Semua Bab 永遠の毒薬: Bab 651 - Bab 660

やっぱり。携帯の画面には、いくつもの不在着信が並んでいた。その中でも、「咲良」の名前がいやに目に刺さる。乃亜の胸がギュッと締めつけられた。嫌な予感が、瞬時に全身を駆け巡る。考えるより先に、指がリダイヤルを押していた。数回のコールの後。「乃亜！」受話器の向こう、咲良の声は今にも泣きそうだった。焦りと恐怖がにじみ出ている。「どうしたの？落ち着いて、何があったの？」「わ、私たち......村の人たちに閉じ込められたの......もう、外に出られない！お願い、助けに来て！」胸の奥を鈍く殴られたような衝撃が走った。「彼ら、何か要求してきた？何でもいい、まずは応じて。今すぐ行く！」「うん！」咲良の返事を聞いた瞬間、乃亜は布団を跳ねのけた。息子のことは、今は後回しだ。まずは、咲良たちを救わなきゃ。バッグに荷物を詰めながら、すぐに別の番号にかける。「急ぎの件。聞いて」「どうした？」「腕に覚えのある奴を何人か、今すぐ集めて。現地で合流。急いで」「了解！すぐに動くよ！」電話を切ると同時に、乃亜は階段を駆け下りていった。そのころ村では、雨が上がったばかりの地面が、ぬかるんでいた。雨粒はまだ、細く冷たく降り続けている。湿った土の上には水たまりが点々と残り、空の灰色を静かに映し返していた。咲良たちは、粗末な小屋に閉じ込められていた。一つだけある小さな窓から、かすかな光が射し込んでくる。それが、室内の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。カビと湿気が混ざった空気が、肺の奥にじわじわと染み込む。息をするたび、咳が出そうになる。屋根を打つ雨音が、静かに続いていた。電話を切った咲良は、ようやく肩の力を少し抜いた。張り詰めていた緊張が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。長時間、ぎゅっと握りしめていた手が白くなっていて、血がゆっくり戻ってくるのを感じた。咲良は深呼吸をひとつして、落ち着こうとした。そして、視線の端で隣の同僚の様子を伺った。彼女は震えていた。両手を小さく握りしめ、唇を噛み、今にも泣き出しそうだ。「咲良さん......乃亜さん、本当に来てくれるの？助かるのかな......」その声は蚊の鳴くように小さかったが、必死だった。咲良は彼女の手をそっと握り返し、優しく言う。「大丈夫。乃亜は絶対に来てくれる。きっ

得体の知れない熱が、体の奥底からふつふつと湧き上がる。それはあっという間に手足の先まで広がっていき、勝美は自分を持て余しそうになった。......なんだ、これ。思わず息を呑み、深く呼吸を整える。落ち着け、と心の中で呟きながら。ビジネスの世界で長く生きてきた彼にとって、女なんてただのアクセサリーだ。ブランドバッグでも、車でも、欲しいと言われれば、大抵のものは用意してきた。けどそれは、金で済む関係。欲望の処理に過ぎない。情なんて、最初から期待していない。終われば、ただの他人だ。なのに、彼女、乃亜だけは違った。その目線、その仕草、その何気ない所作が、不意に心の奥を掻き乱してくる。胸の奥がザワつくような、慣れない感覚。......ヤバいな。こんな気持ち、初めてかもしれない。勝美はゆっくりと息を吸い、濡れたタオルをシートに敷いてから、静かに腰を下ろした。その動作一つさえ、いつもの自分を保とうとするかのように、丁寧だった。「乃亜さん。取引の話、少しだけどう？」彼女をまっすぐ見つめながら、ゆっくりと口角を上げる。その瞳にはどこか余裕と計算が混ざり、低く響く声には微かな茶化しも含まれていた。夜の闇に咲くケシの花のように、甘く、危険な香り。本来なら、今日はただの視察だった。でも、天気が急変して大雨に。運転手とははぐれ、仕方なく木の下で雨宿りする羽目になった。そんなとき、目の前に現れたのが、彼女、乃亜だった。荒野の中、土砂降りの中で出会ったその姿は、まるで幻のように美しかった。偶然とは思えなかった。これはきっと、神様が与えてくれたチャンス、そう思った。だったら乗ってみよう。この刺激的な展開に。勝美は口元に笑みを浮かべ、乃亜を見つめる目には熱が宿っていた。......せっかくこんな場所で会ったんだし、流れに身を任せてみてもいいんじゃない？そんな思いが心の中で燃え広がっていく。火がついたら、もう止まらない。だが、乃亜は、そんな視線の意味に気づいていた。男の欲望なんて、彼女には見え透いている。......最低。乃亜はそう思った。雨宿りさせてあげただけなのに、こんな目で見られるなんて。けれど、その気持ちは表に出さなかった。背筋を伸ばし、冷静な目で彼を見返し、凛とした口調で

資料の整理が終わったのは、夜もとっぷりと更けた頃だった。乃亜は静かにあくびをひとつ。椅子にもたれかかり、そのままオフィスに泊まることを決めた。どうせ家に帰っても、拓海も晴嵐もいないし。夜明けには璃音の実親を連れて、凌央の元へ向かう予定だ。翌朝、島。階段を降りてきた晴嵐の視線の先に、見知らぬ女性がいた。彼女は璃音の隣で、ニコニコしながら何かおもちゃを差し出している。璃音はといえば、ソファにちょこんと座り、ルービックキューブをいじっていた。昨日、お兄ちゃんに教えてもらったけど、まだ揃えられない。集中したいのに、隣であの女の人が、ずっと喋ってる。うるさいなぁ......お兄ちゃんのママなら、静かに優しく教えてくれたのに。そのとき、晴嵐の瞳が一瞬だけ光を帯びた。何かを思いついたように、クルリと身を翻すと、自室へ戻っていった。クローゼットの奥から携帯をそっと取り出し、服のポケットに忍ばせる。それから、何事もなかったように階下へ。ちょうど台所にいた小林が、晴嵐の姿に気づいて声をかけた。「晴嵐様、ご飯できてますよ。召し上がりますか？」「うん、ありがと。小林さん、いつもありがとう」素直にぺこりと頭を下げる晴嵐。その姿に、小林の胸がチクリと痛んだ。こんなにいい子を、どうして、実の母親から引き離して閉じ込めてるの......「さ、行きましょうね。朝ごはん、冷めちゃいますよ」気持ちを切り替えて、手を引いた。晴嵐はきちんと手を洗い、自分で椅子に上って座った。姿勢よく、行儀よく。食べ方も綺麗だ。好きなものだけを偏らずに、苦手なものも一口は食べる。そして、ちゃんとこう言う。「......このおかず、ちょっと苦手かも」そんな素直なところが、小林はとても好きだった。「ねぇ、小林さん。さっきの女の人、誰？」サンドイッチを手に取りながら、何気なく聞いてきたその声。小林はドキリとして、人差し指を唇に当てた。「しーっ、晴嵐様、小声で。あの方はね......若様の、お付き合いしている方ですよ」璃音におもちゃを渡して気を引こうとしていた様子からして、どう考えても『後妻狙い』。中身も気品も、奥様とは比べるまでもない。......どうして、よりにもよってあんな女を「じゃあ、あの人....

この人がママになるなんて、イヤ......璃音は、お兄ちゃんのママがママになってほしいの！そのひとことに、雪葉の顔がピキリと引きつった。奥歯をぎゅっと噛み締め、目に見えて表情が曇る。......この小娘、よくもまあそんなことを。あとで蓮見家の『奥様』になったら、そのときにしっかり『教育』してやるわ。小林も、思わず晴嵐を見つめた。晴嵐は普段、挨拶すらあまりしないくらい無口なのに、どうして今日はこんなに饒舌なの？......まさか。雪葉が気に入った、とか？普通、子どもって母親が一番好きなんじゃなかったっけ？「小林さん、璃音と外でちょっと遊んでくれる？僕、雪葉おばちゃんとお話したいんだ」晴嵐はにっこりと笑ってそう言った。けれど、その声には子どもとは思えない威圧感があった。断るべきだとわかっていながら、小林の口から出たのは、「はい、わかりました」という素直な返事だった。「お兄ちゃん、ダメだよっ！その人をママって呼んじゃイヤ！」璃音は心配そうに顔を上げ、必死に訴えた。すると晴嵐は、小さな手でそっと璃音の頭を撫でた。「だいじょうぶ、わかってるよ。璃音は外で遊んできて」その言い方も、仕草も......どこか大人びていて、まるで本物の『兄』のようだった。小林は目を丸くする。まるで若かりし頃の凌央を見ているようだった。本当に......そっくり。血は争えない。璃音はちらりと雪葉を見やり、小さく口をとがらせた。このおばちゃん、イヤだ。ママにはなってほしくない。けれど、お兄ちゃんが「わかってる」って言ったから。それなら......信じてみよう。そう思い直し、璃音は渋々小林と一緒に部屋を出ていった。静まり返ったダイニングに残ったのは、雪葉と晴嵐のふたりだけ。「雪葉おばちゃん、座って」晴嵐はにっこりと笑い、椅子をすすめた。雪葉は彼の隣に腰を下ろし、わざと優しい声で尋ねた。「あなた、お名前は？」「晴嵐。ママは桜華法律事務所の弁護士、乃亜だよ。知ってる？」その名前を聞いた瞬間、雪葉の顔が一瞬ぴくりと動いた。乃亜？あの女が、母親？その微かな表情の変化を、晴嵐は見逃さない。......やっぱり。知ってるし、しかも嫌ってる。これはチャンスかも。「僕のママのこと、知ってるん

「パパ、お願い......晴嵐お兄ちゃんと一緒にここを出よう？ここ、くさいし、汚いし、もうイヤ......」璃音は涙に濡れた目で、凌央の首にぎゅっとしがみついた。まぶたは赤く腫れていて、声も少し震えていた。さっきまで、ずっと泣いてたのがすぐにわかる。「......ああ、わかった」凌央は静かに返事をして、晴嵐に手を差し出す。「お前も行くぞ。とにかくここを出よう」その声は、どこか軽くて、事務的だった。たぶん、晴嵐があまりにも落ち着いていたせいで、年齢のことを忘れていたのかもしれない。けど、まだ三歳の子どもなんだ。強がって見せても、心の奥ではきっと怖くてたまらないはず。なのに。晴嵐はふわりと笑って、淡々と言った。「僕は行かない。璃音だけ連れて行けばいいよ」どこまでも冷静で、他人行儀な声だった。愛されてないなら、いらない。僕には、他にちゃんと愛してくれる人がいるから。「晴嵐！来いって言ってるのが聞こえないのか！」凌央の声が荒くなる。三歳の子どもに向かって、ムキになるなんて、それでも、彼は本気で腹を立てていた。「僕は凌央とは一緒には行かない」小さな口が、はっきりそう言った。「心配しなくていい。ママが迎えに来るから」そう、もう暗号は送った。乃亜なら絶対にわかってくれる。晴嵐は、母を100％信じていた。「......いい加減にしろよ」凌央の目が鋭くなる。「これ以上、余計なこと言ったら......海に放り込むぞ」完全に脅しだった。でも次の瞬間、晴嵐の目にじんわり涙が浮かび、震える声で言った。「......放り込まなくていい。僕が自分で飛び込むから。僕が死ねば、ママのこと......もう放っておいてくれる？ママ、うつ病だったんだよ。やっと少し良くなったのに......また無理させたら、悪化する。かわいそうじゃん」そう呟くように言って、小さな背中を向けた。ちっちゃな足で階段を一段ずつ上がっていく。その後ろ姿が、小さすぎて、妙に遠く感じられた。凌央のまぶたがピクッと跳ねる。......このガキ、本気で言ってやがる！乃亜、あの女はいったい、子どもをどう育てたんだ？ここまでねじ曲げられるって、ありえないだろ。......いや、それならなおさら。連れて帰って、自分がちゃんと育て直すしかない。父親として、