All Chapters of 優しさを君の、傍に置く: Chapter 111 - Chapter 120

151 Chapters

夜と、傷と《1》

【神崎慎】あの夜。―――……ほんと、すんません! 頭冷やして来ます!僕が思わず、変な声をあげてしまったせいで。陽介さんは、逃げ出してしまった。確かに、身体は震えていたし。だけど怖いという感情はもう、なんだか正体不明の感情になっていた。震えてるんだから、怖いんだろう。それが何に対してなのか、もう僕には判断がつかなくて。だって、陽介さんは怖くない。触れられるのもキスも嫌じゃない。なのに、判別も制御もできない恐怖感に振り回されている。ひたすら申し訳なさげに僕に謝る陽介さんを見て、悲しくて仕方がなかった。ただ、恋人同士なら普通に触れ合うことを、彼はしただけなのに。謝らせてるのは、僕なのだ。僕のせい。いつまでも、そんな風に思ってしまう自分も嫌だ。早く、早く全部、上書きしたい。だから。「その時は陽介さんも、今度は途中で逃げ出さないでくださいね」陽介さんの首筋に縋り付いて、その耳元で囁く。翔子さんに頼んで女物の服を一緒に選んでもらって、メイクもお願いして……それは披露宴のためじゃない。ちゃんと、女に戻るため。陽介さんに見てもらうためだ。どくどくどく、とどちらのものともわからない心臓の音が聞こえるばかりで、陽介さんからの返事はなく背中に手が回されることもなくて。心許ない、固まった空気を砕くように、バッグの中で振動音を鳴らす携帯に邪魔をされる。「ちょ、ちょっと待って。姉です、多分」慌てて身体を離し、気恥ずかしさを誤魔化すように背を向けて電話に出た。『遅い! もう始まってまうやんかー!』電話越しに急かされて、慌てて会場の方へと向かう。すると、こちらに向かって一生懸命手を振る姉の姿が見えた。早く早くと手招きされて、急ぎ足で近づく。といっても、慣れないパンプスでそれほど早くもないけれど。「すんません、車が混んでて中々」後ろから陽介さんがそう言い訳をしてくれた。「仕方ないけど、早う受付行って! 篤くん、さっきまでここら辺で挨拶したりしとってんけど……」「ええよ、式で顔は見れるんやし」寧ろ、直前になれば忙しいだろうと狙ってギリギリに来たんだし。早く早くと急かす姉の足元近くで、ふわふわのドレスに頭の天辺にお団子で可愛らしく纏めた佑衣が、僕を見て愕然と立ち尽くしていた。「佑衣、可愛いね。どうかした?」「……まこくんが
last updateLast Updated : 2025-08-06
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夜と、傷と《2》

結婚式なんてするもんじゃないな……というのが、披露宴に出席した結果の正直な感想だ。高砂席などと一段高いところに座らされての、完全な見世物状態。しかも新郎新婦は何かといえば着替えに一々席を立たねばならず、なんであんなに何度も着替えるんだ。衣装を一つに決められなかったのか。せめて洋装和装一つずつで十分じゃないのか。ましてや新婦は身重のはず、あれでは体の負担にしかならないと思うのだが……それでも嬉しいものなんだろうか?彼女は始終、幸せそうに笑っていた。「あーっ、ええなあ! 私も式したかったなー」と、姉が心底うらやましそうにため息をつく。披露宴がお開きとなり、周囲が帰り支度にざわめき始めたところだった。「わかった。次はちゃんと式がしたいって言ってた、って佑さんに伝えとく」そう言って頷くと、姉が「えっ」と狼狽えながら、顔を真っ赤に染めた。やっぱり、復縁は近そうだ。退場で並んでいると、出たところで新郎新婦がゲストに一人ひとり挨拶しているのが見えた。「姉さん、お手洗い行ってくるから」「えっ? ちょっ、いいの?」「また改めておめでとうって言うよ」篤の顔がはっきりと見えるくらいに近づいた時、姉に適当なことを言って列の横をすり抜ける。視界の端に篤の顔が見えたけど、彼が気付いたかどうかはわからない。意外に穏やかに乗り切ることができたけれど、流石に間近で目を合わせて、言葉を交わすことはしたくなかった。ロビーを陽介さんの姿を探しながら通り抜け、人が多くて見当たらなくてとりあえず一度トイレに向かう。パウダールームは隣と仕切りがしてあって、少しだけ気が抜け、途端に身体が重く感じた。女の格好って、疲れる。肩とか、なんか窮屈だし、殆ど歩いてないはずなのに、ヒールの踵とか足の裏が痛い。ずっとパウダールームに隠れているわけにもいかないし、出て行きたいのだが……陽介さんはどこだろう。さっきロビーで見つけられなかったけれど、頭二つデカいあの人が見つからないというのはあの場にいなかったのだろうか。クラッチバッグを開けて携帯を取り出すと、マナーモードになっていて気付かなかったが陽介さんから着信が入っていた。そして手に取ったと同時に、メッセージも受信する。どうやら、向こうも僕を探しているらしい。『どこにいますか?』『化粧室です。今出ます』返信をしてか
last updateLast Updated : 2025-08-07
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夜と、傷と《3》

「……あの、さ」抑々、何のために追って来たんだ。篤だって、今更気まずい僕を招待なんかしたくなかっただろうに、両親同士の付き合いでそうなっただけだろう。だったら当たり障りなく、このまま僕が帰ってやり過ごせればよかったはずだ。「ずっと、避けられてんのはわかってんだけど、一回ちゃんと話したくて……正月にも行ったんだけど」「……え」初めて顔を上げた。漸く動いた足が後ろに一歩ずり下がる。正月に来た、とは、僕が実家に帰省した日のことだろうか?いや今は、それよりも……一体今更、何の話をしたいというんだ。もう関わりなんか持ちたくないだろう、お互いに。そう思っていたのに、篤はどうやらそうではなかったらしいということに、驚いた。目が合ってなぜかわからないが篤が安心したような顔をして、僕は反対に眉を顰める。「……女の格好しとって、安心した」『お前が、女みたいな顔をするから!』そう言って僕を罵ったくせに、同じ声と顔で正反対のことを言う。「俺、お前に謝りたくて」謝る。今更?月日が過ぎたから、今なら謝れる?僕が女の格好で現れて、もう昔なんて引きずってないと安心したから?自分は全部忘れて普通に恋愛をして子供作って、幸せな結婚をするから?だから今更、都合よく謝りたいのか。今なら謝れそうな、雰囲気だから。「…………別に、今更」恐いと感じる場所とは別のところで、怒りの感情が湧き出てくるのがわかる。ようやく絞り出した声は、擦れて震えていた。なのに篤は、僕が使った『今更』という言葉をいいように解釈したらしい。「だよなあ、もう六年も経つし。でも俺としては、ずっと引っかかってて」ほっとしたような表情を浮かべる、その軽々しい口調にかあっと頭に血が上った。「その割に……デキ婚って聞いたけど」「あ、いや。まあ、それはそれで。気になってたのはホントだって」伝わらない。結局、こいつにとっては「気になってた」程度のことで、僕がどれだけ引きずったかなんて全く理解してない。多分、言葉で言っても本当には理解しない。未だに僕は『普通』のことすらできないことを、知ったところできっと彼は理解しない。悔しくて目頭が熱くなるのを、こんな奴の前で泣いたりするもんかと、強く唇を噛んだ。篤は、そんな僕には全く気が付かないらしい。気恥ずかしそうに何かを言いかけたけれど
last updateLast Updated : 2025-08-09
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夜と、傷と《4》

あまりに近い距離で僕が見つめているから、陽介さんの瞳が動揺して忙しなく揺れる。僕だって、周囲が見えていればきっと恥ずかしくてこんなことできない。だけど篤に話ながら、陽介さんしか僕の目には映っていなかった。「だけど少しでも悪いと思ってたんなら、もう二度と僕があなたに関わらずにすむよう配慮して欲しい。……間違っても、子供が生まれたからって僕にも家族にも連絡しないで」貴方がいてくれて、本当に良かった。陽介さんがいなかったらきっと僕はまた、何も言えずに涙を飲んだ。六年前と同じように。「結婚おめでとう。言い争ってたなんて騒ぎになる前に、早く戻ってくれないかな。この人を悪者にしたくないから」「真琴……」「そんなことになったら、今度こそ僕は言う。あの夜のことを、その場で全部。それが嫌ならこのまま消えて」後ろにいる篤を、ただの一度も振り返らなかった。数秒ほどの時間が過ぎて、背中で去っていく靴音だけを聞く。「あ、あの……。慎さん?」「……聞きたいことは、幾つかありますが」「はいっ、なんでも答えますんで、まず離れて……」「いつの間に、篤と話したんですか」「あ……えーと……」「お正月。帰り際?」鼻が触れ合うくらいの間近で、そう尋ねると。彼は、眉尻を下げた少し情けない目で僕の目を見た後、観念したみたいに肩を落として頷いた。「やっぱり。じゃあ、佑さんももう知ってるんですね」「煙草買いに出てた佑さんが、外で会ったって言って連れて帰って来て……慎さんに会いたいって言うから、俺、頭に来て」「頭に来て?」「…………口汚く、追い返してしまいました」「口汚くって、さっきみたいな?」「え? あれ、ソフトにしたつもりなんすけど……あんまり汚い言葉、慎さんに聞かせるわけにいかないし」汚かったですか、すみません。と、しょんぼりと眉尻を下げる。……そうか。あれは、ソフトなのか。陽介さんがそこまで人を罵るところってあんまり想像がつかないが。「なんで僕に言わないんです」「あの日慎さんかなり動揺してたし、俺もめちゃくちゃ頭に来てたとこだったから……謝罪なんて聞くか、二度と慎さんの視界に入るなお前も入れるなって勝手に言っちゃって」「また、無茶苦茶なことを……披露宴があるのに」「わかってましたけど、どうしても慎さんの視界の中にアレが侵入するのが嫌だったん
last updateLast Updated : 2025-08-12
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夜と、傷と《5》

「えっ……ちょっ?!」ちょうど、赤信号で止まったところだった。シートベルトを外して、ドアを開けると直ぐ様外に飛び出そうとして、ぐんっと右腕を強く引っ張られた。「ちょっ、慎さん、待って!」「嫌だ離せ!」慌てて僕を引き留める彼の手を、全力で振り払おうとするが、ほどけない。強く捕んでくる指を一本一本引き剥がそうとするけど、それでも離れてくれない。「こっの、馬鹿力! 早く離せ!」「危ない! 危ないからドア閉めて!」パパッ、と後ろから急かすようにクラクションが鳴らされる。信号が青に変わったらしい。シートベルトを外した陽介さんが、運転席から僕の方へ体を乗り出すと僕が開け放ったドアを閉めた。「危ないじゃないすか!」「ちゃんと後ろは見て降りようとした! 貴方が引き留めるからです!」もう嫌だ。どんだけ、恥ずかしい気持ちを抑えて、勇気を出して言ったと思ってるんだ。車が発進してもまだ腕を振り払おうと暴れていると、腕を掴む陽介さんの手がぎゅっと痛いくらいに食い込んでくる。痛みに少し眉を顰めて陽介さんの横顔を見ると、少し怖い顔をして運転を続けていた。怒らせた?でも、僕も怒ってる。だから降ろしてくれたらいいのに。少し進んだ、人通りも車通りも少なそうなところで、車が路肩に寄って停車する。降ろしてくれるのか、と思ったけれど、腕を掴む手は緩まなかった。「慎さんが、言いたいことはわかります」「もういい。喋りたくない、帰る」言いたいことが伝わった上での、その反応だから怒ってるんだろう。だからもういいというのに、両肩をがっしり掴まれて逃げるどころか、上半身を陽介さんと向き合うように姿勢を変えさせられた。その腕をどんだけ引きはがそうとしても拳で殴っても、びくともしない。とても真正面から顔を見られなくて、俯いて背けた。情けないし恥ずかしいし、惨めだ。「そんな、焦ることじゃないんです。こないだだって震えてたじゃないすか、無理して頑張って進めることじゃ」「じゃあ、いつになったら震えなくなるのか教えてくれ」離れてくれないから、逆にネクタイを掴んで引き寄せた。僕のトラウマが消えるのは、いつだ?そんな、先の見えないうんちくはいらない。「それとも、こんな僕では、押し倒す気にもならないですか」「そんなわけ」「やっぱりだめ? 男っぽい? 背が高すぎる
last updateLast Updated : 2025-08-13
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夜と、傷と《6》

ベッドのサイドテーブル近くで陽介さんがリモコンを操作すると、ぱっと急に飛び込んだ光に目が眩む。まだよく見えないうちに、バサッと上着を脱ぎ捨てた音がした。片手でネクタイを緩めながら、真正面から彼が近付き膝でベッドに上がる。見上げた表情は欲に支配されていて、僕を見下ろす目は熱くて虚ろだった。未知の事柄か、陽介さんの知らない一面か、どちらにかわからない。畏怖を抱いて、身体が無意識に後退りをするけれど、すぐに腕を取られて抱き寄せられた。指が背中のファスナーを辿り、一息に下ろされる。ふっと息が軽くなったような感覚に目を瞬く。気付くと背中の素肌に彼の手が触れていた。「あっ」 両手で素肌に触れながら、布地を剥がすように肩まで撫でる。ぞわ、と腰がざわめいた。肩が露わにされ、もはや腕だけで引っかかっているワンピースが全部落ちてしまいそうで、咄嗟に胸元を押さえてしまう。そこから、なぜか彼の反応が無くなってそろそろと目線を上げた。 「……陽介さん?」 飢えた獣みたいな、熱を孕んだ目で短く息を繰り返す。彼は僕の手を、じっと見つめていた。 「くそ、なんで」 ぐしゃぐしゃと、片手で髪をかきむしりながら、ぎゅっと目を瞑り苦しげな声を吐き出す。 「怖くて仕方ないくせに、あんな挑発すんなよ!」俯くと、胸元を押さえる手が震えてた。手だけじゃない、がちがちに身体は固まって思うように動かない。 「あっ……」 手の感覚を確かめようとしたら、ワンピースの布を取り落として腰まで落ちてしまい慌てて腕だけで胸を隠した。
last updateLast Updated : 2025-08-14
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夜と、傷と《7》

「真琴さん」 その度、彼が僕の名前を呼び返す。 響きは同じなのに、女の僕を呼ばれているような気がして、お腹の奥がきゅうっと切なく鳴いた。 この感覚の正体が、よくわからない。 でも余計に涙が出て、せつなくて苦しい。 陽介さんが、胸元に顔を埋めた。 胸にぬるりと舌の感触が触れた時、僕の手は咄嗟に抵抗するように、彼の頬を引っ掻いた。 「ごめ……っ」 陽介さんの頬に一筋、赤いひっかき傷が走っていた。 無意識の、反射的な行動に自分でもショックで、またボロボロと涙が零れる。 だけど陽介さんはまったく動じることなく、僕の手を捕まえて宥めるように指先を舐めた。 「陽介さ……」 何度も舐めて、慰めて、そしてまた、胸を舐めては肌を吸い快感を誘う。 丁寧に何度も何度も、舌が、唇が同じ場所を刺激する。 じわ、と下腹部が熱くなり、怖いくらいだったはずの愛撫がいつしかもどかしく、気付くと膝をすり合わせていた。身体の奥に燈った熱が、じわ、じわ、と寄せては引く波のように そうして少しずつ、広がっていく。 僕が何度、叩いても引っ掻いても、陽介さんは力づくで抑えるようなことはしなくて、だけど絶対離したり手を止めたりもしなかった。 ひ、ひ、と小さく漏れる悲鳴が、自分でもわかるくらいに甘さを含んでいて恥ずかしい。 胸を吸い、甘噛みしていた唇が鎖骨から首筋を辿り、腰を撫でていた手が太ももを撫で膝を割る。 濡れていると、自分でもわかる敏感なその場所に指先が触れた途端だった。 「いやっ!」 ばちばちっ、と目の前で火花が散った。 ただの残像だったはずの記憶が、乱暴に指でかき回された記憶が肌に蘇る。&n
last updateLast Updated : 2025-08-15
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夜と、傷と《8》

とろん、と蜜みたいに蕩けた意識で甘い言葉を聞く。膝裏を持ち上げられあられもない格好をさせられたのに戸惑ったけど、そのままぴったりと肌を重ねられ、その体温の心地よさに浸る。 「好きです」「ん……」 僕も、と応えたかったのに、彼の口の中に消えた。彼の両腕に頭を囲われ、優しく髪を撫でられながらキスを受け止める。その空間は、今まで知らなかった幸せな空気に満ちていた。熱く疼き続けるその場所に、それ以上の熱が宛がわれた時、すぐにその意味を悟り身体がおびえたのは一瞬で。目の前にいるのが陽介さんだと、目が勝手に確認して安心する。陽介さんが僕に教えてくれた。何度も何度も、僕が怯えるたびに、怖がる度に彼が、声で、キスで、僕を呼んで、自分の姿を確認させたから。「好きです、真琴さん」「ん……」「も……苦しい、欲しい」 その声がまるでうわ言のようで、改めて陽介さんの表情を見上げて驚いた。ずっと、自分のことに精一杯でまるで気付いていなかった。短く熱い息を吐きながら額にじっとりと汗を滲ませ、苦しげに眉を寄せ。 「……欲しい。真琴さ……」 虚ろな目で、今すぐ繋がりたい衝動を抑えながら、僕の赦しを待っている。ずっとその衝動に抗いながら僕の身体を愛撫して、僕の準備が出来るのを待っていたんだ。そう気付いた時にまた、正体不明の疼きに襲われる。今までよりも一層強く、まるで彼の声に応えるように、下腹部が鳴いた。「……いいよ」「真琴さん……」
last updateLast Updated : 2025-08-16
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優しさを君の、傍に置く《1》

【高見陽介】 大事に大事に、したかった。恋は盲目、っていう言葉は本当だったんだろうなと、今更ながら納得する。俺が思うのと実際の意味とは、ちょっと違うかもしれないが。 絶対俺が守るんだと、心に決めてた。もう何の不安もないように、大事に大事にして、寂しい思いをさせないように。俺の世界はすっかり真琴さんを中心に回っていて、それを苦しいとも面倒とも思ったことはなかったし、傍にいられればそれでよかった。真琴さんの『初めて』だって、絶対俺がもらうと決めてたよ、当然。だけどそれは、もっとずっと、先の話で良かったんだ。だって、トラウマなんてそんな簡単なものじゃないだろう?真琴さんは言葉少なだけど、ちゃんと俺のこと好きだと思ってくれてることは知ってるよ。だからって、好きな男に抱かれて治るとか、そんなもんじゃないだろう。無理して頑張って、受け入れて、余計に怖くなったらどうしよう?不快感しか残らなかったら?痛みしか残らなかったら?そんな簡単に、踏み出せることじゃないだろう。もっとゆっくり、時間をかけて不安が消えて、怖いこともゆっくり忘れて俺の心配なんてしなくていいからその時が来たら、ちょっと二人で贅沢なデートしてベタでいいから、普通に女の子が喜びそうなシチュエーションを用意して真琴さんがそんな俺にいつも通りの呆れた顔をして、それでもちょっと嬉しそうに照れ笑いでも見せてくれたら俺も嬉しい。幸せだと思える夜を、ちゃんと、俺が。 「じゃあ、いつになったら震えなくなるのか教えてくれ」 泣かせたくない、苦しませたくない。そう思って来た彼女が、苦しそうにそう
last updateLast Updated : 2025-08-17
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優しさを君の、傍に置く《2》

―――――――――――――――――――――――――――――いつもと違う朝だった。このところになく、妙に頭も身体もすっきりしていて、それでいて疲労感は残ってるしまだ眠い。なんだろう、と思うけどまだ寝てたいし目を開けずにいたら、なんか薬品の匂いもしてきた。腕にひりひりするような痛みも感じて、眉を顰めた時。ぐすぐすと、鼻をすするような声が聞こえ、何事かと目を開けて驚いた。目の前で、真琴さんが半泣きの顔で俺の腕に絆創膏を貼ろうと悪戦苦闘しているところだった。「真琴さん?」「あ……」絆創膏を手に、真琴さんが顔を上げる。目が合ったのはちょっとだけで、すぐにばつが悪そうに目を逸らしてしまったが、その拍子にぽろっと涙が一粒落ちた。「な、なに泣いてんすかっ」「別に、泣いてな……ちょっ! 起きるな! バカ!」慌てて起き上がったら素っ裸を晒してしまい、彼女が真っ赤な顔でぎゅっと目をつぶる。「布団! 布団被って!」「あ、すんませっ!」あたふたと布団の中に逆戻りしたけど。よく見れば、真琴さんもまだ毛布一枚に包まったままだった。「……あの、真琴さん?」「腕、出して」布団に収まったのを確認したからか、顔の赤味は収まってきたけれど、今度は拗ねたような凹んでいるようなそんな顔だ。言われるままに、腕を差し出したが。「別に、たいして痛くもないっすよ」「そんなわけない。消毒もせずに寝たでしょう、化膿したらどうするんですか」どうやら、薬品の匂いは傷口を消毒してくれたらしい。普段救急箱なんか開けることないから、消毒液なんてものが入っていたことも覚えてなかった。真琴さんは相変わらず、絆創膏を貼ろうと色々向きや大きさを考えているみたいだが、どう貼っても傷が粘着テープのところに当たる。唇を噛みながら、ああでもないこうでもないとしている姿は可愛いけれど、さっきの涙が気になって。「貼らない方が、渇いてすぐ治りますって」「でも」「それよりもうちょっと、だらだら寝ませんか」手を取って、ベッドの中に誘った。「え……や、あの」「もうちょっと、うつらうつらするだけ」また、みるみるうちに赤くなる。真琴さんはこういう時、言葉より表情とか顔色のがすごく正直だ。毛布に包まったままおずおずとにじり寄ってくる。ころん、と転がったところを掛布団の中に引っ張り込んだ。
last updateLast Updated : 2025-08-18
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