「浅川さんにはちゃんと考えがあるみたいですね」三井鈴は繰り返しながら、本を抱き上げた。「秋吉さんの字、昔とちょっと違う気がします」彼女が本の文字をめくりながら見比べると、かつて偶然目にした秋吉正男の筆跡とは明らかに違っていた。前者は鋭さが際立っていたのに、今のは力なく、筆先に芯がなかった。「この子は……」浅川は少し驚いたが、すぐにいつもの調子で続けた。「仕事を始めてから怠けるようになったんだよ、字をちゃんと書かなくなってね」「浅川さん、こっそり教えて。彼って学生の頃、女の子にモテましたか?」三井鈴は声をひそめ、茶目っ気たっぷりに聞いた。「そりゃもう大勢いたよ、家まで押しかけてきた子もいたくらいだ。でも正男は誰にもなびかなかった。恋愛なんて一度もしたことないよ」「浅川さんが知らないだけで、こっそり付き合ってたら?」「あり得ない」浅川は断言した。「あの子は私が育てたんだ。一挙手一投足、全部分かってる。真面目で努力家で、学生時代の恋なんて絶対にさせなかったよ」そう言い切ったあとで、浅川は何かに気づいたように慌てて続けた。「もしかしてあなたたち、ケンカでもしたのか?彼が戻ったらちゃんと言って聞かせるから、怒らないでやってくれ」どうやら彼は本気で三井鈴のことを将来の嫁だと思っているらしい。三井鈴は微笑みながら別れを告げ、玄関に向かうと、ちょうど浅川夫人と鉢合わせた。彼女は心配そうな顔をしていて、それを見逃さずに尋ねた。「何かあったんですか?」浅川夫人は反射的に腕の中の袋を抱きしめ、「何でもないわよ、鈴ちゃん、いらっしゃい」と取り繕った。車が村の入口を出たところで、ちょうど東雲グループの視察団と鉢合わせた。大崎雅はサングラスをかけたまま車を降り、三井鈴の車の窓をノックした。「三井さん、今さら地元をかき回しに来たって遅いんじゃないですか?入札会で通じた手はここじゃ通用しないですよ」三井鈴は少し身を乗り出しながら言った。「わざわざ忠告に来ただけです。私、この辺りのライチが大好きなんで、工場建設のときに木を切らないように気をつけてくださいね」大崎雅は予想外だった。まさか、争うつもりがまったくないとは、そんなに簡単に済むのか?「必要になれば、人間だっていなくなるのよ。木なんて、なおさらでしょ」その言葉を聞いた三井鈴は、
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