ずっと、呼びたくて、呼べなかった名前。 桂也乃は神嫁御渡で神に贄として四季との思い出を捧げてしまったかのように、あれ以降、四季の名を口にすることはなくなってしまった。忘れてしまったのかもしれない。けれど、彼女はこの先も季節が廻る喜びを、夫となるひととともに分かち合うことで、彼を偲ぶのだろう。 雁もまた、四季との記憶を忘れていた。たぶん、最後にふたつ名で暗示をかけられたのだろう。解いてあげようかと小環が尋ねても、彼女は逆さ斎がしたことだから、そのままにしてあげて、と首を横に振ったのである。微笑みながら。 式神だったかすみは、椎斎にある逆井本家に引き取られていった。彼女を養っていた鬼造の人間の多くが憲兵によって帝都へ連行されてしまったからだ。 鬼造みぞれは帝都の親戚のもとで新たな生活を始めている。だが、妹のあられはこの地に残り、恋人の雹衛の故郷である『雪』に身を寄せ、彼と穏やかな暮らしを手に入れた。「……しっかりしていたなぁ、かすみさん」 今後は神職に携わって、四季が頼りにしてくれた自分のちからをこの土地のために役立てたいのだと、桜桃たちに決意を見せてくれた十三歳の少女を思い出し、溜め息をつく。 それに比べて自分は、何もできていない。春を呼ぶことはできたけど、それだって自分ひとりのちからではない。四季や桂也乃や小環が水面下で動いてくれたから、自分も羽衣を選びとって空を翔けることが叶ったのだから。 幼い頃から傍にいてくれた異母兄はもう桜桃を慰めてくれない。彼の強すぎる想いに恐怖し拒んだのは自分だが、それに絶望して死を選んだのは彼なのだから、桜桃は悪くないんだと周りの人間は言ってくれたけれど…… がさり。 腰を下ろした足先で盛りを迎えた満天星躑躅どうだんつつじの白い花木が左右に揺れた音で、桜桃は我に却る。「ここにいたのか」 湾が忘れ物でも取りに来たのだろうか。いや、違う。桜桃は顔を赤らめる。「……小環」 あたしが選んだ羽衣。天女の伴侶となる資格を持つ時の花……神皇の蕾を持つひと。 相変わらず、女装のボレロ姿のままで、何
Last Updated : 2025-07-10 Read more