雅彦が足早に部屋を出ていく物音で、翔吾と太郎も目を覚まし、身を起こして目をこすった。そしてようやく、ここが菊池家ではなく病院だと気づいた。「いつの間に寝ちゃったんだ?どうしてここにいるんだ?」翔吾は自分の頬を軽く叩き、ベッドから飛び降りると、急いで桃のそばに駆け寄った。「ぼくもわからない。たぶん知らないうちに眠っちゃって……パパに運ばれたんだろうね」太郎も首を振る。彼にも覚えはなかった。「まあいいや、それは大事じゃない」翔吾は眉をひそめる。「さっき外に出ていったけど、何かあったのかな?」太郎も答えられなかった。ただ胸騒ぎがしてならない。それでも桃を一人にするのは怖くて、二人は並んでベッド脇に腰を下ろし、じっと待つしかなかった。雅彦は医者を見つけ、状況を説明した。桃が熱を出していると聞き、医者は目を見開いた。処置は終えているし、消炎の注射も打ってきた。なのに熱が出るはずがない。「すぐに行きましょう」医者の言葉にうなずき、雅彦は一緒に病室へ戻った。翔吾と太郎は医者が入ってくると慌てて立ち上がり、場所を譲った。医者は体温を測り、確かに発熱していることを確認すると、さらに傷口を診察した。やはりおかしい。すぐに採血し、感染の有無を調べることにした。治療の機を逃すまいと、血液を採取するとすぐ検査室へ向かった。「ママ、どうしちゃったんだろう……」翔吾は不安げに桃を見つめた。雅彦とは口をききたくなかったが、確かめずにはいられなかった。「詳しいことは医者の判断を待とう。余計なことは考えるな」雅彦も胸の中では焦りを抑えきれなかったが、子どもたちの前では気丈に振る舞うしかなかった。そう言って二人をなだめたあと、雅彦は朝食を運ばせ、少しでも口にさせようとした。翔吾と太郎は食欲がなかった。だが、雅彦が二人に、もし病気になったら菊池家に戻らなければならないこと、ここでは誰も看病できないことを告げると、渋々箸を取った。三人の心はみな病床の桃に向かっていた。食事をしながらも、視線はベッドから離れなかった。一時間ほどして、医者が戻ってきた。病室で待っていた二人
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第1194話

「こんな状況、どうして前の検査で見つからなかったんだ?」雅彦が苛立ちを隠さず声を荒げると、その鋭い気迫が場の空気を重くした。医者は一瞬言葉を失い、恐る恐る口を開いた。「雅彦さん、落ち着いて聞いてください。以前、桃さんは後頭部を負傷されましたので、私たちは脳への影響に重点を置いて検査していました。そのため、血液検査はごく簡単なものにとどまっていたのです。しかし今回、より精密な検査を行った結果、ようやく異常が見つかりました。桃さんの血液には、ある種のウイルスが潜んでいたようなのです。しかも、かなり前から体内に入り込んでいた痕跡があります。ただ、これまで発症しなかったのは、彼女の抵抗力が比較的強かったからでしょう。ところが今回の怪我で体が弱り、免疫が働かなくなったため症状が現れたのだと思われます」説明を聞くうちに、雅彦の眉間はどんどん険しくなり、拳を固く握りしめていた。――桃の体には、もともと未知のウイルスが潜んでいた。けれど、それに誰も気づけなかったのか。その事実に、雅彦はぞっとした。「そのウイルス……どうして彼女の体に入った?偶然の感染なのか、それとも……」重々しい問いかけに、医者は喉を鳴らした。「このウイルスの構造は非常に特殊で、既知のものには当てはまりません。ですから自然に感染する確率は万分の一、あるいはそれ以下かと……」その言葉の意味を、雅彦はすぐ理解した。――自然感染ではあり得ない。誰かが意図的に仕組んだ。「もし故意なら、感染の条件は何だ?」胸を締めつけられる思いを必死に抑え、雅彦は冷静さを装って尋ねた。「このウイルスは生命力が強くありません。血液に直接注射されなければ感染しないはずです」血液に直接注射――その言葉を聞いた瞬間、雅彦はまるで氷の底に突き落とされたかのような感覚に襲われた。桃はもともと用心深い。見知らぬ人間に注射を許すはずがない。唯一考えられるのは、信頼している誰かに裏切られたということ。だが、それはいつ、どこで?誰が桃に近づき、気づかれないうちにウイルスを注射したのか。雅彦の胸に不安が覆いかぶさった。もう、桃の周囲の誰も無条件には信じられない。「とにかく、一刻も早くこのウイルスを取り除いてくれ!彼女を必ず治してくれ!」我に返った雅彦は、ただ桃を救うことだけを願った。しかし医者の
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第1195話

「そういうことです。我々は、このウイルスが研究所から流出した可能性を疑っています。できる限り海外から情報を集め、正体を確認したうえで対症療法を行うのが、今取り得る最善の方法でしょう」雅彦は拳を握り、唇を動かした。何か言いたかったが、声にならず、最後に力なく答えた。「わかった……その前に、彼女をしっかり見ていてくれ。どんな小さな過ちも許さない。容態が悪化するようなことは、絶対にあってはならない」医者は深くうなずいた。治療法はまだ見つかっていなかったが、少なくとも現状を保つ手立てはあった。すぐにスタッフへ指示を出し、桃を集中治療室へ移す。誰も気づかないうちに危険が起こるのを防ぐために、精密機器で全身を監視した。雅彦は深く息を吐き、踵を返して病室を出ると、清墨に電話をかけた。清墨は医者の家系に生まれた人物で、事情を聞くとすぐに向かうと答えた。ちょうどその頃、美乃梨と清墨は斎藤家で祖母と話していた。病院のことだと知るや、桃に何かあったのではと心配になり、二人で駆けつけた。病院に着くと、雅彦は美乃梨を見て言った。「美乃梨、病室で子どもたちを見ていてくれ。桃の容体については、あとで清墨から聞いてもらえればいい」美乃梨はすぐにでも桃の様子を知りたかった。だが、雅彦の目に宿る深い痛みに気づいた瞬間、言葉を飲み込んだ。少し考え、病室へ向かう。彼女は医者ではない。医学の知識もなく、聞いたところで役に立てるわけでもない。それなら、二人の子どもたちを見守る方が力になれるはずだった。翔吾と太郎は病室で待っていた。だが雅彦が戻る前に、医者や看護師たちが桃をベッドごと動かそうとした。「何するの?ママに触らないで!」その手が伸びた瞬間、二人は怯えた小動物のように腕を広げ、ベッドの前に立ちはだかった。どうしても近づけさせまいと必死だった。「君たち、ママをもっといい病室に移すんだよ。だから心配しなくていい」相手が菊池家の子どもだとわかっているため、医者も看護師も強く押しのけることはできず、やさしく言い聞かせるしかなかった。だが「いい病室に移す」という言葉の裏にある意味を、二人が見抜けないはずがない。――病状が悪化したからこそ、命をつなぐために高度な設備が必要になる。つまり、ママの体は良くなるどころか、もっと悪くなっているのではないか。
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第1196話

本当は、子どもたちもすべて分かっていた。ただ、残酷な現実を受け入れたくなかっただけだ。だから美乃梨に抱きしめられたとき、もう声を上げて騒ぐことはなかった。医者が桃のベッドを運び出すのを見て、思わず美乃梨にしがみつき、小さな声で泣いた。「おばさん……もしママが目を覚まさなかったら、どうすればいいの?」「大丈夫。心配いらないわ。あなたたちのママは決してあなたたちを置いていったりしない。さあ、私たちも行きましょう」美乃梨は二人の頭をやさしく撫で、必死に落ち着かせようとした。そうして片手ずつ子どもの手を引き、集中治療室へ向かった。桃の周りには複雑な機械が並び、耳障りな電子音が絶え間なく響いていた。その音を聞くたびに三人の胸は重く沈み、ただ黙って座り込むしかなかった。誰ひとり、口を開けなかった。……清墨は雅彦から事情を聞き、表情を引き締めた。念のため検査報告書を取り寄せて隅々まで確認したが、医者の判断は確かに正しかった。「雅彦、彼の言う通りだ。今できる最善の策は、このウイルスの発生源を突き止めることだ。むやみに投薬すれば、かえって取り返しのつかないことになる。まずは海外の協力研究所に連絡を取って、どの研究室の研究が元になっているか調べてもらおう。何か手がかりが見つかるはずだ」「助かる。頼んだよ」菊池家は大きな力を持っていても、医学研究に関しては専門外だ。清墨が力を貸してくれるのは願ってもないことだった。「俺たちの仲で遠慮はいらない」清墨は肩を軽く叩き、ふと思いついたように尋ねた。「ただ……心当たりはないか?おおよその方向が分かれば、調べも一気に進む」雅彦はしばらく考え込み、やがて拳を握りしめた。「……ドリスの一族かもしれない。あいつらはかつて、彼女の薬に少しずつ毒を混ぜ続けていた」その一族は違法行為の数々で菊池家に潰され、事業の大半もライバル企業に奪われていた。だが、なお復讐を狙う残党がいてもおかしくはない。「とにかく調べてみるしかない」雅彦はすぐに部下を動かした。どんな可能性も見過ごすわけにはいかなかった。もし本当にドリス一族の仕業なら――桃はまた、自分の仇に狙われたことになり、また自分のせいで、彼女が傷つけられたのだ。そう思うと雅彦の胸は裂かれるように痛んだ。病床に横たわるのが自分だったら、と願わずにいられない。
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第1197話

永名が激しい怒りをあらわにしているのを見て、執事はおそるおそる口を開いた。「先ほど雅彦様にはご連絡を差し上げましたが……桃さんの件で、まだお怒りのようでして……」「そんなに大ごとなのか?女ひとりのために、自分の母親まで見捨てるというのか!」執事の言葉を聞いた途端、永名の怒りはさらに燃え上がった。長年育ててきた後継者が、あんな軽い女のために母親にまで冷たく無情であるとは──そう思うと、もはや黙っていられなかった。「いま何をしているか調べろ。そしてすぐに呼び戻して謝らせろ」永名は冷たく命じた。ほどなく部下から、雅彦が海外の医学研究所と連絡を取っていると報告が入る。「ふん。母親が病に倒れたときには、これほど必死に動いたことなどなかったくせに……奴らをすべて押さえろ。どこまで波を立てられるか、この目で見てやる」永名は昔から身内に甘い人間だった。雅彦が姿を見せないというなら、力ずくでも引きずり出すつもりでいた。……桃が病室を移されてからは、雅彦と二人の子どもがずっとそばに付き添い、彼女の一挙手一投足を見守っていた。雅彦は時おり立ち上がり、ぬるま湯で彼女の肌を拭いて体温を下げてやった。医者が解熱の注射を打つと、桃の身体から少しずつ熱が引いていく。事情を知らない子どもたちは、体温計の数字が下がるのを見て、あわてて雅彦に尋ねた。「ママ、熱が下がったよね?もうすぐ良くなるの?」雅彦の胸に苦いものが込み上げる。桃にそっくりな瞳を見つめながら、無理に笑みを作ってうなずいた。「ああ。熱も下がったし、もうすぐ元気になるはずだ」「よかった……ママ、早く起きてほしいね。眠ったままじゃなくて」雅彦は目を伏せた。子どもを怯えさせないために、桃の体に謎のウイルスが潜んでいることは言えない。けれどもし、このまま彼女が目を覚まさなければ──どう説明すればいいのか、答えは見つからなかった。ベッドに横たわる桃を見つめながら、雅彦は心の中でただ祈った。どうか一刻も早く目を覚ましてくれ、と。さもなければ、自分は一瞬たりとも心を休めることができない。やがて、ただ待っているだけでは埒があかないと悟り、病室を出て外に待機させている部下に電話をかけた。何か手がかりを掴んだか確認しようとしたのだ。結果がなくとも、せめて方向性や小さな痕跡でもあれば、それだけで気
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第1198話

雅彦は永名に電話をかけた。だが相手は出ず、コール音が数回鳴っただけで切られてしまった。その瞬間、雅彦は悟った。永名は自分に圧をかけ、謝りに来るように迫っているのだと。だが、それはひどく滑稽に思えた。最初から最後まで間違っていたのは菊池家の側なのに、彼らは一度たりとも自分の過ちを省みることなく、他人を押さえつけ、頭を下げさせようとするばかりだった。とはいえ、雅彦には時間を無駄にする余裕はなかった。改めて人を遣って救出させることも不可能ではないが、その分だけ貴重な時間が失われる。今、何より優先すべきは桃の病状であり、それを遅らせることは決してできなかった。執事に永名の居場所を確認させると、雅彦は車を走らせた。到着するや病室へ向かい、扉を開けた瞬間、グラスが飛んできて顔面に直撃した。避ける間もなく額を切り裂かれ、鮮血がどくどくと流れ落ちる。横顔を伝って床に滴り、赤い飛沫が散った。血の匂いが一気に広がる。それでも雅彦は痛みを意に介さず、まっすぐ進み出た。「お父さん、今すぐ俺の部下たちを解放してくれ。もうこれ以上、時間を無駄にしてはいけない」「この親不孝者!私がお前を呼んだのは、母親に謝らせるためだ。見えんのか、いま彼女も病床に伏していることが!お前の心にあるのは、裏切った桃だけなのか!」その視線がベッドへと落ち、美穂が横たわる姿を見たとき、胸が動かないはずはなかった。「……お母さんの容態はどうなんだ」――なるほど。本宅から何度も電話があったのはそのためだったのか。母がまだ怒っているのだと思い込んでいた。まさか入院しているとは予想もしていなかった。「お前のおかげで、まだ生きていられるさ。けど、残念だったな。母親の生死なんか気にもせず、くだらない女ばかり気にかける息子には、不本意な結果かもしれないが」永名は冷ややかに吐き捨てた。「お父さん、知ってるか。お母さんの命令で動いた人間に、桃は殺されかけたんだ。いまも病院で意識が戻らず、生死の境をさまよってる」永名がなおも桃を侮辱するのを聞き、雅彦の目に怒りの炎が宿った。「……」永名はすでに執事からその話を聞いていたが、大したことではないと思っていた。「仮にそうだとしても、お前があんな女に絡め取られるのを断ち切るためだ。結局はお前のためなんだ」「そうだね。『俺のため』……あなた
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第1199話

「何言ってるんだ。佐俊は元気だっただろ、どうして死んだなんて話になるんだ?」永名は佐俊に特別な思い入れはなかった。けれども家族意識の強い彼にとって、実の孫を失うことは、外の人間を失うのとは比べものにならなかった。「ふん。母さんは、桃と佐俊が駆け落ちしたと俺に信じ込ませようと、彼を無理やり国内に連れ戻したんだ。桃は命を落とさずに済み、逆に俺は佐俊の行方を掴めた。ただ、見つけたときにはもう息絶えていて……血で書かれた遺書まで残していた。その遺書を渡す相手は、お父さんだと思ったんだ」雅彦は遺書を永名に差し出した。永名はそこに並ぶ文字を見つめ、みるみるうちに顔から血の気が引いていく。やがて視線を病床の美穂へ移したとき、彼女がまるで別人のように見えた。これまでずっと、美穂の振る舞いを「雅彦のため、菊池家のため」と自分に言い聞かせ、甘やかしてきた。だがまさか、本当に佐俊の命を奪うなんて。永名の動揺を前に、雅彦の胸に浮かんだのは哀れみではなく、冷ややかな思いだった。もしあの時、祖父が母を放任せず、腹心まで彼女に任せたりしなければ、こんな惨劇は起きなかったはずだ。「もうこれ以上、他のことで責め立てるつもりはない。ただ一つ願うのは――俺の部下をすぐに解放してほしい。それから桃――あなたがどう思おうと、彼女は俺の妻であり、あなたの二人の孫の母親だ。これ以上、彼女を救う手を邪魔し続ければ、やがて誰からも相手にされず、一人きりになってしまう」そう言い残し、雅彦は踵を返して部屋を出ていった。永名はその背を見送りながら、初めて自分がすでに皆に見放され、一人取り残されたかのような錯覚に襲われた。本当に自分は間違っていたのか。愛する息子のため、菊池家のために動いてきたはずなのに――結果はこのざまだ。彼は力なく椅子へ身を沈めた。つい先ほどまで威厳をまとっていた男が、一瞬で十歳も老け込んだように見えた。やがて永名は人を呼び、雅彦の部下たちを解放するよう命じた。もし桃に何かあれば、雅彦だけでなく、母を慕う二人の孫までもが自分を憎み抜くだろう。その先に待つのは、分裂した菊池家の崩壊だ。自分には、もはや賭ける勇気はなかった。……雅彦が去って間もなく、部下が連絡を寄せ、これまでの経緯を報告し、遅れを詫びた。「君たちのせいではない。とにかく、俺が言った
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第1200話

先ほどまで、二人の小さな子どもは時おり怯えることがあっても、大人がそばにいて慰め、落ち着かせてくれていた。だが今は子どもだけが残され、不安が互いに伝染し、とうとう声を揃えて泣き出してしまった。死というものを、まだ五歳の子どもが理解できるはずはない。ただ、この先もうママに会えないかもしれない、あるいは病室のベッドで少しずつ痩せていくママの姿を見ているしかないのだと思うと、恐ろしくてたまらなかった。桃の耳に、かすかな泣き声が届いた。はっとして、それが二人の子どもの声だと気づく。どうして泣いているのだろう?菊池家で嫌な思いをしたのか、それとも誰かにいじめられたのか。桃はふと、自分はもう死んでしまったのではないかと思った。自分の魂が子どもたちの痛ましい声を聞き取り、安らかに眠れずにいるのかもしれないと。だが――命懸けで産んだ大切な息子が、こんなにも悲しんでいると知った瞬間、胸の奥から込み上げてきたのは怒りだった。どうしても諦めきれないという強い思いが、ついに彼女の中で生への意志を燃え上がらせた。暗闇に引きずり込もうとするものを力いっぱい振り払い、必死に二人の名前を呼びながら、桃はもがき続ける。そのとき、ベッドに突っ伏していた二人の子どもが、桃の手足がかすかに動くのを見て驚き、慌ててそれぞれ彼女の手を握った。「ママ、どうしたの?ねえ、ママ、目を開けて!」翔吾と太郎の必死の呼びかけは、ついに桃の脳裏に届いた。残るすべての意志を振り絞り、彼女はぱっと目を開けた。長い間光を見なかった瞳に、突然差し込む室内の光が刺さり、思わず涙がこぼれ落ちる。視界は霞み、何もはっきりとは見えなかった。しばらくしてようやく輪郭が戻り、目の前の白々しい病室の光景を認めると、桃は指をわずかに動かした。しかしすぐに力が抜ける感覚に襲われ、同時に傷口の疼きが鋭く走った。――痛い?まだ痛みを感じられるということは――生きているの?ここは病院なの?目を見開いた桃に気づき、翔吾と太郎も顔を輝かせて駆け寄る。「ママ!目が覚めたの?本当に目を覚ましたんだ!」二人の泣きはらした赤い目を見て、桃の胸は締めつけられた。さっき聞いた声は幻ではなく、死の間際の夢でもなかった。あの子たちは本当に泣いていたのだ……「わたし……」桃は声を出そうとするが、喉がひどく枯れ
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