All Chapters of 名も無き星たちは今日も輝く: Chapter 111 - Chapter 120

134 Chapters

─32─ 武器なき戦い

「一体何事です? そなたらはそのような愚昧な者の物言いを何ゆえそうやすやすと信じるのです?」 やや神経質な女帝の声にある者は視線をそらし、またある者はおびえたような表情を浮かべる。 しかし、イディオットは臆することなく怒りをはらんだ女帝の視線を受け止めた。「……陛下におかれましては、私のことを覚えていてくださいましたか。光栄です」 刹那、メアリの青緑色の瞳に閃光が走る。 そして、眼光同様の鋭い口調で言い放った。「忘れるはずないでしょう? ルウツ皇家の面汚しが! 多少なりとも同じ血が流れていると思うと、ぞっとします!」 心底自分を忌み嫌っていることを隠そうともしないメアリに、イディオットは苦笑を浮かべる。 そして、つとめて冷静に語り始めた。「では、そんな愚かな私を哀れと思って、ささやかな願いを聞き届けてはいただけませんか?」 思いもかけない言葉に、けれど下手に出られて自尊心をくすぐられたのだろうか、メアリの顔に微笑が浮かぶ。 メアリがくい、とあごを上げ話すよう促すのを確認して、イディオットはおもむろに切り出した。「今までの陛下のご心労、察するに余りあります。ここは一つその位を退き、いずれかの離宮でお心安らかに過ごされてはいかがですか?」 その言葉を受けて、メアリの頬は怒りのあまり紅潮し、次いで目に見えて蒼白となった。 これまで以上に鋭くイディオットをにらみつけ、両の拳を振り下ろす。「無礼な……たとえ従兄とは言え、そなたは皇帝たるわたくしの一介の臣下にすぎないでしょう! 不可侵の皇帝に対しその物言い、許されると思っているのですか?」 だが、その怒りを受け止めるイディオットは、冷静を通り越して冷ややかな目でメアリを見つめている。 周囲からの言い難い視線を一身に受けて、彼は冷淡と言っても良い口調でこう告げた。「そもそも貴女は、正当な皇帝ではないでしょう。違いま
last updateLast Updated : 2025-08-08
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─33─ 無謀な作戦

 ランスグレンでは、にらみ合いが続いていた。 いや、正確に言えば互いに牽制しあい、膠着状態に陥っていた。 そんな夜、ルウツ側では軍議が行われることとなった。 雑務を終えたユノーが本陣にたどり着いた時、既に主な面々は出そろっていた。 すなわち、総大将のミレダ、蒼の隊からシグマと各分隊長、参戦を許される形となった朱の隊の中隊長、そして斥候隊長ペドロ。 いつものように末席に着こうとしたユノーだったが、そこには既に先客がいた。 言うまでもなく、突然乱入してきた神官騎士である。 空いている席は、ミレダの隣……つまり上座しかない。 どうしたものかと立ち尽くすユノーに、いらだち混じりのミレダの声が飛んだ。「いいから早く来い。この際、どこでもいいじゃないか」 そう言われてしまっては仕方がない。 ユノーは恐縮するように居並ぶ人々に頭を下げながら進み、渋々上座へ着いた。 ちら、とその様子を横目で見やってから、ミレダはおもむろに口を開く。「……皆の犠牲と頑張りのお陰で、私はこうして命をつなぐことができている。心より礼を言う」 言い終えてミレダは立ち上がり、と頭を垂れる。 朱の隊中隊長はあわてふためき、シグマは水臭いことは言わないでください、と声をかける。 ペドロは神妙な面持ちで、末席の神官騎士は面白く無さそうにその様子を見つめていた。「……ところで、今後の戦の進め方についてだが……」 ミレダに視線を向けられて、斥候隊長ペドロは立ち上がる。 そして、例のごとくぼそぼそとした声で配下から上がってきた状況を告げる。「あまりかんばしくはありません。敵本隊は既に先鋒隊と合流しています。加えてこちらの損害も無視できません」 重苦しい空気が流れる中、ある人物が手を上げた。「何か策があるのか、シエル?」
last updateLast Updated : 2025-08-09
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─34─ 結論

「さっきも言った通り、殿下とロンダート卿二人の許可が降りなければ、俺一人で強行するつもりはさらさら無い。けれど、このままにらみ合いを続けていたんじゃどうあがいても戦況は好転しない」 夜が明けるたびに小競り合いを起こしていても、じわじわと数を削り取られていくだけだ。 かと言って正攻法で正面からぶつかっても、これだけの兵力差では到底勝ち目はない。 下手に抵抗して敵の逆鱗に触れるよりは、戦うふりをしつつ退くのが一番利口なのかもしれない。 シエルは面白くなさそうに頬杖をつきながらそううそぶく。 確かにシエルの言うとおりだった。 だがユノーは寂しげに首を横に振る。「それでは、殿下をお守りすることはできません。皇都にどうにか戻れたとしても、結局敗戦の責任を負わされて……」 言いさして、ユノーは口をつぐむ。 そして、おもむろに立ち上がると、一同に向かい深々と頭を下げる。「本当に、申し訳ありません。小官にそのすべてを負えるだけの家柄なり戦歴があれば、自分一人の首で済んだものを、殿下まで巻き込んでしまって……」 だが、ミレダはわずかに目を伏せ頭を揺らした。「ロンダート卿のせいじゃない。宰相と姉上の狙いは、最初から私の命だ。巻き込んだのはむしろ私の方だ」「ですが……」 更に何か言おうとするユノーを、ミレダは軽く手を上げてさえぎり無言で座るよううながした。 納得が行かない様子のユノーは、だがその命に従い吐息と共に腰を下ろす。 それを確認してから、改めてミレダは全幅の信頼を寄せている神官騎士に向き直ると、こう問うた。「お前がことを成すまで、だいたいどのくらいの時間がかかる?」 その言葉に、ただ一人を除いてその場の人々は一様に驚きの表情を浮かべる。 同時に、天幕の中には言い難い空気が流れる。 一方で問われた側は、つまらなそうな面持ちで頬杖を付いたまま
last updateLast Updated : 2025-08-10
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─35─ 戦闘

 そして、夜が明けた。  イング隊側から開戦を告げる鏑矢が放たれたにも関わらず、蒼の隊は沈黙を保っている。  イング隊の弓兵隊が矢を射かけても、反撃する素振りすら見せない。  隊列を保ったまま、ただそこにいるだけである。  誰もが妙だと思った。  同時に、何かとんでもない作戦があるのではないかと疑った。  結果、前線を任されているイング隊参謀は、すぐさま後方に控えているロンドベルトに、どう出るべきかうかがいを立てた。 「参謀殿は、混乱されているようですが……」  報告を受け、ヘラはロンドベルトに向き直る。  一方のロンドベルトは、幾度となく最前線を『見よう』としていたが、いずれも失敗に終わった。  おそらくは、突如として参戦した無紋の勇者こと自称不良神官の青年が、蒼の隊全体に何らかの小細工を仕掛けているのだろう。  相手の手の内が見えぬ以上、下手に動けば墓穴を掘る。  何より、自らの目を封じられた以上、離れた場所からでは的確な指示を出すことができない。  おもむろに立ち上がり、歩みだそうとするロンドベルトを、ヘラは必死に押しとどめた。 「いけません。今閣下が出ては、みすみす敵の罠にかかりに行くようなものです」  珍しくロンドベルトの顔には、焦りといらだちが混じり合った表情が浮かんでいる。  けれど辛うじてそれを押さえ込み鋭く舌打ちすると、彼は伝令に告げた。 「参謀に伝えよ。決してこちらから討って出るな。挑発してでも相手から動くように仕向けろ。後は一網打尽だ」  深く一礼すると、伝令は命令を伝えるべく前線へと走り去る。  その後ろ姿を見送りながら、ロンドベルトは低くつぶやいた。 「見えないというのは、もどかしいな。手を伸ばしても届かない。霧の中で足掻いているようだ」  その言葉を受けて、ヘラは思わず苦笑を浮かべる。  そして、何事かと首をかしげるロンドベルトに向かい言った。 「閣下は本来ならば見えないものまで見ておしまいになるんです。多少見えないくらいの方がよろしい
last updateLast Updated : 2025-08-11
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─36─ 対決

 戦況は一向に変わらない。  蒼の隊はまったく動く気配はなく、こちらも攻めあぐねている。  変わりばえのしない前線からの報告を受けるたび、ロンドベルトはいら立ちを募らせる。  不安げにその様子をうかがうヘラを気にかける余裕も無いようだった。  卓の上に広げられた地図に手をかざし、幾度となくその場を『見よう』とするのだが、千里眼と称されたその視界は開けることは無かった。  不意にロンドベルトは卓に両手を付き立ち上がる。  その顔には、珍しく怒りの表情が浮かんでいた。 「閣下、いかがなさいました?」  表情そのままの不安げな声で尋ねるヘラに、ロンドベルトは光を映さぬ瞳を向ける。  そして、内心の怒りをかみ殺すように言った。 「……馬を。本隊全てを投入して、敵を殲滅する」 「何をおっしゃられるんですか、閣下? それでは……」 「私が受けた命令は、敵を討ち果たし勝利することだ。いかにあの御仁が罠を張ろうとも、それは言い訳にならない」 「いけません! それでは……」  ヘラの言葉は、突然の叫び声で遮られた。  何事かと両者は顔を見合わせる。  程なくして、負傷した兵士が一人、転がるように駆け込んできた。 「何事だ⁉」  ロンドベルトの怒号に、兵士はその場に思わずひれ伏す。  そして、顔を上げることなく震える声で告げた。 「て……敵襲! すでに最終防衛線まで突破されています!」  色を失うヘラ。  ロンドベルトはそんな副官を守るようにその前に立ち、更に兵士に問う。 「敵は何人だ? どこから攻めてきた?」 「部隊後方から突如攻撃してきました! その数は……」  その時だった。  ごく至近から鬨の声が上がる。  剣のぶつかる音が響く。  やがて、断末魔の悲鳴と共に、人間が大地に崩れ落ちる音が聞こえてくる。  遂に来たか。  ロンドベルトは自らの剣に手をかける。
last updateLast Updated : 2025-08-12
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─37─ 異変

「何だ……?」  違和感を覚えたのか、シエルは何故か視線をめぐらせる。  ほぼ同時に、両軍から停戦を告げる角笛が鳴り響いていた。 「……どうして?」  突然のことに、疑問の色を隠せないシエル。  その思考をさえぎったのは、ロンドベルトの叫び声だった。 「副官⁉」  見ると、先刻まで恐怖と戦いながらシエルと対峙していたヘラが、糸の切れた人形のように大地へと崩れ落ちるところだった。  かたわらにひざまずき、珍しく色を失うロンドベルト。  シエルはそんな両者をしばし眺めていたが、何を思ったか剣を鞘に収め、ゆっくりと歩み寄る。  そして、ロンドベルトの正面に膝を付き、ヘラの額に手をかざす。  その口からは、何時しか静かな祈りの言葉が紡がれていた。 「……汝に平安あれ」  祈りが終わると同時に、ヘラのまぶたがぴくりと動く。  それを確認すると、シエルは無言のまま立ち上がり、振り向きざまに言った 「……達成率が低いから時間はかかるけど、しばらくしたら目が覚める」  そして、何かを言いたげなロンドベルトから逃れるようにして、その場を足早に立ち去った。       ※  シエルが本陣に戻ると、そこは異様な雰囲気に包まれていた。  一体何があったのか。  状況がつかめずにいるシエルを出迎えたミレダは、開口一番こう言った。 「……大丈夫なのか? お前、血まみれじゃないか。まさか、どこかに怪我をしたんじゃ……?」  不安げに向けられる眼差しに、シエルは無言で首を左右に振る。  ミレダは安堵の表情を浮かべるも、今度はユノーが問いかける。 「とりあえずご無事で何よりです。それで……その、大変失礼ですが、トーループ将軍はいかがなさいました?」  再びシエルは首を左右に振り、小さな声で撃ちもらした、とつぶやく。  と、ミレダとユノーは、ほぼ同時に心底ほっとしたように吐息をもらした。 「……俺がしくじ
last updateLast Updated : 2025-08-13
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─38─ 祈り

 周囲を一望できる、かつて城壁だったであろう石垣の上にシエルは立っていた。 そう、敵の精鋭部隊に襲われているミレダ達と再会した場所だ。 足元にはあの時彼自身やユノーが斬り伏せた死体が、今なお転がっている。 眼下の両軍が激しくぶつかっていた平原には、敵ばかりでなく味方の遺骸が手付かずのまま何体も放置されていた。 それらに視線をめぐらせると、シエルは目を閉じ中空に両の手をかざし、静かに祈りの言葉を唱え始める。 独特の旋律を持つ祈りを、唄うように。 そして、最後の一句を唱え終えた時、そこかしこから無数の光の玉が生まれ、天に向かって昇っていく。 それを見送ったシエルは、後方に倒れ込むように腰をつき、そのまま両膝に顔をうずめ、力無くうずくまっていた。 しかし……。「祈りを捧げる貴方の顔には、憐れみの表情は浮かんでいませんでしたよ」 どこからか、皮肉混じりの声が聞こえてくる。 いつの間にかシエルの背後には、黒衣の死神がたたずんでいた。 けれど、シエルは顔も上げずに言い返す。「……のぞき見か。死神殿は本当に立派な趣味をお持ちだな」 シエルの精一杯の反撃にもだがロンドベルトは痛手を受けたようでもなく、いつもの斜に構えた笑みを浮かべる。 そのまま歩を進めシエルの横に立ち、おもむろに口を開いた。「私は見えざるものを信じていません。が、配下の者がそれにすがろうという気持ちは、今多少なりともわかったような気がします」 もっとも私自身は未だ信じるには至りませんが、と笑うロンドベルト。 その時、ようやくシエルは顔を上げた。「それより、こんな所まで何の用で?」 まさか無駄話をするためだけに来た訳ではないだろう。 そう言うように向けられてくる藍色の瞳に、ロンドベルトは声を立てずに笑った。「少々おうかがいしたいことがありまして」「…&h
last updateLast Updated : 2025-08-14
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─39─ 終焉

 どれくらい走ってきたのだろうか、息を切らせて近付いてきたユノーは、つい先程まで戦っていた敵将とすれ違いざまに黙礼を交わす。 そして、その後ろ姿を見送りつつシエルの元へと歩み寄った。 そして、座り込むシエルのかたわらでおもむろに口を開く。「……あの方が、黒衣の死神ですか? ものすごい威圧感ですね」 知らなかったとはいえあんな凄い人と戦っていたのかと思うと、今更ながらですが震えが止まりません。 そう言いながら肩をすくめるユノーに、シエルはわずかに笑った。「そんな凄い奴と戦って負けなかったんだ。たいしたものじゃないか」「そんな……全ては貴方のお陰です。僕は貴方の作戦に従って戦場で立っていただけですから……」 あわてて勢い良く首を横に振るユノーに、シエルは更に笑った。 が、すぐにそれを収めると、不意に生真面目な表情を浮かべる。「最終的に作戦決行の決断を下したのは、貴官と殿下だ。二人の許可が降りなければ、俺は行動を起こすつもりはなかった」 少なくとも負けなかったのは、二人が俺の案を飲んでくれたおかげだ。 真正面を見据えたまま、シエルはそうつぶやいた。 対するユノーは、所在なげに立ちつくす。「……閣下……」「閣下はよせ。俺はもう貴官の上官じゃないだろ?」「……じゃあ、どうしてシグマさんが大将と呼ぶのはおとがめなしなんですか?」 シグマさんが良くて僕がだめなのは、ちょっと不公平ではないですか。 そう正論を言うユノーに、シエルはぐうの音も出ない。 決まり悪そうに視線をそらすシエルに、今度はユノーが笑う番だった。 居心地の悪さから逃れるかのように、おもむろにシエルは話題を変える。「ところで、一体何の用だ? 争いは終わったんだ。もう
last updateLast Updated : 2025-08-15
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─40─ 凱旋

 長らく続いたエドナとの争いがひとまず終結したことに、皇都エル・フェイムの人々は喜びに沸いている。  いつ終わるともわからない争いが終わったのだ。当然と言えば当然のことだろう。  そんな中帰還した蒼の隊の面々はミレダも含めて、等しく街の賑やかさ、そして街を行き交う人々の表情の明るさに目を見張った。  それほどまでに戦争というものは、人々の上に重くのしかかっていたのだろう。  やがて、人々の歓喜の渦の中皇宮に入った彼らを迎えたのは、規則正しく整列して敬意を表す武官や文官達と、今回の和平の立役者であるフリッツ公イディオットだった。  出迎えの列の最前にその姿を認めたミレダは、馬を飛び降りるなりそちらに駆け寄り、開口一番こう言った。 「これは一体どういうことだ、従兄殿? 事のあらましは道すがら書状で読んだが、どんな魔法を使ったんだ? それで姉上は……。いや、それ以前にあの停戦命令書はどうやって……」  矢継ぎ早に問われたフリッツ公は、心底済まなそうな表情を浮かべながらもひざまずき、ミレダに向かい深々と一礼する。 「この度の政変は、国の行く末を思っての事とはいえ、あくまでも臣の独断によるものでございます。臣に従った者達には何とぞ寛大な処置をいただけますよう、切にお願い申し上げます」  そして、ミレダに向かい布に包まれたあるものを恭しく差し出す。  他でもない、先帝から先のフリッツ公の手を経て彼の手に渡った、ルウツ皇帝の紋章を刻んだ玉璽の指輪である。  いわばルウツ皇帝の象徴とも言えるそれを認め、さすがのミレダも思わず後ずさった。 「ま、待ってくれ。帰ったらまず聞こうと思っていたんだけれど、どうして従兄殿がこれを持っているんだ? いや、それ以前に何で私にこれが回って来るんだ?」  ルウツの象徴を目の前にして、緊張のあまりしどろもどろになるミレダ。  だが、イディオットは落ち着き払った口調で続ける。 「メアリ殿が正気を失われた今、ルウツの正嫡は殿下をおいて他におりません。この国の民のためにも、殿下におかれましては次期皇帝としてどうぞこちらをお取りいただきたく……」
last updateLast Updated : 2025-08-16
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─41─ 懺悔

「……加えて神聖なる神官騎士の甲冑を血で穢したこと、何ら申し開きするつもりはございません。科せられる処分はその重軽を問わず、全て謹んでお受けいたします」  司祭館の講堂に、先刻から無感動な懺悔の言葉が響く。  謝罪の口上を述べて、シエルは深々と頭を垂れる。  白銀の甲冑にこびりついていた返り血や肉片こそ洗い清められていたが、その下に着ている服にはそこかしこに赤黒い染みがついていた。  その姿を大司祭カザリン・ナロード、そしてジョセは無言で見つめている。  そんな両者の前にひざまずき、身動ぎせず裁定が下されるのを待つシエル。  そんな弟子の様子を沈痛な面持ちで見つめていたジョセは、重い吐息をもらしてから大司祭に向き直った。 「……猊下、ご裁定を。無論彼の師である私も、その責務は負う所存です」  その言葉に打たれたようにシエルは顔を上げる。  そして、必死の思いで告げた。 「すべては自分一人の判断で行ったことです。師匠に何ら責はありません。咎は自分一人で……」  けれど、不意にその言葉は途切れた。  正面に座す大司祭と視線がぶつかったからだ。  悲しげではあるが、常とは変わらぬ穏やかな視線である。  その内心をはかりかねて、再びシエルは頭を垂れ目を閉じる。  と、大司祭は目を伏せ、ゆっくりと頭を揺らし重い口を開いた。 「……これは、あまりにも大きな問題なので、私の一存では決められません。全てをリンピアスに報告し、大司教府と見えざるものにその判断を委ねましょう。そして……」  おもむろに大司祭は立ち上がり、静かにシエルに歩み寄る。  その気配を感じて身を硬くするシエルの前で立ち止まる。 「……猊下?」  不意に感じた温かい気配に、シエルは恐る恐る顔を上げ目を開く。  と、大司祭の顔がごく間近にある。  次いで、その細くて華奢な腕が自分を抱きしめようとしていることに気がついた。 「猊下、いけません! 穢(けがれ)が移ります……」  あわててシエル
last updateLast Updated : 2025-08-17
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