さくらが去った後も、皇后の怒りは収まらなかった。横で険しい面持ちのまま、皇后は祖父が薬を飲み、人参湯を啜り、侍医に気血を巡らせる鍼を打たれ、さらには丹治先生の残した丸薬まで口にするのを見守った。わずか一時間も経たぬうちに、帝師の顔色は見違えるように良くなっていった。侍医の診立てでは、心に闘志が宿り、回復の望みが出てきたという。斎藤家中が喜びに沸く中、ただ一人、皇后だけが深い失望に沈んでいた。その蒼白な顔色は、かつて帝師が南風楼で装った化粧にも劣らぬほどだった。これが自分の賭けだったことを、皇后は悟っていた。実家の顰蹙を買い、陛下の不興も免れまい。だが上原さくらは大きな脅威だった。その評判が地に落ちなければ、皇后の名が輝くことはない。さくらの成し遂げたことを全て自分がやり直せばいい。女学校を再興し、朝廷の重臣や貴族の娘たちを集め、名門の力を糾合して大皇子の基盤を固める。かつては蔑んでいた策も、今は手段を選んでいられない。父の優柔不断な態度を見抜いた今、斎藤家だけを頼みにしていては、一度でも躓けば全てが水泡に帰すことは明らかだった。穂村宰相は帝師の病室を訪れ、その肩に優しく手を置いた。「旧友よ、しっかり養生するのだ。若い者たちが世の中をどう変えていくか、じっくり見物しようではないか。彼らが暴れてこそ、世も賑やかというものだ」帝師は胸を突かれたような表情を浮かべた。宰相から軽蔑や侮蔑の言葉が投げかけられると覚悟していたが、その態度は昔と変わらなかった。帝師は危機を脱したものの、榮乃皇太妃は天命を全うすることができなかった。二月初旬、薨去の知らせが発せられ、清和天皇は燕良親王に帰京を許した。燕良親王はこの日を待ち望んでいたかのように、屋敷中で号泣の声を上げた。だがその涙が乾くや否や、すぐさま準備に取り掛かった。それは帰京の支度ではなく、かねて手配していた講釈師たちに、亡き母妃——文利天皇の妃の一人であった方の死を、皇室の非道の証として触れ回らせる算段だった。皇室の不孝を糾弾せんとする魂胆である。しかし、その企みが形を成す前に、思わぬ事態が起きた。民衆の間で、現太后への賞賛の声が広がったのである。太后が榮乃皇太妃の病に際し、四方に医師を求める榜を出し、十二人の侍医が昼夜を問わず看病に当たり、さらには丹治先生までも召し出し
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