All Chapters of 離婚は無効だ!もう一度、君を手に入れたい: Chapter 651 - Chapter 660

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第651話

そう言われた田中詩織は急にパニックになり、窓から飛び降りようとした。九条時也は短気だった。彼は止めようともせず、彼女の頭を窓に押し付け、厳しい声で言った。「飛び降りろ。本当に飛び降りた方がいい。そうすれば、海外へ行く必要もないし、自分を苦しめることもない」田中詩織は唇を震わせ、突然、彼の胸に飛び込んだ。彼女は泣き崩れながら言った。「もう飛び降りない!あなたの言うことを聞くわ。時也、あなたがD国に行ってほしいなら、行くわ。そこで、ちゃんと生活していく......あなたに迷惑をかけない。でも、それまでの間だけは、私のそばにいてくれない?退院したら、すぐにあなたを帰してあげるから。もうあなた達の邪魔はしないわ」彼の腕の中で、彼女は激しく泣いた。「だって、私はあなたを愛しているのよ!愛する男性を他の女に譲る女なんていないでしょう?時也、ここまで言ってもまだダメなの?そんなの、あまりにも残酷すぎる!」一筋の朝日が、九条時也の顔を照らした。彼の表情は更に冷たく見えた。彼は心の中で、もし自分が結婚していなかったら、こんなにも傷ついた田中詩織を、病気の彼女を、きっと放っておけなかっただろう、と思った。それは愛情とは関係なく、責任感だった。九条時也は熟慮の末、田中詩織が入院している間、側にいることを決めた。体調が回復したら、すぐに海外へ送り出すつもりだった。朝になり、彼は水谷苑に電話をかけた。6秒ほどコール音が鳴った後、彼女が出た。少し嗄れた声だった。「風邪をひいたのか?」彼は優しく尋ねた。水谷苑は何も言わなかった。九条時也は言葉を選びながら言った。「今週は少し仕事が立て込んでいて、お前と津帆に付き添えないかもしれない......そうだ、午前中の検査を忘れるなよ。使用人に付き添いを頼んでおくから」彼は後ろめたさから、優しい口調で話した。だが水谷苑は何も聞きたくなかったので、淡々と切り出した。「あなたは詩織と一緒にいるのね?今週はずっと一緒にいるつもりなの?時也、私はあなたと彼女の間柄も、あなたが彼女に何の借りがあるのかなんて知らないけど......ただ、津帆があなたの息子だってことを忘れているみたいね。あなたの息子は今、入院しているのよ。今朝、彼はあなたはどこにいるのかって聞いてきたわ。時也、私は津帆に、お父さん
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第652話

彼女はもう一度尋ねたが、医師は家族を待つようにと言った。高橋はすぐに携帯を取り出し、九条時也に電話をかけ、「出てください!電話に出てください!」と叫び続けた。九条時也は電話に出たが、その時、彼は田中詩織の治療に付き添っていた。彼は少し苛立っていた。彼は高橋に言った。「何かあるんなら、後で話そう」そう言って電話を切った。高橋は焦って泣き出した。水谷苑は窓辺に立ち、外を見ながら静かに言った。「数ヶ月前、香市で肝臓癌と診断された。治療は受けていない......治療を受けるつもりもない。先生、私はもう長くはないんだね?隠さないで。覚悟はできている」彼女は少し間を置いて、続けた。「ただ、津帆のことが心配で......」高橋は言葉を失った。そして、泣きながら言った。「奥様、そんな!どうして九条様にも私にも言わなかったんですか......治療法を探さないと!もしかしたら、助かるかもしれません!」水谷苑は力が抜けたように笑った。九条時也に話したところで、何になる?彼からの愛情は、指の間からすり抜ける砂のようだ。九条津帆は死にかけたのよ。なのに彼は、加害者のそばにいる。彼女は静かに医師に頼んだ。「誰にも言わないで。私は治療を諦め、静かにこの世を去ることに決めた......誰かの偽善的な言葉や、心にもない懺悔は聞きたくない」医師は神妙な面持ちになった。彼の心は、長い間ざわついていた......後日、九条薫が尋ねると、水谷苑は「大丈夫」とだけ答えた。こうして、九条津帆が退院した後、水谷苑は彼を連れて自宅に戻った。1週間が過ぎたが、九条時也は約束通り帰ってこなかった。半月、1ヶ月経っても、彼は帰ってこなかった......その間、彼から電話もなければ、九条津帆の様子を気に掛ける連絡もなかった。高橋がこっそり電話をかけても、彼は電話に出なかった。高橋がただ騒いでいるだけと思ったのだろう。高橋は水谷苑を不憫に思い、来る日も来る日も泣き続け、目が腫れ上がっていた。逆に水谷苑がいつも彼女を慰めていた。夏の夕暮れ時、彼女は薄い毛布をかけて、庭のデッキチェアに横たわっていた。枯れかけたノウゼンカズラを見つめながら、静かに言った。「人間は早かれ遅かれ誰しも必ず死ぬものよ。高橋さん、私にはもう、津帆以外に未練
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第653話

彼は水谷苑を抱き上げ、救急車に乗り込んだ。藤堂沢は医師免許を持っていたので、応急処置を行い、水谷苑の状態が少し落ち着くと、藤堂総合病院の医療情報部に電話をかけ、「苑の病状を調べてくれ」と頼んだ。2分後......情報部員は驚愕の声で言った。「藤堂社長、苑様は末期の肝臓癌です」藤堂沢の手から、携帯が滑り落ちた。しばらくして、我に返った彼は田中秘書に電話をかけ、か細い声で言った。「燕さんの居場所を探してくれ。どこにいようが、地の果てにいようが、連れて来い......間に合えば、苑に移植手術を。間に合わなくても、最期を看取らせてやれる」田中秘書は驚き、水谷苑が不治の病に侵されていることを悟った。藤堂沢は水谷苑を藤堂総合病院へ連れて行った。九条薫が先に到着していた。彼女はストレッチャーの横を走りながら、高橋に尋ねた。「兄とは連絡が取れたの?」高橋は涙を拭いながら、「お兄様の電話は電源が切られています」と答えた。九条薫はそれ以上聞かなかった。水谷苑の顔は、血色がなく、顔面蒼白だった......まるで、すでに息絶えているかのようだった。少し前まで、一緒にコーヒーを飲んでいたというのに。あの時、水谷苑は九条津帆を自分と藤堂沢の息子として養子に迎え、苗字を藤堂に変えてほしいと頼んできた。藤堂津帆という名前も悪くないって言っていたのを自分は彼女が考えすぎだと思っていたが、まさか、不治の病に侵されていたとは。その時、水谷苑がゆっくりと目を開けた。九条薫の目には涙が浮かんでいた。彼女は震える声で言った。「どうして早く教えてくれなかったの!沢ならきっと何か方法があるわ。私たちで何とかするから!あなたが自由になりたいなら、それも何とかする!苑、お願い、頑張って。諦めないで。諦めなければ、きっと希望はあるわ」水谷苑は何も言えなかった。彼女は九条薫にかすかに微笑み、わずかに唇を動かしたが声は出なかった。あなたへの恩は、一生かけても返せない............2時間後、九条時也が自宅に戻った。彼は車を庭に停めた。すぐに降りずに、車内でタバコを一本吸った......これから水谷苑に、この1ヶ月どこにいたのか、田中詩織を海外に送り出したこと、もう二度と彼女が二人の生活に影を落とすことはないということを、どう説明しよ
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第654話

すっと風が吹き抜け、夏だというのに、九条時也は全身に悪寒が走った。そして、1ヶ月前、看護師が検査結果を持ってきてくれた時、自分は水谷苑に言った言葉を思い出した――「お前は注射が苦手だから、俺が付き添ってやるよ」「これからはずっと一緒にいよう」......しかし、田中詩織の心臓に問題が見つかり、自分は彼女のそばにいた。水谷苑には電話で、使用人に付き添いを頼むように言ったのだ。なんてことを。九条時也は車に乗り込み、病院へ向かった。何を考えていたのだろうか?水谷苑は、病気を知っていたに違いない。なのに、彼女は何も言わなかった。ずっと死を覚悟していたのだろうか?この日が来るのを、ずっと待っていたのだろうか?信号が赤になり、九条時也は一瞬気を取られた。急ブレーキの甲高い音とともに、周囲から罵声が浴びせられた――「なにやってんだ!危ないだろ?」「自殺したいのか?」「この馬鹿野郎!」......九条時也は周りの声を無視し、アクセルを踏み込み、信号を無視して交差点を走り抜けた。30分後、藤堂総合病院。1004号病室のドアの前で、九条時也はドアノブを握ったまま、なかなか開けることができなかった。これまでずっとやり手だった彼にとって、こんなにも迷うのは珍しいことだった。しかし、この瞬間、弱まっている水谷苑をと向き合うことが、怖かった。恐怖、不安、そして怒り。病室からは、聞き覚えのある話し声がかすかに聞こえてきた......九条薫の声のようだった。彼の目の前で、病室のドアが開いた。思った通り、九条薫と藤堂沢だった。二人はちょうど帰るところだったらしい。九条時也の姿を見て、九条薫は少し驚いた後、声を詰まらせながら言った。「帰ったのね」九条時也の視線は、ベッドの上の彼女に向けられた。水谷苑はそこに横たわっていて、体に掛けていた布団がほとんど起伏がないほど、彼女はやせ細りげっそりとしていた。しばらくして、九条時也は視線を戻し、「ああ、帰ってきた」と言った。水谷苑は眠っている。今は言い争いをしている場合ではない――九条薫は必死に怒りを抑えながら言った。「とりあえず彼女を見てきて!で、お医者さんとちゃんと話し合って。もちろん、あなたが面倒をみたくないと言うなら、私と沢が彼女を引き受けるわ
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第655話

高橋は悲しみにくれ、思わず涙を拭った。「何度かお電話で九条様にお伝えしようとしたのですが、電話を切られてしまいました」......九条時也はタバコに火をつけた。うつむいたまま数回煙を吸い、そして尋ねた。「苑は何か言い残していなかったか?」高橋はもう隠すまいと、口ごもりながら話した。最後に彼女は呟いた。「10億円の他に、奥様は津帆様のためにセーターを6枚、マフラーを2枚編んで......津帆様を薫様へ養子に、と考えていました。薫様も同意されていました」10億円、セーターが6枚、マフラーが2枚......それに九条津帆を手放そうとして、香市で病気のことを知ってから、生きることを諦めてしまったのだろうか。九条時也は軽く瞬きをした。指に挟んでいたタバコは、いつの間にか消えていた。彼がしばらくぼうっとしていると、高橋が恐る恐る「お預かりしました10億円、九条様にお渡ししましょうか?」と聞いてきた。「いや」九条時也は低い声で言った。「苑が預けたものだ。そのまま持っていてくれ」そう言うと、彼はタバコを折り、病室へと向かった。ドアを開けると、水谷苑は相変わらず静かに横たわっていた。まるで今にも透けてしまうかのように。たった一ヶ月で、彼女は見る影もなく痩せ細り、骨と皮ばかりになっていた。出会った頃の彼女は、華奢ではあったが、それなりに肉付きが良く、触れると少女らしい柔らかさがあったのを覚えている......だが今、病床に横たわる女性は、まるで別人のようだった。まるで自分の妻ではなく、水谷苑ではないようだった。九条時也はベッドの脇に座り、水谷苑の手を握り、呟いた。「帰ったぞ」水谷苑の手は、氷のように冷たかった。彼はハッとした。そしてゆっくりと頭を下げ、彼女の掌に顔をうずめ、何度も繰り返した――帰ったよ。水谷苑、俺、帰って来たよ......彼女は何も答えず、ただ静かに横たわっていた。まるでこの世の全てを諦めたかのように。水谷苑は本来、純真で、争いごとを好まない少女だった。それを、自分は自分勝手な思いで、憎しみが取り巻く世界に引きずり込み、こんなにも多くの苦しみを与えてしまった。そして今や、彼女生きる気力さえも奪ってしまったのだ。それでも、彼は彼女を責めていた。なぜ生きようとしなかっ
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第656話

彼は掌で彼女の冷たい頬を包み込み、温めながら、声を詰まらせた。「だが、苑、俺の気持ちは?俺も同じように、お前と誠のことを気にしていたと思ったことはないのか?」最初は偽りの気持ちだったが、いつしか本気になっていた。しかし、彼女は......彼に機会を与えようとしない。死ぬことばかり考えている。九条時也はゆっくりと顔を水谷苑の顔に寄せた。しばらくすると、頬が触れ合っている部分から、温かい涙が溢れ出した......一時、それがどちらの涙か分からなかった。傍らの高橋は、何度も涙を拭っていた。水谷苑のために喜んでいるのではない。これが水谷苑の望むものではないことを、知っているからだ......水谷苑は既に、九条時也に愛想を尽かしているのだ。病室のドアが、キーッと音を立てて開いた。若い看護師が入り口に立ち、恐る恐る声をかけた。「九条さん、小林先生がご相談したいことがあるそうです」しばらくして、九条時也は返事をした。小林医師は外科の権威で、藤堂沢が指名した担当医だった。九条時也が医師のいる部屋に行くと、小林医師は、一束のカルテを彼の前に差し出した。そして、楽観的なことは言わず、ありのままを告げた。「既に転移しています。藤堂社長が適合する肝臓を探していますが、これ以上病状が悪化すれば、適合する肝臓が見つかっても移植する意味がなく、苦痛が増すだけです」それを聞いて九条時也は堪えがたいようにタバコに火をつけた。彼の指は震え、声も震えていた。「移植しなければ、あとどれくらい?」小林医師は静かに言った。「一ヶ月も持ちません」あと一ヶ月しか......九条時也は喉仏を上下させ、続けて数回煙を吸い込み、むせて咳き込んだ。「藤堂社長は水谷を探しているんだよね?彼は......見つかったか?」小林医師は静かに首を横に振った。九条時也は静かに目を閉じた。水谷燕が見つからないということは、水谷苑に死刑宣告が下されたも同然だった。医師の診療室を出たとき、九条時也はもぬけの殻のようだった。深夜、病院の廊下には、何か得体の知れない気配が漂っていた。まるで無数の魑魅魍魎が潜んでいるかのようで、それらすべてが、彼の両手に染み込んだ血みどろの罪の記憶を物語っているようだった。そして、その彼が犯した罪を、今、死をもって償っている
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第657話

いや!そういえば詩織がいたわね」水谷苑はフッと笑いながら、続けた。「あの日、あなたは一週間で戻るって言ったのに、一ヶ月も帰ってこなかったのは、詩織と一緒にいたんでしょう?そんなに彼女を愛しているなら、なんでちゃんと一緒にいてあげないの?わざわざ憎まれている相手に媚を売って、人生を共にしなくてもいいのに。それに、私は残りの人生どころか、一秒たりともあなたと一緒にいたくないって、わからないわけ!あなたになんて、出会わなければよかった!ただ津帆だけが、不憫だわ。あなたのような父親を持って......でも大丈夫。もうすぐあなたとは無関係になる。私は彼を薫と沢に預けるから、彼らの傍でなら、きっと明るく、素直に育つわ」......水谷苑は多くの言葉を口にした。どの言葉も、九条時也の胸に突き刺さった。九条時也は彼女の顔を掴み、変わり果てた彼女の頬を握りしめ、突然狂ったようにキスをしながら言った。「津帆は俺の息子だ。お前は俺の妻だ。それは誰にも変えられない!」そう言うと九条時也は一刻も早くそれを証明したかった。彼女がまだ自分の妻であることを。水谷苑の服は引き裂かれ、骨と皮ばかりの体が露わになった。痩せ細って、女としての魅力は失われていた。しかし九条時也は止まらず、彼女に触れ、関係を持ちたがった。彼女がまだ自分の女であることを証明したかったのだ。この時、彼は狂っていた。たとえ水谷苑が今にも息絶えようとも、あの世まで追いかけていくつもりだった。水谷苑は抵抗しなかった。抵抗する力もないし、気力もなかった。心がもう離れているのだから、体のことなどどうでもよかった......ただ、また汚れるだけのことだ。しかし、彼女はあまりにも痩せすぎていて、骨ばっていて、女らしい潤いもなかった......もうすぐ死ぬ人間に、男女の感情などあるはずがない。九条時也は彼女の体の上に倒れ込み、荒い息を吐いていた。水谷苑は天井の照明を見つめ、疲れ切った声で、静かにため息をついた。「どんなに優しい言葉を囁いても、こんな体では、男としての欲求も湧かないでしょう?時也、もう縺れ合うのはやめよう。私の前に現れないで、静かに逝かせて......お願い」そんなことは当然許されなかった。九条時也は赤い目で彼女を睨みつけ、突然水谷苑にキスをした。
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第658話

しかし結局、九条時也はそれ以上には続けようとしなかった。彼は水谷苑の傍らに倒れ込み、彼女の痩せ細った体に寄り添いながら、卑屈交じりの嗄れた声で言った。「苑、やり直さないか?もう二度とお前から離れたりしない。他の女も作らない。お前に一途に尽くす。お前が若い頃に欲しかったもの、好きだったこと、お前が望むなら全部叶えてやる。だから俺から離れないでくれ。お願いだ」水谷苑は、少し虚ろになっていた......やり直すだなんて、笑わせる。どうやってやり直すというの?そもそも二人の間には、始まりなどなかったのだから。あったのは、嘘と欺き、そして彼女の若かれし頃の片思いだけだ。水谷苑はベッドに横たわり、服の大半がはだけ、痩せ細った体が露わになっていた。そのあまりに痩せ衰えた姿は、照明の下で、どこか儚げな美しささえ漂わせていた。彼女は服を直そうとしたが、力が入らない。無駄な努力だった。生気を失った黒い瞳で、彼女は呟いた。「春が過ぎ......夏ももうすぐ終わる。あと二年もすれば、津帆は学校へ行く歳になる。学校......学校......私も、ちゃんと学校へ行くべきだったのに。何度、夢の中で、あなたと出会ったあの朝を見たことか。だけど目が覚めると、その度痛恨の思いに苛まれた。あの日、あなたに惹かれて一目惚れしなければ......どんなに良かっただろう。きっと、まだ学校生活を過ごしていたか、卒業して好きな仕事に就いていただろうに。こんな風に、死の窮地に追い込まれて、津帆の将来を案じることもなかったのに」そういうと、彼女の目から涙がこぼれ落ちた。九条時也は彼女の肩を掴み、漆黒のひとみで彼女を見つめ、言った。「俺は、お前を死なせない!お前を死なせない......」彼は何度も繰り返したが、それが水谷苑に言っているのか、自分自身に言い聞かせているのか、分からなかった。夜は更け、静寂に包まれていた。病室の外から、太田秘書が書類を持って、ドアを開けて入ってきた。彼女はこのような状況に遭遇するとは、思ってもいなかった。水谷苑の服は剥ぎ取られ、上半身が露わになっていた。その痩せ細った姿は、見るも涙ぐましいほどだった。九条時也は彼女を抱きしめ、シャツのボタンを三つ外し、ベルトも緩めていた。目の前の光景に、太田秘書は愕然とした
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第659話

九条時也のタバコを持つ手が一瞬止まった。しばらくして、彼は乾いた声で言った。「適合しないのか!どうしてだ?彼らは腹違いの兄妹ではないのか?なぜ適合しないんだ?」太田秘書は何も答えられなかった。この世には、予期せぬ出来事が毎日起きているのだ。九条時也は黙って窓際に立ち、ゆっくりとタバコをふかし......一本吸いきると、彼は背後の太田秘書に低い声で指示した。「今すぐ、俺の適合検査の手配をしろ」太田秘書は驚いて言った。「九条社長、適合する確率は非常に低いのですが」九条時也は聞いていないかのように、ゆっくりとシャツのボタンを二つ外し、自分の胸を見つめながら呟いた。「俺は彼女と夫婦だ。この世で最も縁のある二人だ。俺の......きっと使えるはずだ」太田秘書は、彼が正気を失ってしまったと思った。「九条社長、科学を信じましょう」「だが俺は、今は運命を信じるしかない!苑には時間がない。肝臓を探す時間もないし、これ以上体力を消耗する時間もない......彼女の体は、まるで水分が抜けたように干からびている!なぜだ、なぜたった一ヶ月でこんなになってしまうんだ、なぜ......」彼は拳を壁に叩きつけた。九条時也の拳から、血が流れ出し、床のタイルに滴り落ちた。彼は目を上げ、充血した目で太田秘書を見た。「すぐに適合検査の機関を手配しろ。今夜中に結果を出せ......それと、薫には知らせるな」太田秘書は頷いた。「承知しました、九条社長」彼女はいつもながら手際が良く、一時間後には既に一ヶ所連絡をつけていた。しかし夜なので、当然誰も残業などしていなかった。その検査機関は、即座に断ってきた。「申し訳ありませんが、この時間では対応できません。それに、数時間で結果を出すなんて、どこの機関でも不可能です」太田秘書は2億円の小切手を差し出した。機関の責任者は驚き、途端に態度を変え、太田秘書を貴賓室へ案内した。太田秘書は血液サンプルを取り出し、彼の前に置いた。責任者は、慎重にそれを受け取った。2億円ももらったから責任者は自ら検査を行った。すると、二時間もしないうちに、夜明け前に太田秘書は結果を受け取ることができた。彼女は結果を見る勇気がなく、そのまま外に出て、黒いバンのドアを開けた。九条時也は後部座席に座り、長い指にタバコを挟
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第660話

しかし彼は、水谷苑に死んでほしくなかった。彼女に、自分の傍にいてほしかった。彼女はさっき、学校に行きたいと言っていた。ならば香市へ行こう。彼女が元気になったら、もう一度学校へ行かせてやろう。何を学んでもいい。彼女が幸せなら、それでいい。......九条時也が病院に戻ったのは、空が明るみ始めた頃だった。水谷苑はうとうとしていた。彼が病室のドアを開け、彼女の傍らにゆっくりと歩み寄り、腰を下ろして彼女の手を握ると――彼女はびくっとした。九条時也は彼女を安心させようと、低い声で言った。「苑、肝臓が必要なら俺の肝臓をやる。腎臓が必要なら腎臓をやる......お前が必要なら何だってやる。だから頼む、死なないでくれ。苑、覚えているか?俺を『お兄さん』と呼んでいたことを。もう一度、呼んでくれないか?」......水谷苑の手は、氷のように冷たかった。彼女は九条時也を見つめ、声にならない声で言った。「そんなの......必要ないわ」彼女は「お兄さん」と呼ぶことも拒んだ。九条時也の表情は曇り、彼は彼女の顔を優しく、愛おしそうに撫でた。「お前が死にたいと思っていることは分かっている。だが、俺は死なせない......たとえ死んだとしても、お前の望み通り俺から逃れられると思うな。お前を一人で行かはしないさ」水谷苑の目から、涙がこぼれ落ちた。彼女は彼に言いたかった。根町で、水谷苑は既に死んだのだと。その後、彼と共に過ごしたのは、ただの抜け殻、生ける屍に過ぎないのだと。しかし、彼女はそれを口にすることができなかった。もう、何も言いたくなかった。九条時也は一枚の書類を枕元に置いた。そして彼女に言った。「これは津帆の養子縁組届だ。俺たちが死んだらすぐに効力が発生するよう、もうサインはしてある。だけど津帆を養子に出しても、毎年この時期には、薫に墓参りへ連れて行かせるように頼んでおくよ......そしたら、津帆が大きくなって学校へ行き、結婚するようになったら、そのたびに俺たちにも、その喜びを分かち合えるようになるだろう!だから苑、たとえ養子に出しても、津帆はずっと俺たちの息子なんだ。それは、誰にも変えられないことだ」......九条時也は水谷苑をじっと見つめた。彼女に生きる意志を取り戻させようとして。水
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