All Chapters of 婚約崩壊寸前!初恋は遠ざかれ: Chapter 261 - Chapter 270

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第261話

「もうやめてよ。もう、私はあなたを愛してない」私はそっと、慎一が私の腰に回していた手を外して、立ち上がる。そして彼の方を振り返った。「あなただって、私のことなんてもう愛してないでしょ?お互い様じゃない。なにが不満なの?」慎一の目には、隠しきれない失望がにじんでいた。「それと、これからはもう私のことを監視しないで。どんなことがあっても、自分でなんとかするから。誰に何を言われようが、私はもう、誰にも潰されたりしない」私は口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。「それに、あなたが私の仕事をぶち壊したあのときの方が、今の状況よりずっときつかったよ」「あの番組、お前が映ってたのは十一分だけだ。もし望むなら、別枠で番組作ってやることも……」「それ、あなたの真思にやってあげてよ」私はくるりと背を向けた。「私にはいらない」慎一が立ち上がった。「じゃあ、お前は何が欲しいんだ!」私が本当に欲しかったものなんて、彼には一生与えられない。ただ、私だけを大切にしてくれる心。それだけだ。昔もなかったし、これからもいらない。彼に関するものなんて、私は何ひとつ欲しくない。「あなたに関わるものなんて、何一ついらない!」「俺が真思と結婚しても、何も感じないのか?」慎一の表情は暗くなり、真剣な眼差しで私を見据えてくる。返事を待っているのが分かる。結婚、か……慎一が結婚する時、またあの時みたいに白いタキシードを着るんだろうか。綺麗に結ばれた蝶ネクタイを締めて、ピアノの前に座って真思のために曲を弾くのか。真思は寄り添ってくれる人を求めていたし、慎一は家族という形を欲しがっていた。私は彼を見て、さらりと笑った。「二人、とてもお似合いだと思うよ。おめでとう」私の淡々とした態度に、慎一の怒りは限界を超えたらしい。彼は私を呼び止め、血走った目で睨みつけてきた。「明日の夜、俺の婚約パーティーに来い。俺が他人の男になる瞬間を、ちゃんと自分の目で見ろ。来なきゃ、お前がまだ俺に未練が残ってるってことにするからな!」私はしばらく慎一の目をじっと見つめ、これが本気だとようやく理解した。二人の進展は思ったより早かったらしい。もう結婚話が出るほどに。元夫の婚約パーティーなんて、私が行く理由はない。でも、彼がそこまで言うなら、行ってやってもいいか。どうせ盛大
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第262話

もう二度と会うことはないだろう――そう覚悟していたのに、今、私はただただ嘆息するしかなかった。あの人たちは、かつては私が誰よりも愛した家族だったのに。いったい何があったというのか、一夜のうちに、家族が仇敵に変わってしまったのだ。そして私は、ひとりぼっちになった。「ガシャーン!」霍田当主が茶碗を机に叩きつけた。その音に、雲香はまるで猫に怯える鼠のように、霍田夫人の腕の中にすっぽりと隠れてしまった。ついさっきまで、私を見下ろすあの傲慢な態度は、どこへ消えてしまったのか。「跪きなさい!」霍田当主の一喝には、怒りを込めずとも自然と威厳があった。雲香は霍田夫人の腰にしがみつき、甘え声で「お母さん」とすがる。霍田夫人は娘をかばいたげだったが、霍田当主の厳しい表情を見て、しぶしぶ肘で娘の背中を押した。「ほら、さっさと跪きなさい」雲香は私を憎々しげに睨みつけ、まるで私の前で恥をかかされたことが何より許せないといった様子だ。やがて彼女は机のクロスの下にでも潜り込む勢いで、私から姿を隠そうとする。ふん、まるで子供だ。怒り方まで幼稚で、呆れてしまう。私は眉をひそめながら、この家族は一体何の茶番を演じているのだろうと思った。霍田当主は、さっきまでの厳しい顔つきを一変させ、私に手を差し伸べてきた。その目には慈しみが満ちている。「慎一のやつが、サプライズがあるなんて言ってたが、本当に驚いたよ。佳奈の顔を見たら、なんだか体調まで良くなってきた気がする!こっちおいで、顔をよく見せてくれ」私は霍田当主を静かに見つめ返すしかなかった。冷めきった関係は、もう元には戻らないのだ。私は雲香の前へ歩み寄り、彼女が跪くその向かいに腰を下ろした。雲香はすぐに体をそむけ、私に背を向ける。これはわざとだったが、霍田夫人も霍田当主も、彼女をかばう素振りは見せなかった。霍田当主は差し伸べた手を気まずそうに引っ込め、私のお腹に視線を落とした。「まだ生まれてもいない孫が、可哀想でならん!佳奈、お前の妹には、もうきつく叱っておいた。慎一とはもう仲直りしたんだろう?あいつは今宥めてる最中だなんて言ってたぞ。子供のことで揉めるな。子どもはまたできる。佳奈は、俺が認めた唯一の嫁なんだから!」宥める?誰が?どうりで慎一と真思がネットであんなに騒ぎに
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第263話

雲香が突然立ち上がった。胸は激しく波打ち、まるで世界一の理不尽な仕打ちを受けたかのようだった。涙で真っ赤に染まった瞳は、いかにも私が見慣れた「守ってあげたくなる」あの表情だ。彼女がこんな顔を見せるたび、霍田夫人の心はすぐにぐにゃぐにゃに溶けてしまう。私を見つめるその目には、憎しみすら滲んでいた。「佳奈、あなたと雲香の間に一体何があったの?どうしてそんなに意地悪するの?彼女はまだ子供なのよ、ほら、こんなに泣いて、苦しくて息もできないくらいじゃない」私は心の中で思いっきり白目をむいた。そんなに苦しいなら、いっそ気絶でもしてしまえばいいのに。私は立ち上がり、ホールの奥にいる霍田当主を見た。この家で、私がまだ多少の建前を保てるのは霍田当主くらいだ。「私は慎一と仲直りしたわけじゃないし、今日ここに来たのも間違いだったみたい。皆さんの邪魔はしないから、お先に」私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、宴会場の扉が外から押し開けられた。吹き込む風に思わず肩をすくめる。まるで一瞬で気温が数度下がったようだった。真思が慎一の腕にしっかりと手を絡め、二人で堂々と入ってきた。彼女はまるで春の蝶のように、皆の間を飛び回っては挨拶し、まるで自分が既に霍田家の嫁になったかのような振る舞いだった。驚いたのは、あれほど雲香とぎくしゃくしていたのに、今は親しげに彼女の涙を拭ってあげていることだった。だが、雲香はほとんど相手にしない。三人がかりで冷たくされた彼女の温かい笑顔は、まるで空振りだ。私だったら、きっとその場にいたたまれなくなってしまっただろう。ようやく、私は自分が霍田家の奥様になれない理由が分かった気がした。私は彼女ほど大らかでもなければ、あんなに演技もできない。慎一は入ってきた時から、じっと私を見つめていた。一言も発することなく、鋭く整った横顔は淡い距離感と冷たさを纏っている。あの漆黒の瞳には何の感情も映らず、まるで初対面の他人を見るようだった。私たちの関係なんて、他人と何も変わらないのだろう。私はバッグからご祝儀袋を取り出し、そっとテーブルの上に置いた。「お二人のご婚約、おめでとう。これで顔も見たし、もう邪魔はしない。だから、これから先も私の人生に関わらないで」「な、なんだって?誰が婚約だと?」長らく病床にあった霍田当
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第264話

真思が、そっと指を伸ばし、恥じらうように慎一の前で待っていた。彼女の指先には、これから彼に指輪をはめてもらうという期待がにじんでいる。だけど、その指輪……なんて皮肉だろう。私が海苑の別荘に残してきた、あの指輪以外に何があるっていうの。まさか、あの結婚指輪を持ち出して、真思との婚約に使うなんて思わなかった。それが私のものだと真思が気づいているのか、それとも知っていても気にしないのか、私には分からない。私はその場に立ち尽くし、まるで根が生えたみたいに動けなかった。目の前で突然片膝をついた慎一を見つめ、心臓が不規則に脈打つのを感じていた。指先が痺れて、感覚がない。慎一の姿勢は凛としていて、礼儀作法も完璧、膝をつくその姿さえも絵になるほどだ。真思は口元を押さえ、今にも叫びそうなほど感激し、その大きな瞳には涙がきらりと溢れていた。「はい、私、はい!」彼女は待ちきれない様子だった。だが、慎一は焦ることなく、ゆっくりと指輪ケースから男物の指輪を取り出し、自分の指にはめる。黒い瞳でじっと自分の指を見つめている彼が、今何を考えているのか私には分からない。ただ、隣で一人の女性が焦がれるように待っているのだけは分かっていた。最初に動いたのは雲香だった。彼女は小走りで慎一の元へ駆け寄り、真思の前から彼を引き離そうとした。でも、プロポーズを決意した慎一を、あんなに華奢な彼女が動かせるはずもない。結局、引き離すのを諦めた雲香は、口をきゅっと結び、薄い唇に危険な笑みを浮かべた。「お兄ちゃん、こんな冗談、通じないよ。本気なの?」慎一はうなずき、興奮のあまり声がかすれていた。「この指輪をはめる女性こそ、俺の妻であり、霍田家の嫁、未来の女主人だ」「慎一、まさか本当にプロポーズしてくれるなんて思わなかった。どうして私なんかが、あなたに出会えたのか、今でも信じられない。あなたといると、初めて家族の温かさを感じた。世界一幸せな女にしてくれるって、言ってくれたよね。本当に、あなたは約束を守ってくれた!」真思はもう一度、指を慎一の前に差し出し、涙ながらに言った。「慎一、愛してるよ」その時だった。ガシャン、と茶器が床に叩きつけられ、真思の足元で粉々に砕けた。破片が四方に飛び散り、慎一の指輪を持つ手も切りつけてしまった。「馬鹿者が!馬鹿
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第265話

遥か遠くから、誰かがこちらに向かって駆けてくるのが見えた。康平が車のドアを勢いよく開けて、すごい速さで走ってくる。私は手に持っていたケーキを高く掲げて、思いっきり声を張り上げた。「誕生日おめでとう!」彼は唇の端を少しだけ吊り上げた。まるで古い豪邸に住むお坊ちゃんのような、とぼけた顔つきで。さっきまでは眠たそうだったくせに、私の姿を見るや、まるで興奮した猿みたいに元気ハツラツ。私の目の前まで来ると、彼はぎゅっと私を抱きしめた。「昨日、接待で遅くまで飲んじゃってさ。今日、もう少しで起きられなかったよ。なんか夢を見てるのかと思った!」「夢で私に会えるなんて、ずいぶん都合いいこと考えてるじゃん?」そう言われて、ふと胸がきゅっと痛くなった。この御曹司が、こんなに一生懸命になったこと、人生で初めてなんじゃないかな。今までは飲みたいときにだけ飲みに行って、接待で無理するなんて絶対なかったはずなのに、今回は限界まで頑張ったんだ。「夢じゃなくてよかったな。もし夢だったら、目が覚めたとき絶対泣くぞ」彼はバカみたいに笑いながら、白い歯を見せた。「あ、そうだ。自分の誕生日なの、すっかり忘れてた」そう言い終えたとき、彼の瞳の奥に、ほんの少しだけ涙がにじんでいるのに気付いた。今までの誕生日は家族や友達に囲まれていたのに、今年は一人ぼっち。きっと寂しかっただろう。彼はちょっと照れくさそうに、私の手からケーキを受け取った。「こんなの買ってきてどうするのさ、もう子供じゃないんだから。お前が来てくれるだけで、最高の誕生日プレゼントだ」「ふーん、好きじゃないんだ?じゃあ捨てちゃおうかな」わざとケーキを取ろうとすると、康平は慌ててケーキを抱きしめた。「ちょ、ちょっと!買ったのに捨てるとか、もったいないだろ!」私は口を尖らせて、わざと彼の真似をして首を振る。「さっき自分で言ってたじゃん。こんなの買ってきてどうするのさ、もう子供じゃないんだからって」次の瞬間、私の頭の上に彼の大きな手がポンと乗っかって、せっかくセットした髪がぐちゃぐちゃにされた。私の誕生日には、彼がわざわざ来てくれた。だから、今度は彼のために、見知らぬこの街で一人ぼっちの誕生日を過ごすなんて、絶対にさせたくなかった。彼と一緒にいると、どこにいても、いつまでも子供のままでいられる気
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第266話

康平の体はまるで骨が抜けたみたいに、私の肩にもたれかかってきた。今回は、私は彼を突き放さなかった。「男の頭なんて、誰でも触れるもんじゃないんだぞ」康平はそんなツンデレな顔で言う。彼の髪は驚くほど柔らかくて、寝起きのせいか何も整えていない後頭部の一部が、ぴょこんとはねていた。私は思わず手で押さえてみる。すると彼は勢いよく体を起こし、「やばっ。今日、髪セットしてねぇ!」と慌てた。彼は私の顔をじっと見つめながら、ぱちぱちと瞬きをする。それから、突然ぐっと距離を詰めてきた。爽やかなボディソープの香りが一気に鼻をつき、心臓が勝手に早鐘を打ち始める。彼は伏し目がちに私の瞳を覗き込み、首をかしげると、そっと私の顎を固定した。私と彼の距離はどんどん近くなって……私は息をするのも忘れ、無意識に体を車のドア側へと寄せていく……「お坊ちゃま、到着しました!」運転手が前の座席から大きな声で知らせた。私は慌てて彼を押しのけ、何食わぬ顔で降りる準備をした。康平はいたずらっぽく笑い、「緊張してた?まあ、仕方ないよな。お前の目に映る俺は、世界一イケてるんだろ?」とからかってくる。私はほっと息をつきながらも、「調子に乗らないでよ!」と笑って返した。今夜のレストランは、私が急に決めた普通のお店だった。でも彼はずっとうまいと褒めてくれる。食事も半ばを過ぎたころ、彼がふと尋ねてきた。「明日、帰っちゃうの?」「うん、一泊したらすぐ戻るつもり」「そっか……」さっきまで温まっていた空気が、急に氷のように冷たくなった。彼はフォークを握ったまま、食事の味も分からない様子で、「うちに泊まれば?」とぽつり。私は首を振って、「ホテル、もう予約しちゃったし。そもそも、今日ってあなたの誕生日じゃない?夜中の十二時を過ぎたら、ちゃんとバイバイするのが筋かなって思って」と説明した。普段は礼儀正しい彼なのに、今は子どものようにナイフとフォークをいじり、皿の上でキィキィと音を立てる。「お前って、優しいよな。まるでシンデレラかよ。時間限定の」彼はじっと私を見つめる。「シンデレラは王子様の舞踏会に行ったけど、お前は?何のために俺に会いに来た?」私は言葉に詰まった。冗談めいた口ぶりなのに、どうしてこんなに真剣に聞こえるんだろう。彼の誕生日を祝うために来たのは間違いない。で
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第267話

私は自分が何をためらっているのか、よくわからなかった。恋愛に関しては、私はいつだって素直に認めてきたつもりだ。長い間、慎一を想い続けてきたことも、ちゃんと認めてきた。けれど今、自分にまた誰かを好きになる力が残っているかどうか、それだけは認めるのが怖かった。ため息をついて、「もう少しだけ、時間が欲しい」と呟く。康平は、ぎゅっと私を抱きしめた。「俺が焦りすぎてたかも」と、少し照れくさそうに呟くと、すぐにその腕をほどいた。伏せたままの瞳は、隠しきれない寂しさを滲ませている。彼は指先でホテルの扉をそっとなぞりながら、小さな声で聞いてきた。「今日、ここ泊まってもいい?」思わず顔を上げて彼を見る。「え?」「ソファで寝るだけでいいんだ。明日、お前が出発する時にまた来るのは大変だからさ」「いや、自分で行くから大丈夫。あなたは帰ってゆっくり休んで」「うん」彼はズボンのポケットに手を突っ込み、淡々とうなずいた。扉のそばに立ち尽くす彼。私が一言、「もう帰っていいよ」と言えば、素直にこの場を離れるだろう。でも、どこか寂しそうなその姿を見ると、その一言がどうしても言えなかった。特に何も言わないけれど、不機嫌そうな表情がずっと消えない。今日は、彼の誕生日だ。私は何かサプライズを用意したわけでもなく、むしろ彼をがっかりさせてしまったのかもしれない。「じゃあ、帰るぞ」と彼は私の反応を見て、静かに背を向けた。背の高い彼の後ろ姿が、ゆっくりと扉の向こうに消えてゆく様子は、どこか切なくて胸が痛んだ。その瞬間、何を考えたのか、自分でもよくわからないまま言葉がこぼれた。「やっぱり、ここにいて」静かな夜。背が高すぎて、部屋の外のソファでは落ち着かず、もぞもぞと寝返りを打つ康平の気配。私もなかなか寝付けなかった……やがて彼が、そっと探るような声で言う。「中に入って、床に布団敷いてもいいかな?外、寒いし、ソファも狭くて、足が全然伸ばせないんだ」寝室の扉が少しだけ開いて、彼の手が扉の縁にかかる。ふわふわの頭がそっと覗いて、暗闇の中で真っ白な歯がやけに目立つ。「佳奈、ほんとに辛くて、寝られないよ」三本指を扉の隙間から差し入れて、まるで誓うような、子供みたいに甘える仕草がずるい。私は仕方なく、布団を抱えて起き上がる。「じゃあ
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第268話

私は反射的に枕を掴んで、それを全力で康平めがけて投げつけた。この瞬間、本気でこの枕であいつの息の根を止めてやろうかと思ったくらいだ。「いっっってぇぇ!暴力反対!家庭内暴力だぞ!」康平は大げさに頭を抱えて、床に転がってわめいている。私は思わず動きを止めた。「何が家庭だよ」康平はにやにや笑いながら、「お前だよ。お前が待ってるの、分かってるんだ。俺も待ってる。両想いってやつだろ?いずれ家庭を作るのも時間の問題だな、うんうん」「くだらないこと言わないで」私の心臓はドクンと跳ねて、慌ててベッドに横になった。もう彼の顔は見れなかった。彼が私を待ってるのは分かってる。けど、私も本当に彼を待ってるのか?分からない。ただ、私には迷いがあった。男三十にして立つ――なんて言うけど、康平はまだ家庭も事業も築いていない。鈴木家は普通の家と違うし、今は仕事に燃える時期だ。康成の言うとおり、私の存在なんて、彼にとって足枷にしかならないのかもしれない。それに、私がまた慎一を好きになったときみたいに、誰かを全部投げ出して愛せるのか、自信がなかった。まだ一緒にもなってないのに、あれこれ縛られてる相手を好きになるなんて。「佳奈、お前が何考えてるのか、俺にはわかる。今の俺じゃ、お前に十分な安心を与えられない。でも、お前が俺を拒まない限り、きっと俺にもチャンスがあるって思ってる。お前の性格は分かってる。ほんとに俺のこと何とも思ってないなら、絶対にこんなふうに傍に置いてくれたりしない。とっくにバッサリ切り捨ててるはずだ。お前が迷うのは仕方ない。でも……俺が悔しいのは、自分が成長するのが遅すぎたことだ。もし今よりもっと早くこの気持ちに気づいてたら、絶対兄貴と張り合ったのに。兄貴がグループを放り出して俺に押し付けてきたときしか、拾いに行かなかったのが悔やまれるんだ。将来一緒になったら、お前が白核市で暮らしたいなら白核市でいいし、嫌なら他の街でもいい。ずっと両方考えて準備してるんだ。昔、お前が雲の中に住みたいって言ってたの覚えてる?じゃあ高層マンション買ってやるよ。朝起きて雲が見える部屋で、まるで天女みたいに暮らせる。俺もマンション派なんだ。広々してて、別荘より断然住みやすい」私はうとうとしながら返事をした。「じゃあ早く買っといてよ」康平は
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第269話

私は一瞬ためらった。「大物って?」「安井先生、俺が嘘なんてつくと思うか?いよいよチャンスが来たんだよ!」監督は興奮気味に言う。「最初に話した時から分かってたよ、君には野心があるって。最近は世間のモラルも上がってきたけど、法律を広める道はまだまだ遠い。でもな、今回は近道が来たんだ。この機会、絶対に掴まなきゃダメだぞ!」正直なところ、私は何事にも近道なんてないと思っている。子供の頃から必死に勉強してきたし、誰かを本気で好きになるにも、抜け道なんてなかった。もし近道があるとしたら、それはきっとズルいことをする時だけで、いつか必ずそのツケは自分に返ってきて、手にしたものさえ失ってしまう。でも、監督が悪い人じゃないことは分かっている。テレビ局でトラブルに巻き込まれた時も、最後まで私を送り出してくれて、しかもお礼まで包んでくれた。だから今回も彼についていくことにした。バーに足を踏み入れた瞬間、煙草とお酒の匂いに咳き込んでしまう。監督は話しかけながらも、普通の距離感なんてお構いなしにどんどん私に近づいてきて、耳元で大声を張り上げる。私は眉をひそめて、無意識に距離を取る。もう彼とまともに会話する気にもなれなかった。それでも監督は心配しているのか、私の腕を引っ張りながらしつこく念を押す。「国内でも指折りのエンタメ会社だぞ、今日は三人の社長が来てる。みんな君に注目してるんだ。今回は君のためにわざわざ足を運んでくれたんだぞ。しっかりアピールしろよ。番組がバズるかどうか、君にかかってるんだからな!」私は驚いた。記憶が確かなら、それは鈴木グループ傘下の子会社のはずだ。以前、康平が一時期そこの社長をしていたし、今売り出し中の女優・夏目陽子も、彼がプッシュしていた。少し安心し、思わず口元に笑みが浮かんだ。どうやら今夜のことが終わったら、康平にもお礼の電話をしなくてはならなそうだ。廊下の鏡の前を通り過ぎる時、私は立ち止まった。今日は黒いドレスを着て、その上にカシミヤのコートを羽織っていた。意を決してコートを脱ぎ、手に持ちながら服の裾を整える。監督は私を見て感心したように目を細める。「今日はどうせまた地味なスーツだろうと思ってたけど、さすが安井先生、やるじゃん」私は何も答えなかった。たぶん最近はずっと仕事着姿でネットに出ていたから、みんな昔の私
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第270話

「えっ、二人って知り合いだったのか!」監督がパチパチと手を叩き、まるで気まずい空気なんて全く感じていないかのように場を繕おうと必死だ。「それは助かった!これなら改めて紹介する必要もないですね。じゃあ、鈴木社長、安井先生、お二人ゆっくり話してください。では、失礼します!」何度も頭を下げながら後ずさりしていくその姿は、普段はテレビ局で威張り散らしている大物監督とはとても思えない。まるで大奥の奥女中のように腰が曲がったままだった。私は一瞬、後悔の念に駆られた。確かに、私はここで一旗揚げたいと思っていた。けれど、康成の表情は、私にチャンスを与える気など微塵もなかった。「結構です」私は監督を呼び止めた。「ここを出るのは私です。彼と話すことなんかありませんし、今後ももう連絡しないでください。あなたとはもう二度と仕事しません」私は康成を一瞥し、踵を返してその場を去ろうとした。だが、思いがけず手首を彼に掴まれた。一瞬、足元が浮くような感覚。康成は私を引き寄せ、そのまま自分の胸元に抱き寄せた。「佳奈、俺に挨拶もなしに行くのか?」わざとらしく親密そうなポーズを取って、周囲に誤解させようとしているのが見え見えだ。監督なんて、顔に「わかってる、わかってる」と書いたようなニヤけ顔で、すぐさま部屋を後にした。個室のドアが閉まった瞬間、康成は私を突き放し、自分の服をパンパンと払った。まるで私に触れたことでスーツが汚れたと思っているかのように。彼は眉をしかめ、上着を持ち上げて匂いを嗅ぐと、ついにはそのまま脱いでゴミ箱に放り投げてしまった。私は鼻で笑った。「私の匂いが嫌なのに、どうしてあんなにベタベタくっつくの?自業自得でしょ!」康成の動きが止まり、鋭い目で私を見上げる。その冷たい視線に、思わず心臓が跳ね上がる。彼の目は、慎一のものとは違う。慎一と一緒にいた時は、彼がどんなに不機嫌でも私の身を傷つけることはないとわかっていた。でも、今の康成を見ていると、危険な気配を感じる。まるで、獲物を喰いちぎろうとする狼のような眼差しだ。彼は冷たく笑った。「昨日、どこに行ってた?」「私がどこにいようと、あなたには関係ないでしょ!」「俺の弟に会いに行ってただろ?俺が知らないとでも思ってんのか?俺の要求をここまで軽く扱ったやつは初めてだ。注意したばかりな
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