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渡り雁は去りゆく
渡り雁は去りゆく
Auteur: ココナッツコーラ

第1話

Auteur: ココナッツコーラ
「来栖様、契約はすでに締結済みです。ご希望通り、17日後に『仮死』のサービスをご提供いたします」

応接室で、スタッフがさっき仕上がったばかりの紙の契約書を来栖葉(くるす よう)に差し出してきた。

葉はそれを受け取り、パラパラと目を通しながら、念のためもう一度確認した。

「その仮死用の遺体、ちゃんと私に似せて用意してたんだね?」

スタッフは自信満々に胸を張って頷いた。

「ご安心ください。遺体はお客様の体型にそっくりそのまま作ってますから。絶対にバレません」

その一言に、ようやく少し安心できた。葉はバッグからカードを取り出し、勢いよく決済を済ませると、くるっと背を向けて部屋を出た。

玄関を出た瞬間、真っ先に目に飛び込んできたのは、一台の豪華なロングリムジン。葉の姿を見つけた運転手が、すぐに恭しくドアを開けてくれた。

「お嬢様」

葉は軽く頷いて応え、無言のまま後部座席に乗り込む。運転手がドアを閉め、運転席に戻って車を発進させた。

車はスムーズに走り出し、最終的に来栖家の別荘の前で止まった。

ここは、葉が間宮礼司(まみや れいじ)と同棲するためにわざわざ買った家だ。

戻ってきて間もなく、別荘の玄関が再び開いた。

入ってきたのは、まるで彫刻のように整った顔立ちの男。白いシャツに黒のスラックスというシンプルな格好なのに、ひと目で人を惹きつける美しさがある。どこか冷たくて、近寄りがたい雰囲気をまとっていた。

礼司はゆっくりとカフスボタンを外しながら近づいてきて、そのまま葉を抱き上げるようにして歩き出した。

「礼司、やめて!」

思わず大きな声を出して、彼の腕から逃れようともがいた。

礼司の目が、冷たい月光のようにじっと葉を見つめてくる。

まるで「何をそんなに騒いでるんだ?」とでも言いたげな表情で、低く言った。

「やめてって?毎日俺と寝るって条件で俺を買ったんだろ?違うのか?」

「最近は……ちょっと無理。今月、生理が早く来ちゃって」

視線を落としながら、葉は曖昧な声で嘘をついた。でも幸いなことに、礼司はそれ以上興味を持つこともなく、あっさりと言った。

「じゃあ、仕事に戻る」

最近の礼司は本当に忙しい。ちょうど新しい事業を立ち上げる真っ最中で、葉はできるだけ彼の邪魔をしたくなかったから、黙って頷いて見送った。

今夜はずっと仕事だと思っていたのに、しばらくして、礼司が一本の電話を受けると、突然あわただしく書斎から出てきた。

葉がリビングにいるのを見て、一瞬足を止めた。

「今日はもういいんだろ?ちょっと用事あるから出かける」

いつもの冷たい表情の中に、ほんのわずか焦りの色が見えた。その瞬間、葉は直感的に察した。

その「用事」って、どうせ雅美のことでしょ。

でも、葉は何も言わなかった。ただ静かに頷くだけ。

礼司はそれを了承と受け取ったのか、そのまま葉の横を通り過ぎて玄関へ向かった。

そしてドアノブに手をかけたとき、葉はふと彼の名前を呼んだ。

「礼司……実はね、もうこんな関係、続けなくていいと思ってるの」

礼司は思わず足を止めた。眉をひそめながら立ち尽くす様子は、葉の話を最後まで聞くつもりでいるようだった。だが、彼の目に浮かんだわずかな焦燥感に触れた途端、葉は急に声を失ってしまった。

「……行っていいよ」

結局、最後まで言葉を飲み込んで、そう言って彼を見送った。

礼司の背中が闇に完全に消えるまで、ずっと見つめていた。

そしてようやく、ぽつりとつぶやいた。

「実はね、本当に、こんな関係、終わりにしようって思ってるの。だって……私、もうすぐいなくなるから」

来栖葉――京坂の上流階級出身のお嬢様。美貌もスタイルも、そしてお金も、全部持っている彼女は、今までいろんな無茶をしてきた。

でも、その中でも一番バカなことをしたのは、大学一年のとき、「契約彼氏」を作ったことだった。

あの人は、京大で有名なイケメンだった。

女子たちはみんな彼に夢中で、ラブレターを渡すために列を作ってた。その列は本校だけじゃなくて、他の学校にまで続いてたくらい。

でも彼は、とにかく冷たくて淡々としてて、誰に対しても平等に断ってた。ただ授業とバイトで忙しくて、誰にも興味がなさそうだった。

葉は、そんな礼司に一目惚れした。

どうしてもこの「高嶺の花」を手に入れたくて、いろいろ調べた。そしたら彼は、両親を早くに亡くして、祖母に育てられて、その祖母が最近ずっと寝たきりの状態で……

彼もその医療費のために、いくつもバイトを掛け持ちしてるってことがわかった。

だから葉は、彼に取引を持ちかけた。

祖母の治療費を葉が負担する。その代わり、礼司が「彼氏になる」っていう契約。

毎日決まった時間に帰ってきて、決まった回数だけ一緒に過ごす。そして、葉が飽きるまでそれを続ける――そんな条件。

当時、祖母の病状は本当に深刻で、大金がどうしても必要だったから、礼司はその提案を受け入れてくれた。

それから、もう5年。

二人は大学を卒業して社会人になったけど、関係はあの頃とまったく変わらない。

礼司の祖母はまだ完治してないし、葉もまだ飽きてない。彼はいまだに葉の別荘に住んでいて、それでも態度は相変わらず冷たいまま。

それでも葉は諦めなかった。時間をかければ、きっと彼の心を溶かせるって、本気で信じてた。

でも、数日前。

うっかり階段から落ちて頭を打ったとき、まさかの覚醒をしてしまった。

気がついたら、小説の中のキャラクターだった。

主人公は礼司。ヒロインは、幼なじみの雅美。

そして葉は……なんと悪役令嬢だったなんて!

原作のストーリーだと、礼司が今取り組んでるあの起業プロジェクトが、あと17日で大成功して、彼は一気にビジネス界の新星になる。

そこからは順風満帆で、やがて業界の頂点に立つって流れ。

そして、成功した彼がまず最初にやるのが――葉に大金を渡して、別れを告げること。

でも葉はそれを拒否して、彼につきまとい続ける。そして、礼司と雅美がどんどん親しくなるのを見て嫉妬して、ヒロインに何度も嫌がらせをしたり、傷つけたりする。

最終的に、葉は礼司に心底嫌われて、悲惨な最期を迎える。それが、原作のシナリオだった。

そんなバカみたいな話、最初は信じたくなかったし、自分がそんな愚かなことをするなんて思いたくなかった。

でも、ここ最近の出来事が、小説の内容とあまりにも一致していて、もう目を逸らせなかった。

何よりも、礼司が何度も自分を置いて雅美に会いに行くようになって……はっきりと分かった。

あの二人は、運命で結ばれてるんだって。

一週間。

葉は苦しんで、もがいて、ようやく決意した。

自分の命を賭けるような賭けなんてできない。

この小説のシナリオから抜け出すためにも、そして、自分の最期を変えるためにも……

もう彼を愛しちゃいけない。

だから死んだふりをして、ここから……そして、礼司から逃げることにした。

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