遼一は一言も発せず、ただ振り返って静かに階下へと降りていった。一階に着くと、芳江に短く指示を与えた。「鶏スープを作っておいてくれ。明日香が目を覚ましたら、飲ませてやってほしい」「かしこまりました」芳江は恭しくうなずいた。そこへ珠子が駆け寄り、遼一の腕をぎゅっとつかんだ。「遼一さん、まだ私の質問に答えてくれてないわ。明日香は一体どうしたの?あの数学オリンピックのこと、まだ引きずっているのかしら?本当は、まだチャンスがあるのよ」「もういい。明日香のことは俺に任せろ」心がざわついていたところへ、耳元でしつこく問いかけられ、遼一のこめかみを鈍い痛みが突いた。珠子は呆然と立ち尽くし、潤んだ瞳に今にもこぼれそうな涙をためている。遼一は幼い頃から、彼女を一度も叱ったことがなかった。たとえ彼女が間違っていても、責めるような言葉を投げたことはない。「遼一さん......私、何か間違ったこと言った?怒らないで。私はただ、明日香のことが心配なだけなの」遼一は静かなまなざしで珠子を見据えた。「食事が終わったら、予習に戻れ。ウメにはアパートへ行かせた。これからは、俺が連れてくる時以外、ここに来る必要はない」そう言い置くと、遼一は階段を上がり始めた。珠子は慌てて後を追った。「どうして?どうしてここに来ちゃいけないの?私たち、何年も一緒にここで暮らしてきたじゃない。遼一さんのいる場所が、私の家なのよ。もうとっくに、そう思っているの。あのとき私が明日香の数学オリンピックの枠を奪ったからなの?そう思うなら......今回の二次試験、私は出ないようにするから」遼一は足を止め、振り返った。その瞳には、抑えきれぬ嫌悪の色が差していたが、彼はぎりぎりまで言葉を選んでいた。「珠子......もう三歳児じゃない。何もかも俺が面倒を見てやるべきじゃない。いつまでも子供のままでいるな。ここは月島家だ。佐倉家でも、白川家でもない。自分の立場をわきまえろ。これ以上、この手の話は二度と聞きたくない」傍らで芳江が、震える手を握りしめながらちらりと珠子を見やった。よくもまあ、そんなことを言えるわね。ここを自分の家だなんて......ただの養子でありながら、本物のお嬢様気取り。まったく節度というものがない。「遼一さん、私を放っておかないで!ねえ
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