涼は静かに寝室のドアを閉めたが、すぐにはその場を去らなかった。冷たいドアパネルに背を預け、暗闇の中で数秒間、黙って佇む。やがて、どこか苛立たしげにネクタイを緩めた。空気中には、まだ夕月の纏っていた淡い香りが残っているようだった。温かいタオルが生んだ湿った水蒸気と混じり合い、彼の鼻先を静かにくすぐる。涼はくるりと背を向けると、リビングの掃き出し窓へと歩み寄った。窓の外には、きらびやかな街の夜景が広がっている。無数の灯りはまるで散りばめられた星々のようだったが、彼の乱れた心の内を照らすには至らない。ポケットから煙草の箱を探り当て、一本を抜き出し口に咥える。だが、ライターに手をかけたところで、その動きを止めた。閉ざされた寝室のドアを振り返る。結局、火の点いていない煙草を箱に戻すと、それを無造作にローテーブルの上に放り投げた。ここに煙草の匂いを残すわけにはいかない。瑛優が嫌がるだろうし……そうなれば、夕月から嫌われてしまう。涼はキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けると、冷たいミネラルウォーターのボトルを取り出した。キャップを捻り、一気に数口、喉へと流し込む。氷のように冷たい液体が喉を滑り落ち、体内に燻る得体の知れない熱を、わずかに鎮めてくれた。流し台に寄りかかると、脳裏に先ほどの光景が勝手に再生される――無防備に彼の腕の中で丸まっていた姿、温かいタオルが頬を撫でた時の満足げな吐息、靴下を脱がせた時に現れた、あの白い足首……涼はぐっと目を閉じ、自嘲するように低く笑った。全く……自業自得だ。この俺、桐嶋涼が、いつからこんなに……臆病で、みっともない姿を晒すようになった?その場でしばらく立ち尽くした後、涼は気を取り直し、リビングに視線を走らせた。先ほどソファに無造作に置いた夕月のパソコンケースと書類を手に取り、きちんと整理し直すと、目につきやすく、それでいて邪魔にならない場所に置く。続いてバスルームへ行き、使ったタオルをきれいに洗い、水気を絞ってタオル掛けに干した。洗面台に飛び散った水滴も、丁寧に拭き取る。それらすべてを終えると、涼は改めて部屋の中を見回した。自分がここにいた痕跡が、何も残っていないことを確認する。そしてようやく、自分のスマートフォンと車のキーを手に取った。部屋を出る前、彼はもう一度、忍び足で寝室のドアに近
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