私は思わず唇を緩めた。「まだ、ちゃんと考えてなかった」ちょうどそのとき、角を曲がって黒いワンボックスカーがこちらに向かってきた。反射的に一歩下がった瞬間、車は急にスピードを上げ、私の真横でピタッと止まった。キキィィッ――タイヤが地面を擦る嫌な音が響く。思わず眉をひそめて後ずさろうとした瞬間、助手席のドアがバタンと開き、キャップを被った若い男が勢いよく降りてきた。こちらに二歩で詰め寄るなり、躊躇なく私の口と鼻をガッと塞いだ。「な、にを……」全部で、五秒もかからなかったと思う。声も出しきれず、抵抗する暇もなく、ましてや逃げるなんて無理だった。鼻にツンとくる強いエーテルの匂い。吸い込んだ瞬間、意識が遠のき、体から力が抜ける。耳元からイヤホンが引きちぎられるように落ちたのが最後の感覚だった。……次に目を開けたとき、頭がぐらぐらして、手足にまったく力が入らなかった。腕を持ち上げることすらできない。かろうじて薄く目を開け、周りを見渡す。まだあの黒いワンボックスカーの中だった。私は最後部座席の隅に押し込まれていて、手足をきつく縛られたまま、額を窓ガラスに押しつけられている。外はすっかり暗く、車窓の向こうにはぼんやりとした郊外の景色が広がっていた。車内には運転手を含めて四人。私を攫ったキャップの男もいる。目を開けたのに気づいたのはそいつだった。ガラガラ声で言う。「やっとお目覚めか?」「だから言っただろ、こんな痩せた女にあんな量いらねぇって。下手したら死んでたぞ。起きて良かったな」運転席の男は中年だった。「後から言ってんじゃねぇよ、ヘタレ」キャップ男が吐き捨てるように言った。私は必死に意識を保ちながら、警戒しつつ問いかけた。「……あんたたち、何が目的?」一目で分かる。こいつら、裏の人間だ。私はそんな世界とは無縁の人生を送ってきた。ましてや恨みを買うようなことなんて一度もない。なのに、なんで?「何が目的かって?お前の大好きな叔父さんに聞いてみろ」キャップ男は鼻で笑った。「心配すんな。お前に恨みがあるわけじゃねぇ。旦那に金出させりゃ、それでチャラだ」「……叔父さん?」「とぼけんなよ。赤木邦康だよ。知ってんだろ?」「知らない。聞いたこともない」私はとっさにしらを切った。
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