All Chapters of 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める: Chapter 871 - Chapter 872

872 Chapters

第871話

スピーカーから流れ出す優雅な旋律に、昭子の表情が一瞬で凍りついた。まだ歌詞もついていないはずのその曲は、聴く者の心を深く揺さぶる力を持っていた。最後まで聴くのを必死に我慢し、ようやく声を絞り出した。「本当に、あの紗枝が作ったの?あり得ない」最初こそ「耳の聞こえない女に曲なんて書けるはずがない」と高を括っていた昭子だったが、今度は一転して盗作を疑い始めた。その視線に気づいたアシスタントがすぐに頷いた。「ゴーストライターか、他人の作品を盗用した可能性もありますね」「調べて。少しでも似たような曲が見つかったら、すぐに報告して」昭子の声は氷のように冷たく、目には燃えるような敵意が宿っていた。こんな一曲で、あの女に名を上げさせてたまるものか。「承知しました」アシスタントが出て行ったあとも、昭子の苛立ちは収まらなかった。二位の曲に裏工作を仕掛け、ダウンロード数を操作させた。金に糸目はつけない。紗枝を蹴落とすためなら、いくらでも使ってやる。それが彼女の本心だった。一方その頃、紗枝は自宅でコンテストの動向をチェックしていた。『諦めない』は、ダウンロード数・再生回数・リスナー評価のすべてで一位に立っていた。しかし、気づかぬうちに、二位との差が少しずつ縮まり始めている。紗枝は二位の楽曲を改めて聴いた上で、勝算があると判断していたため、曲の順位などには気にしないようにしておいた。むしろ、いまの彼女の頭を占めていたのは、まったく別のこと――私は、美希の娘ではない。じゃあ......夏目家の娘でもない。検査結果が突きつけた事実は、想像以上に重く、そして深く、紗枝の心を揺らしていた。そのとき、窓の外に突然、強い雨が降り始めた。それとほぼ同時に、玄関のチャイムが鳴った。紗枝が立ち上がってドアを開けると、そこにはびしょ濡れの家政婦が立っており、焦りを隠せない表情をしていた。「どうしたの?」傘もささずに玄関へ出た紗枝が声をかけた。この家政婦は牡丹別荘で逸之の世話をしてくれている、信頼のおける人物だった。「奥様、大変です......鈴さんが、交通事故に遭われました!」「えっ?」紗枝は一瞬、言葉を失った。「どうして?事故って......何があったの?」家政婦は急いでスマホを差し出した。
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第872話

電話はすぐに繋がり、啓司の低い声が返ってきた。「何か用か?」「鈴が、実家に戻る途中で事故に遭った。いま病院にいる。私に治療費を払えって」紗枝は無駄な言葉を挟まず、淡々と状況を伝えた。彼女にとって斎藤家も鈴も無関係な存在であり、ましてや世話をする理由などどこにもない。それは啓司が対処すべきことだ。「わかった。俺に任せろ」啓司の答えは、即答だった。紗枝は「うん」と頷き、それ以上何も言わず、電話を切った。一方、病院のベッドでは、鈴が身を横たえていた。体中がバラバラに砕けたような感覚が広がっていた。ここにとどまるために、今回は本当に命まで賭けることにした。ドアの開く音がして、鈴は力を振り絞って目を開けた。そこにいたのは、啓司でも紗枝でもなく、ただ一人の男――牧野だった。「......お義姉さんは?」乾いた唇からかすれた声が漏れた。「治療費を払うだけなら、奥様が来る必要はありません」牧野の声音は冷たかった。彼が来たのは、啓司の代理として本当に事故だったかどうかを確かめるため。右足に巻かれたギプスを見るかぎり、どうやら芝居ではなさそうで、少なくとも半月はベッドから動けない状態だった。鈴の目に、失望の色が浮かんだ。それでもすぐに気を取り直し、か細い声で言った。「......啓司さんに伝えてください。大丈夫だから、治ったらすぐに実家に戻るって。絶対に、ご迷惑はかけませんから......」その姿だけ見れば、確かに哀れで健気にも思える。もし鈴の本性を知らなければ、牧野でさえ同情していたかもしれない。だが牧野は無言のまま、治療費と入院費を支払いに向かい、その足で啓司に電話をかけた。「社長。鈴は本当に事故に遭っていました。診断書も治療記録も、すべて本物です」「介護人をつけて、常時監視させろ」啓司の声は、静かだが確実に警戒心を孕んでいた。斎藤家から送り込まれた人間、何があっても放ってはおけない。「承知しました」牧野は電話を切り、すぐに院長に指示を出した。「斎藤さんをしっかり見張ってください。何か動きがあれば、すぐにご連絡を」実家に帰ろうとしたその時に起きた事故。あまりにも、できすぎていた。その頃、入り江別荘。澤村は啓司との仕事を終えた後、ふとしたように尋ねた。「啓司さん、奥さん
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