All Chapters of 佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた: Chapter 471 - Chapter 480

遼一は、ありとあらゆる手段を使って明日香に復讐するはずだった。そうでなければ、そもそもここに現れることなどあり得ない。彼にとっては、指一本動かすだけで、明日香が苦しみながら死にゆく姿を目の前で眺められるのだから。けれど、彼はそうしなかった。明日香が睡眠薬を飲んだ時には、抱きかかえてトイレに連れて行き、吐かせた。何日も口にしない日が続けば、自ら台所に立って料理を作り、強引に食べさせた。そして、自傷行為で心の痛みを紛らわせようとしたときさえ、彼はその手を止めることはなかった。それどころか、傷口に手当てまでしてくれたのだ。本来、そんな余計なことをする必要など、どこにもないはずだった。もし遼一が、もはや冷め切った彼女の心を知りながら、恋情めいたものを抱き始めたのだとしたら、明日香の前世でのすべての苦しみや、あの必死の思いは一体なんだったのだろう。明日香は、あれほどまでに彼を愛していた。最後の最後まで、ただ一目会いたいと、卑屈なほどに願い続けていたのに。けれど、彼女を待っていたものは何だった？書斎を出た後、中から大きな物音が響いたが、明日香は気にも留めなかった。怒る資格なんて、彼にあるはずがない。何様のつもりなのだろう。リビングに戻ると、電話線をつなぎ直し、防犯ドアの業者を探し始めた。さらに内側からしか開けられない補助錠をいくつも追加で注文した。冷蔵庫を開けると、彼が買ってきた食品をすべてゴミ箱に投げ入れた。それらは中村が届けたもので、あの薬を盛られた事件以来、明日香は遼一の用意したものを一切口にしなくなっていた。その後、自室に戻ると、窓もドアも隙なく閉め切った。芳江さんが帰ってきていたことで、つい気を緩めたのが間違いだった。そうでなければ、遼一が入り込む余地などなかったのに。さきほど遼一に言った言葉は、半分が真実で、半分は虚勢だった。だが、彼の前で自暴自棄な言葉を吐くたび、なぜか胸の奥にひどく甘美な快感が広がっていく。不思議なものだ。傷ついてきたのは、いつだって自分だったというのに。その頃、田中が病院に戻ってきた。「申し訳ございません、樹様。南苑別邸には誰もおらず、明日香さんはどうやらお見えにならなかったようです」病床に座る樹は、点滴の針を刺したままの手を膝に置き、病的に青ざめた顔をしていた。「出ていけ

「お嬢様、何かあったら、必ず私に電話しんさいねぇ」まさか、この広い別荘に一人で暮らすことになろうとは......思わず背筋に薄ら寒いものが走る。遼一は俯いたまま、黙々と料理を口に運んでいた。だが、明日香が目の前を通り過ぎると、手にしていた箸を音もなく置き、低く呟いた。「夜、帰りを待ってる」明日香はゆっくりと足を止め、振り返らぬまま言葉を返す。「いいわ。ここが気に入ったのなら、あなたに譲る」もはや、今後遼一が誰を連れて帰ろうとも、自分には関わりのないこと。そう心の中で切り捨てた。遼一には、彼女がどこへ向かうのか分かっているはずだった。しかし、止めることはできない。今の彼には、藤崎家と正面から渡り合えるだけの力など、まだ持ち合わせていないからだ。田中が直々に迎えに現れたのは、明日香にとって意外の極みだった。藤崎家における田中の地位は、外部の者ですら一目置くほどのもの。その人物が自ら足を運んだのだ。明日香はほぼ一ヶ月ものあいだ、家で虚ろに過ごしていた。だが、決して何もしていなかったわけではない。彼女の出展した絵画は、すでに賞を獲得していたのだ。彼女にとって、それは小さくも確かな、再出発の兆しだった。長らく電源を落としていた携帯を充電し、ようやく電源を入れると、画面には無数の不在着信が浮かび上がった。その中には、海外からの一本の電話も含まれていた。見覚えのない番号だったが、その番号をアカウントIDとするメールボックスには、異国の風景を写した幾枚もの写真が届いていた。ロシアの街角の広場で、群れ飛ぶ鳩がパンくずをついばむ光景。そしてもう一枚。足元に鳩がとまり、白く長い指が差し出したパンを啄んでいる写真。顔が映ることのない写真ばかりだったが、明日香にはすぐに分かった。淳也だ、と。彼が去った三日後から、写真は途切れることなく届き続けていた。言葉を交わすことは一度もなかった。けれど画面の向こうで、彼に届くはずのない場所で、明日香は小さく呟いた。「ありがとう」その想いがあったからこそ、彼女は絶望の中に細い希望の光を見出すことができたのだ。やがて車は藤崎家の本家に到着した。車を降りた瞬間、使用人たちが彼女の姿を見て一様に微笑み、急かすように彼女を樹のいる別荘へと導いた。「明日香さん、蓉子様が首を長くし

実のところ、明日香はいまだ一介の学生にすぎない。だが、彼女が背負ってきた経験は、すでに同世代の枠をはるかに超えていた。この年頃なら、机に向かって勉強に励み、成績の良し悪しに頭を抱えているはずだ。けれど今の彼女は、むしろ自分より三つも四つも年上の大人を宥め、支えなければならない立場にある。どうやら、生まれついての苦労人なのだろう。階上の部屋にたどり着いた明日香は、そっと扉をノックした。バンッ！突如として、何かが扉に叩きつけられる音が響き、思わず彼女は手にしていた薬を落としそうになった。「出てけ――！」低く荒んだ声が内側から響く。「本当に......入れてもらえないの？」返事はなく、数秒間の沈黙が流れた。明日香が意を決してドアノブに手をかけ、開けようとしたその瞬間、ベッドから飛び出してきた人影が、勢いのままに彼女を抱きしめた。数歩よろめきながらも、明日香は必死に体勢を保った。「......戻って来ないと思った」低く抑え込んだ声。その奥には、押し殺してもあふれ出す感情がにじんでいた。「息が......苦しい」彼がようやく腕を解くと、明日香は胸を押さえ、何度か深呼吸を繰り返した。数日会わないうちに、樹はすっかり憔悴しきっていた。顎には無精ひげが伸び、目尻は赤く充血し、目の下には濃い隈。まるで眠れぬ夜を幾晩も越えてきたかのようだった。明日香は彼の瞳を真っ直ぐに見つめ、震える指先で傷口に触れた。「痛い？」樹の瞳には、抑え続けた欲望と自制心が交錯していた。彼は彼女の手を掴み、そのまま自分の胸に押し当てる。「君が来れば......痛くない」その哀れを帯びた口調は、どこか淳也を思わせた。「薬を塗ってあげる」「......ああ」声はかすれていた。明日香は用意してきた薬を取り出し、丁寧に手当を始める。「痛かったら言って。できるだけ優しくするから」「うん」樹の視線は、最初から最後まで彼女に釘付けだった。顔を上げたとき、その渇いたようなまなざしに気づき、明日香は言葉を失った。彼女はただ黙々と作業を続ける。上半身の傷に薬を塗り、感染を防ぐため包帯を巻き終えるまでに、三十分以上の時間がかかった。「医者からもらった内服の消炎剤はどこ？」「ベッドサイドテーブルに」包帯を

明日香は携帯電話をポケットにしまい、振り返って「何でもない」と答えた。「君がここへ来た時、何も持ってきていなかったけれど、南苑の別荘に置きっぱなしの大事な物はないか？必要なら田中に片づけさせて持って来させるけど」「いいえ、特に片づけるものはないわ。ここには何でも揃っているし、大事な物のほとんどは、以前借りていた部屋に置いてあるの」明日香は歩み寄り、点滴を受けている彼の手にそっと触れた。その手はわずかに冷たかった。「少し冷えているみたい。湯たんぽを持ってくるわ」「ここにいてくれるだけでいい」「うん」明日香は頷き、彼の手を優しく布団の中へ戻した。「何か食べる？胃が弱いから、空腹で点滴すると気分が悪くなるでしょう」ちょうどその時、ドアがノックされた。外から使用人の声がした。「若様、明日香さん......お食事をどうぞ。お祖母様が、お粥をお持ちするようにと仰せでした」なんて絶妙なタイミング。「入って」ドアが開き、使用人が大きな碗を運んできた。二、三人分はありそうな量だが、スプーンと小皿は一組しかない。「そこに置いて。あとは私がやるわ」「かしこまりました。明日香さん、何かございましたらお申し付けください」明日香は湯たんぽも頼んでおいた。使用人は一礼して部屋を後にした。彼女は自ら碗を手に取り、樹に小半分ほどのお粥を食べさせた。何をするにしても、明日香の気配りは決して途切れない。樹は彼女の髪を耳にかけながら、ふと深く息を吐いた。「どうしてだろうな。君はまだ十八歳なのに、同年代にはない落ち着きと成熟さを持っている。わがままも言わないし、どんな時も冷静で......でも、僕の前ではそんなに大人しくしなくていいんだ。怒ったっていい。そうすれば、少なくとも君が......僕を気にかけてくれているってわかるから」食事を終えた樹の口元を、明日香はティッシュでそっと拭った。「人それぞれ感情の表し方が違うんだと思う。あの時は特別な状況で、どうしていいかわからなかった。あなたにはあなたの決断があるし、私が口を挟むことじゃないわ」「もし......僕が本当に彼女と付き合ったら、君はどうする？」その言葉に、明日香の心臓は大きな手でぎゅっと握りつぶされたように痛んだ。彼をまっすぐ見つめながら、口元にかすか

遼一の口元がわずかに上がった。その微笑のせいか、むしろ彼の周囲の空気は一層冷たく張りつめているように感じられた。片岡家は早い時期に鉱山で財を成し、その後、何らかの手段で油田を手に入れ、資産を急激に膨らませた。帝都に移住して以降は古い資産を食いつぶす日々だったが、それでもその財力は何世代にも渡って使い尽くせないほど巨大で、いかなる浪費を重ねても底をつくことはなかった。「口約束だけでは信用できないな」達哉はかすかな希望を掴むかのように、遼一の足元へ這い寄った。まっすぐ立つことすらできない有様だった。「土地所有権証書を渡す......いや、財産譲渡書でも構わない。俺をここから出してくれれば、一生使い切れないほどの金を保証する」「確かに魅力的な条件だ」遼一はペンを置き、達哉をちらりと見下ろした。「だが、俺は欲張りではない。油鉱の株式七割と......お前名義のすべての流動資産、不動産を要求する」達哉の瞳が大きく見開かれ、やがて怒声を張り上げた。「遼一！調子に乗りやがって！お前は昔、俺の言いなりになる犬だったんだぞ！俺が南波の土地で手を貸さなければ、お前の『スカイブルー』なんて、ただのゴミ同然だったんだ！」遼一は怒りの色を一切見せず、淡々とハンカチを取り出して飛び散った唾を拭った。立ち上がり、何事もなかったかのように出口へ向かう。達哉は我に返ると慌てて立ち上がった。「待て！分かった、承知する。だが、出られたら再起する手助けをしてくれ」遼一は振り返り、短く言葉を吐き出した。「もちろん」「中村」外から中村が入ってきて、手にした書類をテーブルに広げる。三通である。一通目は片岡の会社の株式二十六パーセント。残りの達哉の持ち分はわずか0.1％。この小さな株式でも、年間配当は少なくとも数千万円。帝都で飢え死にすることはないだろう。二通目は不動産。そして三通目は、達哉名義のすべての流動資産だった。中村は冷たい目で彼を見つめ、辛抱強く署名用のペンを差し出す。「これらはすべて法的に公正なものです。片岡さんはここに署名するだけで結構です。三日以内に、望み通りこの刑務所から出られます」達哉は躊躇した。震える手でペンを握り、決断に迷う。遼一は腕時計を確認した。「30秒だ」中村が低く告げる。「片岡さ