All Chapters of 碓氷先生、奥様はもう戻らないと: Chapter 901 - Chapter 910

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第901話

真奈美は大輝に向かって歩き出した。後ろで束ねたポニーテールが、歩調に合わせて揺れている。完璧なメイクを施した顔は、どこか冷淡な雰囲気を漂わせていた。7センチのハイヒールを履いているにもかかわらず、その足取りは素早く安定したものだった。そんな彼女は相変わらずのキャリアウーマンぶりだった。大輝は、一歩一歩近付いてくる彼女を見ながら、2ヶ月前に二人が婚姻届を出した日のことを思い出していた。あの日、真奈美は水色のワンピースを着ていた。くるぶし丈のスカートに、軽く巻かれた長い髪。派手ではないが、上品で魅力的だった。そして彼の心はその姿に掴まれてやまなかった。それを思い出すと大輝の心は、様々な感情で揺れ動いていた。正反対の二つの雰囲気が、なぜか相まって彼女の中でバランスよく共存していた。結局、彼はこの女性のことを何も理解していなかったのだ。......真奈美は大輝の前に来ると、言った。「行こう」そう言うと、彼女は役所の中へと入って行った。大輝は唇を噛み締め、眉間に皺を寄せながら、真奈美の後ろをついて行った。最近は、結婚する人よりも離婚する人の方が多い時代だ。真奈美は整理券を取り、空いている席に座って待った。大輝は彼女の隣に腰掛けた。彼らの周りにも、明らかに険悪なムードの男女が何組かいて、離婚しに来たのだろうと思われた。大輝は何度か話しかけようとしたが、真奈美は席についてからずっとスマホをいじっていた。彼女は仕事のメールを処理したり、電話に出たりしていた。まるで離婚なんて、今日の忙しい業務の中の一つでしかないように。大輝は真奈美の仕事に集中する様子を隣で見ながら、胸に切なさが込み上げてくるのを感じた。彼はこんな風に冷たく鋭い真奈美が好きじゃなかった。だけど、今の彼女こそ輝いて見えることを認めざるを得ないのだ。周りの男たちの視線が、真奈美に惹きつけられていることに、彼は気付いていた。大輝の心は、切なさでいっぱいだった。そんな中、真奈美はようやく電話を終えた。大輝は尋ねた。「今晩、チャリティーパーティーに行くのか?」真奈美は少し間を置いてから、彼の方を見た。「その予定はないけど」大輝は、「そっか」と短く返事をしてから、言った。「あなたが行かないなら、俺も行くのやめようかな」
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第902話

真奈美は眉をひそめて、車の外にいる大輝を見た。「石川社長、いい加減にしてくれない?」大輝は真奈美を見ながら、焦ったように言った。「俺は経験がなくて、あなたがそんな風に嫌がるなんて知らなかったんだ。悪かった、心から謝る」真奈美は一瞬呆気にとられたが、すぐに彼が何を言っているのか理解し、顔をしかめた。「どうかしてるんじゃない?放して!」「俺は本気だ!」大輝はドアを掴んで離そうとしない。「真奈美、本当にわざとじゃなかったんだ。もし最初から、そんなことを受け入れられないって言ってくれてたら、絶対そんな風にはしなかったのに......」「言ったはずだけど?」大輝は驚いて聞き返した。「何だって?」「大輝、言ったよ」真奈美は彼の目を見て、はっきりと告げた。「もし本当に私のことを思ってるなら、私の気持ちを考えてくれてるなら、今さらそんな風に言えるはずないでしょ!」大輝は茫然と彼女を見つめた。そして、確か婚姻届を出したあの夜、真奈美が嫌だって言ったことを、突然思い出した。大輝は驚き、信じられないという顔で彼女を見た。「そんな顔で見つめないで」真奈美は冷たく笑った。「私たちはもう離婚したんだから。これから好きなように小林さんといればいいじゃない。彼女もきっと喜ぶはずよ」そう言うと、真奈美は勢いよくドアを閉めた。車は大輝の前から走り去っていった。大輝はその場所に立ち尽くし、遠ざかる車を見送っていた。背筋が凍るような気がした。......真奈美は役所から戻ると、そのまま栄光グループに向かった。オフィスに入るなり、霞が書類の山を抱えてやってきた。「社長、これらは至急の書類です。サインをお願いします」真奈美は書類を受け取り、ざっと目を通してサインをした。「それから、今夜のチャリティーパーティーの招待状が届いています。恵まれない子供たちのためのチャリティーで、主催者は輝星エンターテイメントの二宮社長と何度か取引をした、信頼できる団体です」真奈美は動きを止め、顔を上げた。「恵まれない子供たち?」「はい」真奈美は、あの日、哲也が言った言葉を思い出した。「分かった。イブニングドレスを用意して。それと、哲也の名義で2億円の寄付を手配して」「かしこまりました」霞が出ていくと、真奈美は仕事を続けた。夕
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第903話

若葉の言葉に、真奈美は微笑むだけだった。若葉の本心は分かっていたが、真奈美は事を複雑にしたくなかった。自分は離婚後も哲也の母親であることに変わりはないんだから、もしこれで若葉と義理の親子になったら、ややこしいことになる。それに、大輝とはまだ正式に離婚していない手前、この話題に触れるべきではないと判断した。少なくともあと一ヶ月は今まで通り「お母さん」と呼んでもいい時期のはず。若葉は真奈美をじっと見て、「真奈美、これからパーティーにお出かけかしら?」と尋ねた。「ええ、今夜はチャリティーパーティーがありまして」若葉は微笑みながら頷いた。「このドレス、とてもお似合いね。でも、首元が少し寂しいような......あら、そうだと知っていたら、家からネックレスをみつくろってきてあげてたのに」「お気遣いなくネックレスならあります。だけどチャリティーパーティーですし、あまり派手にする必要もないと思いまして」真奈美は若葉と一緒にソファに腰をかけると、「お母さん、何かご用事ですか?」と尋ねた。「別に大したことじゃないの。ただ差し入れをしようと思ってきたのよ。退院してずっとに仕事で忙しくしてるじゃない?まだ回復したばかりだし、栄養を摂って、免疫力を高めることが大切よ。そうすれば、病気にもなりにくいから」真奈美は胸が温かくなるのを感じた。「お母さん、ありがとうございます」「パーティーではあまり食べられないでしょうから、先にすこし腹ごしらえでもしていったら」せっかく持ってきてくれたのだ。真奈美は断る理由もなく、笑顔で頷いた。「はい」若葉は笑った。「そうこなくっちゃ。このスープ、じっくり時間をかけて煮こんだのよ......」......午後6時前、若葉は万葉館に戻った。玄関を入ると、大輝が帰ってきていることに驚いた。そして、若葉は保温容器を使用人に渡すと、ソファに座って大輝に尋ねた。「今夜はチャリティーパーティーには行かないの?」大輝はスマホを見ながら、素っ気なく言った。「行かない」そう言うと、彼は何か引っかかるものを感じ、顔を上げて若葉を見た。「どうしてそんなことを聞くんだ?」「さっき真奈美に差し入れをしてきたところだったけど、彼女がドレスを着ていたから、尋ねてみたら、今夜はチャリティーパーティーに行くと言っていたの
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第904話

「ふん、あなたみたいなこんなろくでなしはこれくらい言われて当然よ。普段からもっとこっぴどく𠮟りつけるべきだったわね!」大輝は目を閉じ、ため息をついた。「お母さん、正直に言うけど、今は真奈美の意思を尊重しようとしてる。でも離婚の手続期間は1ヶ月かかるんだし、俺はこの1ヶ月間で、改心したってことを行動で証明するつもりだ。頼むから、あなたやお父さんが俺を応援しなくてもせめて、足を引っ張らないでくれよ。いいな?」「足を引っ張る?そんなことより小林さんの方がよっぽど問題じゃない」若葉は皮肉たっぷりに言った。大輝は眉をひそめた。「お母さん、俺は真剣に言ってるんだ」若葉は冷たく鼻を鳴らし、それ以上何も言わなかった。息子にチャンスを与えたい気持ちがないわけではなかった。だけど若葉も、大輝のやっていることがあまりにもひどいというのは自覚していた。しかし、可愛い息子だ。本当に見放すことなんて到底できなかった。それに、哲也のことも気がかりだった。そう思うと、若葉はため息をついた。「もういい。好きにしたらいい。ちょっと待って、ネックレスを取ってくるから」そう言うと、彼女は部屋へ向かった。数分後、若葉は部屋から出てきた。手には宝石箱を持っていた。「このネックレスは、真奈美のドレスにぴったりだと思うから、渡しておいてちょうだい」大輝は立ち上がり、宝石箱を受け取った。「ありがとう、お母さん」若葉は彼を睨みつけた。「さっさと行って!」大輝は宝石箱を持って玄関へ向かった。若葉は息子の後ろ姿を見ながら、眉をひそめ首を横に振った。こんなことをして意味があるのだろうか。......午後7時。チャリティーパーティー会場。真奈美は霞を連れて入場した。このパーティーには北城の経済界の名士が集まっていた。会場にはメディアの記者も何人かいた。真奈美はレッドカーペットを歩き、サインウォールにサインした後、霞を連れて端へ移動した。その後も次々と人がやってきた。しばらくして、真奈美は見覚えのある姿を目にした。裕也は黒いスーツを着て、会場に入って来た。背が高くスタイル抜群で、顔立ちは整っていて上品だった。彼が姿を現すと、多くの女性たちが視線を向けた。しかし、裕也は帰国したばかりなので、北城ではまだ顔を知
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第905話

真奈美は穏やかに微笑みながら言った。「こういうパーティーはただの儀式みたいなものよ。本来、参加するつもりもなかったんだけど、主催者が信頼できる団体だったし、それに哲也が恵まれない子供たちを支援したいと言っていたから、彼の名前で寄付をしたの」「哲也くんはまだ小さいのに、立派な考えをお持ちなんだね」真奈美は苦笑した。「彼は少し大人びてるの」裕也は微笑み、そして尋ねた。「最近はどう?」「まあまあね」二人は旧友のように談笑していたので、他の人は話しかける機会さえなかった。......会場に入った大輝は、すぐに真奈美の姿を見つけた。そして、彼女の隣にいる裕也にも気づいた。二人は並んで立ち、楽しそうに会話をしていた。その光景は、まるで絵に描いたように仲睦まじかった。大輝は奥歯を噛み締め、長い脚でサインウォールへと歩み寄り、ペンを手に取ると、素早くサインをした。司会者がインタビューしようと近づいてきたが、大輝はそれを無視して、真奈美の方へと振り返った。すると真奈美も、その見慣れた長身の影が視界の端に映るのを感じ、眉をひそめた。裕也は彼女の視線の先を見ると、そこに大輝がいるのが分かり、彼の笑みも幾分か薄れた。そして、これまで穏やかだった空気が、急に強張ってきた。大輝は真奈美のそばまで来ると、手に持っていたアクセサリーケースを差し出した。「真奈美、これ、お母さんが持たせてくれたんだ。このネックレス、あなたのドレスにピッタリだって」真奈美はケースに視線を落とし、冷淡に言った。「お母さんの気持ちは嬉しいけど、結構よ。なくても大丈夫」大輝が何か言おうとした時、真奈美はすでに裕也の方を向いて、「中に入ろうか」と言っていた。裕也は優しい声で答えた。「ああ」二人は大輝を完全に無視し、肩を並べて会場内へと進んでいった。霞は慌てて二人に続いた。大輝は、二人の後ろ姿を見つめながら、アクセサリーケースを握りしめた。......チャリティーを目的としたパーティーは、そこまで格式張ったものではなかった。招待客たちは、サインと写真撮影を済ませると、会場内へと入っていった。会場内にはビュッフェ形式の食事と飲み物が用意されていた。真奈美はジュースと小さなケーキを手に取り、裕也と一緒に隅っこの席に座った。霞は、美味し
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第906話

女子トイレの中。真奈美は個室から出て、洗面台の前に立ち、蛇口をひねった。すると水の音で、背後にあるドアの開く音が掻き消された。そして、トイレの入り口で工事中の標示が置かれたのだが、真奈美は気が付かなかった。それに続けて、入って来た男がドアを閉めて、鍵をかけた。そこで初めて真奈美は異変に気付き動きを止め、鏡を見た。すると鏡に映る自分の後ろに、男が腕を組んで立っていた。そして、彼女のことを見ていた。真奈美はすぐに顔をしかめた。「大輝、いい加減にして」大輝は彼女を睨みつけ、低い声で言った。「裕也と何を話してたんだ?そんなに楽しそうにして」「関係ないでしょ」真奈美は蛇口を閉め、ペーパータオルで手を拭いた。そして、ペーパータオルをゴミ箱に捨てると、大輝の方を向いて言った。「どいて。邪魔よ」だが、大輝は微動だにしなかった。「どかない」「頭おかしいんじゃないの?ここは女子トイレよ!」真奈美は声を荒げた。「今すぐどかないと、警察に通報するから。変質者が女子トイレに侵入したって!」「どうぞ」大輝はニヤリと笑った。「まだ正式に離婚してないんだから、俺が捕まったら、あなたも警察署に行くことになるんだけどな」それを聞いて、真奈美は唇を噛みしめ、彼を睨みつけた。「一体何がしたいの?」「どうしても理解できないんだ。どうして裕也とはあんなに楽しそうに話せるのに、俺とはいつも喧嘩ばかりなんだ?」大輝は彼女に近づき、悲しそうな目で言った。「俺たち夫婦なのに、あなたの優しさも笑顔も、俺に向けられるべきじゃないか」大輝が近づいてきて、真奈美は彼の体からお酒の匂いを感じた。どうやら、かなりお酒を飲んでいるらしい。だから、こんなに訳の分からないことを言ってるんだ。彼女は深く息を吸い込んだ。酔っ払いにまともに取り合うのは無駄だと思った。「あなたは酔ってるね。私に構わないで、早く秘書に送ってもらって帰ったら?」「裕也とは、そんなに親しくするな」大輝は真奈美の前に立ち、真剣な眼差しで言った。「あなたの考えを尊重するって約束したけど、俺たちはまだ正式に離婚もしてないだろ。なのに、もう後釜を作ってるなんて、あんまりじゃないか?」後釜?真奈美は冷笑した。「自分が浮気しておいて、よく言うね」大輝は眉をひそめた。「何度言えば
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第907話

真奈美は、「頭おかしいんじゃないの」と吐き捨て、大輝を強く突き飛ばすと、ドアを開けて大股で出て行った。大輝は殴られた頬を撫でながら、軽く唇をあげた。そして振り返り、真奈美に向かって叫んだ。「ちょっと待てよ!」......真奈美は今夜のドレスのせいで、速く歩くことができなかった。大輝はすぐに追いついた。真奈美のドレスの裾は何度もハイヒールに絡まり、その度に転げそうになったから、大輝はハラハラさせられた。彼は数歩駆け寄り、かがんで彼女のドレスの裾を持ち上げた。真奈美は足を止め、睨みつけながら言った。「大輝、近づかないでって言ってるでしょ!分からないの?!」大輝は怒鳴られたが、いつものように反抗することはなかった。むしろ、図太く笑って言った。「ただ裾を持ってあげてるじゃないか。でないと転んだら大変だろ?栄光グループの社長がそんな粗相して、ニュースになったら大変だぞ」「放っておいて!」真奈美は裾を彼の手から引き戻そうとした。その時、前方で騒ぎが起きたようだった――「この泥棒猫!夫を誘惑したわね!」女の怒号とともに、平手打ちの音が響いた!その物音に、会場の全員の視線が集まった。真奈美も思わず振り返った――少しふくよかな体型の女が、別の女の髪を掴み、罵詈雑言を浴びせながら、女の顔を何度も叩いていた。殴られている女は、真奈美は知らなかったが、会場には事情を知るものがいた。あれはある社長の愛人で、妊娠をたてに、会社の株の10%を要求しているらしい。それを知ったあの社長の妻が、会場に乗り込んできて、愛人である女性を殴り始めたのだ。あの社長の妻の勢いは凄まじく、あの社長でさえ彼女を止められなかった。かなり刺激的な場面だった。会場にはメディアもいて、妻が愛人を殴るというニュースは、いつの時代も格好のネタだ。そのためメディアの人間たちは我先にとカメラを向けた......野次馬も多かった。真奈美も、その騒ぎであの社長が実は逆玉の輿に乗ったようなもので、会社が大きくなった途端、妻に隠れて愛人を囲むようになったという話を耳にした。一方で、大輝もただチャリティーに参加しただけでこんな騒ぎに遭遇するとは思ってもいなかった。そして、彼は不安げに真奈美の顔色を伺った。すると、真奈美が眉をひそめ
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第908話

間一髪のところで、二人の屈強な男が同時に真奈美の方へ駆け寄った。硫酸をかけられた瞬間、真奈美は思わず目を閉じた。そして、次の瞬間、彼女は温かい腕の中に抱き寄せられたのを感じた。そして耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。それと共に鼻をつく刺激臭が辺りを漂った。霞は叫んだ。「社長!」ちょうど警備員が駆けつけたので、あの社長の妻を取り押さえた。それによって、濃い硫酸の入った黒いガラス瓶は床に叩きつけられ、破片が飛び散った。招待客たちは悲鳴を上げ、口と鼻を押さえながら逃げ惑った。「黒崎先生、怪我をしています!」騒ぎの中で、霞の叫び声が真奈美の耳に届いた。真奈美はすぐに抱きついていた男から離れ、隣にいる裕也の方を見た。裕也の手の甲に硫酸がかかっていたのだ。「大丈夫だ。少しだけかかっただけだ。あなたは無事か?」裕也は真奈美を安心させながら、彼女にも硫酸がかかっていないか確認していた。真奈美は首を横に振った。「私は大丈夫。でも、あなたの手は、手術をするのに......」手の甲の痛みは増していたが、裕也は落ち着いた声で言った。「大丈夫だ。まずは水で洗い流そう......」「上杉さん、早く水を持ってきてくれ!」「はい!」霞は数人と共にミネラルウォーターを持ってきて、裕也の手を洗い流した。皆の視線は裕也の手元に集中し、もう一人の存在は完全に忘れ去られていた。大輝は、真奈美が裕也を心配そうに介抱する様子をじっと見つめていた。あんなに裕也のことを心配しているなんて......会場は大混乱に陥り、すぐに警察が介入してきた。濃い硫酸による傷害事件は、刑事事件だ。パーティーは、こうして幕を閉じた。大輝は眉をひそめ、ゆっくりと手を上げてスーツのジャケットを脱ぎ、床に投げつけた。そして振り返り、ゆっくりと会場を出て、騒然とする人混みの中に消えていった。......病院で、裕也の手の甲の治療が終わった。幸いにもすぐに水で洗い流したため、傷はすぐに抑えられ、範囲も小さかった。病院で治療を受け、包帯を巻いてもらったことで、大事には至らなかった。しかし、傷が治るまでは、裕也は手術をすることができない。健吾は、息子の怪我の知らせを受け、病院へ駆けつけた。ただの擦り傷だと確認し、跡が残
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第909話

「治療費は払うから、世話なら、介護ヘルパーを雇ってあげるよ」「治療費には困ってないし、ヘルパーもいらない。あなたに世話をしてもらいたいんだ」それを聞いて、真奈美は深く息を吸い込んで、「大輝、いい加減にして」と言った。「別に理不尽なことは言ってないだろ。警備員に言って門を開けさせろよ。今夜はこっちに泊まるから、そしたらあなたに世話をしてもらうのに都合がいいだろう」それを聞いて、真奈美は言葉を失った。彼女は唇を噛み締め、大きくため息をついた。「大輝、よく聞いて。あなたが私を助けてくれたことには感謝しているし、怪我をさせてしまったことは申し訳なく思っている。治療費はもちろん払うし、必要な世話もする。だけど、それ以上のことはしない」「ひどい......っ」大輝は声を詰まらせた。「俺たちはまだ正式に離婚していないんだ。どうしてそんなに冷たくできるんだ。今夜、門を開けてくれなければ、ここで夜が明けるまで待つからな!」「勝手にして」真奈美はもう我慢の限界で、電話を切った。そして、スマホをマナーモードにした。電気を消して、ベッドに倒れ込んだ。......階下、ロールスロイスの車内。大輝は電話のプツッという音を聞きながら、真奈美の寝室の窓を見つめていた。すぐに、寝室の明かりが消えた。大輝の目の光も、それに合わせて消えていった。本当に、自分のことはもうどうでもいいんだな。大介は社長の方を向いて尋ねた。「社長、もう遅いので、帰りましょうか?」「あなたが一人で帰ってくれ」「え?」「俺は車に残る。あなたはタクシーで帰ってくれ」それを聞いて大介は言葉に詰まった。だが、大輝はぶっきらぼうに言った。「俺はここで待ってるんだから!」大介は慎重に説得を試みた。「社長、背中の怪我がまだ治ってないのに、新しい傷が重なっているんです。病院の先生にも入院して点滴を受けないと、感染して高熱が出るって言われたんじゃないですか。もう諦めて、病院に戻りましょう?」「いや、戻らない」大介は黙り込んだ。一体どうしちゃったんだ。社長がまるで駄々っ子みたいだ。「もう、帰れ」大輝は眉間を押さえた。「俺は、今夜は車の中で寝るから」大介はため息をついた。「それなら、私もお供します。夜中に熱が出たときのために」「いや、
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第910話

電話をかけると、大介はすぐに電話に出た。「奥様」真奈美は尋ねた。「本当に帰ったの?」「社長に帰るように言われて......」「彼が勝手なことをしても、あなたは何も言わないの?」大介は困り果てた様子で言った。「奥様、社長の性格はご存知でしょう?それに、お酒も飲んでいたので、何を言っても無駄でした」真奈美は額に手を当てた。「怪我は酷いの?」「もともと負った鞭の傷もまだ完治していないのに、今夜は濃硫酸を浴びてしまいました。コートを着てはいましたが、皮膚に少し染み込んでしまったようです。古傷に新しい傷が重なり、お医者さんからは感染症のリスクが高いので、きちんと治療を受けるように言われていたんです」真奈美は眉をひそめた。「奥様、今は社長に腹を立てていると思いますが、哲也様のことを考えて、一度下に降りて説得してください。本当に心配なんです」「分かった」真奈美は電話を切り、長めのニットカーディガンを羽織った。9月中旬になり、秋めいてきたこともあって、夜は冷える。真奈美は警備室に行き、窓をノックした。警備員は目を覚まし、真奈美の姿を見て驚いた。「こんな夜更けに......どうしたんですか?」真奈美は答えず、「門を開けて」と言った。警備員は頷き、すぐに門を開けた。ロールスロイスのエンジンはかかったままで、窓は閉まっていた。真奈美は眉をひそめた。大輝ったら、このまま車内で寝ていたら死んでしったらどうするんだろう。しかも、怪我をしているというのに。そう思いながら、真奈美はロールスロイスの横に歩み寄り、後部座席の窓をノックした。車内の大輝は反応がない。真奈美はもう一度、強く窓を叩いた。それでも大輝は反応しない。まさか、本当に気を失っているのか?真奈美は大介に電話をかけ、遠隔操作でロックを解除できるか尋ねた。幸い、大輝は大介に権限を与えていた。ロック解除に成功した。真奈美はすぐに後部座席のドアを開けた。車内は暗かったので、真奈美は天井のランプを探して点灯させた。大輝は後部座席で倒れていて、眉間に皺を寄せ、荒い息をしていた。彼の顔と額に触れると、とても熱い。「大輝?大輝!」彼女は少し強めに大輝の顔を叩いた。大輝は全く反応しない。真奈美は車から出て、
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