川面が夕暮れの残光で淡く揺れている。 エレナはそっと立ち上がると、木の根元ですやすやと眠る少女に目をやった。敵意など微塵もなく、その視線には、どこか柔らかな気遣いが見て取れる。 エレナは矢筒を背負い直し、狩りに向けて歩き出した。「すぐ戻るね。……リノア、焚火、お願い」 リノアが頷く。 エレナの足音が草を踏み分けて遠ざかっていく。場には静寂だけが残る。 リノアはゆっくりと膝を折り、小さな石を円に並べ始めた。湿った土の匂いが足元に立ち込め、拾った枝を指先で折って焚き付けにしていく。 火を育てる手元を見つめながら、リノアはふと手の動きを止めた。枝先に灯る火種の気配が、記憶の底に眠っていた光景を呼び起こしたからだ。──クローヴ村にいたあの日。 霧が薄く流れる朝、私は一人、森の外れへと向かった。 シオンが命を落とした場所は、ある程度、見当はついていた。けれど、詳しい道筋など誰にも教わってはいなかった。 それでも迷うことなく、その場所へ辿り着くことができたのだ。 今になって思えば──それは偶然ではなかったように思える。そこでシオンが書いた紙片を見つけ、木箱を見つけたことも…… シオンを思い出し、一人で佇んでいた時、突風が吹き抜け、灰と枯葉を巻き上げた。 目の前に現れたのは、装飾が施された木箱── あのとき肌で感じた風と光の揺らぎは、今も胸の奥に残り続けている。誰かが私を、あの場所へ導いた。そうとしか思えない。 箱の中には、“龍の涙”が眠っていた。 なぜ焚き火の跡にそれが遺されていたのか——あの頃の私には分からなかった。けれど今は、少しずつその意味を受け入れ始めている。──軽々しく扱えば破滅へ至る── クラウディアの手紙に綴られていた言葉が私の在り方を変えた。 その日を境に、私は龍の涙に軽々しく触れぬよう、慎重に振る舞った。そして、誰にも知られないように、そっと内に忍ばせ、必要以上に外部に漏らすことを避けたのだ。 龍の涙が何を導くものなのか——それは、まだ分からない。けれど、確かなことが一つだけある。 それは、シオンが命を懸けて守ったものを、私が受け継いだということだ。その責任が私に託されている事実だけは受け入れなければならない。 火打石の音が夜の静けさを割る。二度、三度。ようやく白く細い火花が走り、枝先がわずかに燻りはじめた。
Last Updated : 2025-08-05 Read more