All Chapters of いもおい~日本に異世界転生した最愛の妹を追い掛けて、お兄ちゃんは妹の親友(女)になる!?: Chapter 31 - Chapter 40

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29 保健室のアイツ

 朝、芙美が湊と電車を降りたところで、スマホがメールの着信音を響かせた。「咲ちゃんからだ」 発信者を確認して改札を見ると、いつもの姿はそこにない。 何だろうと思って本文を開くと、『用事があるから先に行く』という短い文章の後に、『ごめんね』ポーズをしたウサギのスタンプが貼り付いていた。「海堂休み?」「ううん、先に行くって」 覗き込んだ湊に画面を見せると、上り電車から先に下りていた智が「おはよ」とやってくる。「おはよう智くん。土曜日はありがとう」「どういたしまして。今日は咲ちゃんいないの?」「うん――」 二人の修行を見に行った帰りに、咲の元気がなかったのは関係があるのだろうか。 咲が朝この場所に居ないのは、四月以来初めての事だった。   ☆ 芙美にメールを送る十五分前まで溯る。 咲は既に校門の前に居た。まだ風紀委員の伊東の姿はなく生徒もまばらだが、校長の田中耕造はいつも通りそこで生徒に朝の挨拶をしていた。 前を歩く生徒に「おはよう」と向けた笑みが、後ろから来た咲を捕らえる。「おはよう、海堂さん」 いつも何気なく見ている校長の顔に懐かしい老父の顔を重ねて、咲は「おはようございます」と緊張に声を震わせた。 絢から話は聞いたが、彼が異世界でずっと一緒に暮らしていたハリオスだという事実には、どこか半信半疑な気持ちがある。だから、芙美たち三人とは別行動をとって先にここへ来たかった。 ちょうど生徒の波が途切れて、咲は意を決して問いかける。「校長先生は、爺さ……じゃない。ハリオス様なんですか?」 不審に思われるかもしれないと思ったけれど、不安が解けるのは一瞬だった。「爺さんで構わんよ。久しぶりだな、ヒルス」「爺さん……僕はアンタにずっと会いたかったんだよ」 この世界へ旅立つ時、ヒルスがルーシャ以外で最後に話したのがハリオスだった。 リーナに会えるなら向こうに未練はないと思っていたけれど、こっちに来て記憶を戻してからは彼を思い出すことが良くあった。「お前がリーナじゃなくて、儂に会って泣くのか?」「女の身体ってのは涙脆いんだよ。けど爺さん、リーナを見つけてくれて有難う」 校長は白髪の混じる太い眉を上げて、にっこりと目を細める。 咲は込み上げる涙を人差し指で拭った。「けど、何でこっちに来たんだ? あの時僕はサヨナラを言ったよね?
last updateLast Updated : 2025-06-10
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30 その痛みは本物か?

 養護教諭の佐野一華(いちか)は保健室にいた。絢は彼女をリーナの親友だったメラーレだと言うが、咲は彼女の事をあまり覚えてはいない。 先客と一華のやりとりが何やら面白いことになって、咲は部屋の中を覗きながら笑いを堪えるのに必死だ。 丸椅子にうずくまり「痛いんですぅ」と症状をアピールする鈴木は、おそらく9割の確率で仮病だろう。咲じゃなくとも、一年クラスの生徒なら皆がそう思う筈だ。鈴木が保健室へ行くのは月に三度はある恒例行事で、もちろん体調不良ではなく専ら一華狙いなのだと本人も宣言していた。 それに気付いているのかどうかは分からないが、一華は鈴木に優しい。「朝ごはんは食べてきた? 吐き気はない?」「ご飯は食べました。吐き気は、少しだけ。ハァハァ」 鈴木は胸の上を押さえながら、潤んだ目を一華に向けた。「今朝からお腹がずっと痛くて。ここです、ここが……」 逆の手で、胃の辺りを指差す。もっと近くに来て欲しいという鈴木のサインは咲にも十分に伝わってくる。けれど一華はチラと確認だけして立ち上がり、棚から市販薬を取り出して水と一緒に鈴木へ渡した。「だったら、これ飲んで様子見てみて。早く良くなりますように」「は、はい」 敗北感を漂わせて、鈴木は渡された薬を流し込む。「でも、あんまり痛いなら早退する?」「いや、いえっ、そこまでじゃ……少し休めば治ると思うんです。そこのベッドで……」「真面目なのね。けど、辛いなら無理して学校に居なくてもいいのよ? 中條先生からおうちに連絡して貰いましょうか」 必死に食らいついていた鈴木だが、「家」と言われた途端に顔色を変えた。背中を向けた一華に「待って」と半泣きで声を上げる。「も、もう大丈夫です。薬効いたみたいなんで」 そんなに早く薬が効くわけはない。 目論見が外れた鈴木は、痛みなんて飛んで行ってしまったようだ。彼の家は田中商店のすぐ裏で、色々と不都合が多いのだろう。 ふと顔を上げた一華の視線が、ドアの隙間から覗く咲を一瞬だけ捕らえた。そして何事もなかったように鈴木との会話を続ける。「治ったなら良かった。元気なら、ちゃんと授業に出てね」 笑顔を広げる一華に鈴木は「はい」としょんぼり頷いて保健室を出るが、入口を立ち塞ぐ咲に「うぇぇ?」と悲鳴に似た声を上げた。「海堂……今、来たのか?」「いや、順番待ってただけだよ
last updateLast Updated : 2025-06-11
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31 バレた!?

 朝一人で登校したのは、鈴木の仮病よろしく『お腹が痛くなったから』という理由で誤魔化すことができた。 少し嘘っぽいかなとは思ったが、ちょうど通りかかった本人に「さっきは邪魔してゴメンネ☆」と保健室でのことを持ち掛けた事で、真実味が増したらしい。 鈴木は大慌てで逃げて行ったけれど。 貸しを作る気はないが、中條が何事もなかったように接してくれたのが有難かった。状況がスムーズに行ってしまうこの状況は、もしや嵐の前の静けさというやつだろうか。 そんな感じで、今日一日は咲にとってまぁまぁ平和に終わる筈だった――。    ☆ 学校から駅までの帰り道、咲は芙美とお泊り会の予定を色々立てる。 良い機会だからと芙美の両親が温泉に一泊旅行する事になり、夕飯を一緒に作ろうだとか、夜は何を着て寝ようだとか、話題は尽きない。「お兄ちゃん、咲ちゃんが来るのめちゃくちゃ楽しみにしてるよ」「それは嬉しいな! 私も早く会いたいよ」「何なに? 何の話? 楽しそうだね」 テンションを上げた咲に、少し後ろを歩いていた智が首を突っ込んできた。隣にはもちろん湊が居る。「芙美の家に泊りに行くんだ。羨ましいだろ」 咲がしたり顔を二人へ向けると、湊が面倒そうに溜息を漏らす。いつも通りのやり取りだ。「お前は俺に何て言わせたいんだよ」「羨ましいですって言わせたいんだよ!」「咲ちゃんらしいね。確かに芙美ちゃんの家に泊れるなんて羨ましいけど、流石に俺たちは男だから遠慮しとくよ。咲ちゃんは女の子だから、俺たちの分も楽しんできてね」「お、おぅ」 『女の子』を強調する智に意味深な空気を感じて、咲は息を呑んだ。 まさか智は気付いているのだろうか。 表情はいつも通りだが、今日は朝から智の視線を多く感じた気がする。気のせいだとは思いたいけれど、絢にも注意されたように一昨日の山の件も含めて心当たりは幾らでもあった。 不穏な空気を噛み締めつつ、咲は芙美の隣に隠れるように歩く。   ☆「咲ちゃん、智くん、また明日ね」 改札の手前で二人と別れた。もう上り電車はホームに入っている。駆け足で行く二人の背中は恋人同士のようだが、この間芙美に告白したのは湊ではなく智だ。 横で見送る智をそろりと見上げると、「何?」と笑顔が下りて来る。咲は反射的に彼から一歩横へ離れた。 上り電車が出ると、下りもすぐ
last updateLast Updated : 2025-06-12
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32 男になんて興味ないから

「俺の目を侮るなよ、ヒルス!」 智の発言に尻込んで咲が一歩二歩と足を後ろへ滑らせると、あっという間に背中が駅舎の壁にぶつかった。物言いたげな顔が迫って来て、咲は逃げることも反撃することもできずに、きゅうっと唇を噛む。 顔一つ分背の高い智が、咲の目元に影を落とした。「と、とも、いや、アッシュ……久しぶりだね」 観念して声を震わせると、智の左手がまっすぐに伸びてきて、咲の顔のすぐ横を叩く。 「きゃあ」という黄色い悲鳴がホームから聞こえたのは、この状況が俗にいう『壁ドン』のシチュエーションだからだろう。そんな甘い空気など、当人にしてみれば微塵も感じられないけれど。「お前、芙美に告ったんだろ? 僕とこんな事してちゃマズいんじゃないのか?」「別にお前と気まずいようなことする予定ないし。それとも、するつもりだった?」 智の笑顔が怖い。こんな状況、他の奴なら蹴り一発で打破する自信はあるけれど、今は色々と分が悪い。「いや、絶対ないから」「なら心配いらないでしょ。けどやっぱり芙美ちゃんはリーナだったんだね」「…………」「ここまでバレて黙るつもり?」「上から物を言うような奴に、教えてやるかよ」「まぁそうだね。中身がいくら男だって、他人から見たら可愛い咲ちゃんを俺が脅してるように見えるもんね」「いや、十分脅してるだろ」 少し気持ちに余裕ができて、咲は智を睨み返した。「分かったよ」と智の手が壁を離れて、ホッと胸を撫で下ろす。「じゃあ、そこの店に行こうか。喉乾いたし」 そう言って智が指差したのは、絢の居る田中商店だ。他の選択肢がないからそうなってしまうのは仕方ないけれど、彼女がいる事が逆に心配だ。 まさか絢の正体にまで気付いているのか。 咲は「分かった」と答えて、言われるままに智の後を追い掛けた。   ☆ 店に入った時、ちょうど買い物を済ませた近所のおばあさんとすれ違った。客は彼女だけだったようで、中に居た絢が「いらっしゃいませ」と声を掛けてくる。「あら、珍しい組み合わせね」 開口一番そんなことを言う彼女の今日のスタイルは、Tシャツにタイトなミニスカートだ。それだけだといつもより大人しめだが、何故か髪はツインテールで、網タイツにピンヒールのサンダル……とおかしなことになっている。「デートじゃないですよ」 智はそう説明してメロンソーダを二つ
last updateLast Updated : 2025-06-13
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33 二人きりのお泊り会?

 広井町の駅に着いた咲を、改札の向こうで芙美が迎える。土曜の午後は驚く程人が多く、学校のある白樺台の駅とは大違いだ。「今日の咲ちゃん、すっごく可愛いね」 芙美が咲の服を見て、「わぁ」と声を上げる。少し大人びたワンピースは、姉の凜に無理矢理着せられたお下がりだ。友達の家に泊りに行くと言っただけなのに、パジャマまで姉好みの物を持たされてしまった。「アネキの趣味だからな」「咲ちゃん、お洒落なお姉さんがいるって言ってたもんね」 膝下まである、はき慣れないスカートが落ち着かない。脚を半分以上隠しているというのに、電車の中では知らない男子の視線をやたらと感じた。「いいなぁ、お姉ちゃん。私もお兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんが良かったな」「嫌なのか? お兄ちゃん……」 芙美の兄という存在は恨めしいが、『姉が良かった』発言は咲の心臓にグサリと刺さる。「別に嫌じゃないけど。お姉ちゃんだと楽しそうだなって。ほら、咲ちゃんの服とか選んだりしてくれるんでしょ? 私もこの間絢さんに服借りた時、こういうお姉さんが居たらなぁって思ったんだ」 確かに異世界に居る時、ルーシャとリーナは姉妹のように仲が良かった。「そうか」「お兄ちゃん今日は咲ちゃんが来るからって、朝から張り切って掃除してたよ。お兄ちゃんの部屋になんて入るわけないのにね」「確かに入る予定はないな」 個人的な部屋にまで上がり込むつもりはない。「けど、咲ちゃんがお泊り会楽しみにしてくれて良かったよ。ちょっと前はお兄ちゃんの話すると怒ってるみたいだったから。あんなお兄ちゃんだけど、意外と優しい時もあるんだよ」 芙美の兄評価はいつもあまり高くない。自分以外の兄への低評価は嬉しい筈なのに、何だか自分のことを言われているような気がして、咲は複雑な気分だった。「あんな、って。私は芙美のアニキがどんな人なのかなって思っただけだよ」 メラメラと燃える対抗意識が、知らぬ間に芙美に気を使わせてしまったようだ。 今日はただ『芙美のお兄ちゃん』が確認できればいいのだと咲は自分に言い聞かせる。間違っても飛び掛かったりはしないように。「まぁ、それはないか」 咲はこっそり呟いた。   ☆ 駅から少し離れたスーパーを経由して、二人は荒助(すさの)家へ向かった。比較的駅に近い場所で、咲が幼い頃に住んでいた地域とは大分離れている。
last updateLast Updated : 2025-06-14
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34 一緒に風呂に入るのはやめておく

 お泊り会の夕飯にカレーを作った。咲が手土産で持参した牛肉の効果で、見た目も味も豪華だ。「すっごい、咲ちゃん。女子力高すぎる」「へへん、これくらいはな」 咲として料理をする事はあまりないが、ヒルスとして兵学校に居た頃の野営訓練が地味に役に立っている。ピーラーを使わずに皮むきをする咲に、芙美が目を輝かせた。  夕食後、芙美が「一緒にお風呂に入ろう」と提案したが、咲はそれを断った。女同士とは言え、もし後で智にバレるような事になれば、何を言われるか分かったものじゃないからだ。 風呂の後の支度を済ませて、芙美が客室に敷いてあった布団一式を両手に抱えて自分の部屋へと運び込む。どうやら先に蓮が準備してくれていたらしいが、芙美には不服だったようだ。「一緒に寝なきゃ、お泊り会の意味ないよね」「そうだな。ありがと」 芙美の着ている水色とオレンジのチェック柄のパジャマは、彼女のイメージに良く合っている。咲のは姉が準備したもので、無駄なヒラヒラが多いピンク色のパジャマだ。だから余計に、蓮が夜までいないと聞いてホッとしていた。 雨の気配がして、咲がカーテンを閉める。「あぁ」と隙間に見える闇を覗いた芙美の顔が、不安気に歪んだ。「芙美、下行ってテレビでも見ようか?」「ううん、今日は……」 芙美が言い掛けたところで、彼女のスマホがメールの着信音を鳴らす。「お兄ちゃんだ」 ベッドに腰掛けた芙美の横に座って、咲は向けられたモニターを覗いた。『雨、大丈夫か?』 心配する蓮に芙美は小さく微笑んで、『平気』と返す。「今日は咲ちゃんがいるから平気だよ」「なら良かった。アニキ、心配してくれるんだ」「雨の時だけは優しいかな。私が怖がるからね」 芙美は机の充電器にスマホを繋いで戻って来ると、「ねぇ」と咲を伺った。「咲ちゃん最近元気なかったけど、何かあった?」 自分では自覚していなかったが、智の死へ対する不安がここの所ずっと響いていたのは確かだ。「ごめん。心配かけてた? 大したことじゃあないんだけど」「そうなの? 恋の悩みとか、何でも私に相談してね」 芙美はバンと自信あり気に胸を叩く。どうやら思ってもいない方向に勘違いされているようだ。「はぁ?」「だって、お泊り会といえば恋バナじゃない?」「そ、そうなのか?」 リーナに夢中で、芙美に夢中で、自分の恋愛なん
last updateLast Updated : 2025-06-15
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35 不覚だ。けれど……

 芙美の寝息が聞こえて、そっと手を解いたところで階下から物音がした。何だと思ったけれど、恐らくバイトから戻った兄の蓮だと気付いて咲は息を潜める。 このまま寝てしまおうと目を閉じるが、大きめの足音に芙美が「うん……」と覚醒しそうになって、慌てて部屋の外へ出た。階段の下を横切る彼に「静かに」と声を掛けると、蓮は足を止めて咲を振り返る。 何も知らない蓮は、咲を見て「可愛い」と能天気な笑顔を見せた。ただ静かにして欲しいだけの事をうまく伝えることができず、咲は足音を忍ばせて階段を駆け下りる。そういえば今日は姉の凜がチョイスしたピンクのヒラヒラしたパジャマだったが、気にしている暇はない。「ただいま」「お帰りなさい……じゃなくて。芙美寝てるんで、起こしたくないんです」「あぁそうか。雨大丈夫だった?」 「ごめん」と蓮が声を潜める。傘を持って出た彼だが、腕やカバンが少し濡れていた。「芙美、今日はそんなに怖がらなかったから」「なら良かった。咲ちゃんのお陰だね、ありがとう」「いえ。じゃあ、そういうことで……」「ちょっと待って」 心がまだ落ち着いていなかった。早く部屋へ戻ろうと踵を返した所で、蓮が咲を呼び止める。「泣いてた? 咲ちゃん」「泣いてません」 彼に背を向けたまま、咲は横に首を振った。「そんなに目赤くして? 咲ちゃんも雨が苦手? それとも芙美と何かあった?」「芙美とは何もないです。雨も、苦手じゃありません」 階段を駆け上がればここから逃げ出せるのに、足が竦んで動いてくれない。涙の痕を腕でゴシゴシと拭って、咲は「平気です」と強がった。「大丈夫……」 けれどその声が震えて、咲は左手で口を塞ぐ。 智の死への不安、芙美が望む未来を叶えてあげることができないだろう不安、それは蓮には全く関係のない事だ。なのに抑えていた感情が零れ落ちる。「平気じゃないだろ? 芙美起こそうか?」「駄目だ。私が泣いてるってアイツに知られたくない。それにまだ雨が降ってるから……」 感情的になって振り向くと、蓮は咲を見て困った顔をする。「だったら、咲ちゃんの不安はどうするんだよ」「私なんて、放っときゃ落ち着く」「何かあるなら聞くけど?」「…………」 言えるわけない。智のことも、芙美のことも。「じゃあどうして、咲ちゃんは俺に会いたいって言ってくれたの?」「それ
last updateLast Updated : 2025-06-16
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36 姉の教え

 声を殺して泣きじゃくる。こんな泣き方をしたのは初めてかもしれない。 涙はこの身体のせいだと思っていたけれど、よくよく考えたらヒルスの頃から人前で泣くことは良くあった気がする。ただこうして誰かに受け止められたのは初めてだった。 抱きしめる蓮の感触にホッとしている自分が嫌だ。けれどそこから離れる事が出来ず、泣き場を求めて甘えてしまう。 不覚だ。 涙がようやく涸れてきたところで、蓮が咲の顔を覗き込んだ。「落ち着いた? ここじゃなんだし、俺の部屋にでも行く?」「何でそうなるんだ。行かないよ、襲われるから」 蓮が張り切って自分の部屋を掃除していたと、芙美が言っていた。申し訳ないが、絶対に足を踏み入れることはできない。「ハッキリ言うね」「うちのアネキに、一人で男の部屋に入るのは同意するのと同じだって教育されてるからな」「お姉さんか。まぁそういう男もいるんだろうけど、流石に何もしないから。とりあえずそっち行こうよ」 二人はリビングへ移動した。   ☆ 雨と涙で濡れた服から素早く着替えてきた蓮が、ソファに座る咲に麦茶を差し出して横に腰を下ろす。 少し距離が近い気がしたけれど、咲はそのまま「ありがとう」とグラスを受け取った。 一口飲んで、咲は宙に視線を漂わせたまま口を開く。「このこと、芙美には黙ってて欲しい」「俺とこうしてること?」「いや、僕が泣いたこと」 蓮が短く溜息をつく。「何で芙美に強がるんだよ。まぁ俺も昔の彼女に二股掛けられた時は、アイツが寝てから部屋で泣いてたけどさ。泣きたい時は泣けばいいと思うよ。俺で良かったら、肩でも胸でも貸すから」  涙の理由は大分違うが、彼なりのやさしさを感じて「分かった」と答える。「咲ちゃんは、芙美が好きなの? 男……として?」 蓮は首を捻る。確かに男だと言えば、そう捕らえられてしまっても仕方がない。 男として芙美を愛するか――けれどそんなあわよくば的な感情は、この世界に来ると決めた瞬間に捨ててきた。「違う。そういうのじゃないんだ。僕は……」 この人なら、本当のことを言って受け止めてくれるだろうか――ふとそんなことを思ってしまう。 蓮に会うためにここへ来たのは、芙美の兄がどんな奴か確かめたかったからだ。対抗意識を燃やして、変な奴だったら説教してやろうかくらいの勢いだったのに、ただ肩を借りて泣い
last updateLast Updated : 2025-06-17
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37 怖い夢ならまだ良かった

 不覚だ。 朝目が覚めた瞬間、咲は血の気が引く思いにぶっ倒れそうになった。昨夜はあれから暫く蓮の胸で泣いて、部屋に戻って眠りについたのだ。 その時までは後悔なんてしていなかったのに、朝になった途端正気に戻って、ジワジワと脳内再生される昨晩の記憶に叫びたくなる。「うわぁぁああん」 窓から差し込む朝日が、泣き疲れた目に染みた。「おはよう咲ちゃん。どうしたの急に。怖い夢でも見た?」 何も知らずに寝ていた芙美は、晴れた空を見上げて「良い天気だよ」と笑顔を広げる。「う、うん……」 ただ怖いだけの悪夢ならどれだけ救われただろう。時間を巻き戻す魔法があるなら、今すぐにでも絢の所へ飛んで行って土下座でも何でもするのに、そんなのはないと前々から何度も言われている。「顔洗ってくる」 とりあえず、この腫れぼったい目をどうにかしなければ、と咲は蓮の気配に警戒しつつ洗面台へ向かった。   ☆ 身支度を整えてリビングへ下りると、芙美が朝食の用意をしてくれていた。昨日残ったカレーの匂いが、階段の上にまで届いている。「おはよう、咲ちゃん」 背後から掛けられた声に、咲は慌てて肩をすくめた。蓮だ。 何事もなかったように妹の所へ行った彼に、「おはようございます」とぎこちなく返事する。「お兄ちゃん、これ運んで。咲ちゃんが作ってくれたカレーだよ」「やった。それは嬉しいね」 何気ない兄妹の会話の中で、咲は動揺を隠すのに必死だ。今日は何をしようかと芙美がさっき部屋で話をしていたが、本日の予定にはもれなく蓮がついてくる流れになっている気がする。 楽しそうな芙美には申し訳ないが、平常心を保てる気がしない――と不安を覚えたところで、咲のポケットでスマホが甲高い音を鳴らした。『咲ちゃん、おはよう(ハート)』 他愛のないメールの送り主は、姉の凜だ。それが咲には救いの女神に見えて、『おはよう』と返事する。 そして、二人に嘘をついた。「ごめん、芙美。アネキが用があるって言うからさ、朝ごはん食べたら帰るよ」「えっ、おうちで何かあったの?」 緊急性をアピールする咲に、芙美は本気で心配してくる。悪いなと思いながら、咲は嘘を貫いた。「そんな大したことはないと思うんだけど、来てほしいって言うからさ。れ、蓮さんもすみません。また今度……」「用事があるなら仕方ないよ。次、楽しみにしてる
last updateLast Updated : 2025-06-18
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38 彼を待つ彼女?

 昨晩の蓮との記憶が、数メートル歩くごとに蘇って来る。駅までの道すがら、前触れなく奇声を上げる咲は、周囲から危険人物に見えているだろう。「僕は男なんだぞ……」 深く考えれば考える程、蓮に弄ばれたような気がしてくる。 ゾンビよろしく前屈みに溜息を吐き出した所で、広井駅に着いた。日曜の駅は半端ないくらいに混みあっていて、夏の暑さに不快な空気がムンと漂っている。 そんな中、咲は改札に入る手前で絢に似た女性とすれ違った。 瞬間的に見えた顔は、きっと他人の空似だと思って声は掛けない。向こうも咲に気付いてはいなかった。大体、彼女がデートに行く様な清楚な格好でこんな所にいるわけはないのだ。 絢ならきっと、派手で際どい服を着ているだろうと勝手に想像して、咲はそのままホームへ向かった。 駅にはあんなに人が居たのに、町から離れる電車にはいつも通り数人しか乗客が居ない。 昔は咲も広井町に住んでいたが、たった五年ですっかり田舎暮らしが板について、人が居ないことにホッとしてしまう。 あんなことがあったせいで頭には蓮の事ばかり浮かんでくるが、とりあえずそれは脳みその端に追いやって、咲はこれからの事を考えてみた。 自分が選べる選択肢は、二つだと思う。このまま何も知らないふりをして、誰にも何も言わずに第一のハロンが現れる10月1日を迎えるか。それとも、湊や智に全てを話すか。 芙美にはまだ過去の記憶がない。彼女はこのままの状態で10月1日を超すのだろうか。「いや、それはないんだろうな」 どうせなら、最悪のシナリオを仮定しておいた方が良いと思う。 もし今芙美に記憶が戻ったら、彼女はどうしたいと言うだろう。死んでしまうアッシュの武器を引き継ぐ為にこの世界へ来たリーナは、あわよくば彼を助けたいと思っていたのかもしれない。 それはアリなのか、ナシなのか。 絢は「未来を変えてはいけない」と言った。未来を変えてしまったら、もっと悪いことが起きるかもしれないと言われても、想像力が足りなくて全滅のシナリオに辿り着くばかりだ。「それは困る……どうしたらいいんだよ」 咲が頭を抱えたところで、スマホにメールが入った。タイミングが良いのか悪いのか分からないが、知らない番号はすぐに蓮だと分かった。 咲は緊張を滲ませて、スマホを両手で握り締める。『番号ありがと。昨日はちゃんと寝れた? 
last updateLast Updated : 2025-06-19
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