All Chapters of 婚約崩壊寸前！初恋は遠ざかれ: Chapter 401 - Chapter 410

電話の向こうからは、星乃の重く長いため息だけが聞こえてきた。そうか。私が霍田家に嫁いでから、霍田夫人が私に準備してくれていたのは、体を労る薬草なんかじゃなく、「避妊薬」だったんだ。男が飲んでも大して影響はない。でも、女が飲めば卵巣の働きが落ちて、もし万が一、子どもを授かっても、妊娠を維持するためのホルモン値が全然足りない……私は思わず腰を折り、胸が大きく上下するのを必死で抑えながら、聞いたことが信じられなくて、しばらく呆然としていた。「佳奈、佳奈、聞いてる？私、もう先輩に頼んで今日の午後、精密検査の予約取ったから。分かった？」「検査……」窓の外は陽射しが容赦なく刺しているのに、私の心は氷の底に沈んだままだった。つまり、あの時やってきた私の子は、私の気持ちが不安定だったせいで守れなかったんじゃなくて、最初から、そうなる運命だったんだ……水晶みたいな涙が目の縁で固まって、私は生きているのがつらくて仕方なかった。私は奥歯をぎゅっと噛み締めて、星乃に言った。「検査、来週にして。急にやらなきゃいけないことができたの」「佳奈、落ち着いて。何をするつもり？やっと仕事もうまくいき始めたのに、無茶だけはやめて。ちゃんと考えて……」「分かってる」涙が声にならず頬を伝う中、私の声は震えていた。「私は、あの人を許さない！」電話を切った後、唇を噛みしめて、なんとか理性を保とうとした。少し考えてから、卓也に電話をかけた。「彼女、お金を出し渋ってるんでしょ？大丈夫。こっちで用意する」卓也は困惑していた。「お嬢様、どういう意味でしょうか？それは……」「卓也、言う通りにして。明日始まる新規プロジェクトの会議に、必ず彼女を連れてきて」私は普段、会社のことにはあまり口を出さない。専門家の卓也に任せてきた。でも、今はもう、黙って見ているわけにはいかなかった。私の子どものために、私ができることをやらなきゃいけない。窓の外をじっと見つめて、色んな想いが渦巻いていた。翌日、私は卓也と一緒に霍田グループの前に立っていた。まるで前世に戻ったような、不思議な気分だった。受付の女性は私の顔を見るなり、慌てて社長秘書室に連絡しようとした。私はそれを制止した。今日はいつもと違う。私は慎一に会いに来たのではない。昨日予約しておいた会議

霍田夫人はすっかり有頂天になっていた。まるで金銀財宝を山のように抱え込んだ夢に酔いしれていた。彼女が退室したあと、卓也が私に尋ねた。「こんな簡単に彼女を味方につけていいですか？正直、甘すぎるんじゃないですか？」私は首を振った。「彼女が出資しない以上、私たちが儲けているのを指をくわえて見ているしかないんだ。毎日、入金額を彼女に『うっかり』知られるようにして。もし彼女が分け前を欲しがったら、その時こそ投資してもらう」「いやいや、無理ですよ。あの人が自分の懐から金を出すわけがないです」「だから私が出してあげるって言ってるでしょ」私は口元に笑みを浮かべる。「それから……彼女と年の近い女性社員を財務部に配置して。仲良くなれるようなタイプでお願い。彼女がこれから何か望むことがあれば、何でも叶えてやればいい」会議室の外から、ハイヒールのコツコツという音が響いた。次の瞬間、会議室のドアが勢いよく開け放たれた。雲香はハイヒールにスーツ姿、しかしどこか着慣れない子供が大人の服を無理やり着ているように、ちぐはぐだった。だが、本人はそんなこと気にせず、あごを高く上げて、普段彼女が触れない空気を吸い込んでいる。「佳奈、何しに来たの？高橋が言ってたでしょ、お兄ちゃんは今出張中だって。あなた、よくもここに入り込めたわね」卓也が眉をひそめ、私の前に立ちふさがった。「うちの会長が誰かを探しに来たなんて、誰が言ったんです？曲井さん、申し訳ないですが、お引き取りを。今はまだ会議中ですので」「ふんっ」雲香はあからさまに目をそらし、鼻で笑う。「誰があなたたちみたいな小銭稼ぎなんかに興味あるのよ。この霍田グループ、全部お兄ちゃんのものじゃない？会議だなんて、ほんとくだらない」私は冷たく笑った。「実際、私も大した稼ぎはないからね。ところで、あなたってこの会社でどんなポジション？どれくらいの給料もらってるの？まだ社長秘書課をめちゃくちゃしていないだけでも、慎一は幸運だわ」慎一は仕事に厳しい男のはずなのに、雲香を堂々と秘書課に据えている。本当に身内じゃなければ、こんな贔屓はできないだろう。雲香はフンと鼻を鳴らし、余裕の表情で怒る気配もない。ポケットから黒いカードを取り出して、私の前でひらひらさせた。「見て、これ！お兄ちゃんがカードくれたの。今は自分で使わないから、

電話の向こう側は静まり返っていた。私は、もし慎一が私の名前を聞いたら気分を害するんじゃないか、話したくないって思われるんじゃないかと、内心ひやひやしていた。立ち上がって、雲香のほうへと歩み寄る。「こっちが話すわ」手を差し出すと、雲香は一瞬だけ私を見て、わざとらしく慎一に別れを告げる。「お兄ちゃん、電話を佳奈に渡すね。二人でゆっくり話して」慎一の胸が、不規則に高鳴る。佳奈が、自分から話すと言い出すなんて。笑いたい。そう思って口元を引き上げようとしたけれど、長い間感情を抑える薬を飲み続けてきた彼には、それももう難しかった。「慎一」と私は呼びかけた。「ああ……」彼は動揺を隠し、冷静を装って返事をした。しばし沈黙の後、その冷ややかな声を聞いても、私は驚かなかった。むしろ、その温度差がやけに身に染みた。私は皮肉めいた笑みを浮かべて、静かに尋ねる。「いつ、白核市に戻ってくるの？」慎一は息を呑んだ。「俺に……」俺に会いたいのか？もし佳奈が会いたいって口にしてくれたなら、きっと病もすぐに治るだろうに。すぐにでも彼女の前に現れて、何もかもを乗り越えられる気がした。佳奈は、彼の薬。解毒剤であり、同時に毒でもある。でも、その言葉を口にする前に、私は冷たく遮った。「早く戻ってきて。そしたら、きちんと離婚しよう」慎一の喉元で、全ての言葉が詰まった。希望に満ちていた瞳は一瞬で光を失い、灰色に沈んでいった。胸の奥が、耐えきれないほど痛んだ。あまりの痛みに、思わず体を折り曲げてしまうほどだった。向こうには、慎一の苛立った息遣いが聞こえ、やがて彼は冷たく問いただしてきた。「わざわざ俺に電話をかけてきて、言いたいことがそれだけか？」怒っていた。その怒りの理由は、自分でも分からなかった。「他に話すことでもあるの？」私は問い返す。「私たち、他に話せることなんて残ってる？」「ツー、ツー、ツー」慎一はもう何も言わなかった。返事の代わりに、無機質な通話終了音が耳に残った。雲香は、どこか嬉しそうに電話を奪い返し、まるで尻尾でも生えたような足取りで会議室を出て行った。……「霍田社長は、お嬢様と離婚したくないんじゃないですか？」近くで話を聞いていた卓也が、そっと口を挟んだ。私は首を振り、彼と一緒に部屋を出た。「

ひと月ほど、私は仕事に追われていた。新しい案件を取るため、国内はおろか、海外まで飛び回る日々が続いていた。ほんの少しの暇ができたとき、ふと慎一のことを思い出す。彼がなぜこんなにも時間を引き延ばしているのか、私には全く理解できなかった。もし昔の彼なら、やり直すために機会を狙っているのかもしれない。けれど今は、ただ時間を浪費しているだけ。未来を語ることもなく、今を語ることもない。よくある家族同士の利害が絡んでいるわけでもなく、私たちは完全に連絡を絶った。夜中、夢から何度も目を覚まし、そのたびに眠りに戻るのが難しくなる。眠れぬ夜が続けば、心身ともに疲弊し、気づけばすっかり痩せてしまっていた。元々それなりに割り切れていたはずのこの関係も、次第に私の中で焦燥に変わっていく。もう落ち着いてなんていられなかった。平然を装う余裕もない。私は慎一に何度か電話をかけた。深夜でも早朝でも、出るのは決まって雲香だった。「お兄ちゃんさ、あなたと話したくないって」そう言うのが、いつも雲香だ。最初は気にも留めなかったけれど、さすがに何度も続くと、どんなに温厚な私でも我慢の限界だった。ついに堪忍袋の緒が切れ、裁判の開廷前、私は初めて雲香に苛立ちをぶつけた。「正直に言って。あなた、慎一と一緒になりたいんじゃないの？」雲香は相変わらず余裕の笑みを浮かべ、猫なで声で答える。「一緒って、どの意味の『一緒』？私とお兄ちゃんは、ずっと離れたことなんてないわよ？」本当に、二人は離れていない。私は深夜に電話したり、海外出張の朝早くに電話したりしたけれど、雲香の言う通り、二人は常に一緒にいる。慎一がなぜ電話を雲香に渡すのか。結局、誰かを傷つけるための幼稚な意地悪にしか思えない。雲香は私を苛立たせて楽しんでいるし、慎一はそれを見て笑っている。私は皮肉を込めて言い返した。「だったら、これからもずっと世間に顔も出せない女でいればいいわ。私、もう離婚なんてやめる！」「佳奈！」雲香は声を荒げる。「あんたが離婚をやめるって言えばそれで済むと思ってるの？」「だって私は慎一の法律上の妻よ！慎一が、もはや生きてても死んでても変わらない、私には影響ないし。もう離婚なんて、どうでもいいのよ」雲香は慌てて言い返す。「離婚協議書がほしいでしょ！明日、お兄ちゃんのオフ

霍田夫人は目を見開き、まさか私がここまで露骨なことを言うとは思っていなかったようだ。私は気にも留めず、彼女が口を開く前に続けた。「あなたを私の会社に入れたのは、可哀想だと思ったからよ」話しながら、私は彼女の表情を観察する。すでに怒りで震えているのがわかる。年若い人にここまで見下されたのは、彼女にとって初めてだろう。「安井グループは霍田グループほど大きくはないけど、霍田グループがあなたを追い出しても、私なら面倒を見てあげられる。おとなしくしてさえいれば、一生面倒見てあげることだってできる。これまでの母娘の縁への恩返しだと思えばいい」私は彼女をじっと見つめ、厳しい表情で言い切った。「でも、それだけよ」霍田夫人も顔色を変え、冷たい声で言った。「佳奈、その言い方、あまりに酷くない？私は別に変なことなんてしてないわよ。安井グループの名前を借りて、いくつかのビジネスサミットに参加しただけだし、多少人脈も広げたけど、それが何？」「今のところは確かに何もしてないわね」私は皮肉を込めて微笑みながら答えた。「でもこの先はどうか分からない。財務部の新任課長の阿部と最近随分仲が良いって聞いたけど？」霍田夫人は一瞬慌てた様子を見せた。「な、なによ、佳奈、そういう言い方はないでしょ？阿部課長とは気が合って、サミットだって彼女が連れて行ってくれたの。ただの友達じゃない」「友達を作るのはあなたの自由よ。でも、変なことは考えない方がいい。役職を利用するのは、そう簡単なことじゃない。私は最初に言っておくけど、会社の利益を損なうようなことは絶対に許さない」私がそう言うと、霍田夫人の緊張した体も少しほぐれたようだった。どうせ佳奈は、もうこの会社にはいない。何がわかるっていうのよ。そう思っているのが見え透いていた。「もしかして、卓也があなたの耳元で告げ口したの？ねえ、佳奈、あなたも女性なんだから、いい加減あの男をクビにしなさいよ。女の身で、いつも男の秘書を連れ歩くなんて……」「曲井！もうすぐ私は、あなたのお嫁さんでもなくなるのよ。そんなあなたに、私の秘書のことで口出しされる覚えはないわ」私は席を立ち、ドアの方を見て続けた。「私はまだ用事があるから、お引き取りを」「ふん、もう知らない！」霍田夫人も立ち上がり、怒りで足元がふらつきながら出ていった。