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渡り雁は去りゆく のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 10

25 チャプター

第1話

「来栖様、契約はすでに締結済みです。ご希望通り、17日後に『仮死』のサービスをご提供いたします」応接室で、スタッフがさっき仕上がったばかりの紙の契約書を来栖葉(くるす よう)に差し出してきた。葉はそれを受け取り、パラパラと目を通しながら、念のためもう一度確認した。「その仮死用の遺体、ちゃんと私に似せて用意してたんだね?」スタッフは自信満々に胸を張って頷いた。「ご安心ください。遺体はお客様の体型にそっくりそのまま作ってますから。絶対にバレません」その一言に、ようやく少し安心できた。葉はバッグからカードを取り出し、勢いよく決済を済ませると、くるっと背を向けて部屋を出た。玄関を出た瞬間、真っ先に目に飛び込んできたのは、一台の豪華なロングリムジン。葉の姿を見つけた運転手が、すぐに恭しくドアを開けてくれた。「お嬢様」葉は軽く頷いて応え、無言のまま後部座席に乗り込む。運転手がドアを閉め、運転席に戻って車を発進させた。車はスムーズに走り出し、最終的に来栖家の別荘の前で止まった。ここは、葉が間宮礼司(まみや れいじ)と同棲するためにわざわざ買った家だ。戻ってきて間もなく、別荘の玄関が再び開いた。入ってきたのは、まるで彫刻のように整った顔立ちの男。白いシャツに黒のスラックスというシンプルな格好なのに、ひと目で人を惹きつける美しさがある。どこか冷たくて、近寄りがたい雰囲気をまとっていた。礼司はゆっくりとカフスボタンを外しながら近づいてきて、そのまま葉を抱き上げるようにして歩き出した。「礼司、やめて!」思わず大きな声を出して、彼の腕から逃れようともがいた。礼司の目が、冷たい月光のようにじっと葉を見つめてくる。まるで「何をそんなに騒いでるんだ?」とでも言いたげな表情で、低く言った。「やめてって?毎日俺と寝るって条件で俺を買ったんだろ?違うのか?」「最近は……ちょっと無理。今月、生理が早く来ちゃって」視線を落としながら、葉は曖昧な声で嘘をついた。でも幸いなことに、礼司はそれ以上興味を持つこともなく、あっさりと言った。「じゃあ、仕事に戻る」最近の礼司は本当に忙しい。ちょうど新しい事業を立ち上げる真っ最中で、葉はできるだけ彼の邪魔をしたくなかったから、黙って頷いて見送った。今夜はずっと仕事だと思ってい
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第2話

未来に起こる出来事を思い返しながら、葉は一晩中、何度も寝返りを打って眠れなかった。その夜、礼司は帰ってこなかったし、彼に電話をかけて様子を尋ねることもなかった。翌朝、葉はいつもより早く目が覚めて、身支度を整えて階下へ降り、一人で朝ごはんを食べ始めた。別荘の中はしんと静まり返っていて、聞こえるのは葉が食べ物を噛む音だけ。食べ終わる頃になって、ようやく執事がどこか戸惑った様子で近づいてきた。「使用人はすべてご指示どおりに解雇いたしました。私も今日、実家へ戻りますが、お嬢様、本当に使用人は必要ないのでしょうか?」「もう大丈夫よ」葉は静かに答えた。なぜなら、もうすぐここを離れるからだ。不安そうな執事の視線を受けながらも、それ以上の説明はせず、階上へ行って一通の手紙を持ってきて彼に手渡した。どうしてもその手紙を両親のもとに届けてほしかった。自らが仮死を装って去った後、両親が深く悲しむのを恐れた葉は、手紙の中で今回の計画についてすべて書いておいた。十七日後には国外へ渡り、名前を変えて身を隠して生きていくつもりだということ。だから心配しないでほしい、そして時期が来たらこっそり様子を見に戻ると。両親を連れて一緒に出国することも考えたが、やはり年齢のこともあり、築き上げた生活基盤もここにある。それに何より、自分が「覚醒した」というあまりにも突飛な出来事を説明しきれる自信がなかった。簡単に話せるようなことではなく、下手をすれば気がふれたと思われかねない。それに両親まで一緒にいなくなれば、礼司に疑われる可能性も高くなる。色々と考えた末、葉は両親をここに残して自分だけで出て行くことを決めた。自分の準備が整ったら、今度は礼司のまわりの整理を始めた。使用人たちを解雇したあと、葉は果物を手土産に、礼司の祖母に会いに行った。葉にはこれといって「お嬢様らしい」気取りはなく、時間さえあればよく礼司の祖母を訪ねていた。訪れるたびに色々なものを買って行き、話し相手になったり、スマホの使い方を教えたりして、外に出なくても世界が見られるようにしてあげてた。冷たい態度の礼司とは違い、祖母は葉をとても気に入っていた。「葉ちゃん、礼司とはいつ結婚するの?」またその質問が飛んできたとき、葉の顔には以前のような照れはなく、ただ苦笑いだけが浮かん
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第3話

ふと振り向くと、ちょうど後ろで険しい表情でこちらを見つめる司礼の姿が目に入った。そして、彼の横には雅美が立っているのが見えた。葉はすぐに視線をそらして、適当な理由を口にした。「近いうちに、旅行に行くんだ」礼司の目には、葉の好きなことは二つしか映っていない。一つは彼と寝ること、もう一つは世界中を旅すること。だからなのか、この返事にも特に突っ込んでくることはなくて、表情をさっと整えると、雅美を連れて祖母のベッドのそばに座った。そして、何気ない仕草で葉をいちばん遠くの席へと押しやった。「おばあちゃん、聞いて!礼司さん、ほんっとケチなんだから!さっきここに来る途中でアイス食べたいって言っただけなのに、ぜーんぜん買ってくれなかったの。おばあちゃんからちゃんと言ってあげて!」雅美は座るなり、口をとがらせて不満をぶちまけた。礼司は少し困ったような顔で彼女を一瞥しつつ、口ではたしなめながらも、その声にはどこか優しさがにじんでいた。「また言ってるよな。もうすぐ生理なんだろ?そんなに冷たいもん食ってどうすんだよ。前の時、痛すぎて死にそうだったって泣いてただろ。アイスはもう二度と食べないから管理してくれって、自分で言ってたの誰だったっけ?」雅美はぺろっと舌を出して、「えへへ」と笑った。礼司の目には、もう雅美しか映っていなかった。この場には四人いるはずなのに、礼司たちが来た途端、彼の世界は雅美一人で満たされてしまった。一番端に追いやられた葉は、その仲睦まじい様子を見て、ふっと苦笑いをこぼした。またか。この三人の中で、自分はいつだって部外者。でも、もう前みたいに悲しくなったりはしない。だって今回は、自分から全部手放すって決めたから。礼司のことも、彼への想いも、全部。ちゃんとヒロインに返すって決めたんだ。祖母は、一瞬だけ葉の目に浮かんだ寂しげな色を見逃さなかった。そして、あえて葉に構おうとしない礼司をちらっと見て、小さくため息をついた。「礼司、葉ちゃん、ブドウが食べたいの。ちょっと洗ってきてくれないかい?」祖母のお願いとあらば、断れるはずもない。礼司はベッドサイドの果物かごを手に取り、葉とふたりで順番に病室を出た。そして病室を出たその瞬間、礼司が突然、葉の手を掴んできた。思わず驚いて礼司を見た。今日の彼が、自分から触れ
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第4話

果物を洗い終えて、葉と礼司は病室に戻った。少し話をしたあと、みんなで一緒に帰ることになった。ちょうど病院を出たところで、雅美が真っ先に口を開いた。「礼司さん、それに葉さんも、お昼時だし、一緒にご飯どう?」雅美の提案を、司礼が断るはずもなかった。それに、葉がまたわがままを言って雅美を困らせるのを避けたかったのだろう、葉がまだ何も言わないうちに、礼司が代わりに「いいよ」と勝手に承諾してしまった。レストランに着いてから、三人は案内された個室に通された。礼司は当然のようにメニューを受け取って、迷いなく注文した。でも、料理が全部運ばれてきたときに葉は気づいたのだ。彼が頼んだのって、ぜんぶ雅美の好きなものばっかりだったんだ。これが愛があるかないかの違いなのだろう。葉はかつて、自分の好みをすべて覚えるよう礼司に要求したことがあった。しかし一方は強制で、もう一方は心からの気遣い──その差は雲泥のものだった。なんとなくこうなる気はしてた葉は、そこまでショックは受けることもなく、黙ってご飯を食べ続けることにした。ちょうど食事も半分ほど進んだ頃、突然スマホの着信音が個室に響いた。礼司は電話を取るために、外へ出て行った。そのとき、葉は雅美がスープをよそう手に光る指輪を見つけ――一瞬、表情が固まった。「そのピンキーリング、どこで手に入れたの?」雅美はちらっと小指のリングを見て、まるで何でもないことのように笑って答えた。「これ?礼司さんがくれたの。かわいいって言ったら、すぐにくれたの」その瞬間、葉の顔から血の気が引いた。あのピンキーリングは、葉が細かい細工をして、何度も手を傷つけながら仕上げたもの。葉たちの記念日に、心を込めて彼にプレゼントした、世界に一つだけのリング。内側には、小さな文字が刻まれてる。――「礼司が大好き、ずっと 来栖葉」自分の想いを全部込めて礼司に渡した指輪。そんな大切なものを、あっさり雅美にあげたなんて。胸の奥から静かに怒りが湧き上がってくるのを感じた。でも、その瞬間、原作のストーリーがふと頭をよぎった。礼司が好きなのは、最初から雅美だった。どれだけ尽くしても、礼司が葉の想いを大切にしてくれるはずがない。ここで何かを問い詰めたところで、礼司にとっての自分は、ますます面倒な女になるだけだ。
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第5話

それを聞いた瞬間、雅美はまるで信じられないといった顔で目を見開いた。「……は?あなた、何言ってるの?」雅美は誰よりも分かってる。葉がどれだけ礼司のことを想ってるかを。だってそうじゃなきゃ、礼司の祖母の五年間の医療費を、何の見返りもなく払うなんてありえない。何度冷たく突き放されても、文句ひとつ言わずにずっと彼のそばにいようとするなんて、普通じゃできないことだった。そんな葉が、今こうして自分の元を訪れ、まさかの「あなたと礼司をくっつける」なんて言い出した。信じられない様子で雅美が問い返すと、葉は小さく首を横に振った。「本気だよ。和解したいって思ってる。もう私を陥れようなんて考えなくていい。あんまり時間がないの、もうすぐ礼司の前からいなくなるから……だから、私のことを恋のライバルなんて思わなくていいの」その顔に嘘はなかったが、それでも雅美の疑念は消えず、どこか裏があるんじゃないかと警戒を解かなかった。でも、そんな雅美の反応なんて、どうでもよかった。葉にできるのは、ただ行動を示すことだけだった。翌日、礼司が出かけようとしたタイミングで玄関で彼を引き止め、一枚のチケットを差し出した。「今夜のユニバーサル・スタジオのチケット、二枚買ったの。一緒に行こう?」「最近はずっとプロジェクトで忙しいんだ……」冷たい表情のまま断ろうとした礼司の言葉を、葉はすぐに遮った。「取引の時に言ったでしょ?一日一回寝る以外、私のお願いは断れないって」そのひと言で、礼司はそれ以上何も言えなくなり、眉をしかめながらもチケットを受け取り、足早にその場を後にした。礼司の背中が遠ざかっていくのを見送った後、スマホを取り出し、雅美の番号に電話をかけたすぐに電話は繋がった。挨拶もなしに、ストレートに本題に入った。「さっき送ったチケット、届いたでしょ?もう一枚は礼司に渡したから。今日はちゃんとおしゃれして、彼といい雰囲気になれるよう頑張って」予想外の展開に戸惑いながらも、雅美は半信半疑のまま「わかった」と返事をした。葉が電話を切ろうとした、そのときだった。向こうからふいに声がかかった。「どうして私を助けようとするの?」その言葉がスマホ越しに耳に届いたとき、一瞬だけ沈黙が落ちた。けれど葉は、答えを返すことなく、こう言った。「知る
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第6話

雅美はずっと、葉の行動には何か裏があると思っていた。だからこそ、わざとあの写真を送りつけて葉の気持ちを揺さぶり、本当の目的を探ろうとしたのだ。けれど、あの祝福の言葉を目にしたとき、完全にわからなくなった。チャット画面には長い間「相手が入力中です」の表示が浮かび、何度も文章を打ち直した末に、ようやく一通のメッセージが届いた。「昨日の話って本当?ほんとに礼司さんと私のこと、応援するつもり?」今回はすぐに返信が来た。「そうだよ」これから先、礼司はあなたのものよ。葉は、今日礼司が帰ってきたらきっと機嫌がいいと思っていた。だが、帰宅した彼の表情は相変わらず冷たく、声にはどこか怒気さえ含まれていた。「葉、今日のこれはどういうつもりだ?また何か企んでんのか?」礼司の態度に少し戸惑いながらも、一応説明した。「チケットのこと?急に用事ができちゃって行けなくなったから、雅美にあげただけだよ」そう言ってから、彼の様子を伺いながら続けた。「今日、楽しかった?観覧車とか乗った?お化け屋敷とか行った?もしまだ遊び足りなかったなら、まだチケットあるから、明日もう一回行けばいいよ」礼司は、葉の意図が読めなくて混乱してるみたいに、じーっと葉を見つめ続けた。だが葉の顔には、まるで裏がないような真剣さが浮かんでいた。本当にただ予定が合わなかっただけで、チケットを雅美に譲ったようにすら見えた。しばらくして、礼司が先に折れて、無言で部屋に入っていった。一度うまくいったから、葉はさらに積極的に二人の距離を縮めようとした。たとえば、カップル向けのレストランに礼司を誘って、席に着いた瞬間、偶然を装って雅美が目の前に現れて、「礼司さん、偶然だね!」って声をかけてきた。礼司が何か返す前に、店員さんが近づいてきた。「お客様、本日は当店の周年記念で、ご来店の52組目のカップル様には、カップルリングと記念写真のプレゼントをご用意しております!」その説明が終わる前に、葉は急に立ち上がった。「ちょっと体調悪いかも。先に帰るね」席を立つ葉に、礼司が慌てて立ち上がって追いかけようとすると、葉はふと何かを思い出したように振り返って、彼を見た。「せっかく当たったんだし、無駄にしたらもったいないよ。礼司、雅美と一緒に受け取ってきなよ」そう
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第7話

また何日か経ったある日、酔っ払って帰ってきた礼司は、ベッドで寝てるように見えた葉を一瞥したあと、何も言わずにそのままバスルームに向かった。シャワーの音が響く中、葉はふっと目を開けた。バスルームの閉まったドアを一度見てから、慌ててスマホを取り出して、ある番号に連絡した。「今すぐ、うちの別荘に来て」二十分後、雅美がうちのドアをノックした。葉はそっと部屋から出てドアを開けると、さっき引っ張り出しておいたレースのネグリジェを彼女に手渡した。「これに着替えて、主寝室で寝て」その一言を聞いた雅美は、手の中のネグリジェを見下ろして、何かを察したのか、心臓がドクドク鳴って、まるで胸から飛び出しそうだった。葉に急かされてようやく我に返り、急いで階段を駆け上がり、ネグリジェに着替えてベッドに横たわった。横になって間もなく、バスルームのドアがガチャッと開いて、腰にタオルを巻いただけの礼司が、髪を拭きながら出てきた。礼司はふと顔を上げ、ベッドの上の人影を見て、動きを止めた。しばらくご無沙汰だった約束を思い出したのか、数歩近づいて、自然な流れでその体を抱き寄せた。そして、酔ってかすれた声でつぶやいた。「もう……生理、終わったよな?」最初、雅美は何のことかピンと来てなかった。でも、ベッドが少し沈んで、うなじに熱い吐息がかかり、腰に回された大きな手に触れられた瞬間、全身がビクリと震えた。体温の熱さに、呼吸が苦しくなってくる。背後から微かな笑い声が漏れ、優しいキスが耳の後ろや首筋に落ちてきた。未経験の彼女が耐えられるはずもなく、思わず声を漏らしてしまった。そのたった一声で、礼司の動きがピタッと止まり、彼は急に身を引いて、信じられないという顔で叫んだ。「……雅美!?」一階のリビングでは、礼司がソファに座っていて、雅美は毛布を羽織ってその隣にいた。彼女の顔は真っ赤で、恥ずかしさが隠せない様子だった。礼司は暗い表情で、鋭い視線をこちらに向けてきた。「これ、一体どういうことだ?」まさかこんなに早くバレるとは思っておらず、葉は動揺しながらなんとかごまかそうと、言い訳を口にした。「雅美の家、停電しちゃってさ。それで、一晩だけ泊まってもらうことにしたの」「……で、なんで主寝室で寝てた?」全然納得してない様子で、さらに
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第8話

長い沈黙のあと、葉がようやく口を開いた。でも、礼司の質問には答えなかった。「ごめんね……あなたが喜ぶと思ってたの」だけど、その謝罪が結果的にトドメを刺してしまったみたいで、礼司の怒りに完全に火をつけてしまった。「お前ってさ、いつも勝手に決めつけるよな!」その冷たい一言を吐き捨てて、礼司は重たい空気を引きずるようにして寝室を出て行った。その背中を見送りながら、葉はなんとなく察した。……うん、だよね。礼司はまだ、自分の「契約彼氏」だ。あの人の性格と信念を考えたら、たとえどれだけ雅美のことが好きでも、簡単に一線を越えるはずがない。あと三日。三日で、すべてが終わる。別れの日が近づくにつれて、葉は別荘の中にある礼司に関する物をひとつずつ引っ張り出して処分し始めた。捨てるものは捨てて、燃やせるものは全部燃やした。跡形もなく、きれいさっぱりと。大学時代の礼司のスピーチやディベートの写真、二人で揃えたペアのマグカップやスリッパ、パジャマ、そして彼のために願掛けして手に入れた御守りまで。どれもこれも、礼司のことを好きだった証ばかりだった。最後に火にくべたのは、礼司宛に書いたラブレター。一通、また一通と火に投げ入れながら、自然と昔のことが頭をよぎった。最初は、ただひたすら普通に礼司を追いかけてたんだ。三ヶ月かけて、99通の手紙を書いた。でも、その全部を礼司は突き返してきた。それから、礼司が医療費で困ってるって知って……それで、ああいう方法を思いついた。助ける口実にもなるし、自分の気持ちも報われるかもしれない――そう思った。でも、やっぱり間違ってたのかもしれない。愛はお金で買えるもんじゃない。小説にも書いてあった。男主人公の礼司が心から愛するのは、ヒロインの雅美だけだと。そう考えると、もう何の未練も残らなかった。最後の一通を手に取って、火の中へ投げた。ちょうどその瞬間、玄関がガチャっと開いて、礼司が帰ってきた。燃え盛るカラフルな封筒を目にして、礼司の表情が一瞬で固まった。中身までは見てなかったが、封筒の見た目には見覚えがあった。以前、葉が何度も渡そうとして、そのたびに拒否されたラブレターたち。礼司の心臓も、一瞬ドクンって跳ねたんじゃないかな。頭で考えるより先に、口から言葉が飛び出してきた。
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第9話

翌朝、礼司が出かける準備をしているとき、葉が彼を呼び止めた。「ねえ、明日でうちら付き合って5年だよ。記念日。クルーズ予約してあるからさ、一緒に海見て、夕日見に行こうよ」また思いつきで何か仕掛けてるんじゃないか。そう思いながらも、礼司はただ冷たく「うん」とだけ返して、そのまま出ていった。心のどこかで期待があるせいか、葉にとってその日は驚くほど早く過ぎた。そしてついに、約束の日が来た。そう、自分が「死んだふり」をして去るあの日。気合を入れて準備して、礼司を連れて、予約しておいたクルーズに乗った。デッキからの景色は本当にきれいで、夕日のオレンジ色の光が海と船全体にふわっと降り注いでた。身体にも、あったかい光が柔らかく差し込んできて、海と空が溶け合うような、まるで絵みたいな景色だった。そんな景色を見つめる礼司の目に、ふと不思議な色がよぎった。でも、その静かな時間はスマホのけたたましい着信音にあっさり壊されてしまった。振り返ると、礼司はすでに電話で仕事の話を始めていた。礼司が今取り組んでいるのはあのプロジェクトだ。あと数時間で動き出す、礼司にとっても、葉にとっても大きな転機になる仕事。「ねぇ、礼司。お金持ちになったら、何したい?」そう聞いたときには、礼司はもう電話を切っていて、葉の唐突な質問に少しだけ間を置いてから、淡々と答えた。「自分のやりたいことをやる」表情も特になくて、言い方もいつも通り淡々としてた。でもその顔を見ていると、胸の奥にぽつりと思いが浮かんだ。きっと、お金持ちになったら、最初に私を切り捨てるんだろうな。でもね、礼司。今回ばかりはあなたの手を煩わせないよ。甲板には次々と料理が運ばれてきて、あっという間にテーブルの上はごちそうでいっぱいになった。夕日が海に沈むまで、もうあと少し。二人は向かい合って座っていたけど、葉はもうご飯なんて食べる気になれなかった。礼司も相変わらず、必要なことしか話さない。沈黙を破ったのは、またしても礼司のスマホだった。画面に表示されたのは「雅美」の文字。礼司は一瞬たじろいだあと、結局そのまま電話に出た。通話の向こうから、雅美の泣きそうな甘い声がはっきりと聞こえてきた。「礼司さん……事故っちゃって、病院に来てくれる?」その瞬間、礼司の眉がピクリと動き、そっと
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第10話

礼司が別荘に戻ってきたのは、それから三日後のことだった。その顔には久しぶりに笑みが浮かんでいた。雅美の怪我は回復に向かっていて、ずっと奔走していたプロジェクトも無事ローンチ。大成功を収めて、ついに自分の力で上流の世界に足を踏み入れた――そんな自信に満ちた表情だった。もう、祖母の治療費を捻出するために体を売っていた、あの頃の貧乏学生じゃない。ポケットには、プロジェクトで得た初めての収入が入っていた。それを、葉に会ったらすぐに返すつもりだった。これで、二人の間にあった「借金」も清算できる。礼司の中では、ようやく葉の前で胸を張れるようになった、そんな気持ちだった。でも、玄関のドアを開けた瞬間、別荘の中はしんと静まり返っていて、ガランとしていた。いつもなら、リビングで帰りを待っている葉の姿が、どこにもなかった。言いようのない不安が胸をかすめて、なぜか心の中まで空っぽになっていくような感覚に襲われた。ここ最近の、葉の妙な行動が頭をよぎる。また新しい手で、俺を苦しめようとしてるんじゃないか?そんな疑念すら浮かんで、いてもたってもいられず、スマホを取り出してメッセージを送ろうとした、その時だった。突然、ニュースの通知が目に飛び込んできた。「ここ数日、A市の大富豪・来栖家の令嬢が行方不明となり、その後、海上で遺体が発見されました。警察の確認により、遺体は来栖葉と判明。死因は現在調査中です」その短い一文に、礼司の頭は真っ白になった。まさか、と思って画面を凝視した。自分の目を疑いたかったのに、指は勝手にニュース記事をタップしていた。掲載されていた写真は鮮明とは言えなかった。それでも、礼司には一目で分かった。その遺体が、葉であることを。目を凝らして、「違う証拠」を必死に探した。けれど、見れば見るほど、心は冷たく凍りついていく。遺体の体形、服装――どれも、出発前の葉と寸分違わなかった。死んだ?……いや、そんなはずがない。実際に遺体をこの目で見るまでは、葉が死んだなんて、到底信じられなかった。けれど、警察へ向かおうと外に出た礼司は、足元がふらついて、何度も転びそうになった。自分で車を運転しようとしたけど、いざ鍵を握ろうとしたら手が震えて、うまく持てなかった。仕方なく、少し歩いた先でタクシーを拾った。あっと
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