リノアが泉の水際に刻まれた足跡をじっと見下ろしていた、その時── 風が森を撫でるように吹き抜けた。 霧の幕が裂けていく。「エレナ!」 リノアの声に反応して、エレナが顔を上げた。 エレナの目が霧の裂け目に釘付けになっている。 その視線の先に浮かび上がったのは、小さな影── ひとりの子どもと、その傍らに寄り添う女性の姿だった。 フェルミナ・アークにはいるはずのない二人の姿。けれど、森の縁で揺れるその影は、確かにそこに存在していた。 エレナが言っていた――森の端で見たという、子どもの姿。 その姿が、まるで水の中から浮かび上がるように、霧の上に淡い輪郭を描いている。 だが、その静けさは長くは続かなかった。 森の奥から這い出すように、濁った気配が迫ってくる。 枝が軋み、葉が震える。 空気は異物に触れたように揺らぎ、冷え、そして沈黙した。 何かがいる。 その姿は、はっきりとは見えない。 けれど、リノアの肌感覚が先に察知した。 あれは、敵だ──「あの人たち、追われてる」 リノアの声が静かに漏れた。 確信に満ちたその言葉は霧の中に沈みながらも、エレナに届くように響いた。 歩みには一片の迷いもない。 霧の奥に逃げた二人を、まっすぐに捉えている。 剣を携えたその影たちが放つのは、人のものとは思えぬ、鋭利で冷たい気配。 定まった目的を背負いながら、霧の地を踏みしめている。 危機はもう目の前だ。 胸の鼓動が抗うように高鳴った。音よりも速く、心を震わせる。「逃げて! 早く!」 エレナの叫びに、霧の中の二人が反応した。 子どもの母親が一瞬だけ振り向く。 霧越しにリノアを見た、その瞳がわずかに揺れる。 何かを思い出したように── あるいは、確かめるように── それは忘れようとしても忘れられなかった、あの瞳だった。 まさか…… リノアは、その場に立ち尽くした。 胸の奥が焼けるように疼きながらも、足は動かず、言葉は喉の奥で凍りついたまま。 息をするのも忘れるほど──そのまなざしの余韻が、リノアの思考を支配している。 霧の向こうで揺れて消えていく影を、リノアは見つめることしかできなかった。 古い記憶の扉が静かに開いてゆく……。「リノア、行くよ!」 エレナが叫び、矢筒に手をかけて駆け出す。 その声に背中を押されるよ
Last Updated : 2025-07-24 Read more