Home / ファンタジー / 此華天女 / Chapter 21 - Chapter 30

All Chapters of 此華天女: Chapter 21 - Chapter 30

68 Chapters

第三章 天女、邂逅 + 4 +

 「――小環皇子っ」 思いがけない名に、桜桃は唖然とする。  その名は桜桃も知っている。いまをときめく神皇帝の息子の名前だ。  たしか、名治神皇には結婚してから三人の息子がいるという。婚前に関係を持った湾の母、ユヱと異なり、彼らの母親は身分がしっかりしているため最初の妻も先妻亡きあとに娶られた後妻もひとくくりに正妻扱いされている。そのうちの前妻、蛍子ほたるこの息子が大松と小環だ。「湾さんの異母弟さま、なのですわね」 「いまさらたどたどしい敬語を使うな。みっともない。それに、学校内では身分差など無用だ。小環と呼べ」 呆れながら小環は桜桃の困惑した表情を見つめる。そんな小環を見て湾は苦笑する。「嬢ちゃん、畏まる必要はないぞ。偉そうにしてるのも傲慢ぶってるのも素だから気にしないで言い返してやれ。小環もその方が気が楽だろ」 「偉そうとか傲慢ぶってるとか余計な言葉が多いです義兄上あにうえ」 ぷい、と顔を背けて小環はようやく湾を義兄と呼ぶ。「……ほんとに皇子さまなんだ」 桜桃はそんなふたりを見て、はぁと息をつく。湾も小環も端正な顔立ちをしているが、どちらかといえば湾の方が野性的で荒々しい印象がある。だからといって小環が弱々しく見えるのかといえばそうではない。神秘的で近寄りがたいところはあるが、逆に思わず飲み込まれてしまいそうな清冽な雰囲気を持っている。ふたりに共通する、皇一族が持つ神がかり的な美しさも相まっているのだろう。  そう結論付けた桜桃は首を軽く縦に振りながら、小環の言葉を耳元で受け止める。「ま、皇子っていっても皇太子である大松兄上に比べればたいした威力もない。だから女学校に俺が女装して潜入するなんて莫迦げた作戦を父上は気安く口にして実行させたんだ。まったくもってたまったもんじゃない」 「女装似合うよ?」 「ぶっ」 さらりと言ってのける桜桃に、思わず噴き出す湾。ぴくぴくこめかみをひきつらせながら小環は話を変える。「学校内は古都律華も帝都清華も関係ない。だが、天神の娘を狙って潜入している人間がいないとは言えない。お
last updateLast Updated : 2025-05-26
Read more

第三章 天女、邂逅 + 5 +

    * * *  数え切れないほどの神々が存在しているという北海大陸。そのなかで神とともに暮らしていた古民族は、それぞれが暮らす土地の神々から加護を受け、集落を作っていった。「唯一の例外が、至高神と子を成した『天』の部族、カシケキク……つまり、天神の娘の祖、ということか」 帝都、駒籠(こまごめ)にある清華五公家のひとつ、向清棲(むかいきよずみ)伯爵邸の応接室に柚葉はいる。「そうです。随分とお詳しいですね」 「なに、伊妻の乱で御父君と戦った親父の受け売りだ。それに社の方で『雪』の部族との交渉がはじまっているんでね」 和装の柚葉に対し、相手は異国から渡ってきた黒い紳士服スーツを着こなしている。商売柄、さまざまな土地と関係を持っている彼からすれば、正装が洋装なのも頷ける。「……『雪』?」 開拓途上の北海大陸も、彼からすれば今後、商売をするために手を伸ばしたい場所なのだろう。その相手が古くから土地に暮らす先住民だろうが問題にはならないのだ。「ああ、柚葉くんは知らないだろうが、カイムの古民族の部族のなかのひとつで、大陸北東部に暮らすひとびとのことをウバシアッテと呼ぶんだ。国の最北端となる富若内港周辺は『雪』の部族によって興された場所だよ」 「てっきり『雨』だけだと思っていました」 柚葉は自分が異母妹の祖先について殆ど知らないことに改めて気づき、愕然とする。  同じ国内でありながら異なる文化を築きあげてきた北海大陸。そこに生きつづけるひとびとは神々のちからが薄れた現代も自然を享受し、神を身近なものと捉えて共存している。「ああ、『雨』の部族であるルヤンペアッテはもともとちいさな集落が分散していたというからね。富若内だけじゃなくて、戦国時代に滅んだ『風』の部族レラ・ノイミが作ったという風祭(かぜまつり)の集落跡地や更に南に位置する神の加護を持たない椎斎(しいざい)にも『雨』の民はいるよ……でも、『雨』の大半が潤蕊の地で生活しているってのが一般的かな」「潤蕊」 使用人が運んできた砂糖菓子を頬張りながら、柚葉は呟く。潤蕊。
last updateLast Updated : 2025-05-26
Read more

第三章 天女、邂逅 + 6 +

 「異母妹がそこで僕を待っているのです。僕は早く彼女を迎えに行きたいのです。そのためにも、重ねてお願い申し上げます。向清棲伯爵、幹仁(みきひと)様、どうか」 爵位は上にあるはずなのに、柚葉は思わずあたまを下げていた。彼女を護るために最善の選択をしたであろう父を裏切るような行為を、柚葉はしている。きっと、目の前にいる幹仁には滑稽に映っているであろう。けれど、それでも柚葉は桜桃を諦めきれない。「父との約束……ゆすらとの結婚のはなしを、白紙にさせてください」 もちろん、柚葉にそのような権限はない。だが、樹太朗の代理として、自分は向清棲伯爵とこうして向き合っている。彼だって空我邸の襲撃を知らないわけがない。その原因が、まだ見ぬ自分の婚約者であることも。  桜桃も自分に結婚の話がでていたことなど知る由もないだろう。だが、樹太朗はセツが生んだ子どもが女児だと判明した時点で、そこまで考えていたのだ。天神の娘という運命を定められた彼女を護るため。そして、彼女を悪用しようとする人間を退けるため。「……僕が「いやだ」と言ったらどうするんだい」 「向清棲家を乗っ取ります」 目の前の男は面白がっている。生まれた頃から決められていた結婚の話を忌々しく思っていた男のことだ、喜んで白紙にすると思っていたが……柚葉はつまらなそうに顔を顰め、きっぱりと言い放つ。  桜桃が幹仁と結婚すれば、古都律華の連中も手は出せないだろう。それに、向清棲家は国の内外問わず多くの土地を所有している。桜桃を守るための新たな鳥籠にと樹太朗が決めたのもわからなくもない。前伯爵と懇意にしていた樹太朗が互いの息子と娘を結婚させることに意気投合していたという話も頷ける。だが、それでは柚葉は桜桃を手に入れられないのだ。「……兄妹同士の婚姻は認められていないはずだが」 「存じています」 「ならば、あのとき逃げてもよかったのではないか? なぜゆえ、僕のもとに君は助けを求めに来たんだ」 「助けなど」 「結婚の話など互いの親の口約束にすぎぬ。いまさら蒸し返したところで本気にする人間は殆どいない。もとより、そんな物騒な娘を嫁にするつもりもない。確
last updateLast Updated : 2025-05-27
Read more

第三章 天女、邂逅 + 7 +

    * * *  湾の説明を受けた小環はこくりと頷き、ゆっくりと口を開く。「空我邸襲撃に古都律華が関わっているのは俺も感づいていたが、そうか、空我侯爵の奥方が川津の人間だったのか……」 「黒幕は別にいるだろうが、義妹が暗殺者を手引きし、使用人もろとも嬢ちゃんを殺そうとしたのは確かだ」 「決めつけるのはよくないと思うぞ。証拠でもあるのか」 「……ゆずにいが」 湾に厳しく追及する小環に、桜桃がぽつりと言い返す。その甘ったれた声に、小環は苛立ちを隠せない。「柚葉だっけ、お前の異母兄。彼も共犯って可能性は?」 「それはない。彼が嬢ちゃんを俺に託した」 きつい口調の小環を諌めるように湾がきっぱりと応える。桜桃は困惑した表情で小環と湾の顔色をうかがい、右往左往している。「ふうん。だとすると怪しいのは実子だっていう湾の意見が正しく見えてくるな。だが、もうひとり可能性のある人間を見落としてはいないか?」 「義姉上は、そういうひとじゃないわ」 樹太朗の長女、梅子のことを指摘され、桜桃が噛みつく。たしかに彼女は桜桃を蔑んではいたけれど、疎んではいなかった。彼女は正直な人間だ。桜桃が天神の娘であることを知っているのなら、後味悪く殺すよりも利用する側に立つはずだ。  そのことを暗に匂わせると、小環は話の矛先をあっさりと翻す。「暗殺者は銃弾を受けて死んでいたそうだ。お前の異母姉兄は銃の扱いに長けていたそうだな。返り討ちにしたのは柚葉か」 「……」 「責めているわけではない。暗殺者を殺さなければお前が死んでいただろうからな。正当防衛で罪に問われることはない」 そのときの状況が桜桃の脳裡で閃き、目の前が真っ暗になる。小環が淡々と事実を述べていくに従って、桜桃の顔色から赤みが抜けていく。「小環、もうやめとけ。まだ三日も経ってないんだ。嬢ちゃんにそのときの状況を思い出させても意味はない」 「意味ならある。彼女が天神の娘であるから、此度のようなことが起きたのだ。逃げてばかりいては今後、すぐにやられるだろう。身を
last updateLast Updated : 2025-05-27
Read more

第三章 天女、邂逅 + 8 +

    * * *  空我侯爵邸の門前では多くの人間が柚葉の到来を待ち伏せしていた。憲兵に新聞記者に野次馬に……うんざりする光景を無視して柚葉は焼け野原の別邸跡地を突っ切って裏口から本宅へ入る。周囲を見渡すが、使用人が動いている気配はない。別宅を襲撃されたときのことを思い出し、ぶるりと身体を震わせる柚葉に凛とした声が届く。「全員帰しておいたわよ。彼らを巻き込むのは本意じゃないもの」 「……姉上」 いままでどこほっつき歩いていたのよ、と疑わしそうな視線を向けながら、梅子は困惑した表情で事実を告げる。纏っている白絹に真っ赤な椿をあしらった小袖の着物が、いまの心境を代弁しているかのようだった。「お母さまは毒を飲まれたそうよ。御自分で飲んだのか、それとも誰かに飲まされたのか、そこまではよくわからないけど」 遺体はすでに憲兵により運び出されたという。夫である空我当主が不在であるいま、子どもたちを無視して代わりに動いたのは川津の人間だろう。それも善意ではなく、自分たちに向けられる非を退けるための行動だ。「口封じ、か?」 実子の実家、川津家は伊妻の乱以後、古都律華の頂点を我が物にしており、当主であり実子の継母にあたる川津蒔子(まきこ)がいまは亡き夫にかわり権力を握っている。蒔子が実子の遺体を引き取ったというのなら……関係がないとは言い切れない。「たぶんそうよ。ところで……柚葉は梅子がお母さまに毒を飲ませたとは疑わないのね」 「姉上は至高神の末裔であるゆすらを消そうとする古都律華の人間じゃない」 梅子は空我樹太朗の長女として、一度は結婚した夫の未亡人として、自分も帝都清華の一員だと自負している。古都律華が天神の娘を抹殺しようとしているのとは逆に、梅子は帝都清華の更なる繁栄のために天神の娘を利用しようとしている。愛妾の娘という立場からあえて残酷な方法で距離を保っていた梅子はいま、何を考えているのだろう。「……似たようなものよ」 ふぃ、と顔をそらして梅子が呟く。「天神の娘を畏れている、って点は、古都律華も帝都清華も皇一族もきっと、
last updateLast Updated : 2025-05-27
Read more

第三章 天女、邂逅 + 9 +

  梅子は確認するように弟であり空我侯爵家次期当主である柚葉に問う。「向清棲伯爵との結婚話を白紙にしたわね」 「……なぜ、それを」 「あなたの考えていることくらいわかるわ。この混乱に乗じて、あの苔桃を取り戻して、今度は自分で鳥籠を作ろうとしているのでしょう? 無駄よ」 きっぱり言い放つ梅子に圧倒され、柚葉は黙り込む。「襲撃の黒幕を暴き、空我家のいまの状態を回復させることができても、天神の娘の存在はすでに隠しきれない。あなたが苔桃を独り占めしたら、新たな火種を生みかねない」 「でも」 「あなたの熱い想いは痛いくらいわかるけど、兄妹同士の結婚は禁じられている。空我侯爵家次期当主となるあなたに許されることではない」「――ならば姉上が当主となればよい!」 兄妹同士の結婚が認められないのは柚葉だって知っている。向清棲伯爵邸でも幹仁に念を押された。  たしかに空我家の当主の座は大事だ。帝都清華五公家の頂点を極め、政治を執り行う際に名治神皇から絶大な信頼を得ているいま、そのようなことで家名を汚すことは避けなくてはならない。現に襲撃を受け、その原因が古都律華出身の実子で、罪の意識に耐えかねて自殺したという陳腐な新聞記事が間もなく世間へ出まわろうとしているのだ。これ以上醜聞を拡げることは空我家の威信を失墜させるのに等しい。  だからといって桜桃を諦められるか? 応えは否、だ。柚葉にとって桜桃の存在は世界を変えるといわれる天神の娘であることよりも、自分の異母妹であることよりも、護りたい大切な唯一の少女であることの方が何よりも勝っているのだ。  そのためなら、次期当主の座を姉に渡すことだって躊躇わない。「それはありがたい申し出だけど、いまはお断りしておくわ。だってまだ、あなたにはやらなくてはいけないことが山積みですもの。苔桃を取り戻すために向清棲伯爵の結婚話を白紙にしたのなら、次はご自分の結婚話をぶち壊さなくては」 「そうですね」 自分との間に持ち上がっている藤諏訪子爵の長女との婚約を破棄することを示唆されて柚葉は素直に頷く。顔も見たことのない婚約者との結婚の約束だ、
last updateLast Updated : 2025-05-28
Read more

第三章 天女、邂逅 + 10 +

 「言ったでしょう? 皇一族が動き出してるって」 それはつまり、伊妻の残党がいるということ。  そして、よりによって神皇帝を否定した伊妻の残党に皇一族と契約を交わした始祖神よりも高位の天神の娘、桜桃の存在を知られてしまったということだ。 古都律華の連中は桜桃を殺そうとしているが、天女伝説を信仰している伊妻の一族は彼女を手に入れようとするに違いない。天神の娘を孕ませた者が次の栄華を手に入れる――真実か虚偽か定かではない、それでいて生々しい伝説のために桜桃が狙われる……  突きつけられた現実に柚葉は黙り込む。「そのため皇一族内でも意見が分裂しているわ。帝の前妻、蛍子(ほたるこ)さまの息子である第一皇子は天神の娘の栄華を利用しようと画策しているし後妻の冴利さまは天神の娘など不要だと古都律華を擁しているなんてはなしだし……」 「どこからそのような情報を?」 「現黒多子爵から。彼の奥様の滝子さまが帝の異母妹だって知ってるでしょう? 皇一族のスキャンダルを調べるならお喋りな彼女から聞くのが一番よ」 ときどき早とちりして誤った情報も届くけど、とほくそ笑んで、梅子はつづける。「皇一族は湾さんの行方も知ってらっしゃるみたい。苔桃には信頼のできる人間を傍に置くって滝子さまもおっしゃっていたから、しばらくは平気だと思うけど、予断を許さない事態に変わりはないわね」 このままでは桜桃は狙われつづけ、最悪皇一族の後継者争いにまで巻き込まれてしまう。柚葉は深い溜め息をついて、梅子に向き直る。「それでも、俺は彼女を取り戻します」 「その選択ははじめから誤っているけど、止めはしないわ。ただ」 呆れたように梅子が声をあげる。涙声だ。「お母さまがなぜ死ななければ……ううん、殺されなければならなかったのか、梅子は知りたい」 きっと梅子と柚葉の母である実子もどこかで選択を誤ったのだろう。暗殺者を雇った時か、それとも愛妾の存在を知った時か……その結果が、この悲劇だと梅子は柚葉に告げ、声を震わせる。「姉上……」 「だから柚葉、まずは空我家次期当主と
last updateLast Updated : 2025-05-28
Read more

第三章 天女、邂逅 + 11 +

    * * *  皇一族は古代、人間と神々が共に暮らしていた時代に種族の壁を越えて契りを結んだ稀有な一族の末裔である。その神の名をこの国の人間は始祖神と呼び、その血が流れる神皇を民は現代まで崇めつづけている。「原始の王は人間の男。母なる女神を見初め結ばれたふたりはその土地を治めるようになり男は神皇の帝となる……幾星霜ものあいだ語り継がれてきた皇一族のはじまりの歴史だ」 神話を語るような口調で、小環は桜桃にわからせるつもりで丁寧に言葉を紡ぐ。「やがて、女神は男の子どもを孕み、神と人間の血をもった息子が産み落とされる。彼は両親が愛した土地を引き継ぎ、その土地に生きる女と婚姻し、またその子へと継承させていく。直系の子孫は皇と呼ばれ、歳月とともに皇は神皇帝に連なる姓(かばね)へと意味合いを強めていく」 戦乱の世が訪れたときも、神の加護ゆえか、皇一族に火の粉が降りかかることはなかった。「そして現代。始祖神の血を色濃く継いでいる俺の父、名治は、よりによって三人の女から四人の息子をこの世へ送り出した」 そのうちのふたりが、桜桃の目の前にいる。ひとりは皇位継承権を持たず、川津家に婿として追い出された湾。そして、もうひとりが前の正妃である蛍子が産んだ第二皇子、小環。「皇位継承権を持たない湾(わん)義兄上のことはお前も知っているだろうが、あとの人間についてはよくわからないだろ?」 「先の正妃であられた蛍子(ほたるこ)さまにふたりの皇子が、いまの正妃であられる冴利さまにも皇子がひとりいらっしゃるってことは知っているけど……」 皇后妃の家柄までわかるわけがない。「俺の死んだ母は旧姓が美能(みのう)だ。要するに帝都清華の五公家から嫁いできたんだ。嫁入りしたのは伊妻の内乱が勃発する前、二十年ほど前で、空我侯爵が天神の娘……いや、わかりづらいからお前の母君と呼ぶ……を帝都へ連れて来たのがその内乱後になる。だから、俺の母も天女伝説を耳にしていたんだ」 桜桃の父が名治神皇へ真実を告げたときに、蛍子もそのことを知ったのだろう。此の世界の栄華となる春を呼ぶという北海大陸の天女
last updateLast Updated : 2025-05-28
Read more

第三章 天女、邂逅 + 12 +

 「だが、冴利は我が子可愛さから、息子を次の神皇にしたいと父に懇願するようになってしまった。おまけに空我邸襲撃の報を受けて、彼女は天神の娘にうつつを抜かす父や前妻の息子とは逆の意見を唱えて古都律華の人間を自分の味方にしてしまったんだ」 そこまで詳しいことは知らなかったのか、湾も小環の話をきいてふむふむ、と頷いている。「……それで後継者問題か」 名治が神皇帝になって新興勢力である帝都清華を重用しだしたことで歴史ある古都律華は誇りを傷つけられ、憎しみを保ったまま今日まできている。その後、帝都清華に属する五つの華族が名治神皇によって公に定められ五公家と称されるようになってからは古都律華の御三家の名は薄れていった。そのことに納得がいかなかった伊妻が北海大陸を拠点に独断で挙兵した。その結果、一族は残らず処刑され、伊妻の家は取り潰され土地と財産は皇一族に帰属してしまった。残された古都律華の肩身は狭まる一方である。 その後、年月を経て起きた空我邸襲撃事件と天神の娘の失踪。表向きは古都律華出身の侯爵夫人が愛妾の娘を憎んで暗殺者を雇ったとされているが、名治神皇は伊妻の残党が絡んでいると踏まえ、彼らが皇一族の脅威となりえる天神の娘を旗印にするために再び動き出したのではないかと考えたのである。「でも、あたしは殺されそうになったよ?」 旗印として伊妻が使うのなら、殺すのはおかしいのでは? それとも、皇一族を崇めるがゆえに天神の娘を恐れた古都律華の暴走か? どっちにしろ、桜桃にとってみればたまったものではない。「その辺は俺もよくわからん。だが、父は伊妻の残党狩りを軍部に命じている。伊妻の生き残りがいるのは確かなんだ。天神の娘を狙ってこの伝説の地に潜んでいると考えていいだろう」 「で、なんでお前が女装してこんなところにいるんだ?」 湾の言葉に、小環は顔を真っ赤にして反論する。「俺は囮だ。篁の名を使えば一族に詳しい人間なら勘付くだろ? 義兄上の母君は北海大陸出身。事件後、皇一族の援助を経て天神の娘が名を変えてこの女学校に潜入したと考える人間は少なくないはずだ。そのときにお前から目を背けさせるなら、俺が篁の名を使っ
last updateLast Updated : 2025-06-01
Read more

第三章 天女、邂逅 + 13 +

    * * * 「緑潤す時雨の帳  湖水の如き青い霧  白雪積もりし寒き凍土(いてつち)  夢の世界は赤き風に燃され  残滓の灰は黒き闇に逆らう 我ら界夢(カイム)、天を恋う  此の世の眩き栄華を  彩られし永遠(とこしえ)の春を  舞い降りし天女が咲かせし……」  儚い歌声が女学校の寮に響く。少女は開けっ放しの窓から入ってくる万年雪が積もった冠理岳からの刺すような冷えきった風を気にすることなく、古の時代に語り継がれた神謡を囀りつづけていた。「鮮やかに、時の花、此の華……」 「まあた歌っていらっしゃるのね、四季(しき)さん」 四季と呼ばれた少女は、残念そうに口を閉じ、自分を呼んだ少女の方へ顔を向ける。「聞いておくれ。神々が騒がしいんだ、桂也乃(かやの)。神謡(ユーカラ)を詠っていても、ちっともおさまってくれないんだ。どうしてだろう」 肩で切りそろえられた赤みがかった黒髪に緑がかった灰色の双眸を持つ四季は、困惑した表情で桂也乃に問いかける。  生まれながらのカイムの民である彼女が戸惑っている姿を見て、桂也乃は言葉を濁らせる。帝都から花嫁修業を行う形でこの女学校に入った桂也乃に、土地神の声は聞こえない。だから気休めになる言葉も口にできない。  四季は黙り込んでしまった桂也乃を見て、諦めに似た微笑を浮かべる。「――なんてね。だいじょうぶだよ。気にしないで」 「……四季さん」 四季の神謡は桂也乃にもわかるよう、古語を訳し詩を吟じるように諳んじられている。それでもすべての意味を理解することはなかなかに難しい。  だが、桂也乃はかなしそうな四季の表情を見て思わず口にしていた。「――天女」 「え?」 「きっと、この土地に天女が……カシケキクの末裔である天神の娘がやって来たから、神々が騒がしいのよ。だからあなたはここで歌を歌おうと思ったの。そうでしょう?」 桂也乃は内緒話をするように四季に耳打ちする。四季はふっ、と微
last updateLast Updated : 2025-06-01
Read more
PREV
1234567
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status