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All Chapters of 水鏡の星詠: Chapter 91 - Chapter 100

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命を繋ぐ分かれ道 ①

 風が唸りを上げ、砂塵が薄れゆく中、リノアとエレナは崩落した崖の縁に立ち尽くしていた。 目の前に広がるのは、かつての街道を無残に塞ぐ土砂の山。岩と土が積み重なり、道を完全に閉ざしている。周囲の木々が不気味に揺れ、まるでこの場を去れと警告するかのようにざわめいていた。 リノアの胸の奥で得体の知れない不安が渦を巻いた。硬質化した根や鉱石の謎が思考を絡め取る。「このままじゃ、アークセリアまでたどり着けない……」 リノアは視線を崖下に落とし、動かぬ旅人たちの姿に心を痛めながらも、思考を切り替えた。立ち止まることは許されない。この異変の真相をアークセリアのラヴィナに届けるためにも、先に進まなければならない。 リノアとエレナは顔を見合わせ、お互いの意志を確認するように小さく頷いた。 リノアは腰の袋から地図を取り出して広げた。風に煽られ、紙がバタバタと鳴る。 地図には峠を越える主要な街道と、幾つかの脇道や獣道らしき細い線が記されている。「どこか迂回路はないかな」 リノアが指で地図をなぞり、そして続けた。「少し遠回りになるけど、崖の西側に迂回路があるみたい 崖沿いの道ではない。地盤は安定しているはずだ。「獣道か……。あまり人が通らない道だね。獣に遭遇するかもよ」 エレナが地図を覗き込み、眉を寄せた。 旅人は安全な街道を通りたがる。獣道は途中にある集落の人が使う程度にしか使われていない。「それでも行かなきゃ。ここに留まっていても仕方がないし」 リノアの声は静かで揺るぎがない。 エレナは、それ以上反論せず、頷いて荷物を背負い直した。 森の薄暗い獣道の入り口で、リノアとエレナは集まった旅人たちと向き合った。 負傷者たちは応急処置を終え、岩の陰や木々の間に横たわり、痛みを堪えるように静かに息をしている。 崖崩れで塞がれた街道と、目の前に広がる不安定な獣道を前にリノアは逡巡した。負傷者を連れて迂回路を進むのは時間と危険を考えると現実的ではない。 リノアはエレナと視線を交わし、互いの考えを確認するように頷いた。「負傷者を連れて歩くのは難しい。負傷者をここに残して、私たちが近くの集落に助けを呼びに行くか、動ける旅人に私たちの村へ救援を求めてもらうか、そのどちらかだと思う」 落ち着いて見えるが、リノアの内には焦りがある。「集落の方が近いかもしれない
last updateLast Updated : 2025-05-22
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命を繋ぐ分かれ道 ②

「村に救援を求めるのが確実だと思う」 リノアが決断した。 クローヴ村なら、村長のクラウディア様が馬車と薬を用意してくれる。この中で村へ向かってくれる人がいたら助かるのだけど」 旅人たちの間から、一人の若い男が一歩、歩み出た。 背は細いが、肩にはがっしりとした荷袋を背負い、腰には革のベルトに小さな道具がぶら下がっている。風に晒された顔には旅慣れた雰囲気が漂い、目に宿る強い意志が周囲の不安を打ち消すようだった。「俺が行く」 男が短く答えた。声には迷いがない。 リノアは男の姿をじっと見つめた。 見覚えがあるわけではないが、彼の落ち着いた態度は、ただの旅人ではないことを物語っている。「お名前は?」 エレナが尋ねると、男は荷袋を軽く叩きながら答えた。「タリス。荷運びの仕事で、クローヴ村には何度か行ったことがある。元々、今回の旅も村に品物を届けるつもりだったんだ」 リノアとエレナは顔を見合わせた。ほのかに安堵が広がる。 クローヴ村への道を熟知し、村人とも顔見知りなら、彼は救援を求めるのに最適な人物と言える。 タリスは荷袋から小さな革の帳面を取り出し、さらりとページをめくった。「村長のクラウディアとも何度か取引をしてる。薬草や食料を運んだことがあるんだ。話は早いはずだ」「それならタリス、お願いします。クラウディア様に崩落のことを伝えて、馬車と薬、救助の手を借りて戻ってきて下さい」 リノアは頷き、地図を広げた。丸一日もあればクローヴ村には到着する。「分かった。地図なら大丈夫だ。荷運びの俺なら道に迷う心配はない。馬車を引く馬の足音まで覚えてるよ」 タリスは地図を一瞥し、自信に満ちた笑みを浮かべた。「荷運びのプロなら、負傷者を運ぶ馬車の準備も手慣れてそうね」 エレナがタリスの荷袋に目をやり、軽く口元を緩めた。「村に着いたら、すぐ動く。負傷者たちのために、急いで戻るよ」 タリスは頷き、荷袋を背負い直した。「道中、灰色のケープを着た男を見かけたら、近づかず隠れて。危険な奴かもしれないから」 リノアはタリスに簡単な食料と水を渡し、警告を付け加えた。「分かった。妙な奴には気をつけるよ」 タリスの目が一瞬鋭くなり、頷いた。 タリスが南へ向けて歩き出すと、もう一人の旅人──若い女が手を挙げた。「私も一緒に行きます。どうしても行かなければな
last updateLast Updated : 2025-05-22
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命を繋ぐ分かれ道 ③

 木々の間を抜ける風が冷たく、苔むした石が足元を滑りやすくしている。 リノアは腰の袋に手をやり、布に包まれた鉱石の硬い感触を確認した。 森全体が衰えつつある──。 森そのものの衰退は必ずしも人間が原因とは言えない。しかし局地的な衰弱に関しては人為的なものと見て良い。 ある特定の場所だけが不自然なほどに荒廃し、命の気配を急激に失っている。そのような不自然なことは起こり得ない。 何としても真相を掴まなければ──。「タリスなら大丈夫じゃないかな」エレナが、街道を歩いて行くタリスの背中を見ながら言った。「荷運びの人たちって、人のつながりに命かけてるからね」 リノアは頷いて、視線を獣道の先に固定した。 あとは集落を見つけるだけだ。 二人は息を殺し、獣道を急いだ。背後で木々が不穏にざわめき、風が唸りを上げる。「この先に集落があるみたい」 リノアが地図を見て言った。道が途中で幾つかの道に分かれ、それぞれが異なる方向へと伸びている。「でも人が住んでる保証はないわ。廃村になってるかも」 エレナが不安げに言った。 比較的大きな村は、その存在や人の動きも把握できている。しかし集落となると話は異なる。 そこにどんな人々が住んでいるのか。何を生業としているのか。はっきりとしたところまでは分からない。彼らも、そこまで積極的に他村との交流を望んでいるわけではない。 他の村から距離を置き、静かに暮らす者たちの集落だ。「廃村だとしても、馬や荷車が残っていれば負傷者を運ぶことができるんだけどな」 リノアは地図を折りたたんで、前を見据えた。「行ってみるしかないわね」 エレナが頷いて、答えた。 タリスがクローヴ村へ向かい、救援を呼ぶことを信じ、リノアとエレナは深い森の奥へと突き進んで行った。 道は狭く、湿った土が靴に絡みつく。 遠くで鳥の鋭い鳴き声が空を裂き、冷たい風が森の影を撫でるように唸った。 その中に紛れる──かすかな音。 遠くから微かな物音が聞こえる。足音、衣擦れ、抑えた話し声......。「誰かいる……」 エレナが囁く。 二人は足を止めて視線を交わすと、同時に身を低くし、木の陰に身を隠した。 オルゴニアの樹の下で見た人影たちかもしれない。 エレナの手が短剣の柄に伸び、指がそれを固く握った。 リノアも息を潜め、音のする方向に目を凝らす
last updateLast Updated : 2025-05-22
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命を繋ぐ分かれ道 ④

 今は余計な衝突は避けるべきだ──そう判断したその瞬間だった。「リノア、あれ見て!」 エレナの囁きが、緊張に染まった空気を切り裂く。彼女の視線の先──そこにいたのは。「ヴィクター……!?」 リノアの声が驚きと困惑で震えた。しかし、すぐに唇を固く結んだ。 この場で彼の名前を呼ぶことが、どんな意味を持つのか。考えるより早く、本能が口を閉ざした。 曇った空の下、不規則に動く影…… クローヴ村の木工職人、ヴィクター 村祭りの夜、森の異変に不安を駆られ、リノアに絡んで来た男。 普段は村の工房で家具や農具を作り、木材の調達も村近くの森で済ませている。仕事柄、村の外に出ることは滅多にない。まして遠くの獣道に来る理由などはないはずだ。 そんな彼が、なぜこの崩落現場の近くに現れたのか。 リノアの背筋に冷たいものが走った。 木々の隙間から、ヴィクターの姿がぼんやりと見える。 使い込まれた麻の作業着、腰にぶら下げた革の袋。その中に木槌の柄らしきものが覗いている。 手には、小さな木片とナイフ…… リノアの目が見開かれた。「本当だ。ヴィクターだ。どうしてここに……?」 リノアの視線が一点で凍りつき、全身が硬直する。 ヴィクターが村を出ているのは不自然だ。しかし、それ以上に問題なのは……。彼が今、人影たちと行動を共にしていることだ。「分からない。少し様子を見よう」 エレナは首を振って答えた。エレナは短剣の柄に手を置いたままヴィクターから目を離さないでいる。 リノアとエレナは木々の陰に身を潜め、ヴィクターの動きを観察した。 ヴィクターは一人ではない。背の低い、粗末なケープを着た男と連れ立っている。その男は周囲を警戒しながら、時折、ヴィクターに何かを囁いている。 ヴィクターはナイフを手に木の根を軽く削り、木片に何かを記している。「何をしているんだろう……」 リノアの指が無意識のうちに硬く握られる。 やがてヴィクターたちは獣道の分岐点で足を止めた。迷うことなく集落とは異なる道を選び、森の奥深くへと進んでいく。「やっぱり、あの人たち集落には行かないみたいね」 エレナが囁いた。 ヴィクターの出現は偶然とは思えない。村の工房で木材を削る彼が、崩落のすぐ後にこの森に現れ、しかも人影たちと共に行動を取るなんて…… 逃してしまえば、森の異変の真相に
last updateLast Updated : 2025-05-23
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命を繋ぐ分かれ道 ⑤

「話しかけなくて正解だったよね」 リノアが小声で言うと、エレナは短剣の柄から手を離し、静かに頷いた。「まあね。ヴィクターが何を企んでいるか分からないから」 今は負傷者のことを何よりも優先させなければならない。負傷者たちの状態は、一刻を争う。 タリスがクローヴ村へ救援を求めに向かったとは言え、そこに辿り着くには丸一日を要する。クローヴ村の援軍を待つには時間がかかりすぎるのだ。近くの集落へ向かい、すぐにでも馬車や薬、そして人手を確保しなければならない。 ヴィクターのことは後回しだ。ヴィクターが何かを隠しているというなら、集落で手がかりが掴めるかもしれない。 ヴィクターの不自然な行動は崩落の謎に新たな影を投げかけた。その答えを求めるように、リノアとエレナは前を見据え、集落へ続く道を急いだ。 木々のざわめきが不穏に揺れ、風が森の奥へと誘うように吹き抜ける。 ヴィクターは本当にただの木工職人なのか── 鍛冶屋のカイルと言い、村の中には不穏な動きを見せる者がいる。村が内部から崩れ始めているのかもしれない。 リノアの胸に村祭りの夜のヴィクターの声が蘇る。《シオンが死んでから何か様子が変なんだよ。おい。リノア、エレナ、お前ら何か知っているんじゃないのか》 その言葉が今、森の中で異様な重みを持って響く。 ヴィクターは確かに、森の異変に危機感を抱いていた。 そのヴィクターが自然破壊をするとは考えにくい。しかも彼の生業は木材と共にある。 それならば、なぜ人影たちと行動を共にしているのか? 硬質化した草花や鉱石の異変――ヴィクターがそれに気づいていないはずがない。 ヴィクターは一体、何を知り、何を探っているのか。 森のざわめきが答えを拒むかのように深く揺れている。 荷運び屋のタリスたちがクローヴ村へ救援を求めに向かった──だが、もしヴィクターが関与する何かが、すでに村へと波及していたのなら事態はさらに複雑になる。 リノアは地図を広げ、集落への道を確認した。「急ごう、エレナ。集落で助けを呼んで、負傷者を安全な場所に移動させなきゃ」 この道を急げば、すぐにでも到達できる。 二人は獣道を進み、集落への道を急いだ。「何だか霧が薄いね」 リノアが言った。 まだこの地にも霧が残っている。しかし、それはクローヴ村のものとは異なり、薄くて地面を這う程度のも
last updateLast Updated : 2025-05-23
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命を繋ぐ分かれ道 ⑥

 木造の家屋が十数軒ほど、緩やかな丘の斜面に沿って点在し、中心には小さな広場がある。広場では焚き火が赤々と燃え、煙が細く立ち上っていた。 数人の住民が広場に集まり、荷車に薪や食料を積んでいるようだった。だが、その動きにはどこか急かされたような緊張感が漂う。 リノアとエレナは集落の入り口で足を止め、周囲を慎重に観察した。ヴィクターとその連れがこの集落に現れる可能性を考えると、警戒を解くわけにはいかない。「住民が忙しそうにしてる。崩落の噂がもう広まってるのかも」 エレナが小声で言った。「とにかく、助けを頼もう。負傷者のことを説明して馬車と薬を借りないと」 リノアは広場に向かった。 広場に近づくと、年配の男がリノアたちに気づき、こちらへ歩み寄ってきた。白髪交じりの髪と日に焼けた顔には深い皺が刻まれている。 男は手に杖を持ち、鋭い目で二人を見据えた。「お前たち、旅人か? どこから来た?」 リノアが一歩進み、落ち着いた声で答えた。「クローヴ村からです。街道で大規模な崩落が起きて、負傷者がたくさん出てるんです。助けが必要で、馬車と薬、人手を借りに来ました」 男の目が一瞬、細まり、広場に集まる住民たちに視線をやった。「崩落か……噂には聞いてたが、そんなに酷いのか。私は集落の長のバルドだ。負傷者は何人くらい居る?」「私たちが確認できたのは十数人です。応急処置はしたけど、動けない人が多い。すぐにでも運び出さないと危険です」 エレナが素早く答えた。 バルドは顎をさすり、考え込むように呟いた。「馬車なら二台用意できる。薬も多少はあるが……最近、この辺の森がおかしくてな。草木が硬くなって、土も妙な色に変わってる。薬草が採れにくくなっているんだ」 リノアとエレナが驚き、顔を見合わせた。 この集落でも同じ異変が起きている。「その異変、いつからですか? 何か変わったこと、例えば……光る鉱石とか、怪しい人影を見ませんでしたか?」 リノアは慎重に尋ねた。 バルドの目が鋭く光り、声を低くした。「光る鉱石だと? 数日前、森の奥で妙な光を見たと若者が言っていた。だが誰も確認しに行く者はいなかった。危険な気配がしたようでな。それと……今日、よそ者が数人、集落の外をうろついていたとも聞いた。木を削ったり、土を調べたりしていたらしい」 リノアとエレナは視線を交わ
last updateLast Updated : 2025-05-24
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森という一つの生命体 ①

「はい……。彼は私たちの……知り合いです」 リノアは慎重に言葉を選んだ。その響きにはどこか曖昧さが漂っている。「彼はヴィクターと言います。私の村の人間です。ですが、彼がどうしてここにいるのか、私たちにも分からないんです」 リノアの胸に不安が広がる。「知らない? それは妙だな」 バルドは腕を組み、リノアに厳しい視線を向けた。 たまらずリノアが目を伏せる。 沈黙が落ちる中、それを断ち切るようにエレナが言葉を紡いだ。「彼はリノアのことをあまり快く思っていないんです。つい最近もリノアに突っかかって来たばかりで……。だから私たちは彼のことを詳しく知る機会がなかったんです」 エレナは息を整えて更に続けた。「ヴィクターは木工職人で普段は村の工房で働いています。このような離れた場所にいるのは不自然なのですが……」「リノア……さっきから気になっていたが、どこかで聞いた名だ。クローヴ村のリノア……。まさか君はシオンの妹なのか? あの森の研究家の」 バルドの表情が変わった。──この人はシオンのことを知っている。 リノアの胸に、ざわりとした感覚が広がった。「そうです。私はシオンの妹です。あの……シオンのことをどうして知っているのですか?」 リノアは平静を保ちながら言葉を紡いだ。「知っているも何も、彼とは何度も会っているよ。ここでね。彼は本当に熱心に森の生態系を知らべていた。森の異変を探っていたんだよ」 そう言って、バルドは思い出すように遠くを見つめた。──シオンがこの集落に?「森の生態系をですか?」 リノアの抑えた声が森の静寂に溶けていく。 バルドはゆっくりと頷いた。「ああ。森の生態系を注意深く観察していたよ。特に菌糸と植物の関係をな。まるで何かを確かめるように」 菌糸──それは生前、シオンが何度も語っていたものだ。 リノアは息を詰め、バルドの目をまっすぐに見つめた。 バルドは腕を組んだまま、遠くの木々を見つめながら続けた。「シオンは、菌糸がただ自分たちの生存の為といった利己的な理由ではなく、森の生命全体に関わる重要な役割を果たしていると考えていた。菌糸は樹木同士を地下でつなぎ、栄養をやり取りする。健康な木から弱った木に栄養を送ることで、森全体を支える。といった具合にね」「つまり、菌糸がなければ森は栄養の流れを維持できず、衰えてしまう
last updateLast Updated : 2025-05-24
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森という一つの生命体 ②

 その沈黙は、ただの思案ではなく、過去の記憶をたどる重みを帯びていた。 森の影がゆっくりと揺れ、冷たい風がそっと葉を震わせる。 バルドはリノアを見つめ、静かに問いかけた。「お前は、シオンの遺志を継ぐのか?」 リノアはバルドの目をまっすぐに見据えた。「そのつもりです」 バルドの問いかけに、リノアは迷いなく答えた。 エレナがそっとリノアを見て、慎重に口を開いた。「バルドさん。ヴィクターたちについては、私たちが責任を持って追いかけます。でも、今は負傷者の救援が最優先です」 バルドはエレナに視線を移し、ゆっくりと頷いた。「そうだな。すぐに救援の準備を進めよう。ただ、お前たちも警戒するんだぞ。森には、まだ知らない影が潜んでいるかもしれないからな」 そう言って、バルドが村人たちへと視線を送った。 その瞬間、背後でざわめきが広がり、集落の人たちが素早く動き出した。 負傷者を運ぶ者、薬や食料を整える者、それぞれが役割を果たし、救援が本格的に始まる。焚き火のそばでは、湯を沸かし、応急処置の準備が進められている。ここまで怪我人を運ぶつもりなのだろう。「バルドさん、私たちにも手伝わせて下さい。一刻も早く負傷者を安全な場所へ運ばないと」 バルドはリノアの申し出に、わずかに眉をひそめた。「崩落現場は危険だ。負傷者を運び出すのは経験のある者たちに任せた方が良いだろう。無理をして二次災害を起こさせるわけにはいかないからな。二人はここで待機し、村の者たちの手伝いをしてくれないか」 バルドの態度にはどこか気遣いの色が感じられる。「でも……」 リノアは言いかけたが、その言葉を飲み込んだ。 本心では行きたいと思う。だけど、ここはバルドの言うことを聞くべきだ。焦っても仕方がない。 崩落現場へ向かおうとする男たちが手際よく動いている。彼らは負傷者を救助するだけでなく、土砂を取り除き、安全な道を確保するつもりだ。 その姿を見つめながら、リノアは心を落ち着かせた。 あの輪の中に私たちが加わったところで、足手まといになるだけだ。「リノア、私たちはここで出来ることをしましょう」 リノアは広場で荷車の積み込みを手伝いながら、ヴィクターの行動について考えを巡らせた。 ヴィクターは村祭りの夜、シオンの死を口にし、村の異変に危機感を抱いていた。木工職人として、硬質化した草
last updateLast Updated : 2025-05-25
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セラの帰還とアークセリアへの旅 ①

 バルドの指示を受けた集落の人たちは慌ただしく動いている。馬車に積まれた薬と食料を再確認すると、必要な道具を手にして崩落現場へ向かった。 霧の立ちこめる獣道へと進んで行く若者たち──。その背中を見送りながら、リノアとエレナは深い溜息をついた。「彼らに任せましょう」 エレナの言葉に、リノアはゆっくりと頷いた。 この後ろめたい気持ちは胸の奥に押し込めるしかない。 若者たちの姿が霧の中へ消えた後も、広場には張り詰めた緊張が漂っていた。 焚き火の光が揺れる中、集落の人たちは落ち着くことができずにいる。森の異変と崩落の噂が広がり、誰もが不安を抑えきれずにいるのだ。 思っている以上に被害が広範囲に及んでいるのではないか。私たちがいた場所以外でも、崩落事故が起きていたとしてもおかしくはない。 若者たちが負傷者を連れて帰ってくれば、きっと広場は慌ただしくなる。 そう考えながら、リノアが息を整えたその時。 霧の向こうから、地面を叩く足音が聞こえた。その音は次第に近づいてきて広場の入口で止まった。一人の影──「あの人は……」 エレナが呟く。 タリスの後を追ってクローヴ村に向かった女性だ。確か、行かなければならない用事があると言っていたはずだが、どうして戻って来たのか…… 麻のローブの裾を泥で汚しながら、女性が急ぎ足で広場へ駆け込んできた。「村で異変が起きているみたい。タリスは……タリスはクローヴ村へ向かったけど、私は……」 息を整える暇もなく、彼女はリノアたちに訴えた。彼女の顔には疲労と焦燥が色濃く表れている。「私もクローヴ村にいるアリシアに会うために村に向かおうとしたんです。だけど、村の手前で奇妙な光を見てしまって……」 女性は息を整えながら、震える声で続けた。「青白い光が地面から漏れ出していて……周囲の草花が枯れていくのを見ました。あれは普通じゃない」 言葉を紡ぐたびに、彼女の肩がわずかに震える。足元を見つめたまま、彼女は両手をぎゅっと握り締めた。「アリシア? アリシアは私の親友だけど……」 リノアが戸惑いながら言うと、女性の目がわずかに見開かれた。「そうなんですか。私はアークセリアに住んでいるサラと言います。アリシアとは舞踏の仲間として何度も手紙を交わし、交流を続けてきました。アリシアの踊りは本当に素晴らしくて、私の憧れの舞踏家なんで
last updateLast Updated : 2025-05-25
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セラの帰還とアークセリアへの旅 ②

 広場は救護の準備に追われ、集落の人々が休む間もなく動き続けている。 物資を運ぶ者、負傷者の受け入れに備える者──すべての手が休むことなく動き、低い声が飛び交っている。 そんな慌ただしさの中で、サラの言葉だけが異質に響いて聞こえた。 リノアは騒がしい広場の空気に一瞬の違和感を覚えながらも、サラの言葉を受け止めようと耳を傾けた。 クローヴ村で起きていること──その意味を、すぐにでも理解する必要がある。「さっき青白い光を見たって言ってたけど……」 エレナが手を動かしながら言った。「アリシアと会う予定だったのですが、あの光を見たら怖くなってしまって……。今回はクローヴ村に行くのを諦めます。タリスには言伝を頼んであるし」 サラは小さく肩を落とした。「青白い光のことなんだけど、その話、もっと詳しく聞かせてもらっても良い? ここの集落の人たちにも聞いてもらった方が良いしね」 エレナが表情を引き締めながら言った。 救護の準備が終えつつあり、広場が落ち着きを取り戻し始めた。物資の整理を終えて、治療に専念できるようになった者たちが疲れた様子で腰を落ち着かせている。 だが、広場に満ちる緊張は消えない。準備が一段落した今、次に何が起きるのかを誰もが不安に感じていた。 サラの話が新たな不穏な空気を運んできたのだ。 草花が枯れた……か。 崩落現場や星見の丘と同じ異変がクローヴ村の近くで起きるなんて…… サラは周囲を見渡した。 長い距離を走ってきたせいか、額には汗がにじみ、呼吸はまだ落ち着かない。周囲の喧騒の中で自分の言葉がどれほどの重みを持つのかを想像し、サラは気を引き締めた。 震える指先を服の端に絡め、躊躇いがちに視線をさまよわせる。「タリスと一緒にクローヴ村へ向かったときのことなのですが……」 サラは浅く息をつきながら続ける。「私たちは崩落現場の救護を求めに急いで村へ向かっていたんです。でも、森を抜ける途中で異変が起きてしまって……」 サラの表情が強張り、指先がわずかに震える。「不意に周囲の空気が変わったのを感じました。冷たく澄んでいたはずの森が、どこか重く沈んで……そして次の瞬間、地面の奥から青白い光が漏れ出しているのが見えたんです」 サラが語るたびに周囲の空気が少しずつ張り詰めていく。「それだけではないんです。光に照らされた周囲の草
last updateLast Updated : 2025-05-26
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