All Chapters of クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚!: Chapter 501 - Chapter 510

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第501話

そうすれば、紗雪からの電話を聞き逃すこともなかったのだろうか?まったく......二人とも狂ってる!伊澄は目をぎゅっと閉じ、仕方なく急いで荷物をまとめに戻ることにした。京弥は、もうあれだけハッキリ言ったのだ。ここまで来てなお理解できないようなら、それは本当に空気の読めない女ということになる。京弥が再び病室に戻ると、日向が哀しげな表情で紗雪のベッドのそばに立っていた。そしてその手が、彼女の頬に触れようとしたそのとき、京弥の平手打ちが飛んだ。次の瞬間、拳が日向の顔面に振り下ろされる。「お前、何をする」日向は鼻で笑って言い返す。「どうした?守ることもできなかった女を、他人が世話するのも許さないのか?」「今すぐ出て行け!」京弥は全身から威圧感を放ち、鋭い声で言った。「忘れるなよ。お前たちはただのビジネスパートナー。そして俺は、彼女の夫、法的にも名実ともに」「お前は......」京弥の視線は軽蔑に満ちて、日向を上から下まで一瞥した。「せいぜい、日陰者の愛人ってとこだろ」「愛人」——その言葉が日向の胸を鋭く突き刺した。彼は紗雪の頬に目をやると、未練と悔しさを湛えたまま、ついに背を向けた。京弥の言う通り、今の自分の立場はあまりにも不自然で、そして場違いだった。「君がちゃんと紗雪を大切にできるなら......男としてしっかり向き合えるというのなら、ちゃんと行動でそれを示せ」京弥は苛立たしげに返した。「当然だ。これは俺の問題。そしてもう二度と、紗雪にこんな思いはさせない」「......今回が最初で最後だ」その言葉の語尾には、これまでとは違う重みがにじんでいた。それは日向に向けた言葉であると同時に、彼自身への誓いでもあった。絶対に、二度とこんなことは起こさせない。これからは、片時も紗雪のそばを離れない。絶対に。日向は最後にもう一度だけ、深く紗雪を見つめた。そして、大きく息を吸い込み——本当に彼女を手放す決心をした。「言ったこと、ちゃんと守れよ」それだけ言い残し、日向は病室を出て行った。日向が出て行ったのを確認してから、隅の方に隠れていた秘書はようやく安堵の息をついた。本当に怖すぎた。あの二人の間に流れる空気は、自分のような人間が入り込め
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第502話

「紗雪。俺のさっちゃん......本当に、ごめん......」京弥は紗雪の手を取って額に当て、目元からぽたりと一滴の涙を落とした。その涙は、そっと彼女の手のひらに落ちた。だが残念ながら、今の紗雪は薬の影響で意識を失っており、深い眠りに囚われたままだった。二人は静かにその場で寄り添い、これからのことなど一切考えず、ただ互いの存在を感じていた。誰にも邪魔されたくない、ただこの穏やかな時間の中で一緒にいたかった。秘書が戻ってきたとき、彼が目にしたのは、京弥が紗雪の手を握り、そのまま彼女にもたれかかって休んでいる姿だった。一晩中眠れずに過ごした彼にとって、こうして紗雪の顔を見られただけでも、ようやく安堵できたのだ。だからこそ、今の彼は穏やかに、そして安心した表情で、紗雪のそばに体を預けていた。それを見た秘書の吉岡は、結局病室には入らなかった。彼は空気の読めない男ではない。こんなにも温かな時間を、邪魔するなんてできるはずがなかった。そのまま彼は、外で静かに待つことにした。一方、紗雪のそばに京弥がいることで、彼自身もぐっすりと眠ることができた。昨日からずっと気を張り詰めていた彼にとって、これがようやく訪れた、心から安らげる眠りだった。......緒莉は辰琉の腕の中で目を覚まし、顔を上げて彼を見ると、すぐに体を起こしてこう言った。「今、何時?」「どうしたんだ?」辰琉は不満そうに、緒莉の体から手を離しながら言った。「そんなに急いで」「私、出てくる時にお母さんに『辰琉に会いに行く』って言ってきたの。でも今、紗雪はまだ意識が戻ってないでしょ?あの人のところに、何か情報が入ってるかもしれないの......」そう言いながら緒莉は服を着始めた。辰琉もその言葉に一気に目が覚めた。「たしかに......俺も病院の方、対応しないといけないな」「病院」その二文字を聞いた瞬間、緒莉の手が止まった。服を途中まで着かけたまま、彼女はふと振り返り、真剣な表情で辰琉の頬にそっと手を伸ばした。「辰琉、一度放った矢は、もう引き返せないの。私が行動をした以上、最後までやり遂げるしかない」「この計画のこと、誰にも話してないの。辰琉だけが知ってる。だからこそ、秘密を守ってくれるだけじゃなくて、最後までちゃ
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第503話

こんな緒莉を、どうして好きにならずにいられるだろうか?辰琉は緒莉を離したくなくて、ぎゅっと抱きしめたまま、二人はベッドの上で静かにぬくもりを交わしていた。緒莉は最初こそ嬉しそうにしていたが、次第にその表情から笑みが消えていった。「もういいってば、いつまで抱きついてるのよ。やることまだ残ってるでしょ!」その後は、緒莉の心も少しずつ冷めてきた。辰琉って人は、まあ全体的には悪くないんだけど......ちょっと頭が残念。ひとたび「あのこと」に夢中になると、脳内はそれでいっぱいになってしまうのだ。肝心な「ちゃんとしたこと」には、まるで気が回らない。まるで、辰琉にとってはベッドでのことのほうが、現実の問題よりも重要みたいだ。そう思っただけで、緒莉はなんだか苛立ってきた。辰琉はようやく気まずそうに彼女を放し、「わかったわかった。だって好きすぎて離したくなかったんだもん、しょうがないだろ?」と弁解した。「見てみなよ、相手が他の女だったら、俺、こんなことしないからさ」そんな言葉に緒莉もまんざらではない様子だったが、すぐに気持ちを切り替えた。「はいはい、甘い言葉はもういいから。今は病院の件が最優先なの、絶対に忘れないで」そう言って、彼女はまた服を着始めた。辰琉はのんびりベッドに横たわっていたが、緒莉が着替え終わってから、ようやく重い腰を上げて服を着だした。彼からすると、緒莉はちょっと神経質すぎると思っていた。そもそも紗雪はもう倒れてるし、あのチャラついた男なんて何もできやしない。そう考えていたが、緒莉の表情はますます険しくなっていた。「ねえ......辰琉が『チャラ男』って呼んでるあの男、なんか雰囲気おかしくない?」うまく説明できないが、他の人間ではこんな感覚はなかった。でもあの京弥は、あまりにも「普通じゃない」のだ。緒莉がそんなふうに不安げに言うのを見て、辰琉は内心バカにしたように笑った。「考えすぎだよ、緒莉」彼は緒莉の動きを急かしながら言った。「自分で自分を怖がらせてるだけだって。きっと最近疲れてるから、そんなふうに思っちゃうだけだよ」その言葉を聞いて、緒莉も心の中にあった疑念を抑えることにした。「言う通りかもね」緒莉はすっかりいつもの気丈な顔に戻り、明るい声で言った。
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第504話

しかし、美月にはもうそれらに構う余力すら残っていなかった。彼女はもともと、紗雪が一人で外にいても大丈夫だろうと思っていた。まさか、ほんの数日で病院に運ばれることになるなんて。美月の心には、いまだにその事実を受け入れきれない動揺が残っていた。今、目の前で笑顔を浮かべる緒莉に対して、何をどう返せばいいのかさえ分からなかった。そんな視線にじっと見つめられて、緒莉の心に不安がよぎった。どうしてずっとこっちを見てる?もしかして、何かバレた?いや、そんなはずはない。自分の行動はすべて秘密裏に進めていたし、誰にも知られるようなことはしていない。自分が口を割らない限りは。そう思った瞬間、緒莉の態度には少し余裕が戻った。堂々とした様子で美月に話しかける。「お母さん、ただいま。ずっとリビングに座ってどうするの」「さっきも話しかけたのに、全然聞いてなかったじゃない。何考えてるの?」その声に、美月はようやく我に返った。「......ええ。ごめんね。会社のこと考えてた」まるでさっきまでぼんやりしていたのが嘘のように、美月は無理に笑顔を作って応じた。それを見ていた伊藤は、内心で強い不安を感じていた。何しろ、あの紗雪様は彼がずっと見守って育ててきた子なのだ。今その子が病院で意識もなく眠っているなんて......あの知らせを聞いた時は、彼も崩れそうだった。だが、美月は最初に少しぼんやりしただけで、その後は何も言わなかった。伊藤には美月の心の内は分からなかったが、彼にとって紗雪はもう自分の孫のような存在だった。何年もこの家に仕えてきた執事として、彼の中で紗雪は「ただの主人の娘」ではなかった。彼は今でも心配してる。それでも、自分はただの使用人に過ぎない。何も変えることはできないのだ。伊藤は悔しさを飲み込みながら、何も言わないことを選んだ。たとえ何かを訴えたところで、自分の声はきっと届かないと分かっていたから。緒莉は、そんな様子の美月を見ながら、心の中で確信した。きっと、もう何か知ってる。でも、言いたくないだけ。そう確信した緒莉は、意図的に話題を紗雪へと向けた。「お母さん、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」「会社には妹がいるじゃない。あの子は優秀だから、全部うまくやって
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第505話

美月は微笑んで言った。「わかったわ。本当にいい子ね」緒莉は美月を軽く抱きしめてから、二階へと上がっていった。彼女の姿が完全に階段の上へと消えたのを見届けてから、伊藤は堪えきれず尋ねた。「奥様、どうして先ほど緒莉様に、紗雪様が病院で昏睡状態にあることをお伝えにならなかったのですか?」美月は伊藤の前で、まるですべての重荷を下ろしたように、ふっと溜息をついた。「知る人間が一人増えたところで、何の意味もない」美月の表情には、どこか言いようのない迷いが浮かんでいた。「それに......たとえ緒莉が知ったとしても、何も変わらないわ。今は何よりもまず、紗雪がなぜ昏睡状態になったのか、その原因を見つけることのほうが大事よ」伊藤は一瞬考え、たしかにそれも一理あると思い直した。緒莉が知ったところで、何の助けにもならないどころか、かえって余計な心配を増やすだけだろう。それなら、最初から知らせない方がいい。「わかりました。奥様、もし何かございましたら、何でもご命令ください」美月は軽くうなずいた。「中央病院へ行って、紗雪にもう一度全身検査をお願いしてきて。今の状態が、いったいどうしてなのかをはっきりさせておきたい」「かしこまりました。すぐに行ってまいります」伊藤はすぐに車を出し、病院へ向かった。しかし美月の顔から不安の色は消えず、手のひらにはじわりと汗がにじんでいた。自分は、もしかして紗雪にプレッシャーをかけすぎたのではないか?あの子は、昔から本当にしっかりしていて、この間の病気のときも、家の中のことも会社のことも、何もかもを支えてくれていた。けれど彼女は、まだ二十代の若い女の子にすぎないのだ。そのことを思うと、美月は自然と手のひらに力が入り、胸の奥には言いようのない罪悪感が湧いてきた。きっと、自分はあの子を縛りすぎたのだ。これからは、もっと自由に過ごさせてやらなければ。今回目を覚ましたら、今度こそ......会社に縛らず、もっと彼女自身の人生を歩ませてやらなければ。自分の人生は、会社に捧げてしまった。愛されない相手と結婚し、二川家のために、人生を犠牲にしてきた。そう考えると、自然と夫のことが頭に浮かび、美月の手は無意識にぎゅっと握り締められた。あの男さえいなければ、自分はこんな人
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第506話

美月は、やっぱり自分のことを一番好いているのではないか?緒莉には、それが単なる思い違いなのか本心なのか、よくわからなかった。けれど、ふとした瞬間に感じるあの「優先されている」ような感覚——それが嘘とは思えなかった。だが、それを考えていても仕方がない。今一番優先すべきなのは、辰琉に早く次の手を打たせることだ。なにせ、あの伊藤はとにかく頑固で真っ直ぐな男だ。実際の状況を自分の目で確認しない限り、絶対に引き下がらない。そう思った緒莉は、すぐさま辰琉にメッセージを送った。【急いで。お母さんはもう紗雪の昏睡を知ってる。もし病院を移されたら、後で手を出すのが難しくなる】このメッセージを見て、辰琉は服を着る手をさらに早めた。とにかく病院へ急がなければならない。あらかじめ医者と口裏を合わせて、紗雪の転院を阻止する必要がある。辰琉は急いで病院へ向かい、なんとか伊藤より先に到着した。彼が病院のロビーに入ると、ちょうどその直後、伊藤が姿を現した。辰琉はすぐに伊藤の姿を確認し、目つきを鋭くしながら外科主任のオフィスへとまっすぐ向かった。紗雪が入院している病室の情報を事前に掴んでいた彼は、迷うことなく足を進める。だが、伊藤は違った。彼は病院の名前以外、詳細な情報は何も知らずに来ていた。すべてを一から探り出さなければならない。その分、辰琉は圧倒的に有利だった。彼はすでに主任のオフィスに到着し、ドアをノックして入室した。医師は彼の顔を見て驚いた。何しろ、彼はお偉いさんの息子、面識はある。「安東様、どうされたんですか?」辰琉は余計な前置きもなく、すぐに用件を口にした。「あとで紗雪の家族が来たら、彼女の病状を正直に伝えてくれ」「それと、彼女の病状は大したことない、ただの疲労で目が覚めないだけ、と、そう説明しろ。絶対に、転院の話は出させるな」「えっ......どうしてそんな......」主任は言われた内容に困惑した様子だった。たしかに、症状を正直に伝えるのは当然だ。それは医者としての信念でもあるし、職業倫理にも関わることだ。だが、「ただの疲労」という説明には納得がいかなかった。確か、この患者は胃腸炎で昨晩運ばれてきたはず......それが今になっても意識が戻っていない
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第507話

医者の顔には引きつったような表情が浮かんでいたが、それでも金持ちの人間には逆らえなかった。彼らにとって、自分の命などアリ一匹ひねり潰すようなものなのだ。自分なんて、本当に取るに足らない存在だ......「わかりました。ありがとうございます、お仕事をくださって......」この主任の名前は健一郎ではなく、木村良才(きむら よしかた)という。健一郎は彼の部下だった。良才はこの地位にたどり着くまでに長い年月をかけて努力してきた。だからこそ、今さら一からやり直すなんて考えられなかった。この職を失うわけにはいかない。本当に、彼はこの医師という仕事が好きだった。重病から回復した患者たちが笑顔を取り戻す瞬間が、何よりも嬉しかった。それだけに、絶対に手放したくなかった。だが、安東家の御曹司に楯突く勇気は持てなかった。一般人の自分には、とても太刀打ちできる相手ではないのだ。「これをやればいいんですよね?」良才の顔には苦悶の色が滲んでいた。彼にとってこれは、信念を裏切るような行為だった。その怯えきった表情を見て、辰琉の心は深く満たされた。そうだ、こういうふうに、庶民は自分に恐れおののいてこそ正しい。真白のような女も、いつかはこの現実を思い知って、屈服する日が来る。今はまだもがいているが、そんなのも時間の問題だ。そう思うと、辰琉の瞳に苛立ちの影が差し、顔色も一気に悪くなった。良才はその変化にすぐ気づいて、慌てて声を出した。「こ、これ以上はできません!私はただの医者です。人を救うことしかできません......それ以外は、本当に何も......」その焦りように、辰琉はようやく我に返り、笑いを堪えるのに苦労するほどだった。なるほど、自分はそんなに怖い存在に見えるのか?思った以上に、安東家の看板って使えるじゃないか。「まあいい。そんなに怯えるな。お前に恨みがあるわけじゃないんだ」そう言ってから、辰琉は考えをまとめて言った。「今のところ、お前にやってもらいたいのはこの件だけだ。他のことには関わらなくていい。とにかく、紗雪の家族をうまくなだめてくれ」良才は何度も頷きながら、心の中でようやく安堵のため息をついた。他のことをさせられないなら、なんとかこの一件だけは済ませよう。そ
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第508話

彼もまた、こんなふうに人に脅されるような生活を送りたかったわけではなかった。けれど、どうしようもなかったのだ......ただでさえ日々の暮らしは厳しいというのに、さらに追い打ちをかけるようなことばかりが起きる。そのうえで、あのような上の人間たちに迎合しなければならない。ああいう連中は、こちらの気持ちなんてこれっぽっちも考えやしない。まるで、下々の人間など最底辺の存在だと言わんばかりに。何もできない。従うしかない。それは、まるで自然界の摂理のようだった。良才は深くため息をついた。彼には、辰琉の言う通りにするしかなかった。さもなければ、自分の職も危うくなる。好きな仕事ができない人生なんて、死んだも同然だ。この何年も、彼はこの職業に慣れきっていたし、心から愛していた。だからこそ、いまさらそれを手放すなんて無理な話だった。良才には、どう言葉にしていいかもわからなかった。けれど、ひとつだけ確かにわかっていた。生きていく以上は、結局、彼らの命令に従うしかないのだ。そうすれば、まだこの場所に留まれるかもしれない。まだ、自分の力で人を救うことができるかもしれない。だからこそ、彼は従うしかなかった。生きるために、好きなことを守るために。そう考えると、良才はまたひとつ大きなため息をついた。そして、結局は何も言わずに、ただ訪れるであろう次の来訪者を待つことにした。辰琉がわざわざ自分を訪ねてきたということは、他にも誰か来るに違いない。問題はそれがいつかというだけだ。良才は息を整え、平静を装ってデスクに座り、手元のカルテを読み始めた。すると間もなくして、扉がノックされた。良才の心が軽く跳ねる。来た。あの人だ。軽く咳払いしてから、落ち着いた声で返事をした。「どうぞ」ドアが開かれ、執事の伊藤が姿を現した。主治医の良才を見るなり、すぐに丁寧に挨拶をした。「木村さんでいらっしゃいますか?」良才は軽く頷いた。「はい。ご用件は?」すでに何を聞かれるかは察しがついていた。だが万一ということもある。とはいえ、辰琉が去ってすぐにこの人物が来たということは、まず間違いなく紗雪の件だ。伊藤はすでに受付で紗雪の状態を聞いており、検査報告書を手に良才を訪ね
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第509話

本当に不思議な話だ。これまでにこんな例は聞いたこともなければ、実際に目にしたこともなかった。良才は仕方なく説明を続けた。「おそらく、患者さんはこれまでかなり無理をしてきたのでしょう。身体が『防御反応』を起こして、強制的に休もうとしている状態なんです。言い換えれば......本人が目覚めることを望んでいない、ということです」伊藤は困惑した様子で首をかしげた。「でも、胃腸炎でそんなことが起きるんですか?」こういった症状は、普通は脳にダメージを受けた患者のケースで聞く話だ。紗雪の症状とはどうにも合致していない気がする。良才は一瞬言葉に詰まり、伊藤の不審げな表情にどう応じればいいかわからなかった。けれど、ここで躊躇するわけにはいかない。どうせ誰にも真実はわからないし、辰琉たちがここまで手を回しているなら、薬も検査では検出されないのだろう。自分はただ、家族を安心させることだけに集中すればいい。「関係するのは『自我』であって、身体のどこかに傷があるかどうかとは無関係なんです」そう言って、良才は伊藤を安心させるように言葉を続けた。「ご安心ください。この病院は鳴り城でもトップクラスの施設です。私がこの場で嘘をついても、何の得にもなりません」伊藤も納得したように頷き、検査結果の紙を受け取った。「そうですね......ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」「いえ、お気になさらず。仕事ですから。患者さんにたくさん話しかけてあげてください。潜在意識に届けば、それが目覚めのきっかけになるかもしれません」この提案に伊藤の目が少し明るくなった。「わかりました、そうしてみます」そう言って、伊藤はその場を後にした。ドアが閉まった瞬間、良才は大きく息をつき、椅子にもたれかかった。まさか、自分が医者としてこんな立場に追い込まれる日が来るとは思わなかった。人を騙すような真似をするなんて、自分の信念に反する行為だ。けれど、この仕事を失うわけにはいかない。幸い、辰琉たちの仕掛けは巧妙で、医者の目から見ても問題は見つけられなかった。検査結果にも何も異常がなかった。ならば、自分はただ口裏を合わせておけばいいだけだ。そうすれば、病院にとっても自分にとっても悪い話ではない。そう思い直して、良才は
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第510話

なるほど、本当に紗雪を訪ねて来た人だったのか。もしかして、紗雪さんの祖父にあたる人物なのだろうか?秘書は頷いた。「はい、紗雪会長はこの病室に......」それを聞いた伊藤の顔にようやく笑みが浮かんだ。「会長?......君は二川グループの関係者かい?」その言葉に秘書はさらに驚いた。まさかこの老人が二川グループのことを知っているとは。どうやら、本当に只者ではないようだ。「そうですが......二川グループのことをご存知なんですか?」秘書は思わず背筋を伸ばし、声にも少し敬意が混じった。もしこの人物が本当に紗雪の祖父なら、先ほどまでの態度は相当に無礼だったかもしれない。責められたりしないだろうか?と内心かなり不安になった。そんな不安を見透かしたのか、伊藤はにこやかに微笑みながら言った。「そんなに心配しなくていいですよ。私は紗雪とは家族みたいなものでね。今日は彼女の様子を見にきました」そう言いながら、伊藤は病室に入ろうとした。「入らせてくれないか?紗雪の顔を見ていきたいですが......」何しろ、幼い頃から見守ってきた子どもだ。本当の孫のように大切に思っている紗雪の様子が気にならないわけがない。秘書は気まずそうに口を開いた。「おじいさん、もしよければ......少しだけお待ちいただけませんか?」というのも、病室の中は先ほどまでかなり親密な雰囲気だった。そんな中、突然部屋に入ったら......それはさすがに空気を壊してしまうのでは?そう思うと、ちょっとためらわれた。「どうしてです?」目の前に来ているのに中に入れない。しかも秘書までもが扉の前に立っている。伊藤は少し不思議に思った。今どきの若者たちはどうなっているのだろう。秘書は伊藤の強い態度に圧倒され、しばらく言葉に詰まった。自分はただの小さな歯車にすぎない。こんなベテランの前ではどうにも太刀打ちできない。そう思った吉岡は、ついに腹を括って言ってしまった。「実は......中にいるのは紗雪会長とその旦那様でして......今入ると、その......雰囲気を壊してしまうかなって......」その言葉を聞いた瞬間、伊藤は頭が痛くなるような感覚に襲われた。「まったく......」こんな小さな
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