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All Chapters of 彩雲華胥: Chapter 51 - Chapter 60

63 Chapters

2-21 竜虎、新たなる決意

 あの蟷螂の妖獣の鎌が村に張り巡らされた糸をすべて断ち切り、括られていた亡骸は無残にも地面に野ざらしにされた状態だった。どうかもわからない仮定の問題より、目下の問題を片付けるのが先だろう。 まるで何十年も前に廃村となってしまったかのように朽ち果てた辺りの景色を、竜虎は胸が痛む思いで見回す。 朝まではもう少し時間があるが、眠る気にもなれない。雪鈴や雪陽たちも同じ気持ちなのか、無言で辺りに散らばった亡骸を一か所に集め弔っていた。「竜虎様、やっぱりこちらだったんですねっ」「清婉、怪我はないか?」 辺りがようやく静かになり、遠くで見えた光の柱を辿って清婉はなんとか合流できた。あの恐ろしい黒い蟷螂はいなくなり、静寂の代わりに現実を目の当たりにさせられる。「竜虎様があの妖獣をひきつけてくれたおかげで、無事です」「俺は逃げてただけだけどな」 ははっと無理に笑う竜虎に、清婉はぶんぶんと首を横に振った。「いいえ、いいえ! あんな妖獣に向かっていくなんて、私には考えられませんっ! しかも誰かのために自分を囮にするなんて、絶対に無理です。自分の家族ならともかく、たかが従者の私などのためにそんなことをするなんて、」「清婉、なんてことを言うんだ。たかが従者だなんて。お前たちがいないと、俺たちはまともに飯も食べられないんだぞ」「それもそうですね、」 あははっとふたりは顔を合わせて笑う。竜虎はほんの少しだが、心が和んだ気がした。普通の人間が普通に考え思うことを清婉は口にしただけだったが、深刻そうな顔をしていた竜虎が笑ってくれたのでなんだか嬉しかった。 朝陽が昇る頃、一行は遺体の半分ほどを土を盛り上げるだけの簡易的な墓を作って埋めた。薄墨色の空の隙間に射し込んだ眩しい光に瞼が焼けるようだったが、ようやく明け始めた夜の深い闇に安堵する。まるで悪夢のような夜だった。 しかし、朝は来た。 竜虎は土で汚れ傷付いた指先を握り締め、暁闇の空を見上げた。足りないものは数えきれない。こんなにも無力であったのだと思い知らされた。けれど、こんな所で止まってはいられないのだ。まだ、何も始まっていないし、終わってもいない。すべてはこれからだ。 だから、絶対に。「待ってろよ、絶対見つけてやるからな」 無明を見つけ出し、前に進む。 竜虎はひとり、夜明けの隙間に宿った光芒に誓うのだった。
last updateLast Updated : 2025-06-16
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2-22 白笶の願い

 目を覚ますと、自分の失態に血の気が引いた。 薄暗いがお互いの顔や姿はなんとなく解る仄かな明るさの中、腕の中で眠る無明の姿があった。 腰と肩に回していた手を思わず放すと、凭れていた無明の華奢な身体がぐらりと傾ぐ。冷静を取り戻して身体を受け止め、そのまま膝の上に頭を乗せて仰向けに寝かせた。 状況を把握するために辺りを見回す。繭のような壁に包まれており、自由に身動きは取れないが大人ふたりが足を延ばせるくらいの広さはあるようだ。 あの時、負傷した右肩は衣が破れて濡れているが傷は塞がっていた。口から顎にかけて水が零れたような痕があり、袖で拭う。反射的に無明に視線を落とすと、同じように唇が濡れていた。 思考をしばし停止して、無言で無明の唇を袖で拭う。横に竹筒が転がっていること、傷が癒えていること、霊力が満ちていることを考えると、無明が水を通して霊力を注いでくれたのだろうということがすぐにわかった。「······君に、話したいことがたくさんあるのに、」 普段あまり表情の変わらない白笶の眼差しが、まるで雪を解かす春の日差しのように穏やかで優しいものへと変わる。無明の冷たい頬に触れて、それから前髪をそっと指で整えた。「私は、なにも伝えることができない。だからどうか、思い出さないで欲しい。なにひとつ思い出さず、今のまま····どうか、」 祈るように、自分より小さく細い手を握り締める。どうか思い出さないで欲しい。そうすればこれ以上不幸なことは起こらないだろう。ずっと傍にいて、そのたくさんの表情を見ていられたら、それだけで。「君の傍にいさせて欲しい」 右の手を取り、そのまま手の甲に口付けをした。あの時。渓谷の鬼が口付けた場所と同じ場所にそれは落とされる。触れた唇は少しだけ震えていた。 無明は目を開けるのを躊躇う。実は唇を拭われた時に意識が戻っていたのだが、目を開けようと思った時に白笶が急に話し出したので、機会を逃したのだった。しかしそれが幸いして、いつも口にすることのない気持ちを盗み聞いてしまった。(心臓が飛び出そう、) その行為も言葉も誠実さしかなく、それが彼の真実であることに心臓が煩いくらいばくばくと鳴っている。ようやく指から唇が離れ、今だとばかりに無明は知らないふりをして目を開けた。「······平気?」「俺は、大丈夫。眠ったら回復したみたい。公子
last updateLast Updated : 2025-06-23
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2-23 褒めてね

 無明は笛を手に取りきゅっと握りしめ、その先に揺れる赤い紐飾りを見つめた。「うん、俺も同じことを考えてた」 あの時途中で蟲笛が鳴り響かなかったら、おそらく鬼蜘蛛は制御できていた。自分の力を過信していたせいで油断したが、ちゃんと集中していたらこんなことにはならなかっただろうし、白笶が自分を庇って怪我をすることもなかった。「少しの時間でも鎮めることはできたから、もしかしたらお願いを聞いてくれるかもしれないもんね」「君に負担をかける」「大丈夫。任せて!」 笛を掲げて、にっと口元を緩める。白笶は目に留まった赤い紐飾りに思わず無明の手首を掴んだ。さすがに唐突すぎる行動に驚き、無明は掴まれた手首に視線を移す。「······どうしたの? この笛がなにか気になる?」 今まで何度かこの笛を吹いているのに、急にどうしたのだろうか? と無明は首を傾げて戸惑いつつも、それとなく訊ねてみた。「····誰からこの笛を?」「えっと、よく、憶えてないんだ。小さい頃に誰かに貰ったんだと、思う」 いつの間にか傍にあって、それからずっと肌身離さず持っているお気に入りの横笛なのだ。曖昧な記憶はいつの間にかすっかり忘却し、最終的にはどこで貰ったのかなどどうでもよくなっていた。「あの渓谷の鬼には初めて会った?」「たぶん? でも彼は俺を知ってるみたいで。でも五百年ぶりとかよくわからない冗談も言ってたような? そういえば、あの鬼も笛を持ってたよ? 黒竹の立派な横笛だった。紐飾りも繊細で、綺麗な琥珀の玉が付いてたから、はっきりと憶えてる」 白笶はそれから無言になり、しかし手は放してくれず。無明はますます首を傾げざるを得ない。あの言葉の通り、自分には話せないことがたくさんあるのだろう。訊いたところで答えられないことなのだと悟る。「とりあえず、まずはここから出るのが先だよ。ええっと····手を放してくれると嬉しいな〜?」「すまない、痛くなかったか?」 思い出したかのようにぱっと手を放し、白笶は申し訳なさそうな表情で見下ろしてくる。それに対して、大丈夫だよ、と無明はへらへらと笑って誤魔化す。本当は痺れるくらい強く握られていて、くっきりと指の痕が残っていたのだが、袖で上手く隠した。「じゃあやってみるね。上手くいったら褒めてね、公子様?」✿〜読み方参照〜✿無明《むみょう》、白笶《びゃ
last updateLast Updated : 2025-06-23
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2-24 邂逅

 無明は唇に笛をそっとあてて息を吹き込む。そこから奏でられる音は低くも高くもなく、心地よい音色。優しく穏やかなその曲調の中に、ひらひらと舞う花びらのように目まぐるしく音が行き交う。 しばらく吹いていると繭の上の方から外の空気か流れ込んできた。見上げてみればあの鬼蜘蛛の鋭い脚の爪の先が繭に突き刺さり、びりびりと破いているのが見えた。 外に灯りがあるわけでもなく、その割れ目から見えたのは、ごつごつした鍾乳洞でできた天井と仄かに光る蘚と張り巡らされた白い糸、そしてあの鬼蜘蛛の姿だった。無明は笛を奏でたまま、繭が完全に破かれるのを待つ。その後ろで片膝を立て、いつでも動ける体勢で白笶が控えていた。「どういうこと?」 呆れたような少年の声は信じられないという戸惑いも含んでおり、それは目の前で起こっている事と、外で起こっている事に対して同時に発せられていた。他の連中を始末するために送った黒蟷螂の気配が途絶え、目の前では言うことを聞かない無能な鬼蜘蛛が、笛の音が響いた途端動き出し、繭をその爪で裂き始めたのだ。「なんでその笛でお前が言うこと聞くんだよ」 文句を吐き捨て、繭が割れた先に現れたふたつの影を睨みつける。傀儡の妖獣は鬼蜘蛛だけで他に手元にはおらず、どう考えてもこちらが不利だ。 ふたりは糸の結界の先に黒衣を纏った背の低い者の存在を見つけ、それが一連の元凶だろうと悟る。声を聞く限り少年のようだ。首には奇妙な形の笛を下げており、それが鬼蜘蛛を凶暴化させた蟲笛だろうと推測する。「君は······なに?」 その気配は異様で今まで遭ったことのないものだった。人でもなく、妖者でもなく、生きてもいないし死んでもいない。思わず口に出た言葉に、無明は自分でも驚いていた。「お前なんかに教えてやる義理は、」 途中まで口にして、黒い衣を頭から被っている少年は言葉の勢いを失速させた。三人の間に微妙な緊張感が生まれる。我に返るようにその空気を破ったのは、目の前の黒衣の少年だった。「あははっ! そうか、あんただったのかっ!」 突然笑い出したかと思えば、片手で顔を覆って叫びだしたのだ。それはどこか怒りを帯びており、自分に向けられているものだと無明はなんとなく理解する。「鬼蜘蛛があんたに従ったのは、あんたが、」「関係ない」「は? 勝手に俺の台詞を遮るなよ、白群のお坊ちゃん。まあ
last updateLast Updated : 2025-06-23
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2-25 戻ろう

「······消えちゃった?」 本当ならあの少年を捕まえて、事の次第を知る必要があった。それに、なぜあの少年はわざわざ自分の目的を話したのか。宝玉を狙っていることを口にすれば、それ以降手に入れるのが難しくなるだろう。それでも奪えるとという自信があるのか、それとも他になにか理由があるのか。 無明は顎に手を当ててうーんと思考を巡らせていると、それを遮るように頭の上に手が置かれた。「君のおかげで助かった」 いつの間にか傍らに控えていた白笶が、小さい子どもにするように頭を撫でて褒めてくれたので、無明はなんだか嬉しくなって、自然と笑顔がこぼれた。「公子様も格好良かったよ?」「君の方がすごい」「う、うん、ありがと。それにしても、あっさり逃げていったのが気になるよね····」 結局、あの少年がなぜ玄武の宝玉を狙っていたのか。村の人たちをあんな目に遭わせたのか、なにひとつわからないままだ。「あの子は、何者だったんだろう」「宝玉を狙うなら、いずれまた会うことになる」 無明は頷きそれから鬼蜘蛛の方に視線を向けた。鬼蜘蛛は大人しく糸の結界の内側でお辞儀をするかのように頭をさげ、そしてなにかを訴えるようにキュウキュウと独特な声を出した。「君は罪を犯したけど、あの子が操らなければ静かに暮らしていたんでしょう? 碧水の人たちや白群の術士の人たちには申し訳ないけど、見逃してあげることはできないかな?」 このまま洞窟を出てみんなと合流すれば疑われることはないはず。何年、何十年、もしかしたら何百年と人を襲わずに生きてきたかもしれない妖獣が、操られることでその力を使われ、利用されるなんてなんだか可哀想だし理不尽だと思った。 もちろんその手にかかってしまった人たちのことを想えば、それこそ理不尽であったと言わざるを得ないが。「君の想うままに、」 白笶は目を細めて、笛を握っている無明の右手を取る。そこに付いている赤い紐飾りが気になっているようだった。 鬼蜘蛛はふたりに頭を下げ、そのまま洞窟のさらに暗い奥の方へと消えていった。それを確かめてから、白笶は改めて無明を見つめる。「夜が明ける前に、ここを出よう」「うん。そうだね、早くみんなの所に戻ろう」 朝になれば自分たちを皆が捜し回るだろう。そうなれば色々と言い訳を考えるのが面倒になる。「足元に気を付けて」 手を握った
last updateLast Updated : 2025-06-30
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2-26 ただいま!

 竜虎は青空を見上げた時、ふたつの影が目に入った。途中からひとつの影だけどんどん近づいて来て、それがなにかわかった途端、呆けていた顔がさあぁあとわかりやすく青ざめていった。「ちょ····っ!? あの馬鹿! なにを考えてるんだ!」「竜虎様どうし····ええーーーっ!? 無明様!?」 清婉は突然声を上げた竜虎に驚き、その視線の先を見上げてさらに驚愕する。「ぎゃーーーなにしてるんですかっ!!」「嘘だろ····、ま、待った! さすがに無理!」 無理と言いつつも、落ちてくるものをなんとか受け止めるために手を広げ、顔を上にしたまま慌てて後ろへ前へと足を右往左往させて叫ぶ。「あ、あぶな·····うぐっ!? 」 強い衝撃で一瞬目の前が真っ暗になり、そのまま後ろによろめき大きく尻もちをついて座り込むと同時に、首に抱きついているその重さとぬくもりに安堵する。「いてて······お前、空から落ちてくるとか······馬鹿なのか」「へへ。竜虎、清婉、ただいまっ」「ただいま、じゃない! 何回攫われたら気が済むんだっ! っていうか、これから助けに行くって時に自力で戻ってくるなっ」「こちらも大変だったんですよ! 恐ろしい蟷螂の妖獣が村をこんな状態にしてしまったんです! 竜虎様は身を挺して私を守ってくださったり! 白群の皆さまがすごいのなんのっ」 ふたりの横で清婉が涙目で昨夜の説明をするが、早口すぎてまったく内容が入ってこなかった。「遠くから見えた村の様子を見て不安になったよ。ふたりとも、怪我はしてない?」「お前こそよく無事に戻れたな。ああ、まあそうだよな、白笶公子が一緒だったんだもんな、無事に決まってるか······」 抱きついたまま離れない無明を無理に剥がすこともなく、竜虎はその細い身体に腕を回したままいつものように愚痴を言う。 横にあるはずの顔を見ることができない。今、自分はどんな顔をしているのだろう。春の匂いの残る風が舞い、葉っぱが浮き上がった快晴の空を見上げたまま顔を歪める。(ほら、言ってるそばからやってきたぞ) 視線の先にもうひとつの影が慌てて地面に降りてきた。まさかあの高さから飛び降りるとは思いもよらなかったのだろう。 白笶は見たこともないくらい青ざめた顔でこちらの様子を遠くから窺ってきた。そして怪我をしていないのを目視で確認すると、すっとい
last updateLast Updated : 2025-06-30
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2-27 君の傍にいる

「おかしい······確かにもう一着分、替えの衣があったはずなのに」「もしかして置いてきちゃったのかな? 邸の中は何度も確認して忘れ物はないはずなんだけど、」「なにか探し物?」 無明は竜虎にくっついたまま、横でうんうん唸っているふたりに首を傾げる。同時に振り向いた双子に恥ずかしい姿を見られ、いい加減離れろ、と竜虎は無明の身体を押し退けた。「どうしたの? なにがないの?」 押し退けられた無明はそのまま地面に手を付き、荷物を漁っているふたりの間に顔を覗かせる。自分たちの間に割って入ってきた無明に気付いたふたりは、手を止めて同時にそれぞれ左右に顔を向けた。「白笶様の替えの衣が見当たらないんです」 雪鈴が困った顔で笑みを浮かべる。無明はそれに対して思い当たる出来事があった。 おそらくふたりが探しているのは、奉納舞の後、口紅の毒に侵され意識を失っている時に掛けてもらった衣のことだろう。結局その後に返しそびれてしまい、碧水に着いて落ち着いてから返そうと思っていた。「清婉、俺の荷物はどこにある?」「あ、はい、ここに。どうしたんですか、急に」 ふたりの後ろで地面に座り込んだ無明に袋を渡し、清婉は不思議そうにその様子を眺めている。「······あった。この衣、公子様に借りてたんだ。俺が直接返してくる」「え? あ、はい······なぜ?」 混乱して、雪鈴は最終的に首を傾げた。(あいつ······またなんかやらかしたのか? 嫌な予感しかしない) 竜虎は中心にいる無明の姿に、眉を顰める。そしてその腕の中にある薄青の衣を見るなり、あの時の光景を思い出す。 白笶が膝の上で眠っている無明の唇を拭っていた、あの光景を。そして後悔する。真っ赤になった顔が真っ青になり、あの恥知らず! と怒りが込み上げてくる。 それぞれに疑問符を浮かべている者たちをよそに、無明はまっすぐに白笶に駆け寄る。白冰や白漣はその姿を見るなり気を利かせたのか、そそくさとその場から離れていった。「はい、これ。やっと返せて良かった。俺が着させてあげるね」「いや、そんなことはさせられない」 いいから、いいから、と無明は持っていた衣を左腕に掛けて背中に回ると、血で汚れた無残な状態となっている衣に手をかける。皆が各々の気持ちで見守る中、ひとり楽しそうに無明が白笶の衣を脱がせ、新しい衣を着せ替える
last updateLast Updated : 2025-06-30
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3-1 碧水

 白鳴村から離れ、一行は碧水の都、白群の敷地に辿り着いていた。 白漣宗主と白冰、白笶の三人は邸に戻るなり、雪鈴たちに金虎の三人の客人を任せると、早々と宝玉を持って出て行った。行き先は裏手に聳える霊山にある玄武堂で、宝玉を祭壇に戻し封印するのが目的だった。 烏哭が動き出したということは、封じられていた宗主や四天、傀儡にされた妖獣や妖者たちが、どこかに潜んでいるということだ。だがそうなるともうひとつの疑問が浮かぶ。それらを封じていた神子の魂はどうなってしまったのかと。 玄帝堂はひんやりとしており、まるで氷でできた廟のようだ。奥に続く道は一本で、天井は高いが堂自体はそこまで広くはなく、少し歩くと最奥へと辿り着いた。 最奥は湧き水で満たされており、洞穴の青白い光が反射しているのか、水の色も青緑色の不思議な色合いを浮かべている。底が見えるくらいの透明さはこの堂の神聖さを物語っており、その中心にある祭壇まで続く道は等間隔に並べられた四つの岩の上を歩く必要があった。 祭壇の上に宝玉がぴったりとはまるように造られた白い磁器の宝玉台があり、白漣は白い袋から取り出した玄武の漆黒色の宝玉を丁寧に収めた。洞穴の底から湧いている水の音だけが静寂の中響き渡り、祭壇から戻って来た宗主の前に白冰と白笶が寄って来る。「この堂の入口の結界を強化し、さらに複数の封印を施す」 ふたりは各々頷く。三人は洞穴の外に出ると重い扉を閉める。最後に宗主である白漣が、持っていた鍵を使って錠前をかけた。宗主を挟んで横に並んだ白冰と白笶が同時に印を結ぶ。それぞれの前に紋様の違う陣が現れ、三重の封印が施される。「これで当面は心配いらないだろう。さあ、邸に戻ろう」 三人は玄武が祀られている霊山を後にし、客人の待つ邸へと戻るのだった。✿〜読み方参照〜✿白笶《びゃくや》、白漣《はくれん》、白冰《はくひょう》、雪鈴《せつれい》白鳴《はくめい》村、碧水《へきすい》、白群《びゃくぐん》、金虎《きんこ》、烏哭《うこく》、傀儡《かいらい》、玄帝《げんてい》堂、
last updateLast Updated : 2025-07-07
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3-2 清婉

 邸に戻ると宴の準備で弟子たちが忙しく動いていた。白冰は進み具合を確認するため、玄帝堂から戻って来て間もなかったが、抜かりがあってはならないと広間や厨房を見て回っていた。 白冰が厨房に足を踏み入れると、気付いた弟子たちが慌てて挨拶をしてくる。まさかこんな所に公子が来るとは誰も思っていなかったようだ。「手を止めさせてしまい申し訳ないね。気にせずに続けてくれ。おや。君は客人だから休んでいて構わないのに」 蓮の花の模様の白い衣の者たちの中に黒い衣が混ざって悪目立ちしているので、思わず声をかける。金虎の公子たちの従者である清婉である。 食材を両手に抱えたままこちらに挨拶をしてきた青年は、包丁を持つ雪鈴とまな板を持つ雪陽に挟まれていた。どうやら料理を手伝っているようだ。「いやぁ。何かしていないと落ち着かなくて。どうせならお手伝いをと思って」「清婉殿は手際が良いし、すぐに理解してくれて助かります」 こくりと雪鈴の言葉に雪陽が頷く。 広い厨房にはこの三人と他に五人ほど弟子たちがいた。白群の一族は従者を召し抱えてはおらず、弟子たちがその役目を担っている。 弟子たちを纏めているのは雪鈴と雪陽のふたりで、その下に現在は二十人ほどの弟子がいる。まだ術士として修業中の者たちだ。術士として称号を得た者たちは宗主を主とし、命令に従い各地の怪異を治めている。 年に一度だけ皆が集まる日があるが、それ以外は基本的に邸を空けていることがほとんどだった。「白冰様、何かご入り用ですか?」 必要なものでもあるのかと思ったのか、雪鈴が首を傾げて訊ねてきた。両方の袖を紐で括って汚れないように腕を出して、包丁を手に持つ雪鈴は、まだ若いのにまるで皆の母親のように見える。「いや。一応主宰なので進み具合を確認しに来ただけだよ。邪魔になる前に去るから、私のことは気にしないでくれ」 大きな鍋の方からいい香りのする厨房に長居しても腹が減るだけなので、白冰はぐるりと見回して大扇を揺らしさっさと出て行った。「白冰様は公子の中の公子って感じで素晴らしい方ですね」 たまに怖いけど······と清婉は本音の方はしっかりと心の中で呟く。「俺たちの師でもある。術式や陣は白冰様が、剣術や体術は白笶様がそれぞれ指南してくれている」「あんなに若いのに!? やはりふたりそろってすごい方々なんですね」 雪陽は
last updateLast Updated : 2025-07-07
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3-3 双子の事情

 白群の一族は少し特殊で、宗家である直系の白家とそこから分かれた分家が三家存在する。雪家、霧家、雨家の三家で、それぞれ操れる水の力が違っていた。 白家は宗家なのですべてを司る力を持ち、他の三家はそれぞれ使える力が限られていた。雪鈴たちは名の通り雪家で、氷を司る能力だけを持つ。「ふたりもお若いのにしっかりしていて、白群の方々はみなさん、術士のお手本のような方々ばかりなんですね、」 作業をしながら、慣れた手つきで清婉が独り言のように呟く。雪陽はその言葉に自虐的な笑みを浮かべた。「いや。そんな立派な人間ばかりじゃないさ。それに本当の意味で該当するのは、宗家の人たちくらいだろうな。一族の中でも双子は昔からあまりよく思われていなくて、俺たちは雪家から事実上絶縁されている。親族たちさえ見限った俺たちを、宗主である白漣様が引き取ってくれたおかげで、今こうしてここにいられる」 清婉はなんだか悲しい気持ちになる。立派な家柄に生まれたのに、ただ双子だというだけで絶縁されてしまうなんて。けれども宗主はやはりすごいお方だと改めて感心する。「雪陽、珍しいね。その話を他人にするなんて。それほど清婉殿が気に入ってるんだね」 横で聞いていた雪鈴が、ふふっと嬉しそうに微笑する。包丁のとんとんという音と一緒に、優しい声音が右側から発せられる。「そうなの?」「え? なんで私に聞くの?」 雪陽は首を傾げて雪鈴に訊ねる。あはは······と雪鈴は無自覚だったらしい雪陽に、困ったように笑いかける。 そんな仲の良いふたりに挟まれ、清婉はどこかの賑やかしい公子たちを思い浮かべて、なんてここは平穏なんだとしみじみ思う。「おふたりが今のおふたりであること、私はとても嬉しいです」  人参と大根を薄く切って花のような飾りを作り上げながら、清婉は満足げに頷いた。それは何気なく呟いた言葉で特に何も考えていなかったため、横にいるふたりがどんな表情をしているかなどまったく気にしていない様子で。「よし、できた。どうですか、こんな感じで飾ると彩が出て皿全体が美しく見えるんですよ。無駄な才能ですが、私の唯一の特技です」「すごいです! こんなの高い料亭でしか見たことないですよっ」「なにこれどうなってるの? すごい才能」 ふたりは目を輝かせて、皿の上の飾り切りで作られた、先ほどまでただの人参と大根だった
last updateLast Updated : 2025-07-07
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