Home / ファンタジー / 此華天女 / Chapter 51 - Chapter 60

All Chapters of 此華天女: Chapter 51 - Chapter 60

104 Chapters

第五章 天女、探求 + 9 +

 「おひとよし」 「なんだ、起きていたのか」 四季は寝台の上で横になったまま気だるそうに口を開く幼い少女へ顔を向ける。いつもなら桂也乃が使っている寝台だが、彼女のいない今だからあえて入り浸っているようだ。「それで、どう思った?」 「帝都のごたごたは興味ないんじゃなかったっけ?」 くすくす笑いながら、ボレロ姿の少女は四季の方へ身体を傾ける。「状況が変わったんだ」 「藤諏訪麗が帝都清華の裏切り者で、その黒幕が古都律華の水嶌家出身でいまは神皇帝の正妃の座にのぼりつめている、冴利と、きみが教えてくれた種光という名の男だってことがわかっただけで充分じゃない?」 少女は種光がどこの家のものかわからないと言っていたが、古都律華の人間と考えていいだろう。「皇一族の後継者争いか」 「小環皇子はそのことについて何か言ってました? それとも何も知らされていないのかしら」 「……たぶん後者だろう。彼自身第二皇子で皇位に執着してる様子もなかったからな」 「でも、神皇帝は天神の娘を求め、逆に冴利は弑そうとしている」 「冴利は天神の娘がいなくなれば自分の息子を次期神皇帝にすることができると誰かによって信じ込まされているようだな……暗示か」 「たぶんね」 冴利は神皇帝とのあいだに生れたまだ幼い青竹を何がなんでも次期神皇にしようとしているらしい。神皇帝は冗談だと思って相手にしていないようだが、冴利はすでに古都律華と手を組み、空我伯爵邸の襲撃を命じている。 そこからすべてがはじまったと思った。「不思議に思ったんだよ。なぜ、今になって天神の娘が狙われたのか。なぜ、カイムの地へ彼女は連れ出されたのか」 「この地へ春を呼び戻すためでしょう?」 「なぜこの地に春は訪れていない?」 「神々が強引に開拓を進める人間の所業に怒って冬将軍を留まらせているから。もしくは神嫁という名の生贄を味わい邪悪なものへ変化した一部の神がのさばっているから」 「それは今年に限ったことか? 予兆ならすでにあっただろう?」 「ええ。毎年
last updateLast Updated : 2025-06-12
Read more

第五章 天女、探求 + 10 +

  四季は少女の言葉をひとつひとつ確認しながら、結論を紡ぎ出す。「――ぜんぶ、繋がっていたんだ! 空我伯爵邸の襲撃がはじまりじゃない。すべてのはじまりは」 ――名治四年初冬に起きた伊妻の内乱だ。 この北海大陸で起きた謀反が引き金となって、カイムの民と共存していた神々はすこしずつ狂っていってしまったのだ。  カイムの巫女姫と呼ばれたカシケキクの少女、契と、帝都からやってきた将軍、空我樹太朗が協力し合ったことで乱は年内のうちに制圧された。たしかそのとき敵軍を率いていたのが、伊妻霜一(そういち)……ルヤンペアッテの血を引いた男だ。  霜一は樹太朗によって首を刎ねられ即死している。そして、皇一族に刃を向けた伊妻家は取り潰され、女子供も始祖神に逆らったとしてすべて処刑された。その翌年、潤蕊の夏は豪雨に見舞われた。作物は流され疫病が蔓延し多くのカイムの民が死んだ。民の間では伊妻一族が怨霊となって潤蕊を襲ったのだと畏怖し、彼らと懇意にしていた『雨(ルヤンペアッテ)』の部族を敬うようになった。だが、その年から徐々に冬から春へ変わっていく動きが、緩慢になってゆく。  禁忌の一族として伊妻の名は姿を消したが、彼らは名を変え『雨』とともにこの地に生きている。そう考えれば、辻褄が合う。「伊妻の残党。彼が言っていたのは、このことだったのか……」 「シキ?」 「だとすれば、天神の娘を狙うのも頷ける。鬼造が天神の娘を積極的に消そうとしない理由もそこにあったんだ」 古都律華の御三家、伊妻、川津、鬼造。伊妻の金魚の糞ともいえた鬼造は、伊妻に生き残りがいたことを皇一族に黙って容認していたことになる。伊妻が天神の娘を殺さず手に入れて皇一族に対抗するための武器とすることも、知らされていたのだろう。「鬼造当主は金の亡者だ。権力よりも金を選ぶ彼なら、皇一族よりも多くの金を積んで自分たちを保護するよう依頼した伊妻を選ぶに決まっている」 「じゃあ、そのお金の出所は?」「この女学校そのものだ」 もともとこの潤蕊は『雨』の土地だった。だが、伊妻はその土地に住むルヤンペアッテと婚姻を繰り返し
last updateLast Updated : 2025-06-12
Read more

第五章 天女、探求 + 11 +

 「……で。それを見計らって、冴利を唆し、計画を実行に移した、ってわけ?」 「種光って男が伊妻に一番近い人間のようだが、たぶん彼は『雨』のなかで地位が高いものだ。その彼がきっと、天神の娘をこの地へ呼び寄せるために、古都律華の川津家を利用したんだ」 天神の娘を古都律華に殺すよう仕向けた伊妻の残党は、死なない程度に彼女を痛めつけ、自分たちのものにしようとしている。もしかしたら心だけ殺して器だけ奪おうとでもしていたのか。「でもそれって不自然じゃなくて? 天神の娘って噂されてる三上桜……空我桜桃だっけ、彼女がこの大陸に逃がされた経緯には、川津湾が関わってるわけでしょう? 川津が殺そうとしているのにどうして」 「彼がホンモノの篁だよ、かすみ」 かすみと名を呼ばれ、少女はハッとする。「シキ、ここでのあたいはあられよ」 「安心しな。誰も聞いてない。ここで姉のフリをする必要もない」 「だけど」 「さっきの、川津が殺そうとしているのにどうして川津が逃がしたのかって話を思い出せ。かすみが僕にしていることと同じなんだよ」「……一族内で意見が割れている?」「まあそういうことだな。たぶん、天神の娘を殺したら愛する息子に皇位を与えられると信じ込んでいる冴利が空我桜桃を殺すよう話を仕向けたのは当主の川津蒔子の方だ。娘婿の湾はそれ以前に帝の息子だ。おそらく皇一族の血統を川津の家に取り入れようとして失敗したんだろう」 「彼の妻であった米子が死んだからね」 「そう、婿入り先の妻に先立たれた彼は皇一族のもとに戻ることも許されず、だからといって川津の色に染まることもできずにいた。母君と途方に暮れていたところを助けたのが空我樹太朗だよ」「義妹の姉婿にあたる方ね。でも彼が愛妾にしたのが天神の娘だったから、混乱がつづいているんでしょう?」「樹太朗と湾が懇意になれた理由のひとつは川津との繋がりだが、もうひとつが北海大陸という土地の繋がりだ。樹太朗の愛妾であるセツも、湾の母君もカイムの民だ。ふたりが知りあえば話に花も咲く。たぶん、そこで湾はセツから頼まれたんじゃないかな、娘を頼む、なんて…
last updateLast Updated : 2025-06-13
Read more

第五章 天女、探求 + 12 +

  カイムの民のなかには「ふたつ名」を持っている人間もいる。ひとつの名前にふたつの意味を込めて名付けられたもので、その名を使い分けることで潜在能力を突出させることができるという古くからのまじないに近いものだ。いまでは殆ど廃れてしまったが、『雪』の部族の一部ではその名残が見受けられる。寒河江雁が狩という名を持ち狩猟に秀でた能力を開花させていたのは校内でも有名な話だ。逆井一族の多くもふたつ名を使い分けている。「別におかしいことはないと思うが」 「ふたつならまだいいのよ。あんたの場合、ふたつ名じゃなくてよっつ名でしょうが!」 呆れたようにかすみは四季の名を唱える。  ひとつは、四つの季節という意味でのシキ。  もうひとつが、逆さ斎としての賢者であれという意味での識(シキ)。  それから数多の神々と渡り合う上で必要とされる能力、式(シキ)。  そして。「三つでやめておけ。四つ目を知る人間はその運命を狂わせる」 「もうあなたに関わったせいで充分狂ってるわよ。このちからで帝都を覗くなんて考えたこともなかったのに」 ぷいっと顔を背けてかすみは毒づく。四季は嬉しそうに頷く。「だけど、そうしない限り君はあの家に縛られたままだったぞ? 古都律華御三家の古参、鬼造家の娘で唯一の『雨』の能力者。鬼造かすみさん?」 鬼造かすみ。女学校で生活しているみぞれとあられ、ふたりの姉と異なり、まだ十三歳の彼女はその存在を公に知られていない。一族は彼女を養ってはいるがとある事情からふたりの姉と異なり別の場所で生活している。 かすみは次女のあられの身代わりになることがあった。彼女には『雪』の恋人がいて、ときどきこっそり逢いに行くためにかすみと入れ替わっていたのだ。しかし、四季がそれを見抜いたことから、あられとかすみは長女のみぞれに黙って鬼造を裏切らざるおえない状況になってしまったのである。 古都律華の御三家とはいえ没落の途を辿っている鬼造家は『雨』の流れも受け入れたが、彼らを支配するまでには至っていない。天女伝説に関しても真面目に受け止めず『雨』の部族の言う通り神嫁となる生贄の少女を見繕う
last updateLast Updated : 2025-06-13
Read more

第五章 天女、探求 + 13 +

    * * *  薄暗くて冷たい牢内で、雁はじっと蹲っていた。外気とほぼ同じ気温でこのまま凍死してもおかしくない状況のなか、鬼造姉妹が準備した食事におそるおそる手をつける。  温かかったであろう味噌汁はすでに冷めていたが、喉元に流れ込む塩味が自分の生存の証のように感じられた。  土を掘削して造られたそこは地下牢に違いないだろうが、土の上に茣蓙が敷かれているため座敷牢だと鬼造姉妹は口にしていた。姉のみぞれは雁を嗜虐的な視線で攻撃し、妹のあられは被虐的な態度で顔を歪ませながら。けれど、暗示にかけられたままの雁からすれば、どちらの態度も気にならない。  黙って味噌汁を啜っていると、ふいに柵の向こうが明るくなった。何事かと顔をあげると、見知った顔のふたりの少女が煌々とした橙色の松明を片手に石段を降りてきたところだった。「あら……ずいぶん弱っちゃったわね」 この声は誰だったか。女学校で何度もやりとりをした馴染みのある声色に雁の表情が軟化する。「でも、明日には解放されますから」 にこやかに続けるのは鬼造姉妹の片割れ。身長が低いので、姉のみぞれだろうと雁はあたまの片隅で認識する。だとすると、隣にいるのは慈雨だろう。すこしだけあたまのなかが鮮明になる。ふたりがここにいるということは、自分の処遇が決まったということだろう。「嫁入りの儀式を行います。『雪』であるあなたがまさか神嫁になるなんて……」 「みぞれ、いまの彼女には何を言っても無駄よ」 みぞれの言葉に応える慈雨はくすくす笑う。何がおかしいのか雁には理解できない。けれどその笑い方やひとを小莫迦にしたような態度を、雁は確かに覚えていた。「さよならを言いに来たの。これは餞別」 みぞれが取り出し、柵の間から差し出したのは無色透明な硝子玉だった。「冴利さまが調合してくださった『雨』の部族の、ごく一部の者だけに伝わる秘薬ですって。これを飲めば、苦しむことなくあなたは神嫁になれるわ。儀式の朝になったら、飲みなさい」 みぞれがどこか誇らしげに差し出してきたその薬は、天神の娘を殺そうとした
last updateLast Updated : 2025-06-14
Read more

第五章 天女、探求 + 14 +

    * * *  伊妻の乱が起きて、伊妻一族は滅んだとされている。  だが、そのときの生き残りがいまになって動き出している。天神の娘の到来を待っていたかのように。否。「天神の娘が来ることを、彼らは知っていた」 なぜなら、空我桜桃は襲われて北海大陸へ逃げて来たのだから。彼女を襲わせたのは川津実子とされているが、古都律華の川津家は神皇帝の正妃である水嶌家出身の冴利から天神の娘を殺すよう命じられたに違いない。そしてその冴利は伊妻に縁のある『雨』の部族の有力者、種光という男からその話を持ち込まれたと考えていいだろう。  川津家当主の蒔子は至高神の末裔など不要だと実子に委ね、実子は暗殺者を雇った。だが、暗殺者は実子の息子、柚葉に返り討ちにあった。実子もまた、その罪を被されるように消されてしまった。消したのは冴利の手のものだろう。蒔子もこれ以上の介入を良しとせず、手を引いている。もしかしたら手切れ金でも送られていたのかもしれない。こうして古都律華の川津家は天神の娘をめぐる争いから枠を外れた。北海大陸を拠点としている御三家の鬼造に任せることにしたのだろう。 そして舞台は天神の娘の始祖が暮らしていた北の土地、カイムに移る。そこで彼女は自分の存在意義が帝都の政争だけではないという事実を知らされ、そこに土地神の怒りを鎮めようと神嫁という名の生贄を提案した『雨』や、古都律華に属しながらも『雨』に従う鬼造、皇一族との繋がりを大切にし、天女の到来を祈って春を乞う『雪』、カイムの民を担う神職に就く逆斎の人間が関わっているという状況に巻き込まれてしまった……至高神の血を唯一受け継ぐというだけの少女に、周囲の人間は必死になっている。それはなぜか。  小環は暗闇を怖がる桜桃のちいさな手を握ったまま、そんなことを考える。美生蝶子が学校を去ったときに四季とふたりきりで会話をしてから、ずっと疑問に感じていたことだ。「小環?」 「お前は、ほんとうに何のちからもないのか」 座敷牢は、校門から入ってすぐの学舎とその奥に繋がっている寮や浴場などの建物が混在している場所からずいぶんと離れた場所にあるらしい。消灯時刻を狙って外に出た小環と
last updateLast Updated : 2025-06-14
Read more

第五章 天女、探求 + 15 +

  あの、穏やかで普遍的な閉ざされた洋館で、籠の中の小鳥のように静かに歌を囀って訪れる彼を癒してあげる。桜桃はそれだけで充分なのだとうたうように小環に告げる。「柚葉、か」 桜桃が口にする異母兄の名を耳にするたびに小環は腹立たしい気持ちと淋しい気持ちがないまぜになってむかむかしてくる。傍に湾がいたらきっと嫉妬だと断言するであろうその得体の知れない感情を胸に、小環は桜桃の手を強く握りしめる。「な、なに? 痛いんだけど」 「そんなに柚葉のもとに帰りたいのか」 「……できれば、だけど」 桜桃は弱々しく応え、切なそうな表情をしている小環の横顔を見上げる。どうして彼がそんな表情をしているのか、桜桃には理解できない。「それは、叶わない夢だよ」 けれど、小環にそんな表情をさせたくなくて、桜桃は自分の諦観を正直に伝える。  この騒動が治まっても、自分は柚葉の傍に戻れない気がする。柚葉は帝都清華の人間で、自分が傍にいる限り、絶対に迷惑をかけてしまうから。桜桃の存在が公にされたいま、元いた場所へ戻るという選択肢は選べない。「だから、そのときは小環が神皇帝のところに連れて行って構わないよ」 泣き笑いの表情で決意する桜桃を見て、小環の心は揺さぶられる。灰色がかった榛色の澄み切った瞳は空を覆う分厚い雲間からかすかに浮かぶ鋭い月のひかりに照らされ、神秘的なまでに煌めいている。「……それでいいのか」 思わず、小環は口を出していた。ほんとうなら、桜桃のこの言葉は、自分にとって喜ばしい言葉のはずだ。なのになぜだろう。  ちっとも嬉しくない。「うん、心配してくれてるの? 大丈夫だよ。あたしはもう、鳥籠の中で安穏と過ごしているだけの小鳥じゃないの。ゆずにいはお願いしたらずっと護ってくれると思うけど、彼の将来を壊してまで、あたしは傍にいたくない」 桜桃はそう噛みしめるように、言葉に力を込める。「あたしは『天』の部族、カシケキクの末裔でカイムの巫女姫の娘。この歪んだ大陸を元通りにして、醜い争いに終止符を打たなくちゃいけない……小環は言
last updateLast Updated : 2025-06-15
Read more

第六章 天女、求婚 + 1 +

  暮春。暦の上では間もなく初夏に入ろうとしているというのに、北海大陸には未だ寒気が横たわり春の訪れを阻んでいるときく。『雪』から嘆願を受けた神皇帝の息子である大松皇子は、彼らと交渉をつづけている向清棲伯爵こと幹仁と弟を己の住まいである紅薔薇宮(くれないそうびのみや)での晩餐会に招待し、その後内密に応接間に呼び出し、にこやかに決定事項を口にした。「向清棲幹仁、ならびに朝仁(ともひと)、そなたらを北海大陸に送りたい」 紅薔薇と名がつくとおり、皇太子のために造られたこの離宮は赤みがかった火山石と薄紅色の珊瑚がふんだんに使われ、見る者を圧倒させている。神皇の玉座がある黄金色の明時宮や現正妃が暮らすために準備された伽羅色の煉瓦造りの入陽宮と比べても、見劣りはしない豪奢な造りだ。  その建物の主は皇一族の長である名治の最初の正妃、蛍子が最初に産んだ皇子、大松。年齢は幹仁と同じくらいだが、背丈は低く、透き通った肌の色は病弱ゆえに青白く、どこか弱々しく儚い雰囲気を抱かせる。 だが、彼の瞳はそれを裏切るように輝き、その場にいる人間を虜にさせる。  彼が次の帝になるのだろう。帝都清華は病弱だが賢王の素質を持つ大松の支持にまわり、協力体制を築いている。彼の言葉に従うのも当然である。  帝都清華と古都律華の天神の娘をめぐる攻防について、新たな情報でも入ったのだろうか。蝋燭に照らし出された香りのきつい大輪の暗褐色の紅薔薇が活けられた花瓶が飾られている応接卓を挟んで、幹仁は目の前で絶えず微笑みを浮かべる皇太子殿下を見返し、苦笑する。「それはまた、突然のご命令ですね。理由をお聞かせ願えますか?」 「湾義兄上に届いた手紙によると、黒多子爵令嬢が負傷したそうだ。婚約者が見舞いに行くのは当然のことではないか?」 「……桂也乃が?」 さっと顔色を青くしたのは幹仁の末の弟で黒多桂也乃と許嫁の関係にある十六歳の朝仁である。幹仁は自分だけでなくまだ学生の身分である弟を連れて来るよう命じられた理由を悟り、大松の黒水晶のような瞳を見据える。「どうやら、『雪』の生徒に猟銃で撃たれたらしい。彼女は天神の娘を庇ったのだよ」 「なんでまた
last updateLast Updated : 2025-06-16
Read more

第六章 天女、求婚 + 2 +

  「天神の娘の元婚約者である伯爵どのにも、興味深い話だと思うのだが」 「たしかに、面白そうですが……」 空我侯爵の愛妾の娘と幹仁に面識はない。婚約解消した今、顔を合わせて何になる?  幹仁の葛藤する様を大松は瞬きすることなく見つめている。そんなふたりをよそに朝仁だけは狼狽をつづけていたが、やがて勇気を出して大松に声をかける。「――皇太子殿下、小生だけが大陸を渡ることは可能でしょうか?」 「朝仁?」 「げんざい兄上は帝都清華の頂点である空我侯爵不在の穴を柚葉どのと埋めるので手一杯なのは殿下も御存知の筈。だというのに北海大陸へ兄上を遣るというのは職務を放棄しろというのと同じ。兄上だけでなく小生も帝都で『雪』との商談に応じた経験があります。婚約者を見舞い、状況を確認する人間はひとりで問題ないと思いますが?」 意志の籠った視線が、大松を射抜く。婚約者の安否が気になる朝仁の強気の発言に、大松は大仰に頷く。「そうか。それもそうだな。では、向清棲朝仁に命ずる。我が義兄上を伴い、北海大陸に入り、そなたの婚約者である黒多桂也乃嬢を迎えにゆくのだ」 見舞いではなく迎えに行けと、大松は命令した。それはつまり。「神嫁御渡……」 幹仁の呟きに、大松は知っておったかと軽く頷く。『雪』の部族で花嫁修業と際して鬼造が創設した冠理女学校へ入学した少女が、卒業するために呪術で表情を殺して迎えに来た花婿とともに逃げるように去ったという話を人伝に聞いたのを思い出し、身震いする。 女学校を去る際に乙女は神に供物を渡さなくてはならないのだという。感謝の意を込めた捧げものの習慣は、人間が古の掟を捻じ曲げたため呪いとなってしまったときく。血の味を覚えた神の花嫁として身体の一部を差し出したり、花婿のあてがない乙女は人柱にされてしまうなどという噂もあるが、真実は未だわからず大松は訝しがっている。神の怒りか人間の作為か、果てはその両方か……「黒多子爵にも食事のときにその旨は伝えておる。時期が早まってしまったのは仕方がないが、このままだと彼女、邪神に食われるぞ」 「邪神?」
last updateLast Updated : 2025-06-16
Read more

第六章 天女、求婚 + 3 +

 「……どういうことだ」 幹仁と朝仁は再び緊張を取り戻した応接室で、じっと耳を傾ける。自分たちが想像していたよりも、事態は複雑で、それゆえ混沌としている。「冴利さまのご実家は古都律華の水嶌家。世間では伊妻が滅んでから神皇帝のもとへ嫁入りされたこともあり新たな御三家とも言われているけど、彼らはその地位をありがたがることをせず、迷惑そうにしていたわ」 梅子は憎らしげに口を開き、自分が導いた推理を披露していく。「伊妻の反乱が北海大陸で起きたのは十八年前。当時、北海大陸は伊妻、水嶌両家が開拓の先陣を切っていたわ。帝都清華は出遅れた形になって、結局、土地の大半は古都律華によって支配されてしまった。けれど、前神皇帝が病に倒れ、名治神皇が皇位を継いだことで、帝都清華の勢力が強まった。それを危惧した伊妻は後先考えず皇一族に反旗を翻し北海大陸の陸軍駐屯地へ宣戦布告。一時的に北海大陸一帯を占領されたものの、帝都より派遣された討伐軍によって騒ぎは鎮圧された」 言葉を切り、梅子は幹仁たちの反応を確かめる。梅子の隣に座っていた大松は従者が呼んだ冴利を迎えに扉の前へ足を運んでいる。「このとき、水嶌家は無関係とされている。この家は古都律華に属しているとはいえもともとは北海大陸の先住民であるカイムの民によって興された『雨』の傍流。『雨』を婚姻で強引に自分たちのもとへ引き込んだ伊妻とは異なり、立場的には『雪』に近いとされていたから」 だから神皇帝は伊妻一族だけを滅ぼすことにした。そして大陸へ渡ったのが梅子の父、樹太朗と故向清棲前伯爵である。「でも、それが仇になった。当時、伊妻霜一には生まれたばかりの娘がいた。彼女は水嶌家の乳母に預けられていたのよ!」 だから伊妻の娘は命をつなぎとめた。そして、自分が成長した暁にはこの国を乗っ取ろうと、復讐を誓ったに違いないのだ、と。 梅子の悲痛な叫びを嘲笑うかのように、甲高い靴音が廊下に木霊する。複数の足音にもみ消されることなく響く靴音は、梅子の傍でぴたりと止まる。穢れを知らない白の西洋服ドレスを鎧のように纏い、銀色に煌めく靴を履いた正妃が、漆黒の闇を彷彿させる黒真珠の首飾りを
last updateLast Updated : 2025-06-17
Read more
PREV
1
...
45678
...
11
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status