All Chapters of 目黒様に囚われた新婚妻: Chapter 731 - Chapter 740

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第0731話

遥の嘔吐に、瑠璃と瞬が同時に彼女に視線を向けた。瑠璃の心には、ある疑念が密かに芽生え始めていた。だが、遥は気まずそうに手を振ってごまかした。「さっき、つい欲張って脂っこいお菓子をたくさん食べちゃって……お腹の調子が悪いみたいです」そう言って腹部をさすり、わざとゲップをしてみせた。「瞬兄さん、先に部屋に戻りますね」瞬は彼女をじっと見つめたあと、軽くうなずいた。彼に何かを勘付かれないように、遥は慌てて背を向け、小走りでその場を離れた。部屋に戻ると、心臓の鼓動が異常なまでに早くなっているのが自分でもわかった。彼女は震える手で下腹に触れ、深く息を吸い込んだ。――絶対に、瞬には妊娠のことを知られてはいけない。知られたら……この子は絶対に生きられない。リビングでは。瞬が、瑠璃の描いた天使の絵を見ていた。彼女の今の心の中が、そのまま絵に込められていた。「千璃……できれば君をどこかに連れ出して、気分転換させてあげたい。でも、さっきのビデオ会議の後で、F国から急ぎの案件が届いた。しばらく、向こうに行かないといけないんだ」「大事な仕事なら、仕方ないわ。行ってらっしゃい」瑠璃は静かに答えた。「私ももう少し君ちゃんと過ごしたいし……ごめん、F国に戻る話はまた延ばさせて」「バカだな。そんなの、全然かまわないよ」瞬は微笑みながら、優しく彼女の手を握った。「君が笑ってくれてることが、一番大切だから」彼は何気なく窓の外へ目を向けると――まだ隼人が門の前に立っていた。その姿に表情を曇らせ、出て行こうとしたとき、瑠璃が彼の腕を止めた。「瞬、私が行くわ。ちょうどいい機会よ。彼と……はっきり、けじめをつけたいの」瞬はその言葉に満足そうに頷いた。そう、彼はこの日を待っていたのだ。瑠璃が隼人と完全に終わる日を。傘を差し、絵を手にして、瑠璃はゆっくりと門へと歩み出た。隼人はずっと待っていた。目の前に瑠璃が現れた瞬間、彼の目に光が灯った。彼もまた傘を差していたが、身体は冷え切っていた。「千璃ちゃん……」隼人は彼女に歩み寄った。「千璃ちゃん、伝えたいことがあるんだ」「私も言いたいことがあるわ」彼女の声は冷たかった。隼人は少し驚いたが、優しく微笑んで言った。「千璃ちゃん、話してくれ」「も
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第0732話

彼女はかつて、あの小さな娘にこう約束していた――「もう少し大きくなったら、ママが海賊パークに連れて行ってあげる」しかし、その「もう少し大きくなる日」は、永遠に訪れなかった。瑠璃は首にかけていた小さなペンダントを取り出した。それは元々、陽ちゃんがいつも身につけていたものだった。風に赤く染まった目元で、そっとペンダントのペンダントに指を添えた。「陽ちゃん……ママ、今日はちゃんとあなたを海賊パークに連れてきたわ。見えてる?」ぎこちない笑顔を浮かべたが、胸の奥の痛みは骨の髄まで響いてきた。感情を抑えきれず、ペンダントを握りしめたまま、涙が止めどなくあふれた。「陽菜……」だがすぐに、彼女は君秋の存在を思い出した。別の子どもの前で、こんなにも取り乱してはいけない――そう思い、慌てて目元をぬぐい、隣にいるはずの息子へと目をやった。……だが、そこには誰もいなかった。後ろには並んでいる人々がいるだけで、君秋の姿はどこにもなかった。心臓が、底なしの奈落へと落ちていくような感覚。「君ちゃん?君ちゃん!」混乱と恐怖で我を忘れ、周囲を走り回りながら必死に名前を呼んだ。もう、これ以上の喪失には耐えられない――「君ちゃんーーーっ!!」人混みの中で大声を上げる瑠璃に、周囲の人々が驚いて振り返った。しかし誰も、彼女がなぜそんなに苦しそうに泣いているのかを理解できなかった。「どうして……なんで?」茫然と立ち尽くし、視界がぼやけていく。楽しいはずの遊園地が、急に色を失ったように思えた。息が詰まるような感覚が、どんどん強くなってきた。「千璃ちゃん!」人混みをかき分けて駆け寄ってきたのは隼人だった。泣き顔で立ち尽くす瑠璃を見た瞬間、彼の胸は締めつけられるような苦しさでいっぱいになった。「千璃ちゃん、どうしたんだ?何があった?」「君ちゃんが……いないの。君ちゃんを見失ったの……」彼女は消え入りそうな声で言った。「私はどうして……どうしてこんな母親なの……娘も守れず、息子さえも……こんな私に母親としての資格なんてない!」隼人の目に涙がにじむ。彼は強く彼女を抱きしめた。その腕には、彼女を包み込み、支える温もりがこもっていた。「千璃ちゃん……お前は立派な母親だ。お前ほど子どもを想ってる人はいない。いつだっ
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第0733話

瑠璃はスマホを握りしめたまま、冷蔵ケースのガラスに映り込んだ女の姿をさらに拡大してじっと見つめた。その女は、明らかに自分の服装に似せていた。だが、瑠璃はある違和感に気づいた。――足元の靴。彼女は記憶をたどった。あの日、隼人と一緒に明日香が宿泊しているホテルへ行った時、彼女はその部屋の玄関の靴棚で、この靴を見たのだ。一瞬の記憶だったが、確信があった。見間違えるはずがない。あの女は――明日香だった。彼女が、自分に似せて陽ちゃんを騙した。陽ちゃんが、明日香を「ママ」と思い込んでしまったのは、彼女の見た目が自分と似ていたから――だから、何の疑いもなく駆け寄ってしまったのだ。そして、明日香は瞬と繋がっている。その事実に思い至った瞬間、瑠璃の心はざわついた。傍にいた隼人は、彼女の表情の変化を見逃さなかった。「千璃ちゃん……何か気づいたのか?」彼が心配そうに声をかけると、瑠璃はハッと我に返った。だが、何も答えず、ただ君秋が遊んでいる姿に目を向けた。その後、彼女は隼人に何も言わなかったが、彼には分かった。――瑠璃の中で、何かが変わり始めている。以前のように、あからさまに拒絶はしなくなった。君秋を碓氷家に送り届けた後、瑠璃はすぐに瞬の別荘へと向かった。彼の書斎の暗証番号を知っていた彼女は、迷わずドアを開けて中へ入った。書斎の机の上には、いつものようにノートが置かれていた。瞬は、やるべきことをメモに残す癖がある。それを知っていた瑠璃は、ノートを手に取りページをめくった。そのとき――「お義姉さん?ここで何をしてるのですか?」突然入ってきた遥が、興味津々に近づいてきた。瑠璃は平然とした顔でノートをパラパラとめくりながら、さらりと答えた。「なくしたスケッチがあって。ここに落としたかもって思って、ちょっと探してただけよ」「大事なスケッチなんですか?」「うん、大事なの」瑠璃は微笑みながらノートを戻した。「ここにはなさそうだから、他の場所も見てみるわ」「私も探しますよ」遥は素直に言った。「ありがとう、遥」そう言って、瑠璃はその場を後にした。遥は書斎の隅に設置された小型カメラを一瞥して、心の中で安堵の息をついた。そして、そっとドアを閉めた。――本当は書斎で何か手がかりを探し
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第0734話

「その男の人って、そんなにダメなの?どうして瞬はあなたたちのことを反対してるの?」瑠璃の問いに、遥はどこか視線をそらしながら、小さく答えた。「私が好きな人……その人には、もう大切な人がいるんです。瞬兄さんは、私が深く傷つくことを心配して、それ以上その人を想わないようにって……」瑠璃は遥の表情をじっと見つめた。「でも……あなた、その人の子どもを身ごもってるんじゃない?」「……っ」遥の顔色が一気に変わった。慌てて周囲を見渡し、近くに誰もいないことを確認すると、瑠璃の手を掴んで小声で懇願した。「お姉さん、お願いです……このこと、絶対に瞬兄さんに言わないで。彼に知られたら……私、殺されるかもしれない……お願い、どうか!」遥の必死な姿に、瑠璃は動揺を隠せなかった。まさか遥が、瞬に殺されるとまで恐れているとは――あの優雅で洗練された瞬の裏に、彼女の知らない顔がまだあったのだ。沈黙する瑠璃に不安を覚えた遥が、焦った声で問いかけた。「お義姉さん……約束してくれますよね?瞬兄さんには絶対言わないって……」「……言わない。でも、このままだと、いずれバレるわよ」瑠璃の言葉に、遥は少し安心したように息を吐いた。その顔を見て、瑠璃は、かつての自分を見ているような気がした。あの頃の自分も、愚かでまっすぐだった。遥は微笑んで、お腹に手を当てた。「その時が来たら、ちゃんと理由をつけてここを離れます。瞬兄さんに知られないように……怒られるって分かってても……それでも私は、この子を産みたい。この子は、私の愛の証であり、彼からもらった、たった一つの大切な贈り物ですから」遥の微笑みに、瑠璃は陽ちゃんを思い出した。胸が締めつけられ、目に涙が浮かんだ。――女にとって子どもは、ただ男との絆というだけじゃない。それは、自分の命の延長であり、たったひとつの存在なんだ。実は、瑠璃が瞬の書斎に足を踏み入れた瞬間から、彼はすでにそれを把握していた。遥の出現も、彼が電話で手配したものだった。昨日、急ぎの用で出国した瞬は、書斎に彼女に見せたくない情報を残したまま出てしまっていた。だからこそ、遥に阻止を頼んだのだ。しかし――彼の目には、瑠璃が確かにノートを手に取り、数ページを読んでいた姿が焼き付いていた。仕事を片づけた彼は、翌朝すぐ
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第0735話

その言葉を聞いた瞬間、遥の全身から血の気が引いていった。男は彼女の傍らを、何の未練もなく通り過ぎた。広い肩が彼女の細い肩にぶつかり、その衝撃で遥の身体はよろめいた。だが、倒れることはなかった。玄関から入ってきた護衛が、彼女を無言で連れて行ったからだ。暗く湿った地下室。遥の右手首には、太く重い鎖が巻きついていた。薄い服の下には、無数の傷跡が浮かんでいる。赤黒い痕は新旧入り混じり、痛ましいほどだった。彼女は青ざめた顔で、呼吸も浅く、冷たい壁にもたれかかっていた。血に濡れた指先が震えながら、ゆっくりと自分の平らな腹に触れた。そこに感じるぬくもりに、遥の顔にかすかな笑みが浮かんだ。「カチャリ」重たい鉄の扉が開き、一筋の光が地下室に差し込んだ。遥が顔を上げると、白いシャツを着た男が優雅に歩いてきた。背後に射し込む光に包まれたその姿は、まるであの頃の海辺の少年のように輝いて見えた。「……瞬……」思わず呼びかけたが、すぐに「兄さん」と付け加えた。彼の名前を、気軽に呼ぶ資格など自分にはない。表向きには、自分はただの養女にすぎない。瞬は王のような威圧感をまといながら、遥の前に立った。彼女の身体が細かく震えているのを見て、瞬は彼女の顎を冷たくつまみ上げた。「……これまでの情を考えて、今回は大目に見てやる。だが、次はない。次に俺の命令を守らなかったら――出て行け」「いや……」遥は弱々しい声で祈るように訴え、彼の袖を必死に掴んだ。「お願い、追い出さないで……私は、ずっとあなたのそばにいたいの……」「俺のそばにいられる女は――千璃だけだ」その冷たく決然とした声は、氷の刃のように遥の胸を貫いた。「……自分の立場を忘れるな」彼女の手が、力なく瞬の袖から滑り落ちた。心をえぐるような痛みが体中を突き刺す。透き通るような瞳で、彼女は長年想い続けた男の顔を見つめた。ひび割れた唇が微かに動く。「……分かってる。自分の立場……ちゃんと覚えておくわ」彼女の目から、一筋の涙が音もなく流れ落ちた。その瞳を見つめた瞬の胸に、ふいに重苦しい痛みが走った。眉をわずかにひそめ、彼は黙って手を振り払い、そのまま背を向けた。遥は床に崩れ落ち、痛む腹を抱きしめた。声を上げる力すらなかった。彼を引き止めることもできず、
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第0736話

瞬がちょうど家に入ってくると、瑠璃の姿が目に入った。彼は微笑みを浮かべながら、やわらかく声をかけた。「千璃」「こんなに早く戻ってくるなんて思わなかったわ」瑠璃は淡い笑みを見せながら尋ねたが、その目には、以前とはまったく違う色が宿っていた。「君のことが気がかりで……」瞬の瞳には優しさと愛情が満ちていた。「陽菜がいなくなって、君はきっとつらい思いをしているはずだ。少しでもそばにいたくて」「つらい?――ええ、確かに、とてもつらいわ」瑠璃は皮肉めいた微笑を浮かべながら、彼の目をじっと見た。「少し、外を歩かない?」「もちろん」二人は並んで、銀杏の葉が舞い散る街路を歩き始めた。晩秋の風が、金色の葉を空中にひらひらと舞い上げ、蝶のように舞い降りてきた。瞬は、彼女の気分がよくないことを察していた。だが、それも当然だと思った。陽菜は彼女が命をかけて産んだ娘――突然その命が失われたのだから、この傷が癒えるには相当な時間が必要だ。けれど同時に、彼は確信していた。あれだけ深く傷ついた彼女は、もう二度と隼人を受け入れることはない、と。しばらく無言のまま歩いたあと、瞬が口を開いた。「千璃……君には、また笑ってほしい。陽菜もきっと、天国からそう願ってる。世界で一番大好きなママが、幸せでありますようにって」その言葉に、瑠璃は乾いた笑いをこぼした。「そうやって言う人、たくさんいたわ。幸せになってほしいって。でもね――そう言う人たちが、みんな私に悲しみしかくれなかったの」瞬の表情に、かすかな緊張が走った。彼が何か言おうとした瞬間、瑠璃は足を止めた。彼女の澄んだ瞳が、瞬の奥深い黒い瞳と交差する。「瞬、陽菜が今、何歳だったか覚えてる?」瞬は深く考えることなく答えた。「もうすぐ四歳……」「――三歳と十ヶ月と十二日よ」瑠璃の口から出た正確な数字に、瞬の眉が微かに寄った。「……さすが千璃、よく覚えてる」「どの母親だって、自分の子どものことは全部覚えてるわよ」瑠璃はそのまま続けた。瞳の奥には、はっきりとした失望の色が浮かんでいた。「覚えてる?陽ちゃんが初めて言葉を発した日。最初に話したのは――パパだった」瞬はその言葉を聞いて、次第に表情を複雑にしていった。視線を向けると、瑠璃がじっと自分を見
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第0737話

隼人の突然の登場に、瞬はすでに不快感を抱いていた。だが――まさか、証拠を持って現れるとは思ってもいなかった。彼は病院から資料を受け取ったばかりで、急いで瑠璃に伝えに来たのだった。ちょうど碓氷家に到着する前、街路で瑠璃と瞬が並んで歩いているのを目にして、彼はその場に現れた。「千璃ちゃん、これを見てくれ」そう言って差し出したのは、瞬が過去に受けた健康診断の記録だった。「ここに、こいつの血液型はO型とはっきり書いてある。そしてお前はRhAB型――つまり、どちらかの親がO型なら、AB型の子どもは生まれない。けれど、陽ちゃんはAB型だった」隼人の冷静な言葉には、科学的な裏付けがあった。これでは瞬も、もう言い逃れはできない。「千璃ちゃん、本当は誰が陽ちゃんの父親か……答えは明白だった。瞬は、お前が記憶を失っていたことを利用して、嘘をついていたんだ」「利用なんて言葉を、お前が口にするとはな」瞬は冷ややかに笑った。穏やかな眼差しのまま、彼は瑠璃に向き直った。「千璃、俺がそうしたのは……君がまたこの男と関わるのが嫌だったからだ。君も言ってくれたじゃないか。陽ちゃんは私たちの娘。この人とは一切関係ないって」「瞬、滑稽なのはお前の方だ」隼人の目に怒りが宿った。「千璃ちゃんが俺のもとに戻らないように、あらゆる手を使って……ついには、あんな小さな命まで犠牲にした」「馬鹿げてる」瞬はもちろん否定した。「お前、証拠でもあるのか?忘れるな、子どもが消えたのはお前の管理ミスからだろ」「お前が誰かを使って、陽ちゃんを俺の視界から外さなければ、こんなことにはならなかった。誰が一番よく知ってるかって?――それはお前自身だ、瞬」「隼人、黙れ!」「やめて!」瑠璃の怒声が、二人の言い争いを強制的に止めた。空気が凍りつく。風が落ち葉をさらう音だけが響く中、隼人は振り返った。そこには、真っ赤に腫れた目をしながら、冷えた表情で立つ瑠璃の姿があった。「千璃ちゃん……」「黙って」彼女の目が二人の男を突き刺すように睨みつけた。「一人は、かつて私が深く愛して、そして深く傷つけられた男。もう一人は、無条件に信じ、心の拠り所だった男。どちらも、私の幸せを願ってるって言ってくれた。でも――結果はどう?」彼女の目から、
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第0738話

「瞬、お前……今さら何が言いたい?自慢したいのか?」隼人の問いに、瞬は冷笑を浮かべた。「教えてやるよ。ここまできた以上、けじめをつけなきゃならない。30分後、陽菜が亡くなったあの場所で待ってる。もし来れば、陽菜が生まれてからの成長記録すべてをお前に渡す。だが、来なかったら……この電話、最初からなかったことにする」そう言い残し、瞬は一方的に電話を切った。その会話を、ボロボロの体を引きずりながら書斎のドア外に立っていた遥が偶然耳にしていた。彼女はしばらくその場で立ち尽くし、やがてそっと部屋に戻っていった。悩んだ末、遥は震える手でスマホを取り出し、静かにメッセージを打ち始めた――一方その頃。瑠璃は家に戻らず、街をあてもなく歩いていた。華やかな街並みの中にいても、彼女の心は空虚で、風が吹き抜けるように冷たかった。瞬の裏切り――それは、想像すらしていなかったことだった。瑠璃は、思わず皮肉な笑みをこぼした。「愛してる」と言いながら、彼女を傷つけ、悲しませることばかりする男たち。そんな彼らのどこに、愛があるというのだろうか。ふと、心の奥に霧がかかったような迷いが生まれる。本当の「愛」とは、一体どんな形をしているのだろうか――。迷いと悲しみが入り混じる中、突然、スマホに見知らぬ番号からメッセージが届いた。表示された内容に、瑠璃の眉がわずかに動いた。何度も躊躇しながらも、彼女はついにメッセージに記された場所へと向かった――そこには、すでに隼人と瞬が対峙していた。重く曇った夕暮れ空から、静かに雨が降り始めていた。冷たい空気と緊張感に満ちた空間。遠くから見つめていた瑠璃は、まるで刃を突き合わせるような二人の空気を感じ取っていた。「瞬、俺の娘の成長記録を渡せ」隼人の低い声が響く。瞬はふっと笑みを浮かべ、次の瞬間、右手を上げた。――手に、拳銃を持って。「渡してもいいさ。だが……見返りが必要だよな?」その瞬間、瑠璃の顔色が変わった。まさか瞬が銃を向けるとは思ってもいなかった。しかし、隼人は動じることなく、ただそこに立ち尽くしていた。瞬の顔から、優しさは一片も消え失せていた。「隼人……お前と俺は、同じ目黒家の血を引いてるのに、どうしてこんなにも違う?お前は生まれた時からすべてを与えられてた。何もか
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第0739話

「バンッ!」その一発の銃声が響いた瞬間、瑠璃の脳内に何かが強く引き裂かれるような感覚が走った。それと同時に、頭の中には重たい衝撃音――まるであの日の、あの交通事故の衝突音がよみがえってきた。次の瞬間、彼女の脳裏に一気にあふれる数々の記憶。――どれほど自分が、どれほど痛みをこらえて、どれほど自分を低くして、隼人という男を愛してきたのか。彼に冷たくされ、裏切られ、それでも愚かに、誠実に愛してきたその全てが、鮮明に蘇った。彼女は……思い出したのだ。すべてを。そして、事故が起こる直前、自分の心はすでに隼人を憎んではいなかったことも。それは、あの日――別荘の前で、彼が君秋に語ったあの真摯な懺悔の言葉。そのとき、彼の表情の誠実さに触れ、少しずつ、彼への憎しみは心から解けていた。――そうだ、私はもう、彼を憎んでなんかいなかった。はっとした。それ以降の憎しみは、すべて瞬が植えつけたものだったのだ。瞬――あんなに優雅で温和に見えたあの人が、こんなにも深い闇を抱えていたなんて。「隼人、さっきの一発は、お前との叔父と甥の縁に対する手向けだ。だが、もう容赦はしない」瞬の冷酷な声が、瑠璃を現実へと引き戻した。彼女が我に返ると、瞬が黒い銃口を隼人の胸元に向けているのが見えた。二人の距離は近く――このまま撃てば、確実に致命傷になる。瑠璃の心臓は緊張で高鳴り、張り裂けそうだった。だが、そのとき、隼人が落ち着いた声で口を開いた。「陽菜に会いたい気持ちは山ほどあるが、あの子を本当に傷つけた犯人を見つけ出すまでは……俺は死ねない」その言葉には、強い覚悟と自信が込められていた。「ふん……」瞬が冷笑を漏らす。「じゃあ試してみろよ。お前の反応が早いか、俺の弾が速いか――」言葉が終わると同時に、引き金が引かれた。「ビュンッ!」鋭い音とともに、弾丸が銃口から放たれた。しかし――隼人は素早く体をひねり、その一発を見事にかわしていた。それを見た瑠璃は、迷うことなく走り出した。瞬の表情が強張る。思い通りにいかず、苛立ちが滲む。だがすぐさま銃を再装填し、隼人に次の一撃を浴びせようと、間髪入れずに再び引き金を引いた。火花が瞬き、弾丸がまっすぐに放たれた。瞬は口元に不気味な笑みを浮かべ、隼人が血を流す光景を想像
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第0740話

「瞬……あの時、あなたが私を救ってくれたこと、本当に感謝してる。……でも、今、それを返すわ」瑠璃のその言葉に、瞬は完全に言葉を失い、立ち尽くした。一方、隼人はすぐに血を流す瑠璃を抱き上げ、通りに停めてあった車へと駆け出した。「千璃ちゃん!頑張ってくれ、絶対に死なせない!」目には涙がにじみ、必死に前へと走った。瑠璃は、視界がだんだんとぼやけていく中で、隼人の眉間に刻まれた焦燥と恐怖を見ていた。――この顔……それは、あの婚約式の日。彼と蛍の婚約を見届けた直後、自分が血を吐いたときに見せた、まったく同じ顔だった。そうか……瑠璃はようやく理解した。隼人は「怖い」のだ。彼は……自分が死ぬのを、心から恐れている――病院。隼人は、手術室の前で落ち着かない様子でひたすら待ち続けていた。肩への一発――たしかに即死ではない。だが、これはただの傷じゃない、銃弾なのだ。時間が経つにつれ、彼の心は冷え切っていった。ようやく手術が終わり、医師が現れた。「命に別状はありません。弾丸は無事に摘出しました。ただ、肩の傷は深く、完治には時間がかかります」それを聞いた瞬間、隼人の胸に重くのしかかっていたものが半分だけ解けた。病室に移された瑠璃のそばに、彼は一瞬も離れず寄り添っていた。ベッドに横たわる彼女の顔は、まるで絵画のように美しいのに、今はあまりに青白く、憔悴していた。彼はその姿に胸が締めつけられ、嗚咽をこらえながら静かに涙を流した。――いつからだろう、自分がこんなにも脆くなったのは。きっと、あの時から。自分が、本当に彼女を愛してしまったと気づいたあの瞬間からだ。……瞬は、抜け殻のような姿で別荘へ戻っていた。瑠璃があの男をかばって自ら弾に飛び込んだ、その光景がどうしても頭から離れなかった。彼女は「命を返す」と言っていた。それは恩返しにすぎない……でも同時に、隼人を救ったことに変わりはない。「ガシャン!」怒りのまま、彼は書斎のデスクにある物をすべて床に叩き落とした。その物音を聞いた遥は、思わず息を呑んだ。彼女には何が起きたのか分からない。ただ一つ分かるのは――瞬が、今とてつもなく機嫌が悪いということ。彼の怒りに触れれば、どれほどの代償を払うことになるかは分かっている。だが、それでも。遥は一人
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