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All Chapters of 水鏡の星詠: Chapter 211 - Chapter 220

275 Chapters

崩れたものと、繋ぎ直すもの ②

 先頭にクラウディアが歩き、他の者がそれに追随していく。「マルコさん、ノルヴェンの人たちと過去に何かあったの?」 ミラが訊いた。「特に何があったわけじゃないよ」「でも仲が悪かったんでしょ?」「いや、そこまで仲がこじれていたわけじゃない。過去に色々とね。お互いに困った時に、今日のように助け合えば良かったんだが……」 マルコは言葉を切り、視線を落とした。 風が谷の方から吹き上げてくる。 乾いた草が擦れ合い、ささやくような音を立てた。「それぞれが、自分たちのことしか考えてなかった。村のこと、家族のこと、仕事のこと……それぞれに事情があったのは分かる。誰も他の集落のことなんて気にしてなかったんだ」 マルコは遠くに見える山々を見つめた。 戦乱の最中、多くの集落がセリカ=ノクトゥムに襲撃を受けた。様々なところから立ち上る煙が、空を灰色に染めていたことを思い出す。 その煙のひとつひとつに、名前のある家があり、声のあった暮らしがあった。「助けを求めてきた集落もあったんだ……」 マルコの声は、風にかき消されそうなほど低かった。「だけどクローヴの者たちは耳を塞いだ。うちの村は関係がないってね。ここは山に守られてる。道も狭い。奴らがわざわざ来るはずがないと言って、助けに行かなかった」 ミラは歩みを緩め、マルコの横顔を見つめた。 マルコの言葉の奥に何かを抱えているのが分かった。それは怒りではなく、もっと深い、沈殿したもの──「でも、来たんだよ。あいつらは。セリカ=ノクトゥムが来たんだ」「誰も備えてなかった。誰も逃げ道を考えてなかった。鐘が鳴った時にはもう、手遅れだった……」 マルコは拳を握ったが、それは誰かを責めるためではなかった。あの瞬間に戻れないことへの悔しさが表れている。「俺たちは見捨てたんだ。他の集落を。あの時は見捨てられる側になるなんて、誰も思ってもいなかった」 言葉では届かないものが、マルコの背中に滲んでいる。それは、過去の選択が今も彼の中で燃え続けている証だった。「今日のように手を貸すことができたなら、もっと早く何かを変えることができたのかもしれない。でも、もう過去は戻らない。だからせめて、これからは……」 マルコは言葉を飲み込んだ。 その先にある願いは、まだ形になっていない。けれど、ミラにはそれが何か分かった。 道の先に
last updateLast Updated : 2025-08-24
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エクレシアへ至る道 ①

 岩肌に苔が張りつき、風は音を持たずに吹き抜ける。 場所はフェルミナ・アーク──霧が薄く流れるエクレシア領域の外縁。 そこに沈黙を裂くように、二つの影が現れた。 先頭を歩くのは、グリモア村の村長・グレタ。 年齢を感じさせない、重心のぶれない歩み。 その姿は、風景の一部のように揺るぎないものだった。 グレタの隣には、大型の剣を背負った女戦士が並ぶ。 剣の柄には、見慣れぬ印が刻まれていた。それは、かつて禁足地の奥に封じられた紋章に似ていたが、誰もその意味を語る者はいない。 その二人の後方に三人の黒い影。 フェルミナ・アークに踏み入った瞬間から、グレタは違和感を覚えていた。 足元を流れる水路は、かつて灰の巡礼者たちが使ったとされる古い導線だ。岩の裂け目を縫うように続くその道は、記録にも地図にも載っていない。 アークセリアから誰にも気づかれることなく侵入できる唯一の道── この道を通れば、禁足地の境界を越えても誰にも気づかれずに済むはずだった。 だが、今、誰かに尾行されている。「気づかれたようですね」 女性戦士カリスは剣の柄に指を添えた。 感情の揺らぎは見えず、次の瞬間に備えている。 何かを測るように、何かを待つように。 そこに恐れはない。冷徹な警戒だった。 距離があり、姿は見えない。だが、確かに“そこ”にいる。 霧の向こうに三人の気配── 彼らの動きは、追跡者のそれだった。 音もなく、気配もない。それでも確実に近づいてくる。「侵入時、誰にも目撃されなかった。記録には残っていないはずじゃ。水路の入口も封じた。気付かれるはずはないんじゃがな……」 グレタは思考を巡らせた。 誰かが情報を漏らしたのか。 それとも、彼らがこの道を知っていたのか。「彼らはゾディア・ノヴァですか」 セリカ=ノクトゥムの残党──より凶悪性を増した集団と聞く。「恐らくな。しかし襲い掛かってくる気配がない。我らの動きに合わせて動いている。こちらの目的を見極めようとしているのかもしれんな」「どうしますか? このままエクレシアに近づきますか?」 グレタは意識を集中した。 霧の中に黒のマントに身を包む三人の姿を捉えた。 彼らの動きは機械のように揃っている。顔も姿も判然としない。影が地を這っているようであり、重さを持たずに進んでいる。 その目は何
last updateLast Updated : 2025-08-25
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エクレシアに至る道 ②

 風が細く、霧は深い。二人の足音が地に吸われて消えていく。 グレタは足を止めず、視線だけを周囲に巡らせた。 前方には岩肌が露出した丘陵が広がっている。 その向こうに、エクレシアがある。 かつて神々の息吹が宿るとされたその地は、今となっては誰も語る者はいない。 語ることが禁じられているのか、それとも語る価値すら失われたのか── 肌を纏わりつく空気は重く、ひんやりとした感触が忘れていた記憶をそっと呼び起こす。 風は何かを囁いている。それは言葉ではなく、名を持たぬ感情や形を持たぬ記憶── エクレシアは、そうしたものを孕んでいる。 エクレシアに近づいた証拠だ。 グレタは知っている。 この地に踏み入る者は、何かを捨てねばならないことを。それが過去であれ、名であれ、あるいは魂の一部であれ。 エクレシアの民は、それらを捨てて生きているのだ。 カリスは黙ってグレタの背を追った。 剣の柄に添えた手が、わずかに震えている。 それは恐れではない。境界を越えようとする者にのみ許される、覚悟の震えだった。「空気が変わりましたね」 カリスが呟いた。 風は止み、霧は動かない。空間そのものが息を潜めている。 グレタは頷くと、腰の小袋から黒い石片を取り出した。それは、エクレシアに入る者が持つべき“証”だった。 かつての神官たちが刻んだ印。今では意味も用途も忘れ去られているが、それでも持っていなければならない。そう教えられてきた。「奴ら、まだ後方から付いてきています」 カリスが振り返ることなく言った。「ああ、見えないが感じる。ひしひしとな。あの目の感触を思い出すわい」 グレタは石片を握りしめた。 距離は保たれている。だが、それは追跡を諦めたからではない。むしろ、彼らは待っている。何かが起きるのを。「このままエクレシアに近づけば、奴らは動いてくるじゃろう」「それでも行くのですね」 カリスは問いではなく、確認として言った。「奴らが探しているものは、あの地に眠っておる。おそらく奴らは名家の者。何が何でも手に入れるつもりじゃ。絶対に奴らの手に渡してはならん、ノヴァの残党も動き出した今、一刻の猶予はない」 霧の中を進んでいると、霧が一瞬、裂けるように流れ、その向こうに岩の裂け目が見えた。 エクレシアの境界――かつて封じられた領域の入口だ。 そこに
last updateLast Updated : 2025-08-26
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エクレシアに至る道 ③

 霧の奥へと踏み入った瞬間、空気が変わった。 それは温度でも匂いでもない。何かがこちらを見ているような感覚── 記録されぬ記憶の地──エクレシアが近づいている。 岩肌の裂け目を越え、二人は慎重に歩を進めた。 地面は乾いているのに、足元には湿り気がまとわりつく。 忘れられた記憶が地中から蒸気となって立ち上ってくるかのように、目に見えぬものが地中から立ち昇っている。「妙ですね」 カリスが短く言い、周囲に目を配る。「エクレシアに入るのが目的なら、あの黒衣の三人が仕掛けてくるには早すぎます。それにグレタ様を襲うには、あまりに力が足りない。意図が読めません」 グレタは答えず、しばらく霧の流れを見つめていた。 その目は何かを探しているようで、何かを思い出しているようでもあった。 カリスが見守っていると、やがて、グレタは口を開いた。「各地を回って、名家の者たちには伝えたつもりじゃった。この地の封印が揺らいでいること、ノヴァの残党が動き出していることをな。それでも、どこかの誰かが刺客を送り込んできたのかもしれん。争う暇などないというのに……」 カリスは眉をひそめた。「では、あれは私たちに対する警告ですか?」「ああ、牽制か。若しくは、わしらが何を探しているのか、見極めようとしているのかもしれんな。今後は、あの程度では済まない。それだけのものがエクレシアにあるということじゃ」 霧が再び流れ、二人の背を押すように動く。 その奥に、かすかに構造物の影が見えた。 崩れかけた石の門。 柱の片方は根に飲まれ、もう片方は風化した紋章をかろうじて残している。それは、かつて神々が通ったとされる記録されぬ入口──だが、今はただの廃墟にしか見えなかった。 グレタは門の前で立ち止まり、杖の先で地を軽く叩いた。音は返ってこない。空気が吸い込まれるように沈黙する。 次にグレタは石片を取り出して、門の紋章にかざしてみた。だが、何も起きない。霧は流れ続け、門は沈黙を保ったままだ。「……違うか」 グレタが呟く。「この門が入口であることは間違いない。だが開かぬ。何かが足りん」 グレタが一歩近づき、門を見上げた。「この沈黙……門が我らを拒んでいるのか、それともまだ試しているのか」「何かが、この門を封じているのでは。意志のようなものを感じます。」 カリスが門に触れ
last updateLast Updated : 2025-08-26
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境界を越える者たち ①

 石畳に夕陽が斜めに差し込み、長い影が路地を這っていた。 先ほど降った雨はすでに止んでいる。しかし路地の石畳にはまだ水が残っていた。靴の音が柔らかく吸い込まれていく。 相変わらず人の気配のない場所だ。生活の匂いが感じられない。 セラとアリシア、そしてヴィクターの三人は情報屋カデルの店の前に立った。 扉の金属飾りが雨に濡れ、鈍い光を帯びて揺れていた。 風が通り抜けるたび、錆びた金属が擦れ合い、軋む音を響かせる。 その音が、セラの胸の奥に沈んでいた記憶を呼び起こした。 セラは深く息を吸い込み、胸の奥に沈んでいたざわめきを静めると。ためらいのない手つきで扉に触れて、ゆっくりと押し開けた。 鈍い鈴の音が店内に響く。 棚には紙束と古い地図、そして誰にも読まれたことのない手紙が並んでいる。 カデルは奥の机に座っていた。「また来るとは思わなかったな。……何しに来たんだ? セラ」 カデルは顔を上げてセラを確認すると、一瞬だけ目を細めた。 声は乾いている。しかし、その言葉には棘はない。 セラは答えず、懐から折りたたまれた紙片を取り出した。父イオとの会話により、カデルに対しての蟠りは、もう霧散していた。セラもカデルに対しての敵意はもうない。「ナディアとエリオの居場所を知りたいの。急ぎで」 カデルは紙を受け取り、視線を走らせる。「この筆跡……イオか」 カデルの目が文字を追うにつれ、表情が徐々に変わっていった。眉が寄り、口元が引き締まる。「エクレシアに行くのか?」 カデルが紙を机に置き、セラを見据えた。「ここにいる全員で?」 セラは視線を逸らさずにカデルの目を見た。 その仕草を肯定と受け取ったカデルは、今度はヴィクターを見据えた。「そこにいるのはヴィクターか」 声の温度が一段と下がる。「どうして、ここにいる? グレタと通じていた奴のはずだが」 そう言ってカデルは椅子の背に手をかけて立ち上がった。「俺が追っていた頃、ヴィクターは“影の帳簿”に名を残していた。表の記録には一切出さずにな。裏の流れには痕跡があった。資金移動、消えた巡礼者、報告書。全部、グレタの周辺で起きていたことだ」 カデルの目が疑念を隠そうともせずヴィクターを射抜く。「グレタの名を聞いても、動じないんだな」 カデルは測るようにヴィクターを見続けた。
last updateLast Updated : 2025-08-27
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境界を越える者たち ②

 セラ、アリシア、ヴィクターの三人がこれまで起きたことをカデルに伝えた。「そうか。グレタの奴はフェルミナ・アークに入ったリノアとエレナの情報を、ヴィクターから訊き出すために接触したのかもしれないな」 カデルは壁際に立ち、視線をヴィクターに向けた。「これが役に立つか分からないけど」 ヴィクターが一枚の紙片を取り出して、机の上に置いた。 それは、かつてグレタがヴェルディア家から受け取った石片を写し取ったものだった。「あいつらはエクレシアに侵入しようと試みている。これがその証拠だ」 カデルはヴィクターから紙片を受けり、じっと見つめた。 その紙片に刻まれた模様は、かつてカデルが調べたヴェルディア家が持つ”記憶の紋章”と一致していた。 記憶の紋章は、エクレシアを外部から守るために設けられた封印の鍵── 誰もが踏み入れられぬよう、エクレシアの境界には記憶の結界が張られている。その結界を破るには、紋章に刻まれた記憶の構造を正しく読み解き、それに対応する“通過の証”を持たねばならない。 ゾディア・ノヴァの前身であるセリカ=ノクトゥムは、かつて、その証を信頼できる国に託した。それがヴェルディア国を統治するヴェルディア家だった。 紋章と入国する資格を持つ者だけが、エクレシアの深奥へと足を踏み入れることが許される。 カデルは紙片を見つめながら、思い出していた。「ヴェルディア家か。セリカ=ノクトゥムから信用を得たほどの国……。これは面倒なことになったな。セリカ=ノクトゥムが弱体化し、代わりに現れたのが残党のゾディア・ノヴァ。そいつらだけでも厄介だというのに」 この“記憶の紋章”が表に現れたということは、境界が揺らぎ始めている証だ。 近い将来、誰かがその先へ踏み込む。 それは偶然ではなく、意図された侵入。「……もう、ここまで迫っているのか」 カデルは紙片を見つめたまま、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。背もたれに体を預けながらも視線だけは鋭さを残している。「奴らがエクレシアに向かう理由は定かではない。記憶を奪うか、封印を解くか──あるいは、あの地に眠る何かを手に入れ、権力を手中に収めようとしているか……。ろくな目的じゃないことだけは確かだ」 カデルの言葉の端に火種のようなものが潜んでいる。「我々も、そして記録されぬ者たちまでもが記録の地に向かおうとし
last updateLast Updated : 2025-08-27
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境界を越える者たち ③

 アリシアはカデルの言葉に頷くと、セラとヴィクターに目を向けた。三人の間に緊張と安堵が入り混じった空気が流れている。 エクレシア──記憶を試す場所。 その名が持つ重みは誰の胸にも影を落とした。だが、クラウディアの名が出たことで、空気が幾らか和らぐ。──クラウディアがいるなら安心だ。 そう思えるだけで、胸に絡みついていた不安の蔦が少しはほどける気がするのだ。「カデルさんの言う通り、時間もあることだし、みんなが出揃うまで各々、準備しましょう。と言っても、今日はもう遅いから、明日にでも」 三人はそれぞれの思いに囚われながら、扉へと歩を進めた。「待て。これを持っていけ。前に渡した物とは別のものだ」 カデルが三人を呼び止めて、棚の奥から一枚の古びた地図を取り出した。 長い間、誰にも触れられずに眠っていたからだろう。紙の端は黄ばんでいるが、折り目は殆ど見られない。 差し詰め、封印されたままの知識といったところか。 カデルは三人に見えるように地図を広げた。「これは、エリオから聞いた話をもとに作成したものだ。この地図は、逃走経路と今も残るエクレシアの痕跡を示している。奴はかつてゾディア・ノヴァに所属していた。正確な情報のはずだ」 地図には紅い印が三つ付けられている。 北の境界集落、南の巡礼路、そして地図の余白にかすれた文字で記された《エクレシア》「北の境界集落については……さすがに俺にも分からない。エリオも特に何も話してはいなかった。その辺りの集落のように、どこにも属したくない連中が集まっているのかもしれないな」 カデルの目が地図の上を何度も往復した。焦点の定まらない視線が彼の中の答えのなさを物語っている。「南の巡礼路はゾディア・ノヴァの通る道だ。奴らは《エクレシア》を信仰している。道沿いには像や石碑が並び、その表面には祈りの言葉が刻まれているらしい」 セラは地図を受け取ると、視線をカデルに向けた。 かつてはカデルに対して快く思っていなかった。金の為なら、相手を踏みつけることも厭わない、そのような人物だと思っていた。だが、父イオから真相を聞かされた今となっては、その見方も変わった。 ナディアとエリオ、そして私の三人を守ってくれた事実── それらが私の中の蟠りを溶かしただけでなく、感謝の念を芽吹かせていた。「その様子では……
last updateLast Updated : 2025-08-28
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蔦がほどける夜 ⑧

 エレナの視線は、焚火の残り火が放つ微かな赤い光に吸い寄せられていた。 フェルミナ・アークの夜は深く、星々が冷たく瞬く空の下、虫の声だけが静寂を縫うように響いている。 エレナの背後では、リノアとリュカが互いに少し離れた位置で浅い寝息を立てていた。 リノアの顔には、戦いの疲れがまだ色濃く残っている。それでも、その寝顔にはどこか安らぎが漂っていた。森そのものがリノアを包み込んでいるかのように。 ゾディア・ノヴァの兵士・リュカは蔦の束縛から解かれたはずなのに、眠るその姿にはまだ何かが絡みついているようだった。 呼吸が浅く、まぶたの裏で何かを見ているのか、微かな震えがある。夢の中でも命令に従っているのだろうか。 エレナは焚火に小枝を投じ、火が小さく弾ける音に耳を傾けた。 シオンの幻影がまだ頭の片隅にちらつき、胸の奥で疼く感情を抑えることができない。だが、今は感傷に浸っている場合ではない。二人を休ませるために、きちんと見張っていなければ。 エレナは首を振って意識を引き戻し、周囲の闇に目を凝らした。 私が狩りをしたことで森を怒らせたというのに、獣は一向に襲ってくる気配はない。相変わらず不穏な気配を漂わせているだけ── これは一体、どういうことなのだろう。森と通じるリノアの不思議な力がそうさせるのだろうか。 それでも、森の奥にはまだ何かが潜んでいる気がする。カザル・シェルドのような攻撃的ではない生物なら良いが…… この地に生息する生物は異質だ。何か別の力が働いている。 フェルミナ・アークには、アークセリアの住民であっても、おいそれと足を踏み入ることができない。入る時は危険を覚悟しなければならない土地だ。 ゾディア・ノヴァの存在もそうさせるのだろう。この地は影響が色濃く残る場所なのかもしれない。リュカがこの地に姿を現したのは偶然ではないはずだ。 ゾディア・ノヴァ──リュカとの会話の中で、その名を初めて耳にした。その名を思うだけで、なぜか背筋に冷たいものが走る。 リュカの鉱石を使わずに幻を見せる術といい、思想といい、常人には理解しがたいものがあった。 リュカとの戦いは短く、全容を推し量るものではなかったが、あの戦いでゾディア・ノヴァの片鱗が見えたように思える。きっと、まだ序章に過ぎない。 ゾディア・ノヴァの真なる力──その深淵は、まだ誰も見たことの
last updateLast Updated : 2025-08-29
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蔦がほどける夜 ⑨

 エレナは焚火から視線を外すと、木に立てかけていた弓へと手を伸ばした。 虫の声が途切れ、静寂が森を支配する。「誰だ?」 エレナは闇の奥へと目を凝らした。しかし闇の中の者は答えない。 重く粘りつくような気配── 闇の中から気配がゆっくりと近づいてくる。 この異様な空気──これはリュカや他のゾディア・ノヴァが纏っていたものと同じだ。──私たちがリュカを殺したと思っているのかもしれない。復讐のために来たのか。 エレナの心臓が鼓動を速める。 エレナは少し離れた場所で眠るリノアに目をやった。焚火の光がリノアの横顔を淡く照らしている。 エレナは闇の存在からリノアを庇うように身を寄せると、姿勢を低くし、背負った弓に手を添えた。 森の空気が張り詰めていく── リノアの旅は、祈りにも似た決意から始まった。 自然を守りたい──その想いに突き動かされ、リノアはクローヴ村を後にしたのだ。 そのリノアを支えるため、私はフェルミナ・アークにまで付いて来た。 だけど、自然を守りたいのはリノアだけじゃない。 シオンが愛した森を守る── その想いは私の中にも根を張っている。シオンが語っていた木々の記憶、風の声、命の連なり── それらが今、胸の奥で脈打っている。──必ず、その目的は達成されなければならない。 リノアは戦いには不慣れだ。今日の戦いで限界まで力を使い果たしたことは容易に想像することができる。これから先もリノアの力は必要不可欠だ。 リノアはシオンの妹──そして私にとっても、かけがえのない存在── この程度のことで、リノアを起こすわけにはいかない。 幸いなことに相手は一人だ。私一人でこの場を凌ぎきれるはず。 森の奥で気配が一瞬、揺れる。「来るなら来い」 エレナは闇に向かって呟くと、弓の弦を引き絞った。動き出す瞬間を逃すまいと鋭く目を光らせる。 森の奥で葉擦れの気配が途絶えた刹那、低く軋むような音が空間を切り裂いた。 それは声とも咆哮ともつかず、ただ存在の異質さだけを伝えてくるものだった。 背筋に冷たい汗が伝う。 これは、リュカが纏っていた気配より、もっと深く、古くて冷たい──「やめろ……」 背後から微かな声。リュカの声だ。 リュカは目を閉じたまま、寝言のように呟いている。「星が見ている……」 星? 星とは何だろう──その言
last updateLast Updated : 2025-08-30
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蔦がほどける夜 ⑩

 当初、エレナはその言葉の意味を掴みかねていた。“逃亡者リュカは、命令に背いた”──それは、リュカ個人への追及だと思った。だが、“お前たち”という一言がすべてを変えた。 私も、リノアも、すでに記録に刻まれている…… この森に足を踏み入れた時点で、私たちはゾディア・ノヴァの排除対象となっていたのかもしれない。 焚火の光が揺れ、影が長く伸びる。 エレナは、リノアの異変に気付いた。──いつものリノアなら気配に気づいて起きるはず。リノアが何かに封じられているように動かない。 リノアはまだ眠ったままだ。その寝息が、あまりにも静かで、あまりにも脆く感じられた。 これは、一体、どういうことだろう。 エレナは思考を巡らせた。 “記録に含まれている”──あの言葉が脳裏をよぎる。 リノアはすでに、何らかの術式の中に組み込まれているのかもしれない。 エレナは弓を握り直した。 指先が冷え、呼吸が浅くなる。 だが、目の前の存在は微動だにしない。 黒いフードの奥にある瞳は、さながら記録を読み上げる機械のようだ。リュカの中にあった人間らしい葛藤は、この存在には微塵も感じられない。 まるで命令通りに動く執行者──。 エレナは目の前の執行者を見据えながら、リュカとの会話を思い出した。 リュカが私たちとの会話で見せた、あの揺らぎ──何かを言いかけて、言えなかった…… リュカはその沈黙の中に、まだ人間としての何かが残っている。 だが今、目の前にいるこの執行者は違う。命令を遂行するためだけに生まれた存在。おそらく、この執行者を操っている者も同様だろう。 “排除”──その言葉が、ただの脅しではないことをエレナは肌で感じた。 焚火の炎が一瞬、青白く揺れる。──仕掛けてくる そう思った瞬間、目の前の闇が裂けた。 音もなく執行者の影が跳ねる。 冷たい刃が弧を描きながら、エレナの喉元へ滑り込んできた。 エレナの身体が瞬時に反応し、攻撃を躱す。身を翻したエレナは、まだ構えきらぬ手で矢を放った。 唸りを上げて闇を裂いていく一筋の矢── 狙いは定まっていない。だが、今はそれでいい。 執行者の動きは滑らかで、予測不可能。重力も空気も、執行者の前では意味を成さない。だが、一瞬でも動きを止めれば、それが命を繋ぐはずだ。 矢が無残にも空を切り裂いて行く、 やはり、
last updateLast Updated : 2025-08-31
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