All Chapters of 慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った: Chapter 121 - Chapter 130

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第121話

けれどよりにもよって、この人が私の叔父さんだ。その立場を笠に着て、宏の前で好き勝手なことを吹き込めるなんて……「姉貴、そんな言い方はちょっと冷たすぎるんじゃないか?」秋紀が手に残っていた柿の種を袋に放り込み、いかにも事情通って顔で言ってきた。「知ってるよ、兄貴が浮気したってことだろ?さっきその女見たけど、あんたより全然イケてなかったよ。いかにも整形顔って感じ。そういうのはさ、ちょっと遊ばせてやればいいんだ。飽きたらどうせ戻ってくるんだし」――浮気。この手の、道徳のかけらもない男たちにかかると、そんな重い話ですら、驚くほど軽い。私はどうにか怒りを飲み込みながら言った。「だから、この件には口出さないでって言ったでしょ。聞こえなかった?」「聞こえたよ」悪びれた様子もなく、叔父さんがニヤリと笑う。ネットでよく見る「老害」って、たぶんこんな人のことを言うんだろう。黄ばんだ歯を剥き出しにして、煙草臭い息を吐きながら言った。「江川のところに口を出してほしくないってんなら、それでもいいさ。けど条件がある。これから毎月60万寄こして、秋紀の就職先もちゃんと世話するなら、俺は一切手を引いてやるよ」「それ、もう強盗じゃない?」私もついに堪えきれず、声を荒げた。「よく聞いて。今後、あなたたちには一円も出さないから」「いい度胸だな。じゃあ裁判所で会おうか?老人を扶養しないってことで訴えてやる。世間に恥を晒せばいい!」「どうぞ、ご自由に」私は声を張った。「こっちには、今まであんたたちに送った金の明細が全部揃ってる。でも、あんたは?私が赤木家で暮らしたあの何年もの間、あんたは私のためにいくら使った?私はどれだけのことをしてきたと思ってんの?」あの頃、家のことはほとんど全部私の仕事だった。まだ8歳なのに、力が足りなくて雑巾で床を膝ついて何度も拭いた。下校時間がもっと早ければ、きっとご飯作りも押し付けられていたと思う。叔母さんが私をかばおうとすれば、叔父さんは決まって「役立たずなんか飼ってどうすんだ」と怒鳴って、私を家から追い出すぞと脅した。家政婦だって雇うなら住む場所くらいは必要なのに。ギャンブルに狂っていたあの人は、私のバイト代まで何度も勝手に持っていった。そんな人が今さら「育ててやった恩
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第122話

男はダークカラーの高級スーツに身を包み、冷たい表情と整った眉目の奥に、生まれつきの威圧感を宿していた。一歩踏み出すだけで、空気がピンと張り詰めるような気配をまとっている。私は思わず息を呑んだ。その瞬間、叔父さんの態度が一変した。さっきまでの居丈高な様子はどこへやら、手を擦り合わせながら宏の前へと近づいていく。「や、やだなぁ、宏さん。なんでこんなとこに……いやちょうどこのクソガキに教育的指導してたとこでして」……胸がズキンと痛んだ。すでに離婚寸前だというのに、こんな情けない姿を宏に見られるなんて。いや、こんな恥知らずな親戚の存在自体を知られるのが、なにより屈辱だった。「出て。この件にあなたは関係ない」私は宏の腕を押して、外へ出そうとした。私と彼のことに叔父さんが口を出すのは望まないし、同じように、宏をこんな泥だらけの騒動に巻き込みたくもなかった。「怖くなったのか?」叔父さんが大股で玄関先をふさぎ、大声でわめく。「宏さんに、どれだけ恩知らずな女かバレんのが怖いんだろうが!」……怒りで声が出ない。私が何も言わないうちに、彼はもう自信満々に非難を始めていた。「宏さんが別の女に目移りするのも当然ですよ。こんな女、気が強くて全然かわいげがない。情なんてあってたまるかって話ですよね?」宏がちらと私を見て、ふっと唇を歪めた。「……まぁ、確かに。気が強いのは間違いないな」「ほらね!やっぱ俺の言ってること正しかったんですよ!」叔父さんは得意げに言葉を続ける。「気が強いだけじゃなくて、まったく親不孝でしてね!俺と妻がここまで育ててきたってのに、いざこっちが面倒見てもらう番になったら、手のひら返して知らん顔ですよ!」「うん、そりゃよくないな」宏は椅子を引き寄せてゆったりと腰を下ろし、長い脚を組んだ。声は静かだったが、どこか低く響いた。「で?どうしてほしいんだ?これからそういう話は俺にしろ。うちじゃ、彼女の一存じゃどうにもならないからな」……うち?うちって、どういう意味?「ま、マジですか?」叔父さんの目が一気に輝いた。宏が止めもせず頷くのを見て、堰を切ったように話し始める。「じゃあですね、まず妻の入院費、あと俺には毎月60万の仕送り。で、うちの息子の就職も何とかして
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第123話

それを聞いた瞬間、叔父さんの顔色がさっと変わった。気まずそうに額をかきながら、口ごもる。「いや……そりゃ、家族なんだからさ。そんな細かく計算することないだろ?」宏は相変わらず落ち着いた様子で、真顔のまま淡々と答えた。「いや、必要だ。叔父さん、恩があるなら、それはちゃんと返すべきだ。遠慮なさらずに」「でも……」叔父さんの顔は青白くなったかと思えば、すぐに真っ赤に染まり、とうとう耐えきれなくなったように叫んだ。「もう何年も前の話だし、今さら正確に出せって言われても無理だって!」「大丈夫だよ。どこの銀行の口座を使ってたか教えてくれ。俺が今すぐ電話して確認する。数分で終わるから」宏がスマホを取り出そうとした瞬間――「ひ、宏さん、それは……やめてください!調べなくていいですから!」叔父さんは慌てて駆け寄ってきて、狼狽えた様子で必死に手を振った。あまりにも焦っていて、見ているこっちが呆れるほどだった。――図星か。「どうしたんだ?」宏が眉をほんの少しひそめ、首をかしげる。「南が恩知らずだって言ってたよな?だから今こちらから、感謝の気持ちを込めて十倍、いや百倍にしてお返ししようとしてるのに。どうして今になって断るんだ?」「い、いや、さすがに10億なんて……とんでもない。もし本当にくださるなら、10万、いや、100万円で十分です!」叔父さんは厚かましくも笑いながら手をすり合わせた。宏はそんな様子を冷ややかに見つめて、ふっと鼻で笑った。「叔父さん、俺は仕事柄、曖昧な数字って嫌いなんだ。お金が欲しいなら、ちゃんと請求書を出してくれ」ゆっくりと立ち上がると、ネクタイを整えながら続けた。「それとも……南を育てたっていう名目だけで、実際には一円もかけてない、なんてことはないですよね?」「ば、馬鹿なこと言うなよ……!」叔父さんは思わず跳ねるように声を上げたが、宏の鋭い眼差しにすぐしゅんとなって、情けない声で続けた。「俺が金をかけてなかったら、こいつがここまで大きくなれるわけないだろ……」「そうかしら?」弱々しくも芯のある声が、入口の方から飛んできた。目をやると、叔母さんが看護師に支えられながらゆっくりと病室に入ってきていた。「南に金をかけた?どの口が言うのよ。あの子、公立の学校に通
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第124話

その声は静かだった。けれど、その奥にひやりと肌を刺すような冷たさが宿っていた。まるで、叔父さんがほんの一寸でも動けば、宏は本当にその手を粉々に砕くんじゃないか――そんな空気すら漂っていた。私が彼に守られている、と感じたのは……たぶんこれが、初めてだった。けれど、あまりに遅すぎた。胸には、何の波紋も起きなかった。叔父さんは恐る恐る身じろぎした。だが、自分の体が微塵も動かせないことに気づいて、びくりと震えた。そして慌てたように声を上げる。「宏さん、違うんです!今のは……ただの事故でして!」叔母さんも、宏の鋭い態度に気圧されたのか、不安そうに私を呼んだ。「南……」私は叔父さんに一発くらいお見舞いしてやりたかった。けれど、叔母さんのことを思うと――今はやめておくしかなかった。「もういい。離してあげて」私はそっと宏の腕を引いた。宏が怒っている時、そう簡単には引かないことは分かっていた。彼はじっと叔父さんを見据えたまま、低く言い放つ。「……もう一度でも彼女に手を挙げてみろ。今度こそ、その手、もがせてもらうぞ」「わ、わかりました!もうしません!絶対に……安心してください!」叔父さんは顔面蒼白で、必死に何度も頷く。ようやく宏が手を離すと、私は息をつくように叔父さんを見つめた。「叔母さんの医療費は、必要な分はすでに払った。……それ以外のことは、もう考えないで」「お、お前なあ……!」当然、彼が納得するはずもなかった。だが、宏の冷たい視線に目が合うと、結局何も言えずに口を噤んだ。私は叔母さんを支えながら部屋へ戻り、そっと尋ねた。「……叔父さん、これまでに叔母さんを叩いたりしたこと……ある?」叔母さんはベッドに腰掛けたまま、じっと下を向いていた。何かを思い返しているのか、しばらく黙っていたが――やがて、無理に微笑みを作って答えた。「ないわよ。さっきはちょっと感情的になってただけ。普段は……そんなことしないから、大丈夫よ、南」「……そう」私はそれ以上聞くことができなかった。その後は病状のことをいくつか確認し、彼女が横になるのを見届けてから、そっと部屋を後にした。リビングには、叔父さんと秋紀だけが残っていた。さっきまでの威勢はどこへやら、私が出てくるなり、
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第125話

「南」宏の視線は一瞬たりとも私から逸れず、瞳の奥には言い表せない感情が揺れていた。「区役所に行ったこと、後悔してる」「……え?」「離婚なんてしたくないんだ」かすかに湿ったような低い声が、霧に包まれるように響く。「……」私は唇を舐め、もうすぐ到着しそうなエレベーターを指差した。「先に行くね」言うべきことはもう言った。これ以上繰り返しても、ただ傷が増えるだけだ。「送るって言っただろ……」「宏!」エレベーターが開くと、中にいたのは江川アナだった。驚いたように目を見開き、柔らかい声で言った。「午後は来られないって言ってたのに。やっぱり私のこと、心配だったんでしょ?」私は振り返らず、彼女をすり抜けてエレベーターに乗り込み、階数ボタンを押す。宏の表情を見る気さえ起きなかった。無念、苛立ち、あるいは甘さ――どれであっても、もう私には関係ない。いま私が覚えなきゃいけないのは、手放すこと。8年かけて追いかけても、結局届かなかった人を。……帰り道、山田先輩から電話がかかってきた。「先輩、どうしたの?」笑顔で出ると、電話口の声は少し重たかった。「南、あのコンペに出したデザイン、他の人に見せたことあるか?」ハンドルを握る手が自然と緩み、悪い予感が胸をよぎる。「来依以外にはいないよ。あとは……会社に一晩置いてただけで、基本は家から出してない」しばらく沈黙が続いた後、私は堪えきれずに尋ねた。「何か、あったの?」「会って話そうか。俺がそっちに行く?」「大丈夫、ちょうど外にいるし、私がMSに行くよ」赤信号の交差点でハンドルを切り返し、こう提案した。「MSのビルの下のスタバで待ってるね」先輩はすぐに「わかった」と返してくれた。およそ二十分後、MSのビルに着いた私は、まだ外にいた山田先輩の姿をガラス越しに見つけた。ベージュのシャツにカーキのパンツ。いつもより清潔感が際立っていて、穏やかなはずなのに、どこか近寄りがたい雰囲気があった。でも、私が近づくと、その距離感はふっと消えた。彼は微笑みながら、温かい飲み物を差し出してくれた。「温かいの、飲んで」「うん、ありがとう」私は飲み物にそこまでこだわりはないけど、一口飲んで顔を上げる。……私の好きな味だった
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第126話

私は携帯を受け取った瞬間、一目でそれが自分のデザインだとわかった。しかも、それはまだ下書きの段階のもので、細部を詰める前の状態のまま盗まれていた。そのせいで、どうやって自分のデザインが江川アナの手に渡ったのか、すぐに察しがつき、背筋に冷たいものが走る。「焦らなくていい」山田先輩が柔らかい声で言い、安心させるように続けた。「どうやって自分のデザインだと証明するか考えるまで、この件は俺が押さえておく」「押さえなくていいわ」髪を耳にかけ、口元に笑みを浮かべる。「そのまま発酵させましょう。騒ぎが大きければ大きいほどいい」これまで気づかなかったが、江川アナが私から奪おうとしているものは、想像以上に多かった。自分から仕掛けてくるのなら、こちらも忘れられない教訓を与えてあげる。山田先輩は澄んだ目元でふっと笑う。「続けざまの出来事で、南が落ち込むんじゃないかと思ってたけど……もう手は打ってあるようだな?」「ええ」私はうなずく。「大学のとき、鵜飼教授が授業で言っていたの。自分のデザインを守りたいなら、常に自分で証明できる準備をしておくことが大事だって」山田先輩の琥珀色の瞳に、わかりやすい笑みが浮かぶ。「三年経って、前よりもずっと優秀になったし、自分を守る術も身につけたな」私も笑い、ふと疑問を口にした。「先輩、なんでこれが私のデザインだって確信したの?私が江川アナのを盗んだとは思わない?」「俺の知ってる南は、パクリなんて軽蔑してる」山田先輩は揺るぎない口調でそう言い、くすっと笑った。「それに、理より情って言葉、知ってる?」「え?」「俺たち、友達だろ」茶化すように、けれどどこか本気の声で続ける。「南が何をしても、俺は南の味方だよ」思わず笑ってしまう。「先輩って、友達にはみんなそうなの?」「まあな」軽く眉を上げ、意味深に言った。「でも、友達は多くない」それは本当だ。長い付き合いの中で、彼が親しくしているのは伊賀や宏くらいだった。しかも今は、宏ともだいぶ距離ができている気がする。よく会っているのは、私と伊賀くらいだ。「私も友達少ないの。先輩と来依以外、ほとんど関わりないし」「それでいい」先輩は唇の端に笑みを乗せ、目尻がわずかに上がる。切れ長の
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第127話

彼は笑みを含んで尋ねた。「控えめにする?それとも派手に?」「派手に」私は一瞬の迷いもなく答える。「任せろ」山田先輩はうなずき、私を車へと促した。「安全に気をつけて。何かあったら電話して」その声は澄んでいて柔らかく、不思議と心を落ち着かせる力があった。駐車場を出て、精算機の前で車を止めたとき、バックミラー越しにまだ同じ場所に立つ彼の姿が映った。背筋を伸ばして立ち、視線は私の去る方向へ向けられているようだった。もし、彼に長年心を寄せる相手がいると知らなければ――私のことを密かに想っているのでは、と疑ってしまったかもしれない。慣れた道を辿りながら江川グループへ向かい、その途中で小林に電話をかけた。「十分後、地下駐車場で待ってて」「……み、南さん」驚いたような声が返ってくる。「わ、私いま忙しいんですけど」「じゃあ、私がそっちに行こうか?」わざと冷ややかに言うと、少し間を置いてから返事があった。「……それなら、私が下に行きます」ほんの少し、心のどこかで別の可能性を願っていた。彼女ではないかもしれない。私のどこか別のところに隙があったのかもしれない。けれど、その怯えた様子を見て、すべて悟った。着いたとき、彼女は私が以前よく停めていた駐車スペースに立って待っていた。顔色は蒼白だ。車を降りて、真正面から問いかける。「どうしてあんなことをしたの?」私は本当に理解できなかった。自分では、いい上司のつもりだった。できる限り手助けしてきたし、多少のことなら見て見ぬふりもしてきた。「な、何のことですか」小林は視線を逸らし、落ち着かない様子で聞き返す。「言わせるつもり?」「南さん……」困ったようにうつむく。眉間に軽く皺を寄せた。「オフィスの換気なんて口実で、本当は私の手稿を撮りに行ったんでしょう?」そうでもなければ、他に思い当たる抜けはなかった。彼女は大学時代、インターンとして私の下に入り、私が直接面接した。江川グループの中で、最も信頼していた存在だった。――裏切るのは、結婚や男だけじゃなかった。しばらく沈黙したあと、私は確信したように言った。「江川アナのことは好きじゃなかったよね。何を条件にされたの?昇進?それとも昇給?」「どっちでも
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第128話

事の成り行きは、予想していたとおりだった。私が江川グループを出て間もなく、この件は業界内で一気に広まっていった。山田先輩に確認すると、彼はまだ動いていないという。どうやら江川アナの方から人を使って流したらしい。――江川グループ副部長、盗作。そして多くの人は、あっさりとその流れに乗せられた。何しろ、先にデザイン稿を提出したのは彼女なのだから。この業界の人間はこういう類のことを心底嫌う。私への罵声は容赦がなかった。「パクリ野郎、デザイン界にいる資格なんてない、さっさと消えろ!」「人の成果を盗むなんて、家族まとめてくたばれ!」「恥知らずにもほどがある。同じ会社の人間から平気で盗むなんて、この清水って女は何者だ?」「……」スマホを閉じようとしたそのとき、MSの公式アカウントが告知を出した。内容は、明日私と江川アナをMS本社に呼び、盗作疑惑について最終判断を下すというもの。しかも「業界の皆さんもぜひ見に来てください」ときた。翌朝、私は早めに起きて支度を整え、きっちりとメイクを施し、ハイヒールで家を出た。到着すると、MSグループの正面玄関にはすでに野次馬が集まっていて、その中に山田先輩の姿もあった。バッグを手に歩み寄り、笑顔で声をかける。「先輩」「準備はできてるか?」落ち着いた声に、私は力強くうなずいた。「ええ」一緒にエレベーターへ向かおうとしたそのとき、入口の方からざわめきが起きた。何気なく振り返ると、磨き上げられたベンテイガが堂々と停まり、運転手がドアを開ける。現れたのは純白のドレスをまとった江川アナ。……随分と愛情深いこと。わざわざ車を出して送り届けてもらうなんて。「南」山田先輩が小さく私を呼ぶ。胸の奥に湧いた複雑な感情を押し込み、口元だけで笑う。「うん、先に行きましょう」「清水南」大勢の前で、江川アナが唐突に呼び止めた。「あなた、昔はちゃんとデザインの才能があったのに、どうして私の作品を盗むような真似を?」「……」冷ややかに笑う。「どっちが盗んだのかなんて、まだわからないでしょう」「やったくせに、まだ認めないの?」アナは殊勝ぶった声で続けた。「本当はこんな騒ぎにする必要なんてないのよ。私に謝ってくれれば、私も宏も追及しない」「先に提
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第129話

彼に一礼して感謝を示し、そのまま堂々と歩み出る。「皆さん、おはようございます。清水南です。本日はこの件について、はっきりとご説明しに参りました」すぐ後ろから江川アナが追いすがるように言った。「無実を証明するんでしょう?始めたら?」その声は、まるで勝利を確信しているかのようだった。もし私に常に「印」を残す癖がなければ、この場は彼女のペースで進み、私は何も言えなかったかもしれない。「まずは、これを聞いていただきたいと思います」スマホを取り出し、昨日の小林との会話の録音を再生する。周囲の表情が一斉に変わった。江川アナは予想していたかのように、ゆったりと言葉を返す。「これが何の証明になるの?小林はあなたのアシスタントでしょう。仕組まれた茶番じゃないの?」「ごもっともね」私はあっさり頷き、バッグから今回のデザイン手稿を取り出した。「こちらが私のデザイン原稿です。修正の痕跡を見ればはっきりわかります。江川アナが提出したのは、私の最終稿ではなく、二つ前のバージョンなんです」アナはデザインの知識も多少あり、反論も早かった。「私たちを馬鹿にしてるの?盗作する人が丸写しするわけないでしょ。少しぐらい手を加えるのは普通よ」私は立ち上がり、第二版の細部を指差して、口元に笑みを浮かべた。「じゃあ聞くけど……あなた、私のことが好きなの?どうしてデザインの端々に、私の名前を残すの?」「……何ですって?」一瞬、彼女の顔がこわばる。慌てて身を乗り出し、私が指した箇所を覗き込むが、すぐに鼻で笑った。「ただの筆跡の癖でしょ……」「M.S」彼女をまっすぐに見据え、低く告げる。「あなたの筆跡の癖って、私の名前のイニシャルなの?」これは大学時代からの私の習慣だった。正式提出前の手稿には、目立たない場所に、自分のイニシャルをそっと忍ばせる。そして提出前にきれいに消す。「そんなはず……!」アナの顔色が一気に変わる。もう一度確かめようとした瞬間、すでに近くの同業者が手稿を手に取り、食い入るように見ていた。やがて視線を彼女へ戻すと、その目は一様に冷ややかになっていた。ただし、「江川夫人」という肩書きがあるせいか、誰も口には出さない。そんな中、一人だけが笑い混じりに言い放った。「泥棒が泥棒呼ばわりとはね。
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第130話

「私はあんたみたいな芝居はできない」そう吐き捨て、もうこれ以上関わりたくなくて踵を返した。「待ちなさい!今日はちゃんと説明してもらうわよ!」次の瞬間、彼女が駆け寄ってきて、足をひねったふりをしながら、まっすぐ私に倒れ込んできた。私のすぐ横には、大きな噴水がある。勢いよくぶつかられ、そのまま水面へと押し倒される――が、私はとっさに彼女の腕をがっしり掴み、そのまま一緒に引きずり込んだ。一緒に沈みたいんでしょ?なら望み通りにしてあげる。氷のように冷たい水が一気に全身を包み、鼻や口に容赦なく流れ込んでくる。幸い深さはそれほどなく、必死に手探りで支えになるものを探していると、大きな手が私の腕をぐっと掴んだ。「南!」次の瞬間、私は水の中から引き上げられ、温かいコートに包まれて、そのまま力強い腕の中に収まった。咳き込みながらも息を整えられずにいると、山田先輩の鋭い声が噴水に向かって響いた。「助けるな!自分で上がらせろ!」地獄の底から響くような、ぞっとするほど冷たい声だった。その剣幕に、警備員たちは足を止める。逆光で表情はよく見えない。冷たい風が吹き抜け、私は震え上がった。抱きかかえたまま、彼はほとんど駆けるように歩き出す。エレベーターで直通の役員フロアへ。社長室のドアを片足で開け放ち、秘書に短く命じる。「下着から上まで全部、新しいのを買ってこい。急げ」「はい、社長」一瞥した秘書はすぐさま走り去った。山田先輩はそのまま休憩室に入り、私を便座に座らせ、素早くシャワーをひねって浴びタオルを手渡す。さっきまでの冷たい威圧感は消え、声は驚くほど柔らかかった。「大丈夫か?熱いシャワーで温まるといい」「……うん」歯の根が合わないほど震えながらも、彼が出て行くとすぐにシャワー室に入り、熱い湯を浴びた。ようやく、息がつける気がした。宏より、アナのほうがよほど病的だ――そう思う。被害妄想も大概にしてほしい。人のデザインを盗んでおきながら、逆に私を責めるなんて。シャワーを終え、どうしようか迷っているとドアがノックされた。「南さん、社長からお預かりした服です」「ありがとう」ドアを少しだけ開け、手だけ出して受け取る。下着からアウターまで、すべて揃っていた。髪を乾かし終えたとこ
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