All Chapters of いもおい~日本に異世界転生した最愛の妹を追い掛けて、お兄ちゃんは妹の親友(女)になる!?: Chapter 141 - Chapter 150

186 Chapters

131.5 【番外編】あの時

 初めて前世の自分を取り戻したのは、小一の時だ。 夢に見た過去に「忘れてた!」と飛び起きて、ワクワクしたのを覚えている。『運命が貴方を導いてくれるわ』 転生前、ルーシャにそんなことを言われた。だからきっと先に行った三人は近くにいると思ったのに、現実というのはうまくいかないもので、誰とも会えないまま月日だけ流れていく。 咲に運命の兆しが見えたのは、小四の時だ。 春に中学を卒業する姉の凜に合わせて、父親が家を建てると言い出した。 広井町の狭いマンションを出て、『豪邸を建ててやる』と豪語した時はまさかと思ったけれど、その場所を聞いて納得した。広井町から三駅も離れたド田舎だったからだ。広井町とはまるで違う環境に母親と凜は反対したけれど、咲は大賛成だった。 きっとそこにリーナたち三人がいると信じていた──のに。「誰も居ないじゃないか……」 小五になったばかりの転校初日、咲は黒板の前で挨拶し、愕然とした。 咲は魔法使いではないけれど、リーナを見間違えない自信はあった。長い付き合いのアッシュも気付けるだろうと思っていたし、嫌な奴ほど間違えないという理屈でラルも分かるつもりだった。 なのに、たったの十人しかいない同級生の中にその三人は誰一人と居なかったのだ。 ただ田舎に引っ越して来ただけの状況に言葉を失って、何も言えずに俯いていると、「ずっげぇ可愛い!」 教室の後ろで、一人の男子が声を上げた。ちょっと意識の高そうな、いわゆる『カッコつけ男子』だ。不快感を示す女子の視線に、彼のポジションがなんとなく理解できる。 だいたい可愛いなんて褒め言葉は、咲にとって「おはよう」と同じくらい聞き慣れたものだ。そんな軽い言葉では、どん底に落ちた咲の気持ちを浮上させることはできない。 今日は転校初日という事で張り切った凛が早起きして支度してくれたのに、何だか空しくなってしまう。焦りと孤独に押しつぶされそうだった。 日本への転生は、向こうで死んだ順だと咲は思っている。 最初にアッシュたちが崖を飛び降りてからヒルスが火炙りになるまでの期間は八ヶ月。咲の誕生日は十二月で、逆算するとアッシュたちはギリギリ四月生まれになる。 何かのズレで学年が変わってしまったのかもという望みをかけて六年生の教室も覗いてみたが、その姿を見つけることはできなかった。 呆然とした帰り道、後ろ
last updateLast Updated : 2025-09-28
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132 兄の兄への愛

 コンコン、という最初のノック音は芙美の耳に入らなかった。 彼の気配にすら気付けない程の集中を破ったのは、『トントン』と増していった音が『ドンドン』と扉を軋ませた瞬間だ。「芙美、時間だぞ!」 返事のない妹に痺れを切らした蓮が、「遅刻しても知らないからな」と部屋に入り込んできた。「きゃあああ」 ビックリして声を上げるのと同時に、指先に灯していた白い光がポンと弾ける。 前にもこんなことがあったけれど、今日は『返事しなかったら入ってきて』とお願いしてあった。「ホントに気付かなかったのか?」「うん、ありがとうお兄ちゃん」 部活の前にと思って始めた、魔法の鍛錬だ。 光を灯したまま集中するという単純なものだけれど、すぐに飽きてしまった初期の頃に比べて精度はグンと上がっている。目覚ましを掛けたくらいでは気付けない自信があって、暇そうな蓮にその役を頼んだ。 軽く一時間半続ける事が出来て、芙美は満足して立ち上がる。「お前が何やってるか俺にはサッパリ分かんないけど、きっと凄いことしてるんだろうな」「まぁ、一応ね」 コートを羽織って荷物を肩に掛けると、蓮が「待って」と芙美を呼び止めた。「今日部活以外に何かあるの? 咲と夕方から会うんだけど、なんだかいつもよりテンション高くてさ」「お兄ちゃんに会えるからじゃないの?」「それだけなのかな?」 否定しないのかと思いながら、芙美は「どうだろう」と首を捻る。 今日は部活の後、絢に呼ばれて田中商店へ行く予定になっているが、それは芙美と智だけという魔法使い限定の呼び出しだ。湊や咲は一華の工房へ行くという。「けど夕方には会えるんでしょ? お兄ちゃん達って、どんなデートしてるの?」「俺たち? 映画行ったり、ご飯食べたり。今日は駅前でイルミネーション始まったからそこに行くんだけど」「意外と普通のデートなんだね。っていうか、私もイルミネーション行きたい!」「だったら眼鏡くんに言えばいいだろ?」 この間地元のニュースで準備の様子が取り上げられていた。放課後部活が終わってからでは行けそうにないと諦めていたが、今日なら絢の所に行った後、湊と合流できるかもしれない。「それにしてもお兄ちゃん達って本当に仲良いよね」 「まぁな」と得意げになる蓮に、芙美は先日の話をぶつけてみた。「ねぇお兄ちゃん。咲ちゃんが際どい猫のコ
last updateLast Updated : 2025-09-29
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133 魔法使いの弱点

 朝、駅に着いた時に感じた眩暈は、ここのところずっと漂っているハロンの臭気のせいだ。魔法使いだけが感じられる特有の匂いで、湊たち剣士組は普段と変わりない。 ターメイヤで次元隔離した最強のハロンが、十二月一日にこの白樺台に現れるという。 九月の末に起きた最初の戦いが終わった辺りからずっとその気配を感じていたが、体調にまで影響を及ぼすようになったのはここ二週間ほどだ。 出口を求めて次元を彷徨うハロンが、歪みに生じた僅かな隙間から臭気だけを漏らしている。確実に近付いてきているという証拠だ。 この間出たハロンの臭気は甘かったけれど、今回は直接胃にまとわりつくような吐き気をもよおすものだ。こちらから戦いを仕掛けることはできず、ただひたすら我慢の日々が続いている。 今日はいつもより臭いが強い。軽い車酔いをした気分のまま部活を終えて、芙美は田中商店の前で湊と咲と別れた。 魔法組と剣士組がそれぞれに別れて大人たちに呼ばれているが、具合が悪いという智は不在だ。彼はこの臭気に当てられてしまったのだろうか。 水分を摂ると少しだけ楽になる事を知って、朝に封を切ったペットボトルのスポーツドリンクを少しずつ飲んでいたが、もうほぼ空の状態だった。芙美は額に滲んだ汗を拭い、最後の一口を飲み干して店の中に入る。「あれっ」 思いがけない光景が飛び込んできて、芙美は声を上げた。 開店休業状態の店内に、智が居たのだ。テーブルに突っ伏した智は芙美に気付いてのっそりと身体を起こすが、顔色が良くない。「智くん大丈夫? 具合悪いのにここまで来たの?」「いや、駅に下りるまでは平気だったんだ。そこからもう全然ダメ。リーナは平気なの?」 智は朝いつもの時間に駅に着いていたらしい。そこで吐き気に見舞われ、ここでずっと休んでいたのだという。 智は花柄のビニールクロスに右の頬を落として、うつろな目を辛そうに細めた。「私はそこまでじゃないけど、やっぱり気持ち悪いよ」「そっか。部活してきたんでしょ? 流石リーナ」 同じ臭気に対して、感じ方はそれぞれのようだ。 智は側にあった空の紙コップを掴んで、芙美へ伸ばした。「ごめん、リーナ。汲んでもらっていい?」「うん。水だけで足りる? 大分辛そうだよ。一華先生呼ぼうか?」 芙美はセルフの水を自分の分も合わせて汲んで、彼の向かいに腰を下ろした。 
last updateLast Updated : 2025-09-30
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134 帰る場所

 地下へ行くと、「はぁい」といつものように一華が迎えてくれた。 部屋に広がる甘い匂いは、彼女の飲んでいたココアだろうか。「お兄さん一人ですか? てっきりラルくんと一緒なんだと思ってました」「アイツまだ来てないのか。僕が家で着替えるって言ったら、素振りするって行っちゃったんだよな。校庭にはいなかったから、屋上にでも居たかな」「じゃあ、ちょっと待ちましょうか」 にっこり微笑んだ一華の背後に中條を見つけて、咲はビクリと肩を震わせる。「教官……いらっしゃったんですか」 気まずい空気に片言の敬語で尋ねると、「貴女は何のためにここに来たんですか」 中條は眉間の皺を深くして、逆に聞いてきた。今日ここに来たのは、彼に呼ばれた事に他ならない。 昨日『部活の後、学校の地下へ行ってください』と言われて、咲はもうそれが剣の事だろうという期待感でいっぱいになっていた。それ以外で個人的に呼び出される理由など考えつかなかったからだ。 都合良く一華から剣を渡される事だけ考えていたが、やはり中條本人も同席するらしい。 時間指定がなかったことにホッとして、咲は兵学校時代よろしくピシリと姿勢を正す。「教官に会いに来ました」「でしょう?」 中條が冷ややかに笑うと、一華が苦笑いを浮かべてポンと手を打った。「お昼にここで鍋パーティをしようって話になって、ハリオス様に仕込んで頂いたんですよ。お兄さんも楽しんでいって下さい」「本当か! そりゃあ楽しみだな」 久しぶりに食べるハリオスの料理と聞いて咲はテンションを上げるが、そのメンバーを浮かべて顔をしかめた。中條と湊だなんて、一華が居なかったら葬式のようだとさえ思う。「芙美たちと一緒でも良かったのに」「絢さんたちは午後から出掛けるそうなんで、バラバラにさせてもらいました」「へぇ、どっか行くんだ」「戦いの準備ですよ。ところで、お兄さんはこの後デートですか?」「えっ……なんで?」 咲は姉の凜に結ばれた渾身のツインテールをそっと撫でる。髪以外はセーターにスカートという極々普通の格好だ。なのに何故気付かれてしまうのだろうか。 今日は夕方に蓮と会って、イルミネーションを見に行く予定だ。「だって、大分可愛いですよ。ねぇ、中條先生?」 一華は何故か中條に同意を求めながら、咲から預かったコートを壁のハンガーに掛けた。 中條は
last updateLast Updated : 2025-10-01
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135 落とされた瞬間

 昼食の鍋に殆ど手が付けられなかった智を店に残し、芙美は絢と二人で山へ向かった。 いつもの広場とは逆の方向だ。「お昼美味しくて食べすぎちゃったよ。おじいちゃんのご飯なんて久しぶりなんだもん」「食べすぎちゃったじゃないわよ。どんだけ食べるのよ」 鍋パーティと称した昼食は、顔色の悪い智を横目に芙美が半分以上を食べつくす結果になった。そのせいで出発が遅れて、呆れ顔の絢が溜息交じりに嫌味を言う。「ラルに太ってる子は嫌だってフラれても知らないわよ」「やだよ、そんなの。けど、湊くんはそんな人じゃ……」 ないと思いながら首を捻って、芙美は窮屈なお腹をさすった。「咲ちゃんたちも一緒なら良かったのに。おじいちゃんのご飯、兄様も好きだったんだよ」 自分の過食を人数のせいにしてみる。「向こうも同じの食べてるわよ。私がすぐ山へ出たいって言って、別にしてもらったの。結局遅くなったわね」「そうだったんだ、ごめん」「まぁ結構歩くからいい運動になるんじゃない? それにしても貴女はホントにお兄ちゃんが好きなのね」「咲ちゃんの事?」「そうよ。今のお兄さんの事は分からないもの。昔も、こんな風に二人で山に入って、『兄様兄様』って泣いてたなと思って」「そんなことないよ!」「あったのよ。小さい時の事なんだから、素直に認めなさい」 ターメイヤ時代、ルーシャと二人で山に行ったのは訓練の為だ。彼女に魔法を習い始めてすぐの頃から、魔法陣の書き方や発動まで色々と叩き込まれた。 確かに思い返してみると、「帰りたい」と泣いてたような気もする。それが兄を求めてかどうかは覚えていないけれど。「本人には言わないでよ?」「喜ばせてあげればいいじゃない」「やだよ。必要以上に大袈裟なことになるから、恥ずかしいんだもん」 兄としての妹への接し方は、蓮を見習ってほしい。恋人として影響されるのが、旗ではなくそっちならいいのにと思ってしまう。 ルーシャは町を抜けて、山道へと入って行く。「少し寒いね」「そうね、風邪ひかないようにね」 芙美は、羽織ってきたコートの前を締めた。 もう紅葉も終わりかけで、足元を埋める落ち葉がカサカサと音を響かせる。鬱蒼とした木々のてっぺんを見上げると、青空が遠く感じた。「リーナは向こうとこっち、どっちの世界が好き?」「どっちって、選べないよ。ど
last updateLast Updated : 2025-10-02
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136 魔法陣の生成

 いよいよ現実味を帯びてきたハロン戦に気持が高まって、芙美はそれを鎮めるようポケットに手を入れた。 冷たくて硬い感触は、中條から預かった記憶の石だ。肌身離さず持っているようにと言われて、ずっとポケットの中に入れている。この石に込められたものが何かはまだ分からないけれど、最近は芙美にとってお守りのようになっている。 ただ彼が注意したように、この石の存在は絢たち大人組には内緒だ。 絢に気付かれぬよう、芙美はポケットからそっと手を抜いた。 今日山に入ったのは、ハロン戦で発動させる空間隔離用の魔法陣を描く為だと絢は言う。戦場一帯を魔法の膜で覆って外への被害を出させない為のもので、前の戦いの時も絢はそれを発動させている。結局球体の黒いハロンはドーム型の壁に芙美たちを取り込んで外への被害は出さなかったけれど、次のハロンはそうはいかない。 あれは智がスケッチブックに描いたように、特撮映画に出てくるような怪獣なのだ。 空間隔離を発動させるのが大掛かりだという事は、芙美もよく分かっている。ウィザードの魔法と違い、絢の魔法は複雑なものが多かった。 未完成の魔法陣に刻まれた細かい文字を見ているだけでクラクラしてくる。「これを描くって言っても、私描いたことないよ?」「ちゃんと写しを持ってきているわ」 魔法陣は魔法使いが描いてこそ効果を発揮するものだ。「前のハロンの時は五つだったけど、ちょっと足りない気がしたから、今回は十基埋めるわよ。これは四つ目」 はいと渡された紙を見て、芙美は顔をしかめる。 空間隔離に必要な魔法陣は、一つが直径三メートル程だ。ターメイヤの古文字で埋め尽くすそれは、一つ描き上げるのに一時間では済まないだろう。「これの他にも何種類か描くわよ。ハロンをおびき寄せる為の魔法陣と、地雷的な役割のものね。適当に埋めとくから、戦闘の時に使って」「うん、わかった」 にっこりと微笑む絢に返事して、芙美は描きかけの魔法陣の端にしゃがみ込んだ。指に白い光を灯して、地面に文字を落としていく。 文字の多さに憂鬱になるが、描き始めると思っていたより集中することができた。絢と二人で、黙って両端から丸い文字列を繋いでいく。「結構地味な作業よね」 絢が笑った。「けど、発動させた時の達成感があるよね」 この文字が魔法使いの唱える文言に反応して、光を放つ瞬間が好き
last updateLast Updated : 2025-10-03
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137 イルミネーションの魔法

 次の場所へと移動し、智と合流する。 そこから魔法陣を二基沈め、その日の作業はお開きになった。 一華のマンションの横で智と別れ、絢の店を経由して駅に向かうと、ちょうど向こうから湊が来るのが見えた。もう辺りがだいぶ薄暗くなって、駅前の小さな外灯の明かりに湊が「お疲れ」と入り込む。「広場に行ってたの?」「あぁ。そっち遅くなりそうだったから自主練ね。最初は海堂も居たんだけど先行くって下りたから、もう向こうに着いてるんじゃないかな」 夕方から蓮に会う予定の咲と、二人で剣の稽古をしたという。「咲ちゃん剣貰えたんだ。良かったね」「俺も久しぶりに智意外とやれて刺激もらった」 この間傘で挑んだ時の事を思い出して、芙美は苦笑する。『自分が』と立候補したいところだが、相手をするにはちょっと役不足だ。「咲ちゃんって実は結構強いんだもんね」 初めて広場に行った時、咲は智を一瞬で負かしていた。まぐれだと本人は言っていたけれど、まだヒルスだと正体を明かしていない頃の嘘だ。 ハロン戦で一緒に戦いたいと言った彼女が、剣を手にして喜ぶ姿は幾らでも想像できる。あれだけ嫌だと言っている湊と二人で山へ行くなんて、余程の事だと思った。「戦ってみたの? どうだった?」「五回やって、俺の全勝」 湊も嬉しそうにその結果を報告する。彼は手抜きなどしないだろうから、当然の結果なのかもしれない。「すごいよ湊くん。咲ちゃん悔しがってたでしょ」「あとちょっとで勝てそうだったから、完敗じゃないとか言ってたけど」「減らず口叩けるなら、楽しかったってことだね」 駅舎に入ると、湊の眼鏡が真っ白に曇る。ハンカチでレンズを拭う顔をじっと見つめていると、湊は悪戯な笑顔を向けてきた。「眼鏡外してる方がいい?」「えっ……」 眼鏡を掛けた彼も好きだし、外した顔はいつも新鮮に思えてドキドキしてしまう。「外してる方も良い! どっちも好きだよ?」 恥ずかしがる芙美の答えに湊はきょとんと一瞬固まって、そこから嬉しそうにはにかんだ。   ☆ 電車の中では逆に芙美たち魔法使い組の話をした。 店の中に智が居たこと、魔法陣を描きに山へ入ったこと──色々話をしたけれど、自分が昼食の鍋を食べすぎて暫く動けなかったことは黙っていた。 車内はガランとしていたが、広井町の駅はいつもの休みより更に人が多かった。先週
last updateLast Updated : 2025-10-04
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138 リリとお姉ちゃん

 湊の部屋に誘われたと喜んだのも束の間、その理由に芙美は困惑してしまう。「ほら、前にテスト勉強するって言ってただろ? 芙美の家で海堂たちとって話だったけど、お兄さんもいるし俺の部屋で二人でやらない?」 それは彼の本心なのだろうか。口実だったら良いと思ってしまうけれど、期末テストがあるのは現実だ。前回の中間と同じで、今回もテストはハロン戦のすぐ後にある。 それが一段落しないうちにはクリスマスなどやってこないのだ。 けど理由はどうであれ、湊の部屋に行けるのは嬉しかった。 翌日、イルミネーションの余韻に浸りながら準備して家を出る。 日曜の部活を終えると、芙美は湊と一駅長く電車に乗って有玖駅に下りた。 湊の家はマンションだ。ビルの建ち並ぶ大通りを十分ほど歩いたところで、彼が「あそこだよ」と茶色い煉瓦タイルのマンションを指差す。「カッコいいマンションだね」 いよいよだという気持ちは、嬉しさと不安が半々くらいに混じっている。前に蓮が『部屋に抱き枕があったら〜』と揶揄ってきたのをまた思い出してしまった。部屋に全くこだわりのなかったヒルスと、ごちゃごちゃとしたオタク部屋の蓮という正反対な兄たちと比べて、彼の部屋はどんな感じなのだろうか。 抱き枕がない事は確認済みで、湊は『普通だよ』と言っていたけれど、あの時の彼は何か隠していた気がする。「緊張してる? 大丈夫だよ、親はいないから。弟は居るかもしれないけど」 そういう心配などすっかり別れていた。「弟さんか」「ちょっと煩いと思うけど、ほっといて」 抜けきらない緊張感に軽く深呼吸をして、芙美は湊と中へ入る。 ロビーにいたマンションの管理人さんに挨拶をされて、芙美が繋いだ手を離そうとすると、湊は「気にしない」と力を込めた。 十五階建てのマンションの六階までエレベーターで上がる。 息をつくようにフロアへ下りると、湊は一言予防線を張った。芙美がこの間咲に言ったのと同じだ。「多分、芙美の予想と違う部屋だと思う」「違う部屋……?」 その理由を小さな笑顔で誤魔化して、湊は家の前へと向かった。 鍵で開けた扉の向こうで、中学生くらいの男子が笑顔全開で芙美を迎える。「こんにちは、初めまして!」 突然の声に驚くと、湊が「待ち構えるなって言っただろ」と彼を宥めた。 一緒にゲームをすると聞いて、芙美
last updateLast Updated : 2025-10-05
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139 冬合宿初日の朝に

 スマホの時計が七時に変わる瞬間を狙って、咲は蓮に電話した。朝の挨拶はメールの事が多かったけれど、今日ばかりは声が聞きたいと伝えてある。 翌日にハロンの襲来を控えた11月30日、『運動する部』の冬合宿初日の朝だ。 いつもより早く目が覚めて、肌寒い部屋の温度に蓮のパーカーを羽織る。咲は彼と今までしたメールのログを読み返しながら、七時になるのを待っていた。『おはよう、咲』 おはようと挨拶して、「今日は寒いな」と他愛のない話をする。 海に行った時、蓮はハロン戦まであと二回会おうと言ってくれたが、結局あれから五回も会う事が出来た。それでもまだ足りないと思ってしまう。 前のハロン戦もそうだったけれど、この次に彼と話すのは戦いが終わった後だと決めている。だから彼の声にどっぷりと浸って、咲は「大好きだよ」と伝えた。『俺も好きだよ。咲の事待ってるから、ちゃんと戻って来いよ』「ありがとう、蓮。そうだ、この間借りた服、着てってもいいか?」『服って、パーカーのこと? 構わないけど、大分くたびれてるでしょ?』「気にしないから」『だったらいいけど』 咲は「やった」と袖口を握り締めて、ベッドサイドに掲げてある旗を見上げた。数日前に完成した、ハロン戦用の旗だ。 咲は蓮の余韻に目を細め、「行ってくるよ」と立ち上がった。   ☆ 朝早く目が覚めて、芙美はハリオスこと田中校長から預かっている本を読んでいた。 ウィザードとしての魔法が書かれた魔導書だ。寝不足は良くないと思ったけれど、夜何度も目が覚めて、半ば諦めモードで机に向かった。 焦っているのが自分でもよく分かる。 結局、今日になっても青い魔導書の破られた三ページ分の記憶は戻ってこなかった。 今日は学校の授業を終えた後、合宿という流れだ。 予言ではハロンの出現は明日の筈だが、前回が予定より前に現れたせいで予断を許さない状況だと思っている。こうしている間にも出ないとは言い切れないのだ。 マナーモードのままベッドに放り投げていたスマホを確認すると、湊から『おはよう』のメールが届いていた。それ以外の緊急なものはなくホッとして、芙美は彼へいつも通り『おはよう』と返す。 寝不足気味の目を擦りながら、いつもの支度に合宿用の着替えなどを合わせ、大荷物を抱えて階段を下りた。中條から預かった記憶の石も、ちゃんとポケットに入
last updateLast Updated : 2025-10-06
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140 舟を漕ぐ

 朝降っていた雪も昼前にはやんで、放課後になる頃には地面がすっかり土の色に戻っていた。 今日は芙美たち『運動する部』以外は一斉下校になっていて、生徒たちはあっという間に校舎からいなくなった。 冬合宿中の寝泊りは、校舎内で行う予定になっている。ハロンの気配が少ないせいか、まだまだ戦闘気分にはならず、『合宿』の空気感が強かった。 まずは作戦会議がしたいと言われ理科室に集められる。 教壇で淡々と話す中條の低音ボイスが眠りへと誘う魔法の文言に聞こえた。温い室温に瞼がどんどん重量を増して、芙美は大振りに舟を漕ぐ。 午前中の授業は平気だったのに、お昼ご飯を食べた辺りから目を開けているのがやっとの状態だ。ハッと目覚めて気合を入れても、またすぐに右へ左へと繰り返してしまう。「少し空気入れ替えようぜ」 智がニコニコと窓を開けてくれたが、入り込んでくる外の空気は予想以上に冷たかった。 まだ全然眠気は抜けないけれど、これ以上開けておくと風邪を引きそうな気がして、五分くらいで席を立つ。山を染める雪に白い息を吐き出して、芙美は窓を閉めて席へ戻った。 再び教室が温い温度になって、芙美は大きく欠伸する。「寝ていないのか?」 教室の後ろでお茶をすすっていたハリオスこと耕造が、「緊張してるな」と声を掛ける。 芙美が「あんまり」と答えると、すかさず絢が「えぇ?」と眉を顰めた。「寝不足なの? 緊張するのは仕方ないけど、ここで寝てちゃ意味ないじゃない」「だって」 ムッスリと腹を立てる絢に反抗する言葉も出ない。湊が横で「寝ててもいいよ」と言ってくれるが、芙美は強がって「頑張る」と首を振った。 そういえば昔ルーシャに、『食べれる時は食べて、眠れる時はどこでも寝れるようにしときなさい』と良く言われていた。兵学校で使われる格言のようなもので、ヒルスも良く言っていた。 まさに今が『眠れる時』に当てはまるような気がしたけれど、冷たい中條の視線を感じて「すみません」と目をこじ開ける。「貴女は昔から感覚やら勢いで戦おうとしすぎなのよ。今の話もいらないことだと思ってるでしょ。いい? 今回は全員でやるって決めたんだから、ちゃんと聞いていなさい」「はい」 ルーシャの言葉が耳に痛い。 こうやって話し合う事が大切なのは分かっているつもりだけれど、実戦はまた別だと思っているのは本音だ。芙美
last updateLast Updated : 2025-10-07
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