All Chapters of クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚!: Chapter 1081 - Chapter 1090

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第1081話

美月の言葉に、紗雪は少しも驚かなかった。これらの資料はすべて自分で作ったものだ。どれほどの出来かは、自分が一番よく分かっている。母の基準を通るのは、難しいことではない。「それでは西山は私にお任せください」紗雪は淡く笑み、加津也に対する対応を全面的に引き受けるつもりでいた。相手が情を残さなかったのだから、自分も遠慮する必要はない。美月は軽く頷いた。「紗雪の判断なら信じているわ。いちいち相談しなくていいのよ」だが紗雪は譲らない。「いえ、これはご報告すべきことです。こういう大事は、ちゃんと伺わないと」美月はその真剣な表情を見つめ、ふと胸の奥に感慨が湧く。こんな娘を産んだ自分は、やはり幸せなのではないか。娘は有能で、美しく、礼節をわきまえ、年長者を敬う。連れて歩けば、誰の前に出しても恥ずかしくない。大人の世界は、遠回しなやり取りを必要としない。紗雪はちゃんとそれを理解している。彼女はさらに、この関係を利用し、二川で確かな地位をつかもうとしている。――それは今までのことから学んできたものだ。だが資料を眺めながら、美月はふっと笑った。「紗雪、確かこの加津也って......あなたの元カレだったよね?こんな風に攻めるなんて、心は痛まないの?」「どうして痛む必要があるんですか?」紗雪は即座に返した。「もう過去の人ですよ。誰だって目が曇る時くらいあります。それに今の私は、夫と幸せに暮らしてます。昔の男の話なんて必要ありません」美月はその瞳の輝きを見て、確信する。この娘は本当に幸せなのだと。ならば、それ以上望むことはない。「いいでしょう。母さんの願いはただ一つ。あなたが幸せに暮らすことよ」目の前の娘は、若い頃の自分にそっくりだ。その姿を見ていると、不意に時間の早さに胸が締めつけられる。かつて小さな影が、母の周りを駆け回っていた。それが今、堂々と一人で戦える存在になった。そう思うと、胸にひとつ温かな誇りが灯る。紗雪は改めて言う。「西山家の件は、すべて私にお任せください」「ええ、紗雪になら安心できるわ」美月の声には一片の迷いもない。彼女は手を軽く振り、「退室していい」という合図を送った。
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第1082話

この件について、美月はすべて紗雪に任せるつもりだ。だからもう口出ししない。本当に子どもを鍛える方法というのは、親が「良い」と思うものを全部子どもに渡すことだ。余計なことは聞かない。それこそが一番の鍛錬になる。美月は週末のパーティーの準備を再開しようとしていた。けれど紗雪はすぐに立ち去らず、じっとその場で、忙しく動く美月の様子を見ていた。最初、美月は特に気に留めなかったが、だんだんと違和感を覚える。顔を上げると、そこには紗雪の視線。思わず眉を寄せた。「......まだいたの?自分の仕事があるでしょう?」紗雪はまじめな顔でうなずいた。「もちろん自分の仕事はあります。でも、会長が何をしてるのかなって。別に深い意味はなくて、ただ気になっただけです」子どもみたいな雰囲気の紗雪に、美月の心も少し柔らぐ。「別にたいしたことはしてないわ。今週末のパーティーのことを考えてて、招待リストをまとめてるところ。先に人数を決めておけば、招待するときに間違えないから」それを聞いた紗雪は小さくうなずいた。「さっき会長室の前で、山口さんがすごく急いで出ていくのを見ました。あれもこの件ですか?」その瞬間、美月の表情が変わった。さっきまで柔らかく笑っていたのに、その笑みが跡形もなく消える。紗雪はすぐに察した。――秘書が動いているのはこの件じゃない。そうでなければ、美月はこんな顔をしない。母がどういう人か、紗雪は分かっている。少なくとも、こんなふうに苛立ちを見せるタイプじゃない。会社ではいつも感情の起伏を見せず、読み取らせない人だ。だからこそ他人に心を読まれない。「余計な詮索はしないことよ。自分の仕事をきちんとしなさい」美月は冷たい声で言った。「それに、勝手に変な推測をしないこと。彼がやっていることと、私が頼んだことは別よ」紗雪は気まずそうに黙り、二歩ほど下がった。「分かりました。では、私は仕事に戻ります」美月は「ええ」とだけ返し、それ以上何も言わなかった。しかし胸の奥では動揺していた。――もし紗雪が知ってしまったら、どう思うだろう?結局、自分の手で辰琉を逃がしたのだから。それを紗雪が知ったら、きっと心にしこりが生まれる。大げさにはならなくても、確実に距離ができ
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第1083話

そうじゃなければ、後々あんな事も起きなかっただろう。だが、あの時期はもう過ぎた。だから美月は、これ以上その話題を口にしたくなかった。ただ二人の娘が一生を笑って過ごしてくれればそれでいい。それが叶えば、自分の人生の役目は終わったようなものだ。その他のことは、その時に考えればいい。今の彼女には、もうそこまで気を回す余裕はない。人間はやっぱり、一度に一つのことをする方がいい。あれもこれも抱えれば、必ず手が回らなくなる。紗雪は、そんな母の姿を見つめながら、疑念を抱きつつも、今は証拠がない。だから後々、じっくり確かめるしかないと思っていた。美月の性格も分かっている。ここで追及すれば、お互いに引っ込みがつかなくなる。そして美月は、人前の体面を何より大事にする人間だ。だからこれ以上追い詰めるべきではない。紗雪は部屋を出ると、そっとドアを閉めた。扉が完全に閉まったのを確認してから、美月はようやく長く息を吐き、身体の力を抜いた。――よかった......もう紗雪と向き合わなくていい。さっきまで、どう答えればいいのか本当に分からなかった。もしさっきの段階で山口の動きを紗雪に見破られていたら、説明の余地などなかっただろうし、娘は自分で勝手に調べ始めていた。あの母娘が普通に会話している光景もなかったはずだ。美月はすぐに山口に電話をかけた。先ほどの件が何だったのか確かめなければ、後のことが進まない。今、紗雪が二川のために尽力しているのは、まだ母親である自分を認めているからだ。――もしその信頼すら失われたら?母親としての存在を無視されるようになったら?そんな状況で会社を支える理由なんてなくなる。そう、絶対に。紗雪の気質をよく知っているからこそ、美月は今回の事の重大さを理解していた。絶対に気づかれてはならない。さもなければ、母も会社も終わる。その頃、山口は外で仕事をしていた。美月からの電話を見た瞬間、全身がビクリと震えた。なぜこのタイミングで会長から?外回り中に電話なんて、一度もなかったのに。不安と恐怖を抱えつつも、彼は電話に出た。上司の電話を無視できるわけがない。通話が繋がると同時に、美月の刺すような声が飛んだ。「山口、さっき出ていく時、紗雪に何
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第1084話

山口の声を聞きながら、美月はようやく表情を和らげた。やはり、少し威圧しないと正直に話さないと思っていた。「それで、その後は何を答えたの?」美月は一切の細部も逃さないつもりだった。さっきの紗雪の様子は、しっかり目に入っている。山口が何か余計なことを言わなければ、彼女が疑念を抱くはずがない。そうでなければ、全く筋が通らない話だ。山口は質問され、頭が真っ白になった。何を話したか思い出せない。ただ一つ確信しているのは、余計なことは言っていないということ。だからこそ、彼は胸を張って答えた。「誰に何を言ったか知りませんが、本当に、余計なことは一言も言ってません。そこは保証できます」美月は眉を上げた。電話越しでも、彼の決意がはっきり伝わってくる。――どうやら、本当に関係ないらしい。「分かった。それならもういいわ」美月は少し甘い言葉も添える。「さっき言ったことをきちんとやりなさい。報酬もちゃんとあるから」山口の顔に笑みが戻った。「もちろんです。私が引き受けたからには安心してください!」彼の能力も品性も、美月は認めている。長年そばに置いているのだから、信用がなければ続いていない。「ありがとう。きちんと片付けて。もう切るわね」電話が切れると、山口は大きく息を吐いた。本当に、母娘そろって扱いが大変だ。さっきは紗雪、今度は美月。どちらも一筋縄ではいかない。頭が痛くなる。だが高いリスクには高いリターンがある。二川にいる間、給料は他よりずっといい。苦労と見返りは比例するものだ。そう思うと、また前向きになれた。要は目の前の仕事をきっちりこなせばいい。美月の頼みも、今のところ問題なく対処できる。何より、美月は倫理観がしっかりしている。犯罪に手を染めるようなタイプではない。だから自分が手伝っても、良心は痛まない。もうしばらくは、彼女に付き従うつもりだ。一方その頃、美月は電話を切ると、紗雪が持ってきた資料を真剣に見直していた。――彼女には、本当に商才がある。
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第1085話

彼女が考えもしなかったところまで、紗雪はしっかりと読み込んでいる。年齢もまだ若いのに、将来は計り知れない。資料を眺めながら、美月の口元に久しぶりの笑みが浮かぶ。「さすが私の娘。まさに後継者って感じね」紗雪の成長は、彼女にとって何より嬉しい。娘が優秀であれば、二川グループの鳴り城での地位は揺るがない。自分が死んだとしても、娘が守り続ければ、功績は永く残る。商人にとって、それほど誇らしいことはない。最も恐れるのは、死後に財産が無駄になることだ。紗雪が渡した書類を、美月は優しい目で見つめ、満足げに笑った。「紗雪、私を失望させないで。もっと成長して、この会社をあなたの手で輝かせて」美月は紗雪を高く評価している。一方で、緒莉に与えられるのは、あの持ち株だけだ。体が弱いのもあるし、能力も全体的に紗雪に及ばない。ただ、そんなことははっきり言えない。大人同士、言葉にせずに察するべきことも多い。特に緒莉の性格は熟知している。プライドを傷つけるわけにはいかない。だからこそ、美月は緒莉の気持ちをなるべく尊重している。もうすぐパーティー。緒莉も参加する。ならば余計に、彼女の立場を考えなければ。紗雪には十分すぎるほど与えた。緒莉には株だけで、努力する場すら与えていないのだから。だから美月は決めた。――パーティーで緒莉を決して軽んじない。......同じ頃、紗雪はオフィスへ戻った。視線の先には、南の土地。病床で一ヶ月も動けず、話を止めてしまったせいで、隙を突かれて加津也に出し抜かれた。だが、もう違う。目を覚ました以上、二川のものは全て取り戻す。土地であれ、契約であれ、加津也に渡すつもりはない。弱みに付け込むようなことをして、あまりにも品がない。しかも、最初はちゃんと交渉するつもりだったのに、あの態度を見て、時間の無駄だと悟った。あんな人間と、話し合いで良い結果など望めない。ならば、有意義なことに時間を使うべきだ。そう決めて、紗雪はすぐにプロジェクトの担当者へ連絡を取るつもりでいた。まだ契約が結ばれたわけではない。つまり、チャンスは残っている。加津也がやったのは、ただ会って飯を食べ、距離を縮めただけ。
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第1086話

残りのことはすべて、その担当者の決断次第だ。紗雪は拳をぎゅっと握りしめる。「加津也、私の根を引き抜こうって言うなら......あんたにその力があるかどうか、見せてもらうわ」自分が寝たままで、一生目を覚まさないとでも思っていた?そう思うなら、加津也は彼女を泥の中に埋めておくべきだった。二度と立ち上がれないように。そうしなかった以上――彼女は必ず後悔させる。そう心に決め、紗雪は迷いなく内線を押し、吉岡を呼んだ。久しぶりに鳴るそのベルを聞いて、吉岡の胸は熱くなる。前は少し煩いと思っていた音なのに、今では懐かしくて仕方がない。あの一ヶ月、この音がどれだけ恋しかったか。素早く受話器を取ると、吉岡の声は思わず弾んだ。「紗雪様!」「私のオフィスに来て」言い終えると、紗雪はさっと電話を切る。吉岡は驚かない。紗雪はいつも用件だけを簡潔に伝える。皆の時間は貴重だ。余計なやり取りで浪費する必要はない。すぐに席を立ち、紗雪のオフィスへ向かう。扉の前でノックしようとした時、中から声が聞こえた。「入って」吉岡は遠慮せず扉を開け、中へと進む。紗雪が手招きするので、机の前まで行く。彼女は一束の資料を差し出し、淡々と言う。「これ、南の土地に関する資料。ここ最近ずっと調べてたものよ。担当の人間、かなり厄介みたいね。特殊な嗜好があるって話だけど?」吉岡は頷く。「はい。あの加津也が取り入れられたのも、相手のその嗜好に合わせて動いたからです。でも、うちにはできません。紗雪様がいつも言ってるでしょう。『協力するなら、堂々と、正々堂々と』って」紗雪は吉岡を見つめ、満足げに微笑む。「よく覚えてたわね。そういう筋を通せる人、うちには必要よ」吉岡は照れくさそうに頭を掻く。年齢では紗雪より上なのに、彼女の前では全然落ち着かない。彼女の方がずっと大人で、仕事も処世も段違いに上手い。だからこそ、この人についていきたいと思うのだ。紗雪は満足げに頷いた。教えたことが無駄じゃなかったと分かって嬉しい。「さて、相手の嗜好は置いておくとして......まずは担当者の連絡先、私のメールに送って」
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第1087話

吉岡は不安げに眉を寄せた。「紗雪様、あの人、本当にやり口が相当エグいんです。だからあまり関わらない方がいいと思います。南の土地は......なくなっても仕方ないかと。会長だって理解してくれるはず」彼は紗雪の身を案じていた。どれだけ有能でも、相手は女の身。悪質な相手に対し、どうしようもない場面もある。その人物の噂は業界中に広まっていて、評判も最悪だ。「だめよ。加津也が接触できる相手なら、うちだって放り出すわけにいかない」紗雪はそう言い、吉岡に電話をかけるよう促す。その決意の強さに、吉岡の心臓が急に早鐘を打ち始めた。指が止まる。迷いが出る。だが紗雪は不機嫌そうに眉を動かす。「吉岡さん、何を迷ってるの?命令に従いなさい。電話一本でこんなに躊躇うなら、このプロジェクトは最初から取る資格がないわ」その言葉に、吉岡はハッとした。確かに彼女の言うとおりだ。始まったばかりなのに、相手の「癖」だけで尻込みしてどうする。彼の視線が固まる。「......分かりました。おっしゃる通りです。まだ始まったばかりなのに、退く理由なんてないですね」紗雪は満足そうにひとつ頷く。「そうよ。まずは相手の連絡先を調べて。連絡が取れたら、会食の約束をして」「任せてください。お店もきちんと手配します」「任せた。吉岡なら安心できるわ」さらに彼女は釘を刺す。「相手がどんな癖を持ってても、それはあくまで『相手の問題』。私たちは自分の仕事を正しくこなせばいい。明日はあなたも同行して。何も喋らず、時々お酒を受けてくれればいいから」「了解です。ちゃんと整えておきます」彼が出ていき、ドアが閉まる。指示はすべて終えた。残るのは――加津也への「取り返し」だ。南の土地はただの始まり。紗雪は契約書の上、加津也の名前を指先で軽く叩いた。その唇に、艶やかな笑みが浮かぶ。「覚悟しておきなさい。復讐されるのは、あんたの方よ」その目は鋭く、それでいて愉しげだった。三年前、あの「お兄さん」の件で自分が勘違いしたことを思い出し、胸の奥がむず痒くなる。しかもあの男、最初否定さえせず、しれっと自分の好意を受け取っていた――三年間も。考えれば考えるほど、悔しさと引っかかりが込み上げる。
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第1088話

あのクズに三年も無駄にした。そのうえ今になって、自分の仕事にまで影響を与えるなんて。――やっぱり加津也は鳴り城に置いておけない。ここにいる限り、厄介事を次々と起こすに決まってる。その事を思うだけで、紗雪は頭が痛くなった。こんなことに気力を使うくらいなら、何件プロジェクトを取れていたか。時間を使うなら、正しい場所に使うべきだ。加津也を許さない――彼女は心の中で固く決めた。理由が何だろうと、この男を鳴り城に居座らせるつもりはない。三年分の決着、簡単に水に流す気なんてない。――吉岡は部屋を出てすぐ、南の土地の担当者に連絡を取る手配を始めた。相手に悪趣味があるにせよ、紗雪の言葉は正しい。自分たちは仕事を取ることだけ考えればいい。それ以外は相手の私生活であって、干渉する領域じゃない。そう割り切ると、緊張も少しほぐれた。彼はすぐ電話をかけたが、最初は通話中で、次は話し中、最後には切られてしまった。「......え?」吉岡は画面を見つめて首を傾げた。おかしい。どうして出ない?まさか、仕事時間外?だがすぐに自分で否定した。あれほどの者なら、連絡手段は常に手元に置いているはず。緊急の連絡が来る可能性もあるのだから。それなのに何度かけても繋がらず、ついには電源が切れた。まさか、わざと?もう一回電話をかけると、向こうから着信拒否された。胸の奥に苛立ちがこみ上げ、顔色も曇る。堂々たる二川グループの人間なのに、ここまで無視されるなんて。そこまでしてこちらが下手に出る必要があるのか?文句を言いながら紗雪のところへ行こうとした――が、ふと足が止まる。さっきあれだけ紗雪の言葉に奮い立ったばかりなのに、この程度で弱音を吐くのか?吉岡は深呼吸し、席に戻ると、今度はネットでその担当者の秘書の連絡先を探した。直接ダメなら、正式ルートで。記録が残れば、後々問われても正当な説明ができる。電話が繋がると、秘書は少し驚いた様子で応じた。「はい、どういったご用件でしょうか?」吉岡は即座に本題に入る。「二川グループの者です。上司の方がご都合の良い時に、当方へ折り返しをいただけるようお伝え願えますか」「分かりました。戻り次第お伝えいたします」秘書の声を聞
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第1089話

吉岡はようやく胸を撫で下ろした。これで、紗雪の期待に応えられたはずだ。それにしても、どうしてあの人はこんなにアポイントが取りづらいのか。しかも、あれだけスキャンダルが出たのに、今もこの業界で平然と仕事をしている。つまり、その背後には必ず別の勢力がいるということだ。吉岡の背中に、ぞわりと寒気が走る。この業界で生き残っている連中は、多少なりとも普通じゃない。腕をさすりながら、彼は自分の身の丈をわきまえた。自分は自分の立場で、堅実に動けばいい。何かあっても、紗雪が後ろにいてくれる──そう思えば、足元も揺らがない。紗雪の性格については、吉岡もよく理解している。誠実に働けば、決して見捨てない人だ。それを、彼はよくわかっていた。――一方その頃。秘書は電話を切ると、二川グループからの連絡内容をメモした。しかし、彼女は首をかしげる。上司の番号なんて公開されているのに、あの規模の企業がわざわざ自分に電話してくるなんて。普通なら、直接上司にかければ予約できるはずだ。なのに、なぜ彼女に?首を傾げつつ、秘書はすぐに上司へ電話をかけた。今回はすぐにつながる。「柿本社長、いつお戻りになりますか〜?」柿本敦(かきもと あつし)は何かに夢中らしく、息の上がった声で応えた。「なんだ、こっちはまだ忙しいんだ」声を聞いただけで、今何をしているのか察せる。秘書は鼻を押さえ、気まずさを飲み込んだ。「ええっと。明日の二川グループとのアポ、何時にお入れしますか?」「......二川グループ?」敦は勢いよく身を起こした。その名を聞いた瞬間、頭が真っ白になる。「いつそんな約束した?」秘書はきょとんとする。「え、でもさっき向こうから私に電話が来たんです。二川グループですよ?有名じゃないですか」敦の声が一気に荒くなる。「どこの会社くらいはわかってる!誰がアポを許可した!」秘書は泣きそうな顔になる。「で、でも......有名な会社ですし、協力すれば利益になると思って......」「もういい。言い訳は聞きたくない。勝手に判断して......そのまま人事行け」雷に打たれたように、秘書は固まった。なぜ怒られたのか理解できない。「柿本社長、私......そんなに悪
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第1090話

「二川グループとの件を勝手に決めた。それが俺にとってのご法度なんだ」そう言い捨てて、敦は電話を切った。ついでに人事に連絡を入れ、あの秘書の退職手続きを指示する。余計な給与なんて出す必要はない。ルールを破ったのは彼女の方だ。電話を切られた秘書は、まだ呆然としていた。まさかただのアポひとつで、自分があっさりクビになるなんて。自分はいったい何をしたというのか。やるべき仕事をしただけじゃないか。それに、今までの予約についてだって、敦は何も言わなかった。なのに、どうして急にこんなことになるの?深く息を吸い、吉岡からの電話番号を見つめる。胸の奥にじわじわと怒りが沸く。もしあの電話がなければ、自分はクビになどならなかったはずだ。普通に仕事をしただけ。他のことは一切越えていない。そんなことはよく分かっている。それに、敦のあの「特殊な嗜好」については、皆わかっている。だから自分だって馬鹿じゃない。わざわざ地雷踏みに行くはずがない。けれど、もう何を言っても遅い。結果は決まってしまった以上、人事に行って退職届を出すしかない。一方、敦はひどく不機嫌になっていた。せっかく加津也と契約の話を順調に進めていたところに、突然二川グループが割り込んできたのだ。ここで二川に応じれば、加津也はどうなる?彼が送ってくる「プレゼント」にはかなり満足している。あと数日引っ張れば契約できるところだった。気が合う相手と仕事ができるなんて、そうあることじゃない。そんな時に二川から電話?応じるわけがない。そんなことをすれば、加津也との関係が壊れる。そうなれば今後「いいもの」が自分のところに回ってこなくなる。思い返すほど、敦は余計にイラつく。さっきの秘書は本当に愚かだ。こんな簡単なことも分からないで、まだ会社にいられると思っていたのか?笑わせる。二川の電話を無視していたのに、あの女は自分から出たがるなんて。眉間がピクピクと脈打つ。今後秘書を雇うときは頭が回る女を選ばなければ。でないと、今回みたいに余計なトラブルを抱えることになる。その時、部屋から女が出てきて、険しい顔の敦に甘く寄り添う。「柿本さん、どうしたの?さっきまで余裕そうだったのに、重い顔になってる」
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