All Chapters of いもおい~日本に異世界転生した最愛の妹を追い掛けて、お兄ちゃんは妹の親友(女)になる!?: Chapter 111 - Chapter 120

185 Chapters

106 気の毒なアイツ

 智の魔法で気絶させられた鈴木を担架で保健室へ運び込んだところで、一華に呼び出された絢がご立腹の様子で駆けつけた。 急だったせいかいつもより地味な格好の彼女は、体型に沿った紫のサテン生地のワンピースに薄いコートを羽織っている。強調された胸に釘付けになる智に一華がむくれるという軽い痴話喧嘩が起きて、絢が「やめなさい」と一蹴する。「それより彼をどうにかするのが先よ。何でこんなことになってるの?」 ベッドでガァガァと鼾をたてる鈴木は、時折ニヤニヤと締まりのない顔を見せて起きる気配はない。 地下で遭遇するまでの事情を知らない一華に変わって、智が駅で光を見つけてからの経緯を説明する。「ごめんなさい、ルーシャ。私が施錠するのを忘れてしまって」 謝る一華に重ねて、智も「すみません」と頭を下げた。「まさかつけられてるとは思ってなくて。地下へ誘導する結果になったのは俺の責任です」「僕も……」 咲も続けて謝った。 絢は呆れたように溜息をついて、「二度目はないわよ」とベッドの横へ移動する。「けど彼はどうして学校なんかにいたのかしら」「それは、多分肝試しだったのかも」 ついこの間彼が言っていた事を思い返して、咲が鈴木を振り返った。 メラーレが地下で剣を叩く音を『藁人形に釘を打ち込む音』だと言って、彼はその真相を確かめたいと言っていた。 肝試しのメンバーを探しているようだったけれど、結局誰も見つからなかったらしい。「一人で来たのか。ちょっと気の毒だな」「でも俺たちをつけてあの地下室に辿り着いたんだから、コイツにとっちゃ大成功だったんじゃないか?」「お前にぶっ倒されたけどな」 しかも憧れの一華と智の抱擁を目撃するという大失恋の結末では、流石の咲も鈴木に同情したくなってしまう。「彼一人で良かったわよ。私もこんなことばかりするのが良くないのは分かってるけど、仕方ないわね。今騒ぎを起こすわけにはいかないもの」 キンと耳鳴りがして、咲は絢の手元を見やった。 彼女の細い指先が掌サイズの黒い魔法陣を宙に描く。「少しだけ巻き戻すわ」 彼女は攻撃魔法を殆ど使わない代わりに、補助的な魔法を巧みに操る魔女だ。今彼女は、地下へ入った記憶を鈴木から消すという。 魔法陣を貼りつけた人差し指を鈴木の額に押し当てて、絢は小さく文言を唱えた。 くるくると回る文字列が肌に移
last updateLast Updated : 2025-08-29
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107 ベッドのアイツ

 智に気絶させられた鈴木の記憶は、絢の魔法で地下へ入る直前まで巻き戻された。校長室の入口も、一華が智に抱き着いたことも覚えている筈はないのだ。 なのに鈴木は、一華たちの事だけ忘れなかった。場所を思い出すことはできないという。 二人の抱擁を目の当たりにして、彼は相当ショックだったらしい。「なぁ海堂、あの二人は付き合っているのか?」 こうなったら隠すわけにもいかず、咲は「そうだよ」と頷いた。 愕然とする鈴木が、ベッドの上で肩を震わせる。「何でアイツなんだよ。何で俺じゃいけないんだよ。転校してきたばかりじゃないか。少し背が高いからって……まぁまぁ頭が良くて、スポーツが得意で、まぁまぁ顔もいいからって……俺はもう生きていけないよ」「大袈裟だな」「大袈裟なんかじゃない。俺はこの屈辱を何度味わえばいいんだ。何度失恋すれば、春が来るんだよ」「失恋してもしなくても、春は来るだろ」 確かに転校してきてすぐの智が人気の一華と恋人同士なんてことが広まれば、ナンパ野郎だと指差される事になるだろうが、二人の恋は何十年越しなのだ。もちろん今ここで鈴木にそれを言う事はできないけれど。「アイツは元々ナンパ野郎だけどな」 面白がって呟いた咲を見上げて、鈴木は落ちてきた鼻水をズルズルっと吸い上げた。 汚い音が響いて、咲が「全く」と側にあったティッシュボックスを差し出すと、鈴木は豪快に鼻をかんだ。そして、目を潤ませておかしなことを言う。「もうさ海堂、俺と付き合わない? 俺、昔からずっとお前の事──」「待て」 全身にブルリと鳥肌が立って、咲は鈴木の話を慌てて止めた。それ以上聞きたくない。「言っとくけど、僕にも恋人が居るんだからな?」 彼に同情なんてしなければよかったと後悔しながら、咲は驚愕を孕んだまま硬直する鈴木を置いて保健室を後にした。   ☆ 鈴木の後始末を、そろそろ戻って来るだろう絢に託して、咲は校舎を出た。 すっかり真夜中の色に包まれた学校は、またあのゾンビ映画を思い出させる。嫌でも我慢して鈴木と一緒に帰ればよかったという気持ちがよぎった所で、「ヒルス」 闇から声を掛けられて、咲は思わず「うわぁ」と悲鳴を上げた。 智だ。 すぐそこで待ち構える彼の姿に驚いて、心拍数の上がる胸を押さえつける。「びっくりさせるなよ」 一華は地下に戻ったと思ったし、
last updateLast Updated : 2025-08-30
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108 アイツの気持ち

 朝いつものように駅で待ち構えた咲と智から昨夜の一部始終を聞いて、芙美と湊は「えぇ?」と顔を見合わせた。「バレちゃったの?」「大変だったんだぞ」 昨日いつもより遅くに蓮が咲と電話しているのが聞こえたのは、そういう理由だったらしい。 地下室で鉢合わせた鈴木の記憶は絢の魔法で消したつもりだったが、智と一華が恋人同士だと知ってしまった衝撃を忘れてはくれなかったという。「目の前でメラーレが智に抱き着いてさ。一華先生ラブのアイツにとっちゃ災難だったってわけだ」 咲がぎゅうっと自分の身体を抱きしめる小芝居をしながら、昨夜の説明をした。「魔法が効かなかったって、ルーシャは不調なのか?」「どうだろ。まぁ魔法なんて絶対的なものじゃないと思うし」 心配する湊に、智は他人事のように笑う。「鈴木くん、何か可哀そう。ショックだったんだね」 恋愛小説を『恋の指南書』だと言って読んでいた彼を思い出して、芙美は複雑な気持ちになった。 鈴木が一華を狙っていたのも知っているし、仮病まで使って保健室に通っていたのは一年クラスでは周知の事だ。「別に可哀そうなんかじゃないよ」 急に咲が不機嫌になって、不貞腐れたような顔をする。「咲ちゃん? 何かあった?」「ないよ」 ぷうっと頬を膨らませた咲が昨日鈴木に告白されたことなど、芙美には知る由もなかった。   ☆ 小テストが終わって、溜息の零れた昼休み。 智と咲が購買に焼きそばパンを買いに行き、湊が係の仕事で職員室へ呼ばれたタイミングを狙って、芙美は鈴木に声を掛けられた。 彼の視線が気になるようになってから、初めて話をした気がする。失恋の影響か、少し元気がないように見えた。「ちょっといい?」 鈴木はキョロキョロと辺りを警戒しながら、廊下を指差した。 昨夜の話なのかと思うと無下にすることはできず、芙美は出しかけた弁当箱を鞄に戻して「ちょっとだけなら」と席を立つ。 鈴木は黙ったまま階段を上り、屋上への踊り場の所で足を止めた。 すぐ下の階には音楽室や理科室が並んでいて、この時間は全く人気が無い。「ちょっと待って」 シンとした廊下に声が響く。流石に二人きりというシチュエーションには不安になった。 鈴木は壁に片手をついて、哀愁たっぷりの溜息を吐き出す。「心配しないで。ここなら他の人に聞かれないだろうと思っただけだか
last updateLast Updated : 2025-08-31
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109 あの日と同じ雨

 朝テレビで見た予報では、雨は夜まで降らないはずだった。 夕方まで曇りだと聞いてホッとしていたのに、まだ昼の空を暗い雨雲が覆っている。スマホで天気を確認すると予報はすっかり変わっていて、夜中まで絶望的な雨模様だった。「芙美」 廊下の奥に足音が響いて、湊が姿を現す。彼は窓の外の雨に気付いて、芙美に駆け寄った。「大丈夫?」「うん。今は平気」「なら良かった。クラスの奴に、芙美が鈴木と出て行ったって聞いたから。何かあった?」「ううん、大したことじゃないよ」 昨日の鈴木が実は二重の失恋だったとは言い出せず、芙美は話題を変えるように雨空を見上げる。「雨、降ってきちゃったね」「今日は部活やめとく?」「そういう訳にはいかないよ。私にとっては体力不足も雨も克服しなきゃならないんだから」 憂鬱な雨音も、冷たい感触も、耐えられないわけではないのだ。「そう? 先生はあぁ言ったけど、俺はこんなことしても逆効果なんじゃないかって思うよ。だから、無理だと思ったらいつでも言って」「うん、ありがとう湊くん」 彼の言葉に根拠のない自信が沸いて、芙美は精一杯の笑顔を取り繕う。「そういえば、あの部活って何部なんだろう?」 ふと浮かんだ疑問を口にすると、湊は「え?」と首を傾げ、疑問符を顔に並べた。「運動……する部?」 彼の口から咄嗟に出たその名前が採用されるなんて、芙美は思ってもみなかった。 雨を嫌だと思ったのは、芙美として今の身体に生まれ変わってからだ。 覚えのない前世の記憶に翻弄されて、芙美はただ雨に恐怖した。『怖いよぉ』とうずくまる小さな芙美の手を握ってくれたのは、ヒルスではなく蓮だ。 『また泣いてる』 面倒な顔をしながらも、彼はそれを放り出すことはなかった。 『兄さま……じゃなくて。お兄ちゃん、ありがとう』 記憶はなかった筈なのに、一度蓮をそう呼んでしまったことがあるのを最近になって思い出した。 なんだかんだ言って優しい蓮を、本能がヒルスと勘違いしてしまったようだ。 けれどその事を小さな芙美が気付くことはできなかった。 両親よりもどうして兄を求めていたのかは自分でもよく分からない。そんなにリーナはヒルスが好きだったのだろうか。   ☆「私、頑張ってみるよ。みんなとならできそうな気がするから」 雨の放課後、心配する三人の前でそう言ったのは
last updateLast Updated : 2025-09-01
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110 隣の部屋

 冷たい雨の感触に震えながら、芙美は湊の肩に額を押し付ける。「どうして、こうなっちゃうかなぁ」 前に進もうとする意志を阻むように、身体が雨を拒絶した。 湊が芙美の背に手を伸ばし、「無理しなくていいよ」と抱きしめる。「戻ろう」 彼の言葉は心地良いけれど、芙美は首を横に振った。「駄目だよ。まだ二日目だよ?」「そんなの関係ない」「だって、宰相と約束したの」 ──『雨の日も休まないで下さいね』 昨日の今日で根を上げるのは嫌だった。 ゴールまではあと少しだと思うのに、湊の肩から顔を起こした途端に足が竦んで、再び彼の肩を求める。一度起きた不安への衝動はなかなか抜けてはくれなかった。 湊は芙美の手に自分の掌を重ねる。「約束を破って向こうがどうのって言うなら、ペナルティを受ければいいよ。走り込みでも腕立て伏せでも、俺も一緒にやるから。だから今日は帰ろう」「けど……」「無理なら言ってって言っただろ? 芙美はさっき駄目だって言ってた。それが本心じゃないのか?」「…………」 黙ったまま俯く芙美と手を繋いで、湊は坂の下へと歩き出した。 ハードルの横を歩く罪悪感を感じながら、芙美は手を引かれるまま彼についていく。「ごめんね、湊くん」「迷惑掛けられてるなんて思ってないよ」「……ありがとう」「どういたしまして」 先を行く彼の顔は見えなかったけれど、声のトーンで小さく微笑んだのが分かって、芙美は彼の手を強く握りしめた。   ☆ 坂を下りて荷物と一緒に置いておいた傘をさすと、湊が智に電話を入れた。 今日はもう帰るという事と、中條への伝言だ。特に理由は付けず、『早退します』という一言だけだったが、それだけで十分だろう。「二人も心配してたよ」 湊はそう言って、今度は田中商店へ行くと言った。「こんな格好じゃ帰れないからね」 ズブ濡れのまま歩いて店の扉を開けると、フリフリエプロン姿の絢が音にならない奇声を上げた。持っていたトレイをテーブルへ乱暴に放し、血相を変えて詰め寄ってくる。「ちょっと、そんな格好で入らないでちょうだい!」 勢いのまま二人は店の外へ押し出される。 湊が「すみません」と謝ると、絢が芙美の様子に気付いて家の玄関へと促した。「こっちは駄目よ。私に掃除させるつもり?」 中から玄関に回った絢は濡れた二人を玄関に招き入れ、大判の
last updateLast Updated : 2025-09-02
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111 雨が降ったら

「あの二人、そういう関係なのかな?」 帰りの電車は、いつも通り閑散としている。客と言えば遠くのボックス席に一人と、あとは隣の車両に数人のみだ。「詳しくは話してくれなかったけど、そういうことなんじゃない?」 ターメイヤ時代の中條を良く知らないが、絢との仲はあまり良くないと昔ヒルスが言っていた気がする。だから恋人同士かなと疑ったところで、芙美にはあまりピンとこなかった。 絢も『付き合ってるわけないでしょう?』の一点張りで、真相は謎に包まれたままだ。 雨は止む気配を見せない。大きな雨粒が打ち付ける窓を振り向いて、芙美は憂いを帯びた顔をガラスに貼りつけた。「私、本当に帰ってきてよかったのかな」「ルーシャも言ってただろ? あんまり深く考えなくていいよ。この間も学校サボったじゃん」 あれは寝不足だった芙美が朝の電車で居眠りした時だ。ハードルの授業に憂鬱さを感じていた芙美に、湊がサボリを提案した。 結局サボってまで行ったのはいつもの広場だったけれど、そこで湊に好きだと言われて付き合うことになった。 その時の事を思い出して、「そうだね」と返事した声がニヤけてしまう。 けれどあの時はあまり感じなかった罪悪感が、今はやたらと大きい。「芙美は雨が嫌なんじゃなくて、雨の中一人でいるのがダメなんだろ? もしハロン戦で雨が降ったら、俺は芙美の所に行くから。待っててくれる?」「湊くん……」 ターメイヤでのハロン戦で負傷したリーナは、瀕死の状態で雨の中動くことができず、死を覚悟した。 あの時の感覚が記憶の端にこびり付いて、雨が降ると全身に下りてくる。「雨に慣れればそりゃいいんだろうけど、別に慣れなくたって構わない。海堂だって智だって、芙美のこと見捨てたりしないから。けど、たとえ結果が伴わなくても、少しずつ慣らしていこう? 効果的かどうかは分からないけど、雨の日はデートしようか」「デート? えっ……本当に?」「うん。今日は遅いから、少しだけ町を歩こうか」 芙美はパッと笑顔を広げた。 おかしなくらい単純だけれど、雨を嬉しいと思える。 「うんうん」と頷く芙美に、湊が「良かった」と笑んで昔の話を始めた。「ターメイヤでリーナに会う前の事だけど、俺、虫が苦手でさ」「虫?」「あぁ、食べる方ね」 そっちかと想像して、芙美は眉を寄せる。 ラルフォン
last updateLast Updated : 2025-09-03
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112 飼い猫と絆創膏

 朝、湊に一本早い電車で先に行くとメールした。 すぐに「分かった」と返事をくれた彼が、何故か同じ車両に乗っている。「えっ……どうして?」「先生に謝りに行くんだろ? 一人で行かせないよ、俺も同罪だ」 部活途中で帰ったことを気にするなとは言われたけれど、中條との約束を破った罪悪感が抜けず、芙美は昨日あまり眠ることができなかった。 ホームルームの前に会いに行くには電車を一本早めるしかなく、いつもより一時間前に家を出た。そして蓮に心配された挙句、咲にもバレてしまったのは当然の結果だ。「僕に黙ってるなんて許さないからな」 咲が更に智へ連絡を入れて、結局駅にいつもの四人が揃った。「けど、咲ちゃんと智くんはちゃんと部活やったんだし、先生のとこには行かなくていいんじゃない?」 四対一のシチュエーションを考えて、それは中條に対して申し訳ない気がしてしまう。「そんなの気にするなよ。アイツの考えるペナルティは、芙美が考える様なのとは違うんだぞ? 地獄なんだ。僕が文句言ってやる」 過去の記憶を主張した咲が、ザワリと込み上げた衝動に両腕を抱える。 そういえばリーナの頃、ヒルスからよく兵学校での『ペナルティ』の話を聞かされていた。 磔にされたり、山に捨てられたりと恐怖体験を語っていたのを思い出して、芙美は少し不安になる。「けど帰っちゃったのは事実だし、頑張るよ」 智が「大丈夫だよ」と手をひらひらと振って見せた。「いくら教官だって、リーナ相手にそんなことさせないだろ。ヒルス、俺たちは遠くで見てようぜ」「えぇ?」 渋る咲に、芙美は「ごめん」と手を合わせる。 学校へ向かう生徒の流れはまだ少なく、校門にはまだいつもの面々はいなかった。とはいえ几帳面な中條なら既に登校しているだろうと思ったが、彼は後ろからやって来る。「おはようございます」 突然の声に、緊張を走らせる。 不意打ちだった。まだ心の準備ができていない。 彼はすぐそこにいたのに、気付くことができなかった。 けれど、四人が驚いたのはそれだけじゃない。そろりと振り返る先に居た中條の様子が明らかにおかしい。「せ……先生?」 普段は整った自慢のおかっぱ髪が、今日に限って乱れていた。いつになく緩んだネクタイのせいでシャツの首元が露わになって、大きな絆創膏が覗いている。 よく見ると、前髪
last updateLast Updated : 2025-09-04
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113 はんぶんこのビスケット

『運動する部』の発足から十日ほど過ぎて、カレンダーが十一月に入った。 山がすっかり秋色に染まり、コートを着るか迷う程寒い日も多い。 ハロン戦までちょうど一月、部活のルーティンにはハードル以外に木登りや崖下りも加わった。坂道に置かれたハードルが、毎日一台ずつ増えているのに気付いたのは昨日だ。いつも少しずつ位置がずれていると言い出した湊の言葉に三人はピンとこなかったが、何気なく尋ねたら、中條が「気付かなかったんですか」とその事実をあっさり認めたのだ。 これがあと残りの日数で三十台近く増えるのだと思うと、疲れがどっと増してくる。更に慣れと共に跳び方が雑になって、芙美の膝が見るに堪えない程傷だらけになっていた。「また血が出てる。そんなに怪我ばっかりしてると、痕残っちゃうわよ」 保健室で一華が、消毒液をひたひたにしみ込ませた脱脂綿を芙美の膝へ押し当てる。毎度のことながら、その瞬間の彼女は嬉しそうな顔をしていた。「いったぁぁあい」 悲鳴に近い声を上げて、芙美はスカートを両手で握りしめる。 両膝に滲む血の痕を見た湊に「行かなきゃ駄目だよ」とここに連行されたのは先週のことだ。そこから土日を挟んで毎日保健室に通っている。治りきらない傷のまま転ぶという悪循環のせいで、関係のないクラスメイトにまで心配される始末だ。 保健室には一華が昼食後に飲んだ甘いコーヒーの香りが漂っていた。そこにツンとした消毒液の匂いが混じる。「部活大変そうだけど、どう? 運動する部だっけ? 毎日頑張ってるわね」「そうなんだよ……って、痛いよメラーレ」「これくらい我慢しなさい」 何度も脱脂綿をあててくるメラーレに、芙美は身体をくねらせて悶えた。「それでね、ひたすら動いてるから電車に乗ると起きていられなくて」 最初あんなにドキドキしていた湊の肩枕も、日常的なものになってしまった。駅で起こしてくれる彼に甘えて、至福のお昼寝タイムを堪能している。 けれど、始めて十日ほどで部活の効果はちゃんと出ていた。体力増加の相乗効果で、魔力が日増しに強くなっている。記憶を戻したばかりの頃に集中できなかったのは、智に言われた通り、まだ魔力が弱かったかららしい。今は幾らでも目を閉じていられる。「部長は誰なの?」「咲ちゃんだよ。毎日張り切ってる」 「楽しそうね」と微笑みなが
last updateLast Updated : 2025-09-05
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114 あの部屋

 祝日の部活はやっぱり晴れていた。 ハードルを三往復こなし、疲れ果てた身体で木登りをしたところで、広場に珍しい人物が現れる。「ルーシャ?」 芙美は木から慎重に下りて、背の高さほどの位置から地面へジャンプした。短期間でここまでこれたのは、リーナが身につけていた潜在的な感覚のお陰だと思う。リーナのできていたことが少しずつできるようになっていくのは、楽しくて仕方がない。 予告なしに坂を上って来る絢は、この部活動の『副顧問』だと昨日中條に言われた。 けれどその肩書にも、山の風景にも似つかわしくない黒のチャイナドレス姿の彼女は、映画に出てくるマフィアの女のようだ。その場違いな風貌に、四人は不信感を募らせる。「何だよ、あれは」 深く入ったスリットから覗く生足を睨みつけて、咲が皆の気持ちを代弁するように呟いた。 智は強調された胸に視線を置きながら、今更ながらに、「ルーシャの胸って、あんなに大きくなかったよね」 と、触れてはならない事を普通のトーンで話してくる。 芙美が慌てて「駄目だよ」と注意するが、今度は咲が面白がって悪戯な笑みを浮かべた。「あれは魔法が起こした奇跡みたいなものだからな。飼い主が巨乳の猫好きなんじゃないか?」「えっ、猫?」 彼女が何を言っているのか、芙美には分からない。 けれどその説明を聞く前に、絢がすぐそこまで来て足を止めた。キッと睨んだ視線に、四人は口をつぐむ。「私の悪口でも言ってたのかしら? ちょっと話があるから私語は慎みなさい」 絢は巨大な胸元に縫いつけられた赤いバラの刺繍を撫でて、腕にぶら下げた紙袋からプリントを取り出して四人へ配った。「合宿……ですか?」 『冬合宿のお知らせ』という意外な表題に芙美が尋ねると、湊が「あぁ」と納得したように呟いて、横から日付の欄を指差して来た。 11月30日──ハロン襲来予定日の前日で、期間は12月3日までの3泊4日だ。「これが、部活を始めたもう一つの理由みたいよ。12月1日は、うちの学校創立記念日で休みでしょ? ついでに翌日も連休にしてあるから、心置きなくハロンと戦えるって事よ」 戦う為、数日家を空ける為の口実だ。有難いと思うのと同時に、いよいよだという緊張が走る。「まぁこの間出た黒い奴みたいに日付がズレたら困るんだけど、それは祈るしかないわね。あとはその四日でケリをつける
last updateLast Updated : 2025-09-06
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115 この部屋

「お兄ちゃん、この部屋に咲ちゃんを入れるつもり?」 帰宅して真っ先に、芙美は蓮の部屋へ向かった。ここしばらく入っていなかったけれど、改めて見ても恋人を迎え入れる男子の部屋としては難易度が高い気がする。 帰りの電車で募ったお泊り会への不安を本人に吐き出す。「いいの? 本当に咲ちゃんに見せてもいいの?」 部屋の奥から流れてくるBGMは、蓮の好きなゲームのサウンドトラックだ。旅立ちの町で流れている緩いメロディが、芙美の心理を反映するように戦闘シーンの激しい曲へ変わった。「そんなに騒ぐなよ。だからギリギリまで言うなって咲に言ったんだ」 開け放たれた扉の向こうには、同じ家の中とは思えないド派手な彼の世界が広がっている。「湊くんも泊まりに来るって言ってたよ? 湊くんにまで見られたら……」「メガネくんは俺の彼氏でも彼女でもないだろ? お前が自分の部屋を片付けとけばいいだけの話だ。そんなだから咲がお前に気ぃ使うんだよ。大体メガネくんなら、この間お前が倒れた時にこの部屋見てると思うぞ?」「えぇ? あの時入れたの? ここに?」「帰るって向こうが挨拶しに来ただけだよ」「そんな律儀な事しなくていいのに……」「俺はお前の兄貴なんだぞ? そのくらい普通だろ」 蓮は不愉快だと言わんばかりの顔をして、自分の部屋を振り返った。「っていうか、そんなに言う程の部屋じゃないだろ。ちゃんとゴミは捨ててるぞ? ちょっと物が多いだけだよ」「ゴミなんて当たり前でしょ? 本気でこのままにしておくの?」 この間のお泊り会の時も、蓮は部屋の掃除をするばかりで物の移動をした様子はなかった。あの日咲がそこに入ることはなかったけれど、今度はそうはいかないだろう。「いいか芙美。俺の部屋を否定する様なヤツを、俺は彼女にしてるつもりはないからな」「見たら嫌がるコの方が多いって言ってるの!」「そんなのは偏見だ。いいか、男の趣味は深いんだ。迂闊に外でそんなこと言ったら、男を敵に回すだけだぞ?」 かつて兄だったヒルスの部屋は雑然としていた。特にこだわりもないシンプルな部屋だっただけに、蓮との差がありすぎる。「お前がメガネくんの部屋に行って、美少女キャラの抱き枕でも転がってたらどうするんだよ。キモイって言って別れるのか?」「いや、絶対ないよ! 持ってるわけないでしょ?」 もう絶対にだ。そのカ
last updateLast Updated : 2025-09-07
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