All Chapters of 慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った: Chapter 141 - Chapter 150

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第141話

棚を押しながら通路を通り過ぎた店員が、会話を遮るように言った。「すみません、通ります」私は南を引いて一歩後ろに下がり、聞き返した。「さっき、何て言ったの?」「彼女、あなたの義父の実の娘じゃないの?」来依は妙にテンションが上がっている。私は眉をひそめた。「それはないでしょ……彼女、宏より二つ年上だよ」不倫にしても、さすがに早すぎない?「いや、それが普通にあるのよ」来依は気にも留めず、お金持ちの家のゴシップで盛り上がる。「そういう金持ちの家ってさ、表向きはちゃんと奥さんがいても、外に愛人の一人や二人は当たり前じゃん?だいたい裏でドロドロしてるもんだよ」「でもさ……」私はまだ釈然としなかった。「もし江川アナが彼の実の娘だったら、おじいさんにそう言えばよかったんじゃない? そしたらあんなに嫌われることもなかったでしょ?」自分の孫なら、あんなふうに扱うはずない。来依も、そこで少し納得したようだった。「あー、言われてみればそうか。それに、もし実の娘だったら、江川宏とアナが関係を持ってるのを見て見ぬふりって、それもう近親相姦じゃん?」私は黙って頷いた。すると、来依がまた口を開いた。「いや、やっぱ変だわ。どう考えても辻褄合わない」「もういいよ、うちらには関係ないって」私は彼女の額を指で軽くつついて、ポテチの袋を差し出した。「ほら、来依の好きなトマト味」どうせ、あと少しで来月になる。離婚の手続きが終われば、私は宏とはまったくの他人になる。私と宏は完全に赤の他人になる。義父と江川アナなんて、もう関係ない。たとえ本当に親子だろうと、来依が言ってたみたいに、万が一一緒のベッドに寝てたとしても――それでも、もう私には関係ない。……夕食は、こぢんまりとした中華料理の店を予約していた。私と来依が先に着いた。少しして、山田先輩が店に入ってきた。来依は彼の背後が空っぽなことに気づくと、皮肉っぽく片方の口角を上げたが、何も言わなかった。私はすぐに察して、自分から聞いた。「先輩、伊賀は?」前は、来依がいる場には必ず顔を出してたのに。「彼は……」山田先輩も、二人の関係を知っていて、言いづらそうに言った。「今日はちょっと、用事があるみたいで」「お見合いだよ。家族に、
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第142話

「……」来依がちらっと私に目を向ける。あの視線だけで、もう何となく言いたいことが伝わってくる――妙に含みのある、それでいてわかりやすすぎるやつ。私も一瞬だけ戸惑ったけど、山田先輩のあの飄々とした様子を見て、来依の勘違いだろうなって思った。それに、山田先輩にはずっと想いを寄せてる人がいる。もう二十年にもなるって話だったし、私みたいな離婚したばかりの女に、気が向くはずない。「焦って返事しなくていいよ。少し考えてみて」そう言って、山田先輩は私のコップにジュースを継ぎ足してくれた。「うん、ありがとう」胸の奥が、まだ少しざわついていた。あれだけ憧れていたブランドが、まさか手の届く場所に来るなんて。夢みたいだった。食事を終えたあと、来依は「次の予定があるから」と言って、山田先輩に私を家まで送ってくれるようお願いした。車に乗り込むと、私はちょっと申し訳なさそうに言った。「また送ってもらっちゃって、悪いね」「何言ってんの。飯まで奢ってもらったし、これくらい当然でしょ」山田先輩は冗談めかして笑った。「でも、実際には奢らせてくれなかったじゃん……ありが――」食事の途中、先輩は「ちょっと電話してくる」と席を立ち、その隙にいつの間にか会計を済ませていたのだった。白くて長い指先がハンドルに添えられていて、それだけでどこか品のある佇まいだった。ふとこちらを見て言った。「君がおごったことにしとけばいいよ。で、またありがとうなんて言ったら……今度は本当にまたご飯おごることになるんだよ?」「……うっ」肩をすくめて、まんまと話に乗せられた気分になった。私が伝えた行き先は海絵マンションだった。宏とは、離婚証明書を取りに行く日を約束した以上、もうここに戻ってくることはないだろう。私もいつまでも来依の家に居候するわけにはいかないし、一旦こっちに戻っておく方が現実的だった。海絵マンションに着いて車を降りると、ガレージから吹き込む冷たい風に思わず身震いした。コートの前を慌ててかき合わせ、山田先輩に手を振る。「ありがとう、気をつけて帰ってね!じゃあ、バイバイ!」彼はじっと私を見ていて、その瞳の奥がどこかやさしく滲んでいた。「うん、大丈夫。君も早く入って、風邪ひくなよ」「はーい」そう返して、私は振り返ることな
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第143話

私は一瞬きょとんとして、袋の中を覗いた。中には、ベルベット素材の小さな上品な箱がふたつ。中身は、子どものためにおじいさんが用意してくれていたお守りだった。胸の奥を細かく針で刺されたような痛みが走り、私は低い声で言った。「それ、もともとはおじいさんが子どもにくれたものよ。もう子どもはいないんだから、あなたに返すのが筋でしょ」宏は私を一瞥して言った。「おじいさんが南にくれたんだろ。返すんなら、本人に返せば?」「……」ああ、ほんとこの人、理屈が通じないときは全然だめ。何言っても無駄。私は唇をきゅっと引き結びながら言った。「宏、他のものならまだしも、これはさすがに高価すぎる」すると彼は、ためらうことなく言った。「南に渡してるんだよ?他人に渡すわけじゃない」思わず手のひらを握りしめる。胸に湧き上がる何かを抑えて、できるだけ冷静に返した。「私たちなんて、もう離婚目前の関係でしょ。ちゃんと線引きしないと」「線引き?」宏の目尻がわずかに上がる。どこか余裕のある顔で、私を見下ろすように見てきた。何故か、その視線に一瞬だけ胸がざわつく。「……そうよ」「どうやって?」ソファの背にもたれかかる姿勢で、ゆったりとした口調のまま、宏は続けた。「三年も結婚してて、俺の全身見尽くして、あれだけ得しておいて。もしかして裸の写真でもこっそり撮られてたかもしれないしな。俺は何も言ってないけど?それでも線引きするつもり?」……ほんっとに、この人ってば。私は呆れと恥ずかしさがごちゃ混ぜになって、彼を睨みつけた。「なによそれ、損でもしたって言いたいの?」「見られた回数なら、俺のほうが圧倒的に多いから」「……」言葉が出ない。私は深くため息をついて言い返した。「証拠でもあるの?」「今、また見せてやろうか」そう言うなり、宏はシャツの第二ボタンに指をかけ、ゆっくりと動かし始めた。その仕草があまりにも自然で、無駄がなくて、どこか見惚れてしまう。最初はちょっと顔が熱くなったけど――次の瞬間、彼の魂胆に気づいて、ふっと鼻で笑った。「じゃあ脱いでみなよ。全部ね。今日ここで全部脱げるなら脱いでみなよ」そう言い放って、私はカーテンを勢いよく開けた。「さあ脱いで。みんなであなたのシックスパ
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第144話

「彼女じゃないなら……まさか、私?」私は一歩も引かずに彼の目をまっすぐ見返しながら、一語一語ゆっくりと言った。期待なんてしてない――そんなふうに思い込もうとしていたけど、それは嘘だった。誰にでも平気な顔をしてごまかせる。でも、自分の心だけはごまかせない。私はまだ、完全に諦めきれていなかった。この先、彼とどうにかなることなんて絶対にない。頭ではわかっている。でも、それでも――たった一瞬でも、ほんの一瞬でもいい。彼が私のことを好きだったことがあるなら、それだけでよかった。八年。人生に、そんな時間が何度あるだろう。彼の黒い瞳は、底の見えない渦のようだった。吸い込まれそうなその目と声に、心を惑わす何かが宿っていた。「もし『そうだ』って言ったら――離婚、やめてもいい?」私は言葉を失ったまま彼を見つめて、しばらく何も言えなかった。でも、やっとの思いで理性を取り戻して、ゆっくりと首を振った。「宏、もしあなたが本当に私のことを好きだった時期がこの何年もの間にあったのなら――私の片想いも、完全に一方通行じゃなかったってことになる。それだけでも、少しは報われる気がする。……でも、それは私たちがこの先一緒にいられる理由にはならない」「何年もの間?」「そう、長かったよ」私はふっと笑って、心の奥にずっと隠してきた気持ちを、初めて全部さらけ出した。「八年だよ、宏。大学に入ってからずっと、私はあなたのことが好きだった。八年間ずっと」全部言ってしまえば、もう未練も残らない気がした。私は、ただ正直に伝えた。あなたのことが好きだった。それだけのこと。恥ずかしくなんて、なかった。「……うそだろ」宏の目に驚きが浮かんで、戸惑い、そしてどこか嬉しそうな色まで見えた。でもすぐに、疑うような顔になって言った。「……君、大学のとき……好きだったのは、山田じゃなかったのか?」私は深く息を吸って、胸の奥にあったほろ苦さを押し込めた。「誰に聞いたの?それともさ、ちょっと仲が良かっただけで、すぐ恋愛だって思うの?」「じゃあ、あれは……」「忘れたの?ちょっと前に、私の八周年を祝ってくれたじゃん」無理やり笑おうとして、うまく笑えなかった。それでも、言葉は止まらなかった。「あの日、保健室で目を覚ましたとき、最初に見え
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第145話

「その言葉を聞いた瞬間、私はふっと意識が遠のいたような気がした。この問いに向き合ったのは、来依に似たようなことを聞かれた時だけで、自分自身に本気で問いかけたことなんてなかった。もしあの日、私を助けたのが別の誰かだったら。目を覚ましたときに見たのが、宏じゃなく、別の男の人だったら。私は、その人のことを好きになっていたんだろうか。それとも、あの日宏が助けてくれなかったら、私はこんなにも彼を好きになることはなかったんだろうか。じゃあ、この何年もの間、私が抱えてきたこの気持ちは、いったい何だったのか。思考がぐちゃぐちゃになって、それ以上考えるのが怖くなって、私はそっと首を横に振った。「宏、私、答えなんて出せないよ」いつもどこか余裕のある宏の表情が、わずかに崩れた。食いしばった顎のラインがぴんと張っていて、深く息を吐き出す。「......そうか」「私がどうしてあなたを好きになったか、そんなことって、そんなに大事?」なぜだろう。彼は、どこか少しだけ、寂しそうに見えた。気持ちが終わりに向かっている今、どうして最初の理由なんて掘り返す必要があるんだろう。宏は私の目を避けながら、慌ただしく煙草を灰皿に押し付けて火を消した。そして、話題を逸らすように言った。「さっき言ってたこと、約束するよ」「……え?」一瞬呆けてしまったけれど、すぐに思い出す。「……アナのこと?」彼は静かにうなずいた。「うん」「言ったからには、ちゃんと守って。おじいさんのためにも」私はもう、宏がアナのことで何度も裏切るのにうんざりしていた。宏は私をじっと見た。どこかこらえているような顔だった。しばらくして、少し掠れた声で、急ぐように言った。「もう遅いし、南も早く休めよ。俺、行くから」私が何か言う前に、彼はさっさと玄関まで歩いて、靴を履き替えた。私は一瞬だけ躊躇って、それからきっぱり言った。「離婚するって決めたから、あなたの指紋データは削除するし、パスワードも全部変える。これからは……できるだけ、お互い関わらないようにしよう」その背中がピタリと止まった。ドアノブに添えた手の指先が、ぎゅっと青白くなっているのが見えた。でも、彼はただ一言だけ返した。「……分かった」こんなに素直に引き下がるなんて、正
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第146話

「何をそんなに得意げになってるのよ!」アナは怒りで胸を上下させ、目には敵意が剥き出しだった。「清水南、あんたが私を追い込んだんだ。宏に言ったんでしょ?私を海外に送るようにって……でも覚えてなさい。いつか私が江川家の若奥様の座を手に入れたら、そのときはあんたを鹿児島から叩き出してやるから!」「海外に送るって……?」思いもよらなかった。宏はああ言ってたけど、さすがに彼女に未練くらいはあると思っていた。せいぜい結婚しないだけで、まさかそこまですっぱりと切るなんて。「しらばっくれるのもいい加減にして!宏はあんなに私に優しかったのよ!あんたさえいなければ、あんな冷たい態度とるはずない!」「……」「言っとくけどね、私は絶対に海外なんか行かないから!そんなの無理!」「だったら本人に言って。送るって言ったの、私じゃないし」そう言って、水でも飲もうかとコップに手を伸ばした瞬間、背後から冷えた声が飛んできた。「私があんたの子供を殺したから、すごく恨んでるんでしょ?」アナがふいに笑い出した。目は底知れないほど黒く、毒気を帯びていた。胸の奥を鋭く突かれたような痛みに、私は振り返って彼女を見据えた。「……宏が話したの?」「違うわよ。そんなの、言われなくても分かってたもん」彼女は勝ち誇ったように笑いながら、ヒールの音を響かせて一歩ずつ近づいてくる。「お腹に何かいるなって、前から気づいてたの。ただ確信はなかった。でもね、どんな可能性も見逃したくなかったのよ」「……どういう意味?」その時点で、私はもう察していた。怒りで心臓が爆発しそうだった。アナは口元を抑えてくすくす笑い、まるで毒を吐くヘビのように冷たく言い放った。「事故、わざとだったの」私の表情が崩れていくのを楽しむように、彼女はさらに続ける。「驚いた?私も確信はなかったよ?だから、試してみただけ。どうせ、私のお腹の子は宏の子じゃないってバレたし、いらない命だったの。最初から堕ろすつもりだったんだから。でもね、あの日モールであんたを見かけて、ひらめいたのよ。いらない命で、あんたの命を潰せたら、すごくない?……思った通り、うまくいったわ。最高の結果よね、ふふ」歪んだ笑みを浮かべた彼女は、まるで狂気に支配されたようだった。「宏はね、あんた
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第147話

アナの目には、まるで勝ち誇ったかのような笑みが浮かんでいた。その瞬間、私は彼女の意図をすべて悟った。一切取り乱すことなく、私はゆっくりと手を引き、宏の呆然とした目を正面から見据えて、静かに言った。「見た通り。それでいいよ」どうせ彼は、これまでも私の言葉になんて耳を貸したことがなかった。それに、今は自分の目で見たわけだから、私が何をどう言ったって無駄だ。前までは、私が冷酷だと思われるんじゃないかと、少しは気にしていた。でももう、そんなことはどうでもよかった。本当に絶望すると、人って不思議と落ち着いてしまうんだなって、今なら分かる。彼が私をどう思おうと、もう関係ない。アナは腹を押さえ、涙をこぼしながら宏にすがりついた。「宏……助けて……すごく痛いの……あの人、いきなりナイフで刺してきたの……まるで狂ったみたいに……」――30にもなって、まだ自分を清楚ぶった悲劇のヒロイン扱いかよ。私は思わず鼻で笑った。「泣くことないでしょ?それがあんたの狙いだったんじゃないの?うまくいったんだから、喜べば?」計算ずくで、宏が来るタイミングを見計らって、私を煽って手を出させた。――さすがだわ。一瞬だけ焦った顔を見せた彼女だったが、すぐにまた同情を誘うような泣き顔に戻った。「何を言ってるのよ……私はただお願いしただけなのに……海外行きだけはやめてって……断るだけならいいのに、なんでこんなこと……」私は宏に視線を向けて、皮肉っぽく笑った。「信じる?彼女の言ってること」もう彼に何も期待していなかった。宏は眉をひそめ、黒い瞳をまっすぐ私に向けて、優しく言った。「君の口から聞きたい」「違うって言ってる」私は血のついた手をアルコールティッシュで拭いながら、彼をじっと見つめた。「それでも、信じる?」彼の表情がわずかに緩んだそのとき、アナが呻きながら彼の胸元に飛び込み、蚊の鳴くような声で言った。「宏……もうだめかも……痛くて……」宏は一瞬目を細め、玄関の方を見て鋭く声を飛ばした。「加藤!病院へ連れて行け!」「はい!」加藤がすぐに入ってきて、アナを支えた。「傷口をしっかり押さえろ」私は冷たい口調で、ティッシュを一包投げた。「血、床に垂らさないで。汚れるから」特にアナの血
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第148話

「加藤?」江川宏の声は凍りつくように冷たかった。「何している!?早く彼女を病院に連れてけ!」アナは呆然としていたが、何か言う間もなく、加藤は容赦なく彼女の腕を引っ掴んで、そのままエレベーターへ連れて行った。血が床に落ちないよう、最後まで気を配っていた。私は、彼らが消えていった方向を睨みつけながら、胸の高鳴りをどうにも抑えられなかった。「南、まずは手を洗おう。ね?」宏はまるで私を壊れ物扱いするみたいに、優しく子どもをなだめるような口調で言った。私は彼を見上げて、ぽつりと聞いた。「……私があの女を殴ったの、怒らないの?」それが彼らしくなかった。いつもなら正義面してアナを庇って、私の敵に回るはずだった。彼は溜息をひとつついて、私の手を取って洗面所へ連れて行った。蛇口をひねって水温を確かめ、私の手をその下へ。ハンドソープを出して、丁寧に私の手を洗ってくれた。「あんなに叩いて……手、痛くないのか?」……一瞬、信じられなかった。こんなこと、あの江川宏が言うなんて。私はうつむいて、自分の指の間に彼の長くて綺麗な指が入り込むのをぼんやり見つめた。思わず、くすっと笑ってしまった。昔なら……この程度の優しさで、また心が揺れたかもしれない。だって、あの頃の私は彼に少し優しくされるだけで、何日も幸せでいられたから。でも今は、ただ情けないなと思うだけだった。彼は何も言わず、私の手を何度も丁寧に洗って、血の気配を完全に落としたあと、腫れた手のひらを見て眉をひそめた。そして私の頬をそっとつまんで言った。「口、開けて」「……なに?」言われるままに口を開けて、鏡を見ると――唇の隙間から、じわりと血が滲んでいた。……さっき、歯を食いしばりすぎて、歯茎から血が出てたらしい。彼は黙ってコップにぬるま湯を入れ、私に渡した。「……うがい、して」「ありがとう」距離を感じさせるような声で礼を言って口をゆすぐと、彼はまた手を取ってリビングのソファへ連れて行き、救急箱を取り出して、膝をついて私の前に座った。まるで壊れ物を扱うみたいに、丁寧に、優しく腫れを抑える薬を塗ってくれた。一瞬――ほんの一瞬だけ、私は錯覚しそうになった。まるで、私たちは今も穏やかな夫婦みたいで。でも現
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第149話

宏は、まるで諦めたような目で私を見つめながら、穏やかに言った。「……あいつも、あのとき子どもを失ってる。法廷に持ち込んでも、南が望む結果にはならないと思う」「……ああ、そう」私は何度か自分に言い聞かせるように頷いたけど、胸の奥から何かがスーッと抜け落ちていく感じがした。空っぽになっていくみたいだった。「つまり――私の子どもは、ただ無駄に死んだってことなんだ?」彼は慌てたように優しい声を向けてきた。「違う、南……方法はまだいくつかあるから」「方法?……たとえば、海外に送るとか?」私は口角を引きつらせて、皮肉混じりに笑った。「私が行き先を決めていいの?どこでも?」「いいよ」宏は少し肩の力を抜いて、即答した。私は彼の整った顔をじっと見つめたまま、さらに笑みを深めた。「じゃあ――東南アジアにしよう。ミャンマーとか、ベトナムとか、ラオスとか……あ、でも送るだけ。生活費は一切なしでね」「南……」「ダメなの?」私は彼の顔に一瞬浮かんだ驚きの色を、逃さなかった。――いいじゃない。あの女にも、少しは代償を払ってもらわないと。宏は渋い顔で言った。「あの辺は情勢が不安定だし、あいつ……小さい頃からそういう環境に慣れてないし……」言いかけたところで、彼のポケットのスマホが鳴った。画面を見ると、発信者は加藤だった。私は鼻で笑った。「出たら?もしかしたら、手遅れで死んだって連絡かもしれないよ」宏は無言のまま、冷たい表情で通話に出た。距離が近かったので、加藤の声がかすかに私にも聞こえた。「社長……一度病院に来てください。アナさんが治療を拒んで、ずっと出血が止まりません。どうしても社長じゃないと……」「死にたいなら、勝手に死ねって伝えろ!」宏は声を低くして吐き捨てるように言い、通話をブツリと切った。私は思わず目を見開いた。「……どうしたの。人が変わった?」私は正直、彼がアナにそこまで冷酷になれるとは思っていなかった。いや、この人生どころか来世だって、そんなことあり得ないと思ってた。でも――その言葉を口にした瞬間、彼のスマホがまた鳴った。しかも何度も、まるで執念のように。彼は最初は無視していたけれど、加藤は諦めずに何度もかけてくる。「アナさんが倒れました。状態がかな
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第150話

この質問を口にした瞬間、私の胸もぐっと締めつけられた。ずっと思っていた。おじいさんの死は、江川アナと無関係じゃない、と。でもこれまで、確かな証拠は何ひとつなかった。そんな中、土屋じいさんの即答が返ってくる。「あります。指紋の面積はごく小さいですが、照合の結果、彼女のもので間違いありません」「やっぱり……彼女だったんだ」その答えを聞いたとき、心の底から湧き上がってきたのは、喜びじゃなかった。むしろ、悔しさと虚しさ。おじいさんのために、どうしてもやりきれなかった。もし、あの日おじいさんがアナに会っていなければ――今もきっと、あの優しい笑顔で「南」と私を呼んでくれたはずなのに。電話越しに、土屋じいさんの声も怒りを含んでいた。「旦那様は、確かに彼女を家族としては受け入れられなかったかもしれません。でも、ひどい仕打ちをしたことなんて一度もない。それなのに、あんな真似をするなんて……」「……そうだね」私は頭を抱えたまま、ずっと引っかかっていた疑問を口にする。「でも、まだ納得いかない。あの日、おじいさん、宏のことぶっても別に倒れたりしなかったでしょ。あの女、いったい何を言ったの?おじいさんをあそこまで怒らせるなんて……」おじいさんを怒らせ、病気を引き起こし、そしてとどめを刺すように、救命薬を遠ざけた。今日の私とまったく同じ手口。まず怒らせて、こっちに手を出させて、そして自分は被害者ヅラ。土屋じいさんも苦々しく唸った。「……私にも、見当がつきません」ふと、胸の奥に沈んでいた仮説が浮かび上がる。「土屋じいさん……ひとつ、お聞きしてもいいですか。もしかして、江川アナって……私の義父と温子さんの、実の娘って可能性は?」それが、今の私にとって唯一思いつく理由だった。アナが、おじいさんをあそこまで激昂させる理由。おじいさんはもともと、義父が温子さんをどうしても娶ると言い張ったことに強く反発していた。もしそのうえで、義父が過去に婚内不倫までしていたと知ったら……怒りに震え、持病が悪化してもおかしくない。でも土屋じいさんは、即座に首を振った。「それはあり得ません。温子さんが江川家に入る前に、すでに旦那様が徹底的に調べ上げておられました。DNA鑑定の結果も出ていて、彼女が江川家の血縁でないことは確認
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