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All Chapters of 離婚後、恋の始まり: Chapter 971 - Chapter 980

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第971話

「少し飲むと、楽になるよ」差し出された水を見つめた聡は、静かにそれを手に取り、唇を湿らせるようにちびちびと飲んだ。星野は、そんな彼女をじっと見つめていた。二人の間には、行きの車中からずっと沈黙が流れていた。代行運転手が車を停め、「着きました」と声をかけた。「送っていきます」と星野が申し出ると、聡は無言でうなずいた。夜風は少し冷たかったが、不思議と心地よく肌を撫でていった。聡はゆっくりと歩き出し、星野はその少し後ろからついていく。彼の視線は一度も彼女から離れず、瞳の奥には、次第に深く色を帯びていく思いがにじんでいた。ふいに、聡が立ち止まった。星野も足を止め、彼女の動作ひとつひとつに目を向けた。聡はくるりと振り返ると、両手を背中で組み、どこかいたずらっぽくも柔らかな笑みを浮かべて言った。「かおるの結婚式に出てね、ふと思ったの。結婚って、案外悪くないのかもって」その言葉を聞いた瞬間、星野の心臓が激しく高鳴った。聡は一歩近づき、二人の距離をぐっと縮めた。「星野くん、ずいぶん長いこと自由気ままに過ごしてきたけど、ちょっと……疲れちゃった。あなたの前に言ってくれた言葉、ちゃんと考えたの。私たち――」星野の呼吸は乱れ、手のひらには汗がにじむ。どんな返事がくるのか。彼の想いは届くのか、それとも拒まれるのか。その時だった。「結婚しない?」聡の声が、夜の空気に溶けるように柔らかく響いた。星野は呆然として、思わず聞き返した。「え?」聡はくすっと笑った。「結婚って言ったのよ。恋愛の前にまず結婚、ってのもアリでしょ?」星野は真剣なまなざしで彼女を見つめた。呆気に取られたまま、しばし沈黙し、そして言葉を絞り出すように、問いかけた。「……本気なのですか?」聡はまばたきしながら、「冗談に見える?」と、自然に微笑んだ。星野の思考は混乱していたが、必死に平静を保とうと努め、口を開いた。「聡さん、今夜はお酒を飲んでいますよね。だから、今のお言葉は全部覚えておきます。明日の朝になっても気持ちが変わらなければ……そのときは、婚姻届を出しましょう。よろしいですか?」「いいわよ」聡はためらいなくうなずき、そっと彼の手を握った。「家まで、送って」星野は糸で操られる人形のように無言でうなずき、
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第972話

聡は全身を震わせていた。これまで味わったことのないほどスリリングな感覚に、胸が狂おしいほど波打ち、玄関の棚の端を両手で必死に掴んで耐えていた。刺激があまりにも強く、つま先の先までぎゅっと縮こまった。灼けつくような吐息が、敏感すぎるその場所を撫でるように吹きかけ、神経を鋭く揺さぶってくる。極楽とも地獄ともつかない、狂おしいほど曖昧で甘美な感覚。窓の外では風が少し強くなり、バルコニーのカーテンがふわりと上下に揺れていた。隙間から柔らかな月光が差し込んだのも束の間、ゆっくりと流れてきた雲がその光を覆い隠した。目尻にじわりと涙が滲み、聡の呼吸は荒く、不規則になっていた。しばらくして、彼女の体からふっと力が抜けた。脱力した体をそっと抱きかかえると、星野は静かに立ち上がり、そのまま浴室へと彼女を運んだ。「気持ちよかったですか?」耳元で囁くようにそう言いながら、星野は熱のこもった息をそっと吹きかけた。まだ呼吸の整わないまま、潤んだ瞳で見上げた聡は、軽く唇を噛みながらぽつりとつぶやいた。「星野くん、どこでそんなこと覚えたのよ?」「ただ……君を気持ちよくさせたくて。喜ばせたかったんです」そう答えながらも、彼はその技をどこで身につけたのかは、明かそうとしなかった。聡はその首に腕をまわし、くすっと笑って言った。「なかなかやるじゃない。ご褒美、あげる」星野は口元をわずかに緩め、微笑んでから、彼女の体を丁寧に洗いはじめた。浴室は湯気に包まれ、蒸気を含んだ熱気が肌を撫でる。聡の背中が冷たいタイルに押しつけられ、擦れた部分にじんと痛みが走った。聡は星野にしがみつき、喘ぎながら声を漏らした。「……ベッドに、行こう」星野は彼女の片足をしっかりと掴み、そのまま彼女の息が途切れるまで、激しく動かした。やがて、力を失った聡をそっと抱き上げ、寝室へと戻っていく。一晩中、ふたりは何度も互いを求め合った。夜が白み始める頃、ようやく聡は眠りについた。意識が朦朧とする中、ふと思った。長いこと禁欲してた男って、ほんと、怖いわね。星野の瞳には確かな満足の色が浮かんでいた。腕の中に眠る女を見つめながら、その心の奥深くまでもが満たされていた。あと数時間後が待ちきれない。次第に空が明るくなっていく。星野の中には、眠気などかけら
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第973話

「お腹空いた」そう言いながら、聡は手を引っ込めた。星野はすぐに応じた。「朝ごはん、もう用意してありますから、顔を洗って出てきてください」「うん」返事をすると、聡は布団を蹴って勢いよく起き上がった。白磁のような肌に、柔らかな起伏としなやかな曲線が浮かんだ。その美しさを曇らせるかのように、あちこちに昨夜の名残が残っていた。指の跡、唇の痕……荒れ狂った夜の記憶が、肌の上に静かに刻まれている。けれど、聡本人はまるで気にも留めない様子で、さっさと洗面所へ向かっていった。星野の視線は無意識のうちに彼女の背中を追い、その輪郭を目でなぞっているうちに、胸の奥がじんわりと熱を帯び始めた。だがその艶やかな姿もすぐに視界から消え、星野はそっと目を閉じ、昂った鼓動を落ち着けようと深呼吸をひとつした。「服、持ってきて」数分もしないうちに、洗面所から聡の声が飛んできた。「はい」星野はすぐに応じ、彼女のクローゼットへ向かった。そこには、色とりどりの服が所狭しと並んでいた。一歩踏み入れた瞬間、思わず立ち尽くした。どれを選べばいいんだろう?しばし迷った末に、家で過ごすには楽そうなワンピースを手に取り、洗面所へ戻った。ノックをすると、聡はすぐにドアを開けた。ただし、見えたのは細く白い手首だけ。星野はそっとその手に服を渡した。その手はすぐに引っ込められた。「ふん?」直後、内側からくすっと笑うような声が聞こえてきた。星野は少し顔を伏せながら問いかける。「どうかしましたか?服、間違ってましたか?」「別に」聡はそれだけ言った。星野は特に深く考えることなく、その場を後にした。三十分ほど経って、聡が寝室から現れた。星野が選んだ服を身につけている。ふと物音に顔を上げると、聡がゆっくりと歩いてくる。着ていたのは、柔らかな絹のような質感のストラップワンピース。光の具合で、まるで陰影をまとって揺れているように見えた。細いストラップが二本、なめらかな肩にかかり、そのラインをいっそう美しく引き立てている。思わず見惚れてしまう。聡が近づき、ぱっと手を振って彼の目の前で揺らした。「何、ボーっとしてんの?」「い、いえ……別に」気を取り直し、星野は椅子を引いた。「ご飯、召し上がってください」聡は吹き出しそうにな
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第974話

「結婚する」──その言葉を聡が口にした以上、星野が再び問いかけてくるのは、ほとんど確実だった。もし彼女がそれをもう一度拒むようなことがあれば、彼はもう二度と、同じ質問はしないだろう。聡は静かに星野を見つめ、穏やかに語りかけた。「本当に……覚悟ができてるの?私、気まぐれだからさ。いつか君のこと、好きじゃなくなるかもしれないよ。そうなったら、離婚するわよ?」星野の瞳には、ひたむきな決意の色が宿っていた。「もう、決めました。聡さんと結婚したいんです。僕たちの結婚を守るために、全力を尽くします。煩わしいと思われないように、ちゃんと努力します。最後まで、ずっと一緒にいたいんです」その言葉に、心が動かないはずがなかった。今この瞬間、彼の心も、その視線も、自分だけをまっすぐに映していたから。聡は思わず身を乗り出して、彼の口元にそっと唇を重ねた。「……かわいいね」星野は彼女の後頭部に手を添えて、キスを深くした。唇を離したときには、ふたりの息が、ほんのり乱れていた。「聡さん……僕と、結婚してくれますか?」「うん」そのときの聡には、もう迷いなどひとかけらもなかった。聡がうなずいた瞬間、星野の瞳の奥に、まるで打ち上げ花火のような輝きが広がるのが、はっきりと見えた。その眩しさに引き込まれるようにして、聡の心にも明るい光が差し込んだ。決めた以上は、もう迷わない。聡はすぐに着替え、普段はまず袖を通さない白いシャツを身にまとい、品のある繊細なメイクを施した。そしてふたりは、迷いなく役所へと向かった。窓口に並ぶ間、星野はずっと聡の手を握りしめていた。その掌が、緊張のせいでじんわりと汗ばんでいるのが、はっきりと伝わってきた。「なに、そんなに緊張してんの?」聡はくすっと笑いながら、問いかけた。星野は真剣な顔で彼女を見つめ返した。「もうすぐ家庭を持つ男になりますから。緊張して当然です」「ふふ、いい心がけじゃない」聡がそう褒めたちょうどそのとき、ふたりの番がきた。婚姻届受理証明書を手渡されたとき、聡がまだ目も通していないのに、星野がそれをさっと取り上げた。「ちょっと、なにしてんの?」聡が軽く眉を上げて問いかけると、星野は真顔で言った。「金庫にしまっておきます。聡さんが触れないように」「は?な
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第975話

バラの花を受け取った聡は、そっと鼻先に近づけて香りを確かめた。ふわりと、ほのかな甘い香りが漂う。その隣で、星野が婚姻届受理証明書を取り出し、丁寧に彼女へ差し出した。「こうやって写真を撮ったら、もっと素敵になりますし、ちょっとした儀式っぽさも出るんじゃないですか?」その言葉に、聡は唇の端を持ち上げ、くすりと笑った。「結構、知ってるんだね?」「ずっと気にしてたので。聡さんが写真を撮るのが好きなの、知ってました。ただの証明書の写真じゃ、きっと物足りないと思いまして」聡は笑いながら証明書を受け取り、バラの花と一緒に角度を調整しながら撮影を始めた。数枚ほど撮るとすぐに満足し、証明書を星野へ返した。そして迷いなく車のドアを開け、そのまま乗り込んだ。星野は証明書を大事そうにしまい、少し遅れて運転席へと乗り込む。「何か食べに行きませんか?お祝いもしましょう」そう言った彼に、聡はスマホの画面を眺めながら、撮った写真を選びつつ応じた。「さっき食べたばっかりでしょ。まだお腹空いてないし。それよりウェディングフォト、撮りに行こうよ」その言葉に、星野は穏やかに笑った。「わかりました」ウェディングショップに着く頃には、聡はようやく撮影した中から三枚を選び抜き、SNSに投稿した。いつものように、星野が最初の「いいね」を押した。そのあとすぐに、通知が鳴り止まなくなった。有美:【?】有美:【??】隼人:【おめでとう】里香:【おめでとう!】かおる:【わーい!おめでとう!】桜井:【姉貴……!大好きな姉貴が結婚だなんて、早すぎます!】新:【いつご飯おごってくれるの?】そして、徹は静かに「いいね」を一つ、押した。SNSだけでなく、LINEにもメッセージが次々と届き始めた。最初に電話をかけてきたのは有美だった。ウェディングショップの入口をくぐりながら、聡はスマホを耳に当てた。「もしもし?」受話口から飛び出してきたのは、有美の甲高い声だった。「マジで!?アカウント乗っ取られてないよね!?婚姻届受理証明書の投稿、あれほんとに聡ちゃんがやったの?ほんとに結婚したの!?」あまりの勢いに、聡はスマホを少し耳から離し、有美が落ち着くのを待ってから口を開いた。「乗っ取られてないし、投稿も間違いじゃ
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第976話

聡はふと思った。社長、今日なんか薬でも飲み間違えたんじゃない?こんなに話が通じるなんて、いつものあの人じゃない。こき使ってこそ本領発揮、こっちが死ぬほど働かされるのが常なのに、まさか自分から「休みをやる」なんて言い出すとは。半信半疑のまま、思ったことをそのまま口にした。「社長、大丈夫?なんかあった?」雅之:「……」社内で、こんなふうに遠慮もなく話しかけられるのは、聡だけだ。年上に対する礼儀なんてお構いなし。だが、雅之はそれを咎めることができなかった。彼女は有能だ。しかも、忠誠心もある。何より、信用できる。雅之は隣にいた里香へ目をやりながら、怒りを噛み殺すようにして言った。「休み、欲しいか」「欲しいに決まってるじゃない!」聡は即答だった。今日の雅之は人間らしい。これは千載一遇のチャンス、逃すわけがない。「日程が決まったら連絡しろ」「はい」そう言って電話を切ると、雅之は改めて里香に目を向けた。「これで、誠意は十分か?」だが、里香はゆっくり首を振った。「まだ足りないわ」彼女の言葉に、雅之は視線を向けたまま、お腹を優しく撫でながら聞いた。「じゃあ、他に何がしたい?」「聡さんたちは、いつもあなたのそばで支えてきたんでしょ?結婚式みたいな特別なタイミングには、何かプレゼントでも贈ったらどう?」なるほど。彼女に言われるまでもなく、何か贈ろうとは思っていた。だが、今それを口にされると、まるで指図されたようで、少し面白くない。それでも彼は歩み寄り、彼女の唇の端に軽くキスを落とした。「わかった。お前の言うとおりにしよう。夫婦の名義で贈る。きっと聡も、お前の気遣いを覚えてくれるだろう」しかし、里香は彼を押しのけて眉をしかめた。「そんなのいや。全然ロマンチックじゃない」「じゃあ、こうか?」雅之の息が熱を帯び、頬にキスを落としながら、彼女のスカートの裾に手を伸ばした。里香の白い頬がぱっと紅潮した。「ちょっと、真昼間から何してるのよ」雅之の瞳が、熱を帯びて深まった。「……夜なら、いいってことか?」それを聞いた里香は彼を睨みつけ、立ち上がって部屋を出て行った。妊娠中だっていうのに、頭の中はそればっかりなんだから!一方その頃、星野は忙しなく電話対応をしてい
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第977話

ブライダルショップを出たとたん、二人の頬を撫でるように、ほのかに暑さを含んだ微風が通り過ぎた。聡は目を細め、唇に淡い笑みを浮かべた。「希嗣」そのとき、通りの向こうから女の声が響いた。聡の笑みがすっと消え、瞳に冷たい光が宿った。こんな素晴らしい日に、あんな声で水を差されるなんて。まるで凶兆じゃない。「行こ」彼女は一度も向こうを振り返ることなく、すっと星野の手を取ると、少し離れた場所に停めてある車へと足を向けた。星野は、聡の様子がいつもと違うことに気づいて、「どうしたんですか?」とそっと尋ねた。「ちょっと疲れたの。休みたいだけ」そう答える彼女の声は淡々としていたが、どこか張りつめたものがあった。星野は小さく頷き、彼女のためにドアを開けると、そのまま車を走らせた。行き先は、彼女の自宅。「竹本希嗣!」通りの向こうでは、円華が繰り返し名前を叫んでいた。しかし聡は一度も振り返らず、足を止めることもない。慌てて追いかけた円華は、車が発進する際の排気ガスをもろに浴び、顔をしかめながら怒りを爆発させた。「まったく、役立たずめ!」苛立ちを込めて吐き捨てると、すぐにスマホを取り出し、竹本へ電話をかけた。「やっと見つけたわ。ブライダルショップから出てきたのよ、男と一緒に。たぶん、結婚したんじゃない?」電話口の向こうで、竹本は怒鳴った。「やっぱり、あの娘はどうしようもない。自分の親も認めんとはな。でも大丈夫だ、親子鑑定の結果はもう出てる。あの鑑定書を見せりゃ、否応なく認めざるを得ん。どんな手を使っても、俺たちが親ってことには変わりない。だったら、きっちり養ってもらわにゃな!」円華は息を整えながら、「わかった。すぐ行こうか?」と訊いた。「今は現場だから無理だ。もう少し待ってくれ」「わかった」そのまま通話が切れた。---車内では、聡がぼんやりと引っ越しのことを考えていた。今のマンションは、もう竹本と円華に知られてしまった。今日、ああして姿を現したということは、また押しかけてくるに違いない。……本当に、うっとうしい。次は、セキュリティがしっかりしたところに引っ越したい。できれば、部外者が簡単には入れない場所がいい。気がつけば、車はすでに止まっていた。いつ止まったのかさえわからないほど、静
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第978話

夕暮れ時。聡はゆっくりとまぶたを開けた。部屋には淡い光が差し込んでいて、ほんの一瞬、夢と現実の境目にたゆたうように意識が揺れた。その時、身体にかすかな重みを感じて視線を落とすと、星野の腕が彼女の身体を抱き寄せていた。そっと振り返ると、彼はまだ目を閉じたまま眠っており、浅く静かな呼吸を繰り返しながら、ぴたりと彼女に寄り添っていた。薄明かりのなか、聡はしばらく彼の寝顔を見つめた。ふと、唇に柔らかな笑みが浮かぶ。あの決断は、間違いじゃなかったのかもしれない。結婚。案外、悪くない。身じろぎもせずに彼を見つめ続け、やがて再び目を閉じたが、眠気は戻ってこなかった。それでも、彼を起こす気にはなれなかった。やがて部屋がすっかり薄暗くなった頃、星野が目を覚ました。体を少し動かしながらも、腕はまだ彼女の肩に残されていた。「起きた?」聡が声をかけた。「はい」星野はそう応え、ゆっくりと身体を起こして彼女の頬にそっとキスを落とした。「お腹、空いてませんか?」「少しね。夜は誰かが食事会をセッティングしてくれてるから、そのまま行けばいいわよ」「わかりました」星野は素直に頷いた。聡はベッドから身を起こし、ゆっくりと身支度を整えて服を着替えた。会場は、有美が予約してくれた四川料理のレストラン。スパイシーで奥深いその味は、聡の好みにぴったりだった。二人が到着した頃には、有美もすでに店に着いていた。彼女だけではない。隼人の姿もそこにあった。「来たね」有美が声をかけ、じっと星野に視線を向けた。「こんにちは」星野は丁寧に一礼しながら手を差し出した。有美はその手を握り返し、次に隼人とも握手を交わした。隼人は穏やかな笑みをたたえたまま、静かな目で星野を見つめた。その視線に、迷いはなかった。星野の目も同じだった。もう、決着がついてる。今、聡は自分の妻なのだ。「座って。何か食べられないものある?」有美が尋ねる。聡の好みはよく知っているから、実質的には星野への質問だった。「僕は何でも大丈夫です」星野は落ち着いた声で答えた。「それなら助かるわ」有美が笑顔で言い、すぐに店員を呼んで注文を始めた。注文を終え、店員が席を離れた後、有美はふたたび星野に視線を向けた。「前に一度会ったけど、ま
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第979話

いろいろと考えた末、有美はその考えを諦めるほかなかった。ちょうどその時、料理が運ばれてきた。「さあ、どんどん食べて。このお店ね、味すごくいいのよ。前に聡ちゃんとよく来てたんだから」有美はにっこりと微笑んで言った。話題は自然と切り替わり、みんなで食事を始めた。途中、聡がトイレに立ち、戻ろうとしたところで、入口で隼人とばったり出くわした。彼は電話中で、穏やかな表情を浮かべながら、ゆっくりと、そして丁寧に話していた。相手は、たぶん女性だろう。声のトーンや柔らかな物腰から、そんな気がした。公平に言って、隼人はとても素晴らしい男性だ。優秀で、ハンサムで、誰かが彼を好きになったとしても何ら不思議ではない。でも、先に心を奪われた人がいた。だから仕方がない。聡は唇に淡い笑みを浮かべながら近づいていくと、隼人は電話を切った。「君が、こんなに早く結婚するとは思わなかったよ」彼がそう口を開いた。「私の性格、知ってるでしょ。やりたいことはすぐやるの。気分次第でね」聡はあっさりと言って、肩をすくめた。「それでいいんだよ。君は、自由で幸せそうだ。正直、羨ましいよ」隼人はどこか遠くを見つめるように言った。「あなたの立場だって、できるはずよ。自分で自分を縛ってるだけじゃない?」聡は軽く笑いながら言った。隼人は彼女をじっと見つめ、ふと真顔で尋ねた。「彼のこと、愛してるの?」聡は少しだけ考え込んで、それから答えた。「……多分ね」愛していないのなら、なぜ結婚する?そんな疑問が胸の奥に浮かぶが、それでも彼女には確信が持てなかった。どれだけ愛しているのか、自分でもわからない。正直、愛というものが何なのかさえ、まだわかっていない。ただ、星野と一緒にいると楽しくて、居心地がよくて、穏やかな気持ちになれる。それだけで、もう十分だと思えた。隼人は聡の瞳を見つめた。そこには、静かで淡々とした静けさと、優しさと笑みが滲んでいた。彼は視線を外し、「戻ろう」と小さく言った。「うん」二人が個室に戻ると、聡はすぐに、部屋の空気がどこか妙に感じられることに気づいた。有美の目がきょろきょろと落ち着きなく動き、明らかに何かやましいことがある様子。一方の星野は、終始落ち着いていて、有美を見つめるその目はどこまでも優しく、
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第980話

聡はしばらく星野の眉目をじっと見つめていた。ふっと微笑むと、彼に近づき、そっと口角にキスを落とした。「星野くんって、こういう人だったんだ」不意にキスを受けた星野の瞳は、わずかに色を濃くした。そして小さく問いかける。「僕って、どんな人ですか?」「満足しやすい人」聡はそう言い切った。星野は多くを求める人間ではなかった。少なくとも、聡が妻になった今となっては、他人の挑発など取るに足らなかった。その言葉を聞いて、星野は静かに聡を見つめ返した。けれど何も言わない。どうやら、彼女は少し勘違いしているようだった。自分は、決して「満足を知る人間」なんかじゃない。むしろ、もっと欲しいと思っていた。ただ、今の彼女の前では、まだそれを表に出せずにいる。もし逆効果になったらどうしよう?そんな不安が喉元までせり上がる。後悔で死んでしまいそうだ。だから、ゆっくりと進めばいい。二人はもう夫婦になったのだ。これからの時間は、長いのだから。やがて二人は車を降り、エレベーターへと向かっていく。そのとき、不意に二つの人影が飛び出してきて、彼らの行く手を塞いだ。聡の口元に浮かんでいた微笑みが、さっと消えた。竹本と円華。どうやって中に入ったのか。このマンションの警備と管理会社は、一体何をしているんだ。星野は即座に聡の前に立ち、彼女をかばいながら目の前の二人をにらみつけた。「あなたたちは、どなたですか?」竹本は聡を指さし、声を張り上げた。「俺たちは彼女の親だ!これが親子鑑定書だ!」そう言って、親子鑑定書を取り出し、聡に突きつけた。円華も言葉を重ねた。「希嗣、前は信じてくれなかったけど、今は信じるでしょう?私たちは本当に、あなたの両親なのよ」その言葉に、星野は眉をひそめながら聡に目を向けた。彼女の表情には、冷え冷えとした感情が浮かんでいた。星野は毅然とした声で言った。「親?聞いたこともありません。勝手に侵入したのなら、すぐにでも警備員に追い出してもらいます」星野はスマートフォンを取り出し、警備室へと電話をかけた。その動きに竹本の顔色が変わり、星野の手元に伸ばそうとした。だが、星野は素早く一歩引いて、距離を取った。「何をされるつもりですか?手を出すなら、すぐに警察を呼びますよ」「くそっ、
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