──初めて身体に異常を感じたのは、中学二年生の秋頃。右足が痛くて思うように動かなくなり、サッカーボールをうまく蹴ることができなくなった。 始めは筋肉痛だろうと軽く考えていたものの、いつになっても治ることはなく、むしろ状態は悪くなる一方だった。 歩きだそうとしても一歩が出ない。バランスが取れなくて、壁にぶつかる。 軽く走ったり、階段の上り下りはあまり支障ないのに、歩くのが難しいと強く感じた。 さらには足だけでなく、右手までもが震えるようになってきていたのだ。 これはさすがにおかしいと思い、最初に越に相談した。それから両親に話が行き渡り、深刻そうな顔をした彼らはすぐに俺を病院に連れていった。 引っ越した先の病院ではなく、なぜか小夜たちがいる地元の神経内科に。ここに名医と呼ばれる医者がいるというのは、後から知った。 そこで様々な検査をして宣告された病名は、根本的な治療法が確立されていない難病。 これからどう生きていくのか。その考えを今までと百八十度変えることになり、明るい未来が見えなくなった瞬間だった。 病気の宣告をされた後も、周りの友達には誰にも明かさずにいた。 しかし、手が震えたり歩き方が変だったり、薬の副作用で具合が悪くなったりと、まだ病との付き合いに慣れていない頃は隠すことは難しい。 皆が心配してくれることはありがたかったけれど、同情されたり迷惑をかけたりするのが嫌で、いつしか自分の殻に閉じこもるようになっていた。 小夜やキョウと連絡を取らなくなったのも、理由は同じ。いや、ただの友達以上に、ふたりとは距離を置きたかった。 俺に確実に訪れる未来を知っているから、親密な関係を続けるのがつらかったのだ。 だから地元には戻らないつもりだったのだが、やはり病院に通うことを考えると近いほうがいいと皆に説得されて、今に至る。 症状に慣れてきた今は、学校では明るく振る舞っていられるけれど、それ以外では人付き合いが悪いと思われているだろう。 それでも、普通に歩けるようにしたくて、整体に通ったり軽い運動はするように心がけている。 そのせいか、症状が出始めた頃よりは歩き方もスムーズだし、薬が効いている間なら健常者と変わらないと、自分では思う。 ただ、とてもゆっくりではあるが、症状が進行しているのは確実だ。
Last Updated : 2025-04-23 Read more