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第442話

Author: 無敵で一番カッコいい
明日香はブランコに腰かけたまま、ただ夜空を見上げていた。

遼一も彼女の視線を追ったが、そこには何の星明かりもない、漆黒の空が広がっているだけだった。ここ数日は天候が冴えず、月も雲に隠れていた。

胸の奥でわずかな異変を感じ、遼一はそっと歩み寄った。しかし、ブランコの少女はまるで気づかぬかのように微動だにしない。

やがて明日香はゆっくりと立ち上がり、別荘の方へ歩き出した。遼一は一歩も離れず、その後を追った。

室内に入ると、彼女はソファの前に座り込み、リモコンを手にテレビをつけた。映し出されたのは砂嵐ばかりの画面。その無意味な光景を、光を失った瞳でじっと見つめている。

午前四時。

明日香はようやくテレビを消し、靴を脱いでソファに身を横たえた。胸の上で両手を組み、そのまま静かに眠りへと落ちていく。

ドアの外で煙草をくゆらせていた遼一は、吸いかけを足元で踏み消すと、眠る明日香をそっと抱き上げ、階段を上った。

その瞬間、彼女の体が驚くほど軽いことに気づく。藤崎家でわずかにふっくらしたかと思えば、すでに元の痩せた輪郭に戻っていた。

夜明けまで二時間以上。深い闇の中、遼一は明日香をベッドに寝かせた。

彼女は無意識のうちにベッドの中央へ転がり込み、かすかな物音に一度まぶたを持ち上げたものの、すぐに再び夢の底へ沈んでいった。

十五分ほど後、浴室から男が現れる。下半身には明日香が使っていたバスローブを無造作に巻き、濡れた体を拭きもせず歩み出てきた。

小麦色の引き締まった体には余分な肉がなく、胸元には目を背けたくなるほど深い傷痕が刻まれている。

明日香は睡眠薬のせいで深く眠り続けていた。

ただ翌朝、目を覚ましたとき、ベッドの端にかけられたバスローブと、隣にまだ残る微かなぬくもりに気づく。

昨夜、遼一が部屋に来たのだろうか?

だが、ドアも窓も、バルコニーの扉までも、すべて鍵は掛けられていた。遼一に開けられるはずがない。

壁をすり抜ける術でも持っていない限り。

さらに奇妙なことに、散らかっていた部屋は隅々まで片付けられていた。ただし、自分が持ち込んだスナック菓子だけは跡形もなく消えている。

昨日はほとんど何も口にしておらず、空腹は胃を締め付けるほどに強くなっていた。

それでも階下には降りたくない。そう思うのは、自らを閉じ込めることがもう習慣になっていたか
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