All Chapters of 佐倉さん、もうやめて!月島さんはリセット人生を始めた: Chapter 61 - Chapter 70

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第61話

「私のクラスでの立場、わかってるでしょ......私のせいで迷惑かけたくないの」「朔良って、ただの地方都市じゃない。ただ何しに行くのかは謎だけど......まあ、それはどうでもいいわ。明日香、大丈夫。たとえ親友じゃなかったとしても、私が話しかけたときに無視しなければ、それで十分よ」明日香はこくりと頷いた。「勉強の邪魔さえされなければ、無視なんてしないわよ」「明日香って、本当に優しいんだから!」静香はぱっと笑顔になって、嬉しそうに明日香を抱きしめた。けれど明日香には、どうして静香がそこまで自分と仲良くなりたがるのか、正直よくわからなかった。記憶を辿ってみても、特別深い関わりがあった覚えはない。まわりの人たちとの関係も、どれも浅くて、表面だけの付き合いばかりだった。「こんにちは」「じゃあね」と、ただ挨拶を交わして、それで終わる。次の日には、名前さえ思い出せないような、そんな関係。そんなことをぼんやり考えながら歩いていた明日香は、少し先で立ち止まった。視線の先には、黒いデニムジャケットに左手をギプスで固めた淳也の姿があった。ふたりの距離は、だいたい五、六百メートルくらい。そしてその近くには、もう一人。懐かしい顔――珠子がいた。最近、珠子はやたらと彼女の前に姿を現すようになっていて、どれだけ避けようとしても、なかなか振り切れなかった。「ほら、あの子。帝都第二高校に転校してきた珠子って子よ。学校で一番キレイな女子って評判」静香は前方の女子生徒の背中を指差しながら、声をひそめた。「こっちに来て、まだ一週間も経ってないのに、淳也に気に入られたらしいわ。今はまだ付き合ってるかどうかは不明だけど......帝都第二高校には淳也とつながりのある連中が何人かいてね、この前そのメンバーで集まったときに彼女も連れてきたんだって。あと、彼女にはかなり出世してる専務の兄がいるらしいけど、血は繋がってないらしいの。でも、その兄がものすごく厳しくて、恋愛なんてもってのほかって感じなんだって。たぶん、珠子が帝都第二を抜け出して私たちの学校に来たこと、兄には内緒なんじゃないかな」静香の言う「兄」とは遼一のことだった。少し気になって、明日香は尋ねた。「......なんでそんなことまで知ってるの?」「学校の掲示板で見たのよ」静香は少し得
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第62章

淳也が蹴りを入れたのは、明日香の隣で寝ていた、ふっくらした男子生徒だった。その一発で相手は完全に目を覚まし、頭をもたげてぽかんとした顔をこちらに向けた。「どっか行けよ」そう短く言い放った淳也を見て、彼はすぐに状況を察したようだった。その男子生徒の家は畜産業で財を成した成金一家。趣味という趣味もなく、明日香が彼を見かけるときは、たいてい机に突っ伏して眠っていた。テスト用紙にはいつも、べっとりとしたよだれの跡が残っていたものだ。彼は淳也の顔を確認すると、ガクンと頭を下げ、無言で立ち上がって席を譲った。淳也は片手で椅子を引き寄せ、当たり前のように明日香の隣に腰を下ろした。片腕は椅子の背に引っかけ、もう片方のギプスを巻いた腕はいやでも目を引いた。足元では限定版の高級スニーカーがだらりと揺れ、どこから見てもやる気のないボンボンそのものだった。「白川珠子って知ってるか?」明日香はペンを止め、ちらと視線を寄こした。「知ってる。父が養子にした子。彼女が言ってる『お兄さん』も、同じく父の養子。二人とも、私とは血のつながりはないよ」その言い方に含みを感じたのか、近くにいた哲が茶化すように口を開いた。「そんなに養子ばっかって......明日香、君も実は拾われた子なんじゃないの?」明日香は取り合わなかった。目も合わせない。一方の淳也は、ふと俯いて思案深げな目をしていたかと思うと、明日香のふくらはぎを軽く蹴った。「そんなこと聞いてねえんだよ」「じゃあ、何がしたいの?」明日香は眉をひそめる。「もし珠子を口説くのに協力してほしいって言うなら......ごめん、それは無理。あれはあなたと彼女の問題で、私には関係ない。手伝う義務もないし、今は大学入試の直前なの。勉強に集中すべきじゃない?」その言葉は、図らずも淳也の核心に触れていた。確かに彼は珠子にアプローチしたかった。ただ、それに明日香を巻き込もうという発想は、彼女にとっては理解不能だった。淳也は口元を歪め、奥歯を舐めるように笑った。目には冷たい光が宿っていた。「君に俺のことを指図する権利なんてあるか?何様のつもりだよ、あ?」そう言うやいなや、彼は明日香の机の脚を再び蹴りつけた。「もう一度聞く。手伝うのか、手伝わねえのか」明日香はしばらく彼を見つめたのち、静かに答え
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第63話

最後の化学のテストを解き終えたものの、明日香の胸の内は一向に晴れなかった。答案用紙を見つめながら頭を抱え、何度も考え込むが、どうしても心当たりが見つからない。淳也はいったい、何を勘違いしたの?私、なにか誤解されるようなこと、したっけ?もしかして、前に彼の落とし物を拾ってあげたときのこと?あのとき、誰かに写真を撮られてしまったけれど、あれが広まって、周りが勝手に騒いだのかもしれない。不安が胸をかき立て、明日香は慌てて携帯を取り出した。学校の掲示板を確認するためだった。あの盗撮写真のスレッド、最後まで見ていなかったけれど、みんな、あれについて何を言っていたんだろう?掲示板を開き、該当スレッドを探したが、すでに削除されていて、表示されたのは無情な「404エラー」だった。もう見ることはできない。そのとき、新着メッセージの通知が画面に現れた。差出人は静香だった。【明日香、あなたやるわね。さっきのパンチで、淳也くん顔真っ青だったわよ。あんたが教室出たあと、保健室に運ばれてった。でも気をつけて。淳也くん、ああ見えて仕返しは絶対するタイプだから。正直言って、あなた手加減なさすぎたよ。血も出てたみたい】【だって、あんなデタラメばっかり言われたら我慢できないでしょ! あの言葉が広まって、お父さんの耳に入ったら......私、死ぬわよ】【本当に、淳也くんのこと好きじゃないの?】【なんでみんな、私が彼のこと好きだって思ってるの?いったい何を見て、そう思ったの?】【あんたが花を持って淳也くんのお見舞いに行ったこと、今、学校中の噂になってるよ。知らなかったの?】【それの何が、「好き」ってことになるの?】【あのとき、あんたが襲われた事件。淳也くんが直接手を出したわけじゃないけど、関係がなかったわけでもないでしょ。だから、私たちみんな、てっきりあんたは彼と絶交するか、退学か転校か、そうなると思ってた。でも......まさか花を持って見舞いに行くなんて。あんたが淳也くんのことを好きだから、自分が襲われたことは気にせず、怪我した彼を心配して見舞いに行ったんだって、みんなそう思ってる】数秒も経たないうちに、またメッセージが届いた。【ほんとに、好きじゃないの?】明日香は携帯の画面をじっと見つめ、深く息を吸い込んだ。ようやく、なぜこんな噂が立っ
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第64話

幸いにも、帝都第二高校は思ったほど校則が厳しくなかった。お菓子の持ち込みも許可されており、ただし授業中の飲食は禁止されていた。これらのお菓子が誰のものなのか、珠子にはわからなかった。返すべき相手の見当もつかない。だから彼女は、それらをクラスの皆に分け与えたり、寮に持ち帰って、六人部屋でルームメイトたちと一緒に食べたりしていた。珠子は性格が穏やかで、よく笑い、勉強もできた。転校生でありながら海外で学んできた内容にも遅れを取らず、前回のテストではクラス一位、学年二位という成績を収めていた。わからない問題があれば、誰に対しても根気よく教えてあげた。ノートや資料も惜しみなく見せてあげる。そんな珠子は、クラスで皆に愛され、教師たちからも優等生として一目置かれていた。夜の自習が終わるのは、午後九時四十分。机の上を片付けながら、珠子が声をかけた。「千和ちゃん、トイレ行くけど、一緒に行く?」「うん、付き合うよ」千和はそう答えて、珠子の腕を軽くつかんだ。今はちょうど夜自習が終わったところで、校内には帰宅を始める生徒たちの気配がちらほらと漂っていた。廊下のセンサーライトは、人が通るたびに静かに点灯する。「私は外で待ってるね」「わかった」そう言って、珠子はトイレへと入っていった。その直後、廊下の向こう側から数人の生徒が歩いてくるのが見えた。先頭に立つのは、高いポニーテールを揺らした女子生徒。彼女こそが、学校で「姉御」と呼ばれている深瀬加世子(ふかせかよこ)だった。バレーボール部の特待生で、恵まれた身長を武器に専門的なトレーニングを積んでいるという。なんでこんなところに?千和は一瞬、訝しんだ。運動特待生たちは、必要な授業以外はほとんど練習に費やしているはずだったからだ。しかし、彼女たちが威勢よくこちらへと歩み寄ってくるのを見て、千和の胸には不穏な気配が広がった。深瀬はその175センチの長身で、千和を見下ろした。「チビ、珠子はどこ?」「わ......わからない」その視線と声の圧力に、千和は思わずたじろいだ。彼女たちの目的が善意によるものではないことは、すぐに察しがついた。だからこそ、珠子の居場所は教えなかった。「知らない?お前と一緒に中に入っていくの見たんだけど?」「......ジャー」ト
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第65話

千和は頭を強く打ち、意識を失ったまま、どれだけ呼びかけても目を覚まさなかった。深瀬は写真を携帯で誰かに送信し終えると、満足げに立ち去ろうとしながら、倒れた千和に一瞥を投げ、嫌悪の表情を浮かべて傍らの人物に目で合図を送った。その者はすぐに意図を察し、バケツ一杯の冷水を運んできて、容赦なく千和にぶちまけた。冷たさが衝撃となり、千和は一瞬で意識を取り戻した。勢いよく水を飲み込んでむせ、何度も咳き込む。深瀬は高みから、服が乱れ、顔にひっかき傷を負った珠子と千和を見下ろしながら言い放った。「珠子、私たちを恨むんじゃないよ。恨むなら、余計なことを言って、余計なことをした人間を恨みな。あんたのいちばんの過ちは、淳也くんに近づいたことだ!」声は冷たく、容赦がなかった。「淳也くんは、私の女友達が狙ってる男なの。だから、もう一度でも淳也くんやその仲間に近づいたら、そのときは――」深瀬は携帯を自慢げにひらひらと振ってみせた。「私の手元にある『いいもの』がね、うっかりネットに流出しちゃうかもしれないよ?」辱めを受け、下着まで晒された珠子の写真は、すべて撮られていた。それがもしネットに流れたなら、珠子は、きっと生きる希望さえ失ってしまうだろう。深瀬は連れを引き連れてその場を後にしようとした。だが、ふいに入口で足を止め、振り返った。「女友達から伝言があるの。明日香には手出しできない。でもね、もし明日香が私たちの機嫌を損ねたら、その分の鬱憤は全部あんたにぶつけるから。どんなに痛くても、耐えてもらわなきゃね。あ、そうそう。警察とか先生にチクったって、無駄だから!」悪魔のようなその笑みを、珠子は無言で見つめた。目の奥に波紋が広がる。あすか......明日香......帝雲学院の人間なのか?千和は恐怖に震えながら珠子にしがみついた。「珠子......どうしよう?写真、もし親に見られたら、学校で問題起こしたって思われて、きっと殴られる......」珠子は乱れた千和の髪をそっと撫でながら、落ち着いた声で言った。「大丈夫、怖がらないで、私がなんとかするから」「ご、ごめん......全部私のせいで......」千和は涙ながらに口を開いた。「私たち、友達だよね?私が守ってあげるって、当然じゃん......でも、珠子...
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第66話

保健室にて。「大したことなかったですね。生理が来ただけですし、特に問題はありません。ただ......あなたたちの顔の傷が気になりますが」保健の先生は、ちらりと当番の教師に目をやった。当番の赤川先生が椅子から立ち上がると、静かに言った。「落合先生、先に戻ってください。このふたりの生徒のことは、私が責任をもって対応します」「わかりました、赤川先生。それでは失礼します。薬は机の上に置いてありますので、お忘れなく」当番の赤川敏行(あかがわ としゆき)、今日の生活指導主任である彼は、四十代半ばの中年男性だった。ぽっこりした腹に眼鏡をかけた風貌は、どこか温和な印象を与えていた。彼は保健室まで珠子を背負ってきたため、背中のシャツにはまだ血の跡が残っていた。珠子は、生理初日にはいつも強い反応が出る。普段は痛み止めを持ち歩いているのだが、今日はカバンの中に入れたまま取り出す暇がなかった。赤川の視線は、ずっと珠子から離れない。珠子はうつむいたまま、温かいお湯の入ったコップを手に持ち、何か思い詰めたような表情を浮かべていた。千和はすでに薬を塗ってもらい、だいぶ痛みも落ち着いていたようだ。珠子の様子を心配そうに見つめながら、口を開いた。「珠子、大丈夫?私が頼りなくて、あなたまで巻き込んじゃって......」珠子は、か細い声で答えた。「千和ちゃんのせいじゃないよ。悪いのは私......私があなたを巻き込んだんだ」赤川が腕時計に目を落とし、声をかけた。「もうすぐ十一時になるな。まずは寮に戻って休みなさい。担任の先生には、明日、私から報告しておくよ」そう言いながら、珠子のベッドの前にしゃがみ込んだ。「白川さん、先生が寮まで背負っていこうか?」珠子はコップを握り締めたまま、静かに首を振った。「大丈夫です、先生。もう、だいぶよくなりました。自分で歩けます」赤川はなおも譲らず、やや強引に声を重ねた。「そんな遠慮しなくていいんだよ。背負うのが無理なら、抱っこしてあげるから」そう言いながら、手を伸ばそうとした瞬間――「先生、自分で歩けるって言いました」珠子の声が、ぴたりと冷たくなった。その鋭い目つきに、千和は思わず息を呑んだ。いつもの珠子ではない。まるで別人のような気迫が、その目に宿っていた。だが、次の瞬間
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第67話

隣の上段の寝床から、飯島莉帆(いいじまりほ)がぽつりと声を発した。「それ、あなたのじゃないでしょ」「うるせぇな!寝かせてくれよ!」誰かが寝返りを打ち、布団を頭まで引っかぶる音がした。「いいの、使わせてあげなよ。千和ちゃん、怒らないで。使い切ったら、また遼一さんが買ってくれるから」薄暗い室内で珠子の顔はよく見えなかったが、声音に怒りは感じられず、その場の空気はひとまず静まった。珠子に対する彼女たちの印象は、おおむね良かった。気立てがよく、誰かと衝突するようなことは滅多にない。そういうタイプだった。珠子は棚の下から未開封のスキンケア用品を取り出し、千和に手渡した。「あなたの分もあるわ。これ、あげるから、ね?もう怒らないで」「ダメだよ、そんな高いもの......もらえないって!」「シーッ......また皆、起こしちゃうから」そう囁いて、珠子は着替えを抱えて浴室へ向かった。さっと体を洗い、パジャマに着替え、カイロを貼って寝る準備を整える。布団の中には、湯たんぽもすでに入っていた。千和が順番で洗面を済ませて戻ってきたときには、珠子はすでに眠りについていた。翌朝、珠子は生理のため、朝からのランニングには参加しなかった。ランニングから帰ってきた千和が、眠る珠子の額に手を当てると、その体の冷たさにぎょっとした。「珠子、大丈夫?すぐ管理人さん呼んでくる!」「い、いいの......ただ、ちょっと痛みがひどいだけ。鎮痛剤飲めば、すぐ落ち着くから......」珠子はゆっくりと上体を起こし、そばに置かれていた寝間着に目を留めた。どうやら、誰かが間違って着ていたらしい。しばらく見つめたあと、彼女は何も言わずに目を伏せた。鎮痛剤を口に運びながら、ぽつりと千和に頼んだ。「悪いけど、今日の朝自習......担任の先生に休むって伝えてもらえる?」「朝ごはんは? 食べないの?」珠子は静かに首を振った。「いらない。食欲ないの。ありがとう、千和ちゃん。あなたがいてくれて、本当に助かった......どうしていいかわからなかったわ」「いいよ、無理しないで。ゆっくり休んでね」洗面所では、ランニングから戻ったばかりのふたりが、歯を磨きながらひそひそと話していた。「千和のあの媚びっぷり見た?ちょっと物もらっただけで、ま
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第68話

明日香は床に散らばった白いご飯を見下ろし、眉をひそめた。また、わけのわからない真似を......「淳也くん、何してるの?」恨めしげな目を向けながら、明日香は黙ってしゃがみこみ、落ちた弁当箱を拾い上げた。まだしっかり手に持ってもいないうちに、またしても淳也の足が振るわれ、弁当箱は再び床に落ちた。そのまま彼は、片手で明日香の後ろ襟をつかみ、ぐいと持ち上げて壁に押しつける。先ほどまで首を絞めていたその手は、明日香の潤んだ瞳を見た瞬間、襟元へと場所を変えていた。「君、外で何をほざいてやがった?」背中が窓枠の角に押しつけられ、鋭い痛みが背骨に走る。明日香は水よりも冷ややかな目で目の前の男を見返しながら、静かに問い返した。「......何のこと?」淳也の細長い目には、氷のような光が浮かんでいた。「珠子が殴られて、今、病院送りだ。君のせいだって聞いた。君、珠子が姉だって言ってたよな?それが姉への態度かよ?俺の前じゃ屁一つこけねえくせに、何か言いたいことがあるなら、俺に直接言え。陰でコソコソすんな。珠子に何かあったら......君の折れたところ、もう一回折ってやるからな」明日香は、彼の手の甲に浮かぶ血管を見つめた。人目がなければ、この場で本当に殺されていたかもしれない。それでも、呼吸は乱れなかった。これしきのことで動じるほど、明日香は甘くない。目の前の未熟な少年に、恐怖を植えつけられるはずがない。なにせ彼女は、一度死んだ身だ。二度目の死など、恐れるに足らない。だが、絞められる首に痛みが走り、堪らずその手を掴んだ。「じゅ......淳也くん......ちょっと、落ち着いて!」そのとき、悠真が口を開いた。「淳也、もうやめろよ。明日香が珠子に手を出すわけないだろ?仲間同士でそんなことする必要、どこにあるんだよ」明日香の顔は赤く染まり、淳也の全身からあふれ出る殺気が肌に刺さるようだった。「じゅ......淳也くん......痛い、痛いよ......放してっ!」再び悠真が止めに入る。「もう十分だろ。これ以上騒ぎを大きくしたいのか?前回どうやってケガしたか、忘れたのか?」ようやく、淳也の目に宿っていた殺気が少しずつ薄れていった。ただ、その冷たい眼差しだけは変わらないまま。それでも、手を放した。明日香は解
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第69話

明日香の脳裏に最初に浮かんだのは、美雪たち三人組だった。先日、彼女たちと口論になったことを除けば、明日香には思い当たる人物などいなかった。その頃、女子トイレにて。三人の女子が洗面台の前に並び、化粧を直したり、胸元のリボンを整えたりしながら、満足そうに紅を引いた唇を弛ませていた。美雪はご機嫌な様子で鼻歌を口ずさんでいる。「今日はなんか上機嫌じゃん!」咲絵が楽しげに声をかけると、美雪はスカートの裾をひらりと摘まんで笑った。「まあね。悪くない一日だわ」「グループにあげた写真、見た?」麻衣が続けた。「見た見た。最高だったわ。麻衣ちゃん、あの調子でよろしくね」美雪は満足げに頷いた。麻衣は口角に付いた余分な口紅をティッシュでぬぐいながら、吐き捨てるように言った。「前からさ、明日香ってほんとムカついてたのよ。あの兄貴がイケメンだからってだけで、わざと手加減してあげてたんだけど」それを聞いた美雪は、洗面台に身を乗り出した。「そのイケメンって、あの慈善パーティーで見かけた、無駄にクールでストイックなタイプの男?あれが明日香の兄貴なの?」麻衣は静かに頷いた。「父が言ってたわ。あの男は月島家の飼い犬だって。前に大金積んで引き抜こうとしたけど、まるで聞く耳持たなかった。金も女も興味なしって感じで、女を送り込んでもその晩にきっちり返されてきたの。あんな堅物、初めて見たわ。最悪だったのは、私が飲みに誘ったとき、一瞥もくれなかったことよ。ただの雇われの分際で、誰に向かってそんな態度取ってるのかしら。ほんっとムカつく!」咲絵が、どこか気まずそうに口を開いた。「聞いた話だけど、遼一って、明日香より珠子のほうを大事にしてるらしいよ。二人は孤児院育ちらしくて、昔はゴミあさって食べてたこともあるんだって......でも、この人については、父から『関わるな』って言われてるの。理由は教えてくれなかったけど......」そう言って、咲絵は小さく肩をすくめた。「前にバーで見かけたけど、まあ確かにカッコよかった。でもちょっと年上よね......おじさん系って感じ。私は弟系がタイプなんだけどな」その瞬間、美雪の目にわずかな光が宿った。遼一という男に、ふとした興味が芽生えたのだ。彼女にとって、挑戦こそが最も甘美な誘惑。手に入りづらい
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第70話

静水病院。学校からの連絡で珠子の入院を知らされた遼一は、会議の途中で席を立ち、残りを中村に任せると、その足で病院へと向かった。病室では、珠子が点滴を打たれながらベッドに横たわっていた。顔色は少し青ざめていて、遼一の姿を目にした途端、まるで叱られるのを覚悟した子どものように、おずおずと視線を落とした。「りょ......遼一さん、ごめんなさい。また、迷惑かけてしまって......」うつむく珠子の顔にうっすら残る傷跡を見た瞬間、遼一の漆黒の瞳に、鋭い光が走った。「医者は、何て?」「擦り傷だけです。あとは......生理が不順で、それもお湯をもっと飲めば大丈夫って」そこへ、30代半ばと思しき女性が薬の処方箋を手に病室へ入ってきた。「あなたが白川さんのお兄さん、佐倉遼一さんですね?」遼一はその顔に見覚えがあった。東条朋子(とうじょう ともこ)――学校のオリエンテーションで一度だけ顔を合わせたことがある。「はい」「少しお話があります。どうぞこちらへ」病室の外、無機質な白い廊下で、東条は昨晩の出来事を包み隠さず語った。そして、これは珠子だけの問題ではなく、帝雲学院の生徒も関わっているため、双方の保護者との話し合いが必要だと伝えた。以前にも似たような騒動があったという。だが、そのときは大人の事情で有耶無耶にされた。今回も同じように、「大人なら分かってくれるだろう」と東条は言外に語った。ことを荒立てれば、さらに複雑になり、収拾がつかなくなる、そう言いたいのだろう。遼一の声が冷たく沈んだ。「つまり先生のご意見は、この件はなかったことにしろと......それが教育者の姿勢ですか?」東条は表情を崩さず、静かに応じた。「相手側の保護者ともすでに話し合いました。費用はすべて負担するとのことですし、深瀬さんも白川さんに心から謝罪しました。この解決策にご不満があるなら、改めて学校で話し合いましょう」遼一は腕時計にちらりと目をやり、低い声で言った。「事情は理解しました。原因については、こちらでも調べます。珠子の体調が万全ではないので、今日のところはここまでにしておきましょう。明日は一日予定を空けてあります。最善の解決策を提示してください。ご存知のとおり、俺はビジネスの人間です。効率を重視します。無駄な手続きは好みません。
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