ログイン「来栖様、契約はすでに締結済みです。ご希望通り、17日後に『仮死』のサービスをご提供いたします」 応接室で、スタッフがさっき仕上がったばかりの紙の契約書を来栖葉に差し出してきた。 葉はそれを受け取り、パラパラと目を通しながら、念のためもう一度確認した。 「その仮死用の遺体、ちゃんと私に似せて用意してたんだね?」 スタッフは自信満々に胸を張って頷いた。 「ご安心ください。遺体はお客様の体型にそっくりそのまま作ってますから。絶対にバレません」
もっと見る梓が目を覚ましたその日に、看護師から礼司が来ると聞かされていた。だけど、梓と来栖夫婦が退院する日まで、彼は一度も顔を見せなかった。最初は、看護師が自分を慰めるために適当に言っただけなんだろうと思ってた。だが後になって、礼司が事故に遭い、重傷を負っていたことを知った。あと少しで命を落とすところだったと。その話を聞いたとき、梓は心を揺さぶられ、すぐに看護師に頼んで彼の様子を見に行った。集中治療室の中で、礼司は意識を失っていた。呼吸器のマスクにうっすら水蒸気がついてて、横の心電図モニターがかすかに動いていることだけが、彼がまだ生きていることを示していた。聞いた話では、礼司は自分に会いに来る途中で急に意識を失い、そのせいで事故に遭ったらしい。それを聞いて、梓の胸にわずかな罪悪感が生まれた。5年ぶりの再会だったが、梓はこれまで礼司に対して一度も優しい顔を見せたことがなかった。なぜなら、彼から一度たりとも愛を感じたことがなかったからだ。だが今、こうして生命の気配を感じさせない姿でベッドに横たわる彼を見て、胸が締め付けられるような痛みが走った。あの事故のとき、礼司は梓と来栖夫婦を気遣って駆けつけてくれた。しかし今回、彼が事故に遭ったとき、自分はすっかり元気になってからそれを知ったのだった。「ごめんね、礼司」実のところ、礼司は何も悪くなかった。あの頃の想いは自分が一方的に求めたものだった。礼司が自分のことを好きでなかったのも当然のこと。それでも礼司を諦めて死の運命から逃れようとした自分を、彼は絡め取って離さなかった。梓はあの5年間のことを今でも根に持っていたが、礼司は、梓の冷たい態度を気にする様子もなかった。梓はうつむいたまま、喉を詰まらせながらもかすかに声を出した。そのとき、視線の端で、彼の指がわずかに動いたのを見た。心臓がドクンと跳ねて、梓はすぐにナースコールを押した。ほどなくして、医者が駆けつけてきた。礼司は目を覚ました。彼が目を開けたとき、医者はすでに退室しており、付き添いの看護師が一人の女性に何かを伝えていた。その女性が振り返り、礼司の視線がその顔に留まった瞬間、表情が固まった。5年前に死んだはずの……あの来栖葉?いや、違う。最近、来栖家が養女を迎えるために盛大な披露宴を開いたことを思い出し、彼女がその養女である
システムは珍しく沈黙していた。礼司のまわりでしばらく跳ねていたけど、ようやく口を開いた。もはや命令を機械的に繰り返すだけの声ではなかった。「主人公でいることの、何が不満なのですか?あなたは誰もが羨むようなチャンスと無限の富を手に入れられる。あなたを中心に愛してくれるヒロインもいる。望みさえすれば、この世界で最も偉大な存在になれるのですよ」その声はどこか柔らかさが宿っていた。まるで諭すように、目の前の人間がその「意味」に気づいてくれることを願っていた。記憶のクリーンアップと再構築を受け入れ、元の道に戻りさえすれば、欲しいものは全部手に入るよって。ただひとつ、ヒロインじゃない葉との「愛」を除いて。だが、礼司はまったく動じなかった。彼は頑なに首を横に振り、真剣な眼差しで言い切った。「何もいらない、俺はただ葉と一緒にいたいだけだ」「たとえ今持っている全てを失うことになっても、後悔はしないのですか?」人間の感情を理解できないシステムには、その選択が合理的とは思えなかった。だが、礼司は迷いなくうなずいた。「後悔しない」「でも来栖葉は死ぬ運命なのです。来栖葉という存在は、主人公との因縁を終え、最終的に主人公の手によって命を落とすためにあるのです」その一言が、礼司の心を冷やした。呆然と立ち尽くす彼の頭の中は真っ白になった。たとえ葉が一度「仮死」という道を選んだとしても、結局は元の筋書き通りに戻ってしまうのか?システムは彼のそんな反応に満足したらしく、光の塊からは顔が分からないけど、その跳ねる勢いでニヤニヤしてるのがバレバレだった。よくもまあ、自分に逆らう気になったな。自分はこの空間に生まれ落ちて以来、いくつもの世界を統括してきた存在だというのに。たかがひとつの世界の主人公に過ぎない者に、代わりなどいくらでもいる。そう思った瞬間、光の塊の跳ねる動きがピタリと止まった。いや、待て。そもそも彼が求めているのは「主人公でないこと」では?一拍置いて、頭の中は読み込んだデータでぐっちゃぐちゃになりそうだ。システムは無駄な読み込みをやめ、ストーリー展開を確認する素振りをしながら、やけくそ気味に開き直ったような口ぶりで言った。「ふーん、来栖葉って五年前にもう本来のストーリーで死んでしまってたんです」その言葉を聞いた瞬間、礼
意識が完全に消えかけるその瞬間、礼司の耳元に機械のような声が突然響いた。「警報、警報、男女主人公が生命の危機に陥っています。生命反応が微弱。世界が崩壊寸前です」男女主人公?それはどういう意味だ?誰が耳元で喋ってる?まさか、これは死ぬ間際の幻聴なのか?考える暇もなく、礼司はそのまま意識を手放してしまった。次に目を開けたとき、礼司は奇妙な空間の中にいた。無数のコードが空中に浮かんでて、手を伸ばしてもすり抜けてしまう。そのとき、ふわりと光の塊が礼司の目の前に現れた。まず礼司の全身をスキャンするように青白い光が走った。すると、コードの列の前に次々と赤い感嘆符が浮かび上がる。「データ異常、クリーンアップが必要。クリーンアップ開始します」光の塊は一切の感情を含まない機械音声で淡々と命令を実行した。声が終わると同時に、礼司の脳内にまたも鋭い痛みが走った。すぐに気づいたのは、何かの見えない力が記憶を強制的に消し始めていることだった。パニックに陥りながらも、礼司は気づいた。葉との記憶が、どんどん薄れていく!恐怖が心を満たした。逃げようとしても逃げられない。反抗しようとしても、その光の塊には触れることすらできない。だが、それ以上に恐ろしいのは、次に光の塊が発した言葉だった。「男女主人公の感情異常。修正を開始します」「主人公がサブヒロインに感情を抱いています。修正を開始します」「主人公がヒロインに殺意を抱いています。修正を開始します」その言葉に、礼司はハッと何かに気づいた。顔を上げて、光の塊を睨みつけながら、歯を食いしばって一言一言吐き出した。「お前たちが、俺を操ってたってわけか?俺が主人公?殺意を抱いたヒロインって、まさか雅美のことか?じゃあ、サブヒロインって……葉のこと?」礼司の問いに、光の塊が一瞬フリーズしたように反応を遅らせたが、少し間をおいてからまた話し始めた。「当システムはこの世界の正常運行を維持することのみを目的としており、当該質問への回答は致しかねます」でも、その一瞬のフリーズと回答拒否こそが、礼司に確信を与えた。全部自分の推測通りだ。自分の生きていたこの世界が、実は誰かに操られていたなんて──そんな事実を受け入れられる者がどこにいる?だが、礼司の脳裏にある言葉がよぎった。「男女主人公が
病院のベッドで丸一週間を過ごした後、葉の両親と梓の三人はようやく次々と意識を取り戻した。付き添っていた看護師を見た梓は、反射的に起き上がろうとしたんだけど、すぐに看護師に止められて、優しく声をかけられた。「私は間宮さんに依頼されて来た看護師です。ご両親は隣の病室にいらっしゃって、間宮さんもちゃんとそれぞれに看護師を手配されていますから、ご安心ください。いまは目を覚ましたばかりで、まだ怪我も完全には治っていませんから、あまり動かないように気をつけてくださいね」まだ頭がぼんやりとしていた梓は、何がなんだかよくわからなかったけど、その言葉を聞いて素直にもう一度ベッドに横になった。梓が大人しくなったのを見て、看護師さんはスマホを取り出して、どこかに電話をかけ始めた。「間宮さん、里見さんが目覚めました」その頃、間宮家の別荘にある薄暗くて狭い物置部屋では、唯一光の差し込む小窓すら塞がれていて、元々置いてあったガラクタも全て撤去されてた。雅美が何かを使って逃げようとするのを完璧に防ぐためだった。徹底的に監視されてる雅美は、両手を縛られて、口にはボロ布を詰められたまま。唇はひび割れてカサカサ、空腹で意識がもうろうとしていて、ボロボロの姿で部屋の隅に倒れ込んでいた。力を振り絞って助けを求めるように礼司を見つめ、嗚咽を漏らした。電話を切った礼司は、そのぼろぼろの雅美に目を向けて、久しぶりに口元に冷たい笑みを浮かべた。「雅美、お前は梓と来栖夫婦が目を覚ましたことを喜ぶべきだよ」そう言い残して礼司は物置部屋を出ていき、見届けた使用人に部屋の扉を鍵でしっかりとロックさせると、そのまま病院に向かって車を走らせた。閉ざされた扉の向こう、最後のわずかな光も完全に消え失せて闇に包まれた部屋の中で、雅美は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、恐怖と憎しみで震えてた。小さい頃からずっと礼司と一緒に育ってきたのに。礼司が家族以外で心を開いた唯一の相手は、自分だと思ってたのに。自分は礼司にとって、特別な存在なんだって、ずっと信じてた。でも、礼司は祖母を助けるために、葉の彼氏になる道を選んだ。確かに、自分と葉の間で、礼司が一番気にかけてたのは、いつも自分だったのかもしれない。でも、それが余計に嫉妬を煽った。長年そばにいた自分じゃなくて、突然現れた葉が、あっ