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All Chapters of 水鏡の星詠: Chapter 181 - Chapter 190

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ひと気なき傾斜の先に ⑪

 アリシアは、その言葉を聞いて胸につかえたものが取れたような感覚があった。ヴィクターを疑ってはいたが、その反面、信じたいという気持ちがあったのも事実だ。 ヴィクターが自らの意思で悪事に手を染めるような人間ではないことは、誰よりも理解している。 常に誰かの影に身を置き、必要とされれば動く。だが、それ以上のことを求められたとき、ヴィクターは一歩、身を引く男だった。度胸が無いとも言えるが、そこまでの悪人とは言えない。「利用された」──ヴィクターの言葉には妙な説得力があった。 てっきり、人が変わってしまったのかと思っていた。けれど、今こうして話すヴィクターには、かつての面影が確かに残っている。 祭りの日、リノアに取った行動に対しての、後悔している。という発言も、あながち嘘ではないだろう。「まったく……俺は必死で手伝ってたのにさ」 ヴィクターが口をつぐみ、森の冷えた空気を思い出すように目を細める。「リノアを探しているのは、俺だけだと思ってた。けど違ったんだ」 声には熱がこもり始めていた。押し殺していた悔しさが、言葉に染み出す。「きっとリノアの情報を引き出すために接触してきたんだろうな。リノアがどこに行ったのか、何をしに行ったのか。そんなこと訊かれても俺に分かるわけがねえよ。俺だってリノアを探してたのに……」 拳がゆるく握られる。それは怒りよりも、悔しさに近かった。「なのにさ。森の中で泥だらけになって、言われた通りに手伝って……。使えないと思った途端に、あっさり切り捨てやがってよ」 アリシアはヴィクターを黙ったまま見つめた。 ヴィクターは何かを失いながらも、誰かの役に立ちたいという一心で動いたのだ。 勇気を振り絞って踏み出した先で、知らず知らずのうちに誰かの思惑に絡め取られていた。それでも、ヴィクターは信じるものに向かって動いた。 そんなヴィクターを責め立てるわけにはいかない。 海風が吹き抜けるなか、場の空気はなお重たく沈んでいる。 そんな沈黙に、セラがそっと咳払いをひとつ落とす。「あの……探してたのって、本当に鉱石なんですか?」 セラの声は重く垂れ込めた空気に細い切れ目を入れるように慎重だった。「ああ、そうだと思うが……」 ヴィクターは沈黙の淵から視線を持ち上げ、セラを見る。 少し間を置いてから、セラが踏み込むように続けた。「
last updateLast Updated : 2025-07-29
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ひと気なき傾斜の先に ⑫

 アリシアは風に髪をなびかせたまま、ゆっくりとヴィクターへと向き直る。 先ほどのヴィクターの言葉──「グレタ以外にも動いている」 それが何を意味するのか、ヴィクターの口ぶりからでは、まだ判断することができない。「さっき言ってたよね。グレタだけじゃないって。その人たちも探しているものは同じ?」 海鳴りを背にアリシアは真っすぐヴィクターを見据えた。 アリシアの言葉を受けたヴィクターは、記憶の断片を繋ぐように指を組む。「軍人でも商人でもないって話は、さっきもしたよな。奴らで気になったのは、妙に威圧的なところだ。グレタでさえ、逆らうことができない雰囲気があった。あいつらは“命令を受ける側”じゃなくて、“決める側”の人間だな」「じゃあ……グレタは、その人たちの命令で動いてる可能性があるってこと?」 ヴィクターは肯定も否定もせず、ただ、少しだけ首を傾けた。「もしかするとな。少なくとも立場は対等じゃない。心なしか、グレタが委縮してるように見えたしな」 アリシアは指先で潮風を払うように目元に触れ、考え込んだ。 グレタは操られているか、組織に属しているかのどちらか—— いずれにせよ、“本当の連中”はまだ姿を現していない。 その陰に潜む者たちは、一体、何を目的に動いているのか。「ヴィクター、前に酒場で会ったって言ってたよね。どんな人たちだったか、思い出せる?」 アリシアが問いかけた。 少ない情報から推測していくしかない。「黒い装束に……たしか喉元には刺繍があった。あと聞いたことのない言語を話してたな。グレタはなぜか理解できてたみたいだが……。あれは、この辺りの人間じゃない。異国から来た連中だ」」「その刺繍の模様は?」 セラが身を乗り出して訊いた、「星を重ねたような記号だった」 ヴィクターが記憶を手繰るように答えると、セラが思わず声をあげる。「星を重ねた刺繍……それって、もしかしてゾディア・ノヴァの印かもしれない」「ゾディア・ノヴァ? 何それ」 アリシアが言った。ヴィクターも首を傾げている。「昔、お父さんの書斎で見た記録の一頁に、その紋章が描かれてたの。アークセリアとは異なる。境界の外、干渉を禁じられた領域に属する者たち。その紋章を掲げる集団は、“形無き同盟”と呼ばれてる。みんなも知っていると思います」 一拍の静寂ののち、セラが口を開く
last updateLast Updated : 2025-07-29
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忘れ星の眠り ①

 霧が足元を撫でるように這い、音もなく世界の輪郭を揺らしている。 霧が微かに揺れる中、ふたりの視線は前方へと向けられた。「眠った?……」 リノアは安堵の吐息を漏らす。「分からない。近づいてみよう」 エレナは身を低くし、矢を弦にかけたまま茂みへと忍び寄る。 霧がふわりとほどけ、輪郭のぼやけた人影が姿をあらわす。──寝息。間違いない。 霧が揺らめく中、少女の寝息が耳元でささやくように響いている。 それは確かに生きている者の寝息だった。その音には攻撃の気配も警戒の色もない。 まるで心を閉じたように、深い眠りに沈んでいる。「……女の子?」 リノアの声が、その場の緊張を解いていく。 短く切り揃えられた髪。まだ年若く幼い顔立ち。血の気を失った頬は夜気に染まり、長いまつげの奥で目が閉じられている。その姿は、あまりにも無防備だった。 エレナもそっと覗きこむ。「私たちと、歳はそれほど違わないかも」 少女の身体に戦いの痕はほとんど見当たらない。「どうして……こんな場所にいるんだろう」 リノアが声にならない問いを漏らす。「戦いに加わったって感じじゃない。動きも荒くなかったし、それに装備が整ってない。慣れた感じがしなかった」 エレナは地面に散らばる矢の残骸に目を落とし、首をゆっくりとかしげる。「見習いか……あるいは、何らかの訓練だったのかも」 相手は女性と子どもだけだった。練習相手としては、うってつけだったと言える。「このマーク……何だろう?」 リノアは、少女の首元に施された刺繍を見つめた。 星々が重なり、夜空の記憶を封じ込めたかのような印──「どこかに所属している人なんだろうね」 エレナが呟いた。「だけど、見たことがない……」 リノアが言い、エレナが小さく頷く。 リノアとエレナが住むクローヴ村は戦乱の後、争いとは無縁の生活を送った。近隣にも武装した集落はなく、争いの気配は感じられない。 だからこそ、その姿が違和感のように胸の奥に残る。 この人は、どこか遠い土地から来た人なのかもしれない。 目の前で眠る少女の表情は、あまりにも穏やかだ。 緊張も恐れもなく、無防備なまま霧に包まれている。争いなど知らずに育った子ども──そんな印象すら抱かせる。 エレナは目を伏せた。 少女の周囲に散らばった矢の破片が、やけに場違いに見える。
last updateLast Updated : 2025-07-30
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忘れ星の眠り ②

「どうする、リノア。この人……」 まだ名前も知らぬこの命を前にして、リノアとエレナの心の奥で何かが揺れていた。 沈黙がひととき、二人を包む。 けれど、すぐに言葉がそっとこぼれ落ちた。「このままにしておけないよね」 そう言って、リノアは黙って少女を見下ろした。 その寝顔は、あまりにも無垢で──まるで、剣を振るったことなどなかったかのようだった。 リノアは息を吸い込み、そして肩の力を抜いた。「起きるまで、待っていよう」 その言葉は責めるでもなく諭すでもなく、ただ穏やかだった。「そうね。ここに置いていくわけにもいかないし」 エレナは頷くと、ふと夕暮れの空へ視線を向けた。「西の空が朱く染まってる……」 霧の帳が少しずつ薄れ、そこから覗いた光は黄金色ではなく、淡く紅を帯びていた。光はすっかり柔らぎ、崩れかけた輪郭の太陽が、まるで染み込むように空に溶け込んでいる。「出発したのは、朝の霧が濃かった頃よ。それから影と戦って、囚われて、あの人たちを逃がして……ここまで来るのに随分、時間が掛かっちゃったね」 エレナが苦笑した。 リノアは地表に映る自分の影に目を落とした。斜めに延びた輪郭が岩肌に静かに溶け込んでいる。 日が沈むまで、あと一刻あるかないか。 ふたりの間に沈黙が落ちる。「今日はここまでにして、休憩しようか」 エレナがそう言った後、少しの間を置いて、もう一度口を開いた。「念のために縛っておこう」 横たわる少女に、危険な印象はない。だが、名も素性も知れぬ人間に油断するわけにはいかない。何もせずに放置するのはあまりにも無防備すぎる。 この少女が誰かを傷つけようとした事実は揺るがないのだ。 リノアとエレナはロープの代わりになるものを探した。「これなら大丈夫じゃないかな」 リノアは蔓を引っ張って強度を確かめると、手にした短剣で素早く切り裂き、柔らかな繊維を器用に編み始めた。「本当は、こんなことしたくないけど……仕方ないよね」 エレナはリノアから蔓を受け取ると、少女の手足を傷つけぬように、しっかりと縛った。「どんな人か分かんないしね」 リノアが肩をすくめながら呟いた。 二人は少女のそばから少しだけ離れ、岩陰へと腰を下ろす。 霧の向こうにはまだ川のせせらぎが響いている。 リノアはその音に耳を澄ませながら、そっと目を伏せた。
last updateLast Updated : 2025-07-31
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忘れ星の眠り ③

リノアのまなざしは川の向こうに留まり続けていた。 揺れる光が、かつての面影を水の底から照らし出し、心の深層へ波紋を広げていく。「……気のせいだと思うけど、少し似てたの。あの女の人」 言葉が、ためらいながら静かに落ちる。 エレナが振り返ると、リノアがそっとペンダントを握りしめていた。 その指先に宿る力は懐かしさと戸惑いを綯い交ぜにしているようだった。「幼い頃に生き別れた母に……。顔立ちとか……雰囲気……。霧の向こう側だったけど、それでも……」 リノアは目を伏せた。「それでも、なぜか胸が苦しくなった」 リノアの脳裏に、あの時の情景が蘇る。 子どもを抱え、霧の中を駆けていく一人の女性── しかし、その女性はふいに足を止め、ゆっくりとこちらへ振り返った。まるで何かに引かれるように…… 薄絹のような霧の綾間に、女性の瞳だけが浮かび上がる。 何かを語るように、確かに私を見つめていた。 その眼差しは言葉よりも深く、遠い記憶の底を揺らすものだった。 呼びかけたいのに、言葉が出ない。 まるで幻が触れてきたようなひととき── エレナは返す言葉を探しながら、そっとリノアの肩に手を置いた。「その人がリノアの母だとしても、きっと今は会えない理由があるのだと思う」 会えない理由…… リノアは目を伏せて、ゆっくりと息を吸い込んだ。──あれは、本当に夢だったのだろうか。 影に囚われたあの時── 無数の囁きが脳裏を這い回り、心の境界を越えて幻想が流れ込んできた。 幼きリノアが駆け寄った先に、確かに父と母の姿があった。 叫び声も、助けを求める手も、炎に呑まれる業火の中、何者かが父と母を連れ去ろうとしていた── もし、あの光景が幻ではなく、真実であるとするなら── 父と母は生きていることになる。 長く閉ざされていた空白の日々が、いま、霧の奥でゆっくりと輪郭を取り戻し始めている。──川の向こうに消えて行った、あの女性に私は会いに行かなければならない。「それにしてもあの人たち、どこに行ったんだろうね」 エレナが川の向こうを見据えて言った。「どこなんだろう。そもそも、ここって禁足地のはずなのに、人が入り込んでいること自体が不自然なんだよね」 リノアは地図を広げ、軽く指でなぞって川の先の地形を確かめた。 リノアの指先が川を越えた先で止まる。
last updateLast Updated : 2025-07-31
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忘れ星の眠り ④

 風が草を撫でる音が遠ざかる中、リノアは地図に記されていない川向こうの空白地帯をじっと見つめていた。「このことって、みんな知ってるのかな」 問いかけは誰へのものでもなく、リノア自身の心の内を探るような呟きだった。「うーん、どうなんだろ。フェルミナ・アークに入ることができる人は限られてるし、そもそも誰も近づこうとしない場所だからね。知っている人がいたとしても、ほんの僅かじゃないかな。噂程度になら知っている人もいるだろうけど」 そう言って、エレナは胸元で手を組み、霧の空間を眺めた。 その目は遠くの記憶に触れているようでもあり、語る言葉は一歩引いたところから世界を見ているようでもあった。「そうだよね。フェルミナ・アークに来るときだって、船頭のルシアンを見つけるのにどれだけ時間が掛かったか……」 リノアは目を伏せ、足元の苔をそっと踏みしめた。 目的がなければ、こんな場所まで足を運ぼうなどとは誰も思わない。ラヴィナに会い、自然破壊を止める──ただそれだけの目的のために、ようやく辿り着いた場所だ。 このような特異な土地の内側など、アークセリアの人だって知る由もないだろう。 リノアは霧の奥を見据え、口元をそっと引き締めた。 その土地が地図から意図的に消されたのか、それとも誰一人として踏み入れたことがないのか、定かではない。 世界の輪郭の外に浮かぶ、もうひとつの世界―― 語られることのない領域が、この霧の先にある。「結局、分からないことだらけだね」 リノアは川の向こう側を見つめたまま、そっと言葉をこぼした。 目の前に広がるのは、地図にも記されていない空白の地。 語られることのないその領域には誰かが住んでいる気配がある。そこに住む者が誰なのか、どうしてそこにいるのか、何も分かっていない。「あの人が起きたら、訊いてみようか」 そう言って、エレナは木の根元で寝息を立てている少女を見つめた。 その少女の呼吸は浅く、安心しきった寝顔をしている。自分が捉えられ、縛られているなど、思いもしないだろう。「教えてくれるかな」 リノアが不安そうに呟いた。 もし、その答えに触れることができるのなら── あの日に置き去りにされた私の心を、少しは取り戻せるかもしれない。
last updateLast Updated : 2025-07-31
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フェルミナ・アーク探訪録 ①

 アリシアは深く息を吐いた。 それは希望でも恐れでもない、先に進むしかない者のため息だった。 ゾディア・ノヴァ──そんな面倒な集団が関わっているなんて…… アリシアの視線はセラに向けられていたが、その瞳の奥には星を重ねた刺繍の模様が脳裏に閃いていた。「セラ、あなたのお父さんって、学問的な記録に通じてる人なの?」「ううん。禁足地に関心を持っているだけ。あそこを直接調べるのは正式には禁じられてるから、父の仕事は表向きには、フェルミナ・アーク周辺の環境調査ってことになってる」 セラの表情は、どことなく葛藤の色を帯びている。「地質? それだけでゾディアの紋章まで辿り着けるなんて思えないけど。だって、フェルミナ・アークですら、禁足地でろくに調査もできないはずなのに……」 アリシアの論理的な反論の中に、見えない壁を探る仕草が混じる。「父は自分で行くというリスクを取らずに、フェルミナ・アークへ渡った人の帰還記録とか、向こうから持ち帰った断片的な証言とか……そういうものを組み合わせて行って概要を知ろうとしたの。殆ど趣味みたいなものだけどね」「よく、そんな場所に行こうと思ったね、みんな。怖いもの知らずっていうか……」 アリシアは苦笑交じりに呟いた。「最初は、ただの探検気分だったんだと思う。境界の向こうには何があるのかって、好奇心だけで踏み込んでいく人たちがいた。噂好きとか、古代遺跡マニアとかね。父はそういう人たちの記録を追ってたの」 セラは一泊、間をおいてから、さらに続ける。「でも、情報が集まり始めた頃から、様子が変わってきた」 セラが俯き加減で言った。空気がわずかに濁る。「残された記録には、言葉にしきれない現象が散見されてた。星の並びが歪んだ夜があったとか、帰ってきた人が何も語れなくなった、とか……」「語れない……?」 アリシアは驚いて目を見開いた。 セラが頷く。「瞳の焦点が合ってるのに、そこを見てない感じ。話し方も言葉の選び方も……少しずつズレていく。ある人は毎晩違う声に起こされるって。耳じゃなくて、脳の奥に響くらしいの」 セラの言葉にアリシアは思わず息を呑んだ。セラがさらに続ける。「やがて誰も行かなくなった。気味悪がって……。亡くなった人もいたし、帰ってこなかった人もいたから……」 アリシアは身じろぎし、視線を巡らせた。周囲は変わら
last updateLast Updated : 2025-08-01
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フェルミナ・アーク探訪録 ②

 声が震えないように口を固く結んだアリシアが、セラを見つめ返す。「行った人で帰って来た人がいるのなら、少しだけでも良いから聞いてみたい。何を見て、何を畏れたのか」 震えを隠した声に、探究心がうっすら混ざる。触れてはいけないものと分かっていても、それが記録されずに消えていくことのほうが、よほど怖い。 アリシアの心の内に震えが走った。 それでも――聞かなければならない。 リノアの過去の光景が思い起こされる。 禁足地から帰ってきた人たちの話が、幼少期のリノアと重なるのだ。リノアも様子がおかしいことがあった。 アリシアの目はセラを越えてどこか遠くを見ていた。風のないはずの空気が微かに揺れている。「セラ、あなたのお父さんに会わせて」 アリシアはセラをまっすぐに見据えて言った。その佇まいには一片の揺らぎもない。「それから、フェルミナに行ったことがある人にも」 生きた情報を知るには、実際に体験をした人に訊くのが一番だ。「ルシアンって人に訊けたら一番なんだけどね。あの人は多分無理だろうな」 そう言って、セラは目を伏せた。「ルシアン?」 アリシアは首を傾げた。「あらゆる渡航記録に名前が出てくるのに、本人の言葉はどこにも残ってない。不自然なくらいにね」「フェルミナ・アークの航路に通じていて、すべての渡航者はルシアンの船で向かってる。でも、父の日誌には“この人物からの直接情報は得られない”って書かれてた。ルシアンは何を訊いても絶対に話さないんだって」「きっと話せない理由があるんだろうね。契約か、責任感から来るものか、はっきりとは分からないけど」 アリシアは軽く息を吐いた。 任された立場なら、おいそれと話すわけにはいかないだろう。そればかりは仕方がないのではないか。「本当は詳しい人から直接聞くのが一番だけど、ルシアンから訊くのは諦めた方が良さそうね」 アリシアは振り返って、波打ち際に佇むヴィクターへ目を向けた。「ヴィクターはどうする? 付いてくる?」 ヴィクターは一瞬、躊躇したものの、視線を落として呟いた。「……俺も行くよ、一人になるのは、ちょっとな……」 アリシアは頷いて、口元に柔らかな微笑を浮かべた。「じゃあ、決まりね。セラ、お父さんに会わせてもらえる?」「うん。ついてきて。今なら家に居ると思う」 セラは即座にそう言って、すぐに
last updateLast Updated : 2025-08-02
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フェルミナ・アーク探訪録 ③

 夕暮れの海岸は空と海の境界を曖昧にしながら、赤紫の光で染まっている。 波が寄せては返す音が、三人の足音に寄り添うように響いていた。言葉にできない不安をなだめるかのように潮風が髪を撫でていく。 アリシアは前方を歩くセラの背に問いかけるように声を発した。「ひょっとして、そのゾディア・ノヴァという組織が居る場所って、エクレシア? グレタが向かったという、あの場所」 情報屋が、グレタがエクレシアに入り込んだ可能性に言及していた。 アリシアの問いに、セラは一瞬だけ足を緩めたが、すぐに歩き直した。「……どうなんだろ。フェルミナ・アークには幾つかの領域があって、その一つがエクレシアらしいから、その可能性はあるかも」 セラは言葉を探しながらも、慎重に可能性を示した。「ヴィクター、どうなの? グレタが行った先。エクレシアで合ってる?」 アリシアが訊いた。「ああ、エクレシアに行くと言ってた」 ばつが悪そうにアリシアたちの後ろを歩いていたヴィクターが言葉を発した。「フェルミナ・アークの周辺の村や町で、ゾディア・ノヴァが目撃されたって話はほとんど聞かないし。拠点があるとしたらフェルミナ・アークのどこかだと思う」 セラは記憶を辿るように答えた。「だとすれば、そこが拠点の可能性が高い。このタイミングでエクレシアに向かったってことは……何か、あるんだと思う」 アリシアは沈む夕日に目を向けながら言葉を発した。その視線は地平線の見えない向こう側を探るように遠かった。 アリシアは、ふと情報屋との会話を思い出した。 地図に挟まれていた枯れない葉──情報屋は、エクレシアには三年ほど枯れない葉があると言っていた。「ねえ、ヴィクター。枯れない葉のことなんだけど……」 アリシアは潮風に吹かれながらヴィクターに声を投げかけた。「枯れない葉? それがどうしたんだ」 ヴィクターは怪訝そうに眉を寄せた。「エクレシアにあるらしいの。三年間、色褪せず枯れない葉。情報屋に手渡された地図に、それが挟まれてた」 アリシアは、あの不思議な黄金色の葉を思い出しながら説明した。「情報屋が言ってたんだけど、それを持ち帰ったのはヴィクターということになってる」「は? 俺が?」 アリシアが頷く。 その葉があるから、情報屋はグレタがエクレシアに行ったのだと目星をつけたのだ。「そんなわ
last updateLast Updated : 2025-08-03
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フェルミナ・アーク探訪録 ④

「……呆れた」 アリシアが息を吐いた。 ヴィクターが肩をすくめて笑っている。悪びれる様子は微塵もない。 たとえ自分に必要のないものだったとしても、それが貴重であるならば、何かあるのではないかと、その背後に込められた意味に目を向けるものではないのか。 昔からヴィクターはそうだった。思慮に欠けている。いや、それ以前に考えることを拒んでいると言うべきか……。 そんなことだから、リノアに対しても浅はかな言葉で傷つけてしまうのだ。「ヴィクター、もし、その枯れない葉を調べて、何かに触れてしまったら、責任を持たなきゃいけなくなる。だから、手放したんじゃないの」 ヴィクターは黙ったまま、海から吹き抜ける風に目を細めている。 アリシアが言葉を継ぐ。「そのゾディア・ノヴァの人が何故、自分に手渡してきたのか考えなかったの?」 その場に重い静けさが漂う。波音は一定のリズムを刻んでいるのに、耳に届く響きはどこか歪んでいて、風の冷たさすら感情をざらつかせる。空気は緊張に満ち、言葉一つが崩壊の引き金になりかねない。「その女性、どんな人だったんですか?」 不穏な空気を察したセラが二人の間に割って入った。 セラの声が張りつめた空気をほぐすように響く。「……物静かだったよ。言葉も穏やかで、目つきも鋭くない。なんていうか……まっすぐな人だった」「まっすぐ?」 セラが首を傾ける。「ああ、ゾディア・ノヴァやグレタの連中と比べても、どこか異質というか……」「その人って、本当にゾディア・ノヴァの人なんですか?」 セラの一言に、ヴィクターの眉がぴくりと動く。「そう名乗ったわけじゃない。だが、その人の服にも星を重ねた紋章があった。間違いないと思う」 会話を聞いていたアリシアの視線が鋭さを増した。 酒場で一人、いじけるように酒を呑んでいたヴィクターを見て、憐みを感じ、枯れない葉を手渡した。そんな偶然の親切だったのかもしれない。──だけど、胸の奥で何かが引っかかる。 もし仮に意図的に手渡したのだとしたら……。そこには何らかの想いが込められていることになる。「何だったのでしょうね。ただ綺麗なものを誰かにプレゼントしたかっただけなのかな」 そう言って、セラが前方を見た。 その視線の先には夜の帳が降りかけた住宅街──風に揺れる街灯の影が緩やかに石畳を撫でている。「お父さ
last updateLast Updated : 2025-08-04
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