あなたからのリクエストはもういらない のすべてのチャプター: チャプター 101 - チャプター 110

126 チャプター

101.謎

そしてこの、一見修羅場のような様子を眺めながら、希純は一人感心していた。なるほど…。確かにこれはアウトだな。中津の言う通りだった。例え本人にそんなつもりがなくても、周りがそういう風に見て判断すれば、どんなに潔白でもアウトだ。どうしたって本人にしか分からない気持ちなんだから、怪しいと思われた時点でそれはもう、純粋な潔白ではない。視線や雰囲気、距離感、その全てにおいて潔白でなければ、疑われた時それを否定する証明はできない。今なら芳香の気持ちが理解できる。だが当時の希純には、できなかった。あの頃、芳香は夫の仕事が休みになると、自分を預けて出かけていた。今なら、それは別れる為の準備をしていたのだと分かるが、当時は仕事もしていないはずなのに何をしているのだろうと思っていた。そうはいっても、普段父親が仕事で忙しくて不在でもずっと母親が付きっきりでいてくれたから、希純も別に不満に思っている訳ではなかった。たまに母親がいなくても悠おばさんがいたし、幼稚園にも通うようになっていたから友達もいた。純孝はあの頃から悠を「妹」だと言っていたから、自分は本当に彼女が父親の妹なんだと思っていたのだ。だから、芳香が悠を嫌う理由がわからなかった。幼稚園の先生に訊いてみても、皆曖昧に微笑うだけで何も教えてくれなかった。今ならわかる。きっと園でも彼らの三角関係を疑って、適当な噂を流されていたのだろう。ただ佐倉家の人間に直接言えるような人がいなかっただけで、陰では面白可笑しく言われていたに違いない。あのプライドの高い母親がそんなことに耐えられるはずもなく、結局、彼らの間の溝は埋まるどころか益々広がっていったのだろう。悲しいかな、それに気づいていたのは芳香だけだったのだが…。純孝も希純も、まったく気づいていなかった。自分たちが、そんな嘲笑に晒されていたなんてことは。だから言ってしまったのだ。ある園での行事の時、純孝に参加をお願いしていた芳香がたまたま時間が取れて急いで園に向かうと、そこには堂々と母親席に座る悠がいて、激怒した彼女がその場で悠に平手打ちをしたのだ。そしてそれを嗜めた彼女の夫にも平手打ちを一発お見舞いし、彼らの面目をことごとく粉々に打ち砕いたのだった。水を打ったように静まり返る園庭に、大きくもない芳香の声が浸透した。「恥知らずっ」「っ!」そ
last update最終更新日 : 2025-09-15
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102.間違い

その謎は、意外にも早く解決した。2日後。佐倉家前当主夫人で希純の祖母、佐倉栄子(さくらえいこ)が、父子に夕食を食べに来るよう言ってきた。純孝は仕事を早く片付けて自宅まで希純を迎えに行き、両親の住む本家へと向かった。芳香のことに触れなかったことから、先日の事が、彼らにも既に知られていることが窺えた。希純が父に連れられて邸に入ると、そこには厳格な祖父が唇をへの字に曲げ、普段は優しい祖母が冷たいオーラを漂わせて大きなダイニングテーブルについていた。驚いたことにそこには悠と、後でわかったがその母親もいて、2人は顔を青褪めさせて俯いていた。希純は思った。ああ…お祖母ちゃんに怒られたんだな…。と。そしてそれはきっと、お母さんのことに違いない…と。佐倉家では、皆が祖父を恐れている。それは顔も怖いけど、その厳格さと威圧的な雰囲気で、誰も逆らえないからだ。でも、希純は知っていた。本当に怒らせて怖いのは、祖母だと。それは、この前見てしまったから。父親の出張と母親の〝用事〟が重なって本家に預けられていた時、祖父の書斎の前を通りかかったら中から声が聞こえてきて、覗いてみると仁王立ちしている祖母に祖父が必死に謝っているところだった。それを見て以来、希純は祖母には絶対に逆らわないようにしていた。そういえば、お母さんはなぜかお祖母ちゃんのお気に入りだった。もしかして、今日はお父さんが怒られるのかな…?希純はテーブルにつきながら、視線だけうろつかせていろいろと考えていた。ところで、なんでおばさんはあんな隅に立っているんだろう?ご飯食べないのかな?希純は首を傾げた。そして問うた。「ねえ、お父さん。なんで悠おばさんは席につかないの?」「……」純孝は困ったように眉を寄せるだけで、口を開かなかった。「?」それに希純がまた問おうとすると、祖母の栄子が優しく教えてくれた。「使用人は主と同じテーブルにはつかないのよ」「使用人?」益々分からなかった。「悠おばさんは、お父さんの妹でしょう?使用人じゃないよ?」「……」「……」純孝と悠が黙って俯くのに、祖父の佐倉孝誠(さくらこうせい)がジロリと睨みつけていた。そして、栄子は言った。「なるほどね。大体分かったわ。あなた達、昔から仲がよかったものね」「……」「……」気不味い空気の中、沢山の料理が
last update最終更新日 : 2025-09-20
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103.追放

彼は言った。「異性間で距離を縮めていいのは、恋人でない限り家族だけだ」と。つまり、どんなに仲が良くともそれが「他人」であるのなら、一定の距離は保たなければならない。「他人」とは、中津の中では身体の関係をもっても法律上OKな間柄で、奈月のような義妹という関係は、一見「家族」のようだが、万が一関係を持ってしまっても法律上なんの問題もない。要するに、彼女は「他人」だと言うのだ。もちろん道義上はアウトだ。でも、それを乗り越える者はいくらでもいる。「他人」である限り法律上は問題がなく、問題がなければそうなる可能性はゼロではない。だからその2人の距離感がおかしければ、疑いの芽が育つのは致し方ないのだ…と説明された。もし奈月が美月の妹ではなく、本当に希純の妹だったら、おそらくそこまで拗れることはなかっただろう…とも言われた。でも自分の中で彼女は完全に「家族」であり、そんな気持ちは微塵もなかった。そう言うと、「噂を広めるのは自分じゃない。周りから〝あやしい〟と思われた時点で、世間的にはアウトだ」と厳しい口調で言われた。特に立場のある人間は、そういった事に人一倍気をつける必要がある。それを怠った希純に、同情の余地はない。だから彼は美月の味方をしたのだと言った。なるほど。希純はやっと理解した。確かに極端な意見ではあるが、誤解をされたくない人がいるのなら、これくらいの危機管理が必要だな…。そう思った。そして。「お願い…そんな風に言わないで…っ」希純は昔のことなどをつらつらと思い出していたが、目の前で父親にまた縋ろうとしている悠を見て、不快感に眉を顰めた。「いつまでそうしているつもりだ?」子供の頃、悠が叔母ではなく単なる使用人の娘であったことを知って以来、希純にとって彼女は佐倉家の「使用人」という肩書以外、何の身分ももたない者だった。後に純孝の秘書にはなったが、能力が買われて得た職ではないと知っていたので、認識に変わりはなかった。だから彼女の言動の図々しさは、彼に苛立ちしかもたらさなかった。純孝は芳香が家を出てから5〜6年、悠が自分に付きっきりで世話をしていたように言っていたが、そんなことはない。希純は悠がただの使用人だとわかって以来、彼女とは明確な距離をとっていた。自分は佐倉家の人間で、悠は家に雇われた人間。世話をされたからとい
last update最終更新日 : 2025-09-20
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104.父子

コンコン…希純は2階にある純孝の書斎を訪ねた。「入れ」入室の許可をもらってドアを開けると、そこには窓際に立って外を見ている父親の姿があって、入って来た息子を振り返り苦笑した。「俺も人を見る目がないな」そう言って肩を竦めるのを見ても、希純は慰めの言葉を言わなかった。「自業自得ですよ」それは彼自身がこの2年とちょっと、最も言われてきた言葉だった。まさかそれを、自分が父親に言う羽目になろうとは…。口にした途端、希純自身も苦笑した。「ところで、藤原社長から何を言われたんですか?」「ああ…」純孝は少しだけ躊躇して、口を開いた。「〝まさか娘も当て馬にするつもりか?〟とね」「?」藤原徳仁は言った。「そちらから見合いを申し込んでおきながら、受けると言った途端「釣り合わない」と断るなんて、どういうつもりか?もしかして、未練があるという元妻を、見合い話があると言って取り戻そうとしているのか?いくらなんでも、うちはそこまで安くないですよ?」と。どうやら先日、「見合いをするにあたっての詳しい日時や場所を知らせてほしい」と連絡があったらしいのだが、それを受けた悠が何を誤解したのか、藤原家からの話だと勘違いして「相応しくない」と勝手に断ってしまったらしいのだ。それを聞いて腹を立てた徳仁が、純孝の出席した社交クラブで当て馬云々と言ってきたのだった。まったくもって初耳だった純孝はそれでも謝罪をするしかなく、もちろん周りには沢山の出席者がいたことから、大恥をかいてしまった。それだけでも腹立たしいのに、本来ならば受けるかどうかはお互いに考える余地があったところ、これでこちらにはその権利がなくなってしまった…という事が最大の屈辱だった。それを聞いて、希純は渋い顔をした。なぜ自分のことがこんなにも勝手に決められるのか。不満の色を濃くして、純孝に言った。「いっそのこと、破談にしてください。俺はその女と結婚するつもりはありません」「そういうわけにはいかん。後継者も必要だし、これはビジネスだ」「……」自分たちが結婚することでどんな利益があるのか知らないが、今やグループ全体の社長である自分の結婚を、父親とはいえ勝手に決められた事に希純は強い抵抗を覚えた。その不快感に顰められた顔を見て、純孝も罪悪感を覚えた。「勝手に決めたのは悪かったと思っている。だがお
last update最終更新日 : 2025-09-20
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105.念願

悠は最初、希純が純孝にビデオ通話をかけているのだと思った。「やめなさい。会議があるって言ったでしょう?」優しく窘めたが、いつも通り無視された。悠は焦った。純孝に面談の事など伝えていなかったからだ。でも自分は、彼から希純のことを任されている。こんな事は自分の裁量でやってもいいはずだ。でも…そうは思っていても、純孝が来ない理由をいつも適当に作り上げていたので、そこを指摘されたくなかった。「希純…」「馴れ馴れしく呼ぶなと何度言えばわかるんだ?」「……」「……」彼の威圧的な態度に、悠も担任の教師も押し黙った。そして、とても気不味い空気が流れる中、相手が通話に出た。「純たー」「母さん」悠の声に被さるように、希純が相手に話しかけた。「母さん、今忙しいかな?」『あら、希純。どうしたの?学校は?』「…!」その声に、悠は驚いた。なぜ芳香が?いつの間に希純と連絡を取り合ってたの?純孝は知ってるの?彼女が少しばかりパニックになっている間に希純は芳香と話をつけ、担任に言った。「彼女が俺の母親です。今海外にいるので、これで参加させてください」「希純!」焦った悠が思わず大きな声を出すと、タブレットの中の芳香が不快そうに眉を寄せた。『あなた…悠ね?』「……はい、奥さま…」一瞬にして、悠は萎縮した。元々、芳香のようにはっきりと言いたいことを口にする人が苦手だった。けれど観念して答えると、やはり彼女はきっぱりと言い放ったのだった。『あなたは帰っていいわ。ここは私がいるから』と。「で、でも…」今は私が来てるのに…。そう思ったが、『なあに?』「……」訊き返されて、悠には口にする言葉がなかった。「いえ、わかりました…。失礼します……」立ち上がる時に隣に座る希純をちらりと見たが、見向きもされなかった。そして彼女が教室を出る前にビデオ通話を使った三者面談が行われ始め、久しぶりに聞く希純の柔らかい声音に打ちのめされたのだった。そんな声、ずいぶん長い間聞いてない…。悠の目には涙が滲んだが、その胸の内は激しい嫉妬の炎が燃えていた。私がずっと面倒をみてきたのに!今更母親面するなんて!怒りに支配された悠は周りを見る余裕もなく、足音も荒く去って行った。ただ教室内にいる3人?には、まったく気にかけてもらえなかった。そうして希純は無事
last update最終更新日 : 2025-09-20
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106.妨害

その頃、美月は。来月のレッスンスケジュールを見て、僅かに眉を顰めていた。今までなら月半ばになる頃には殆どが埋まっていて、下旬まで待つまでもなく彼女の予定を決めることができていた。だが今、来月のカレンダーには真田准以外の名前がなかった。その時、美月のスマホが鳴った。「はい」出ると、相手は教室の生徒の母親だった。『浅野先生、申し訳ありません。教室は今月いっぱいで辞めようと思います。今までお世話になりました』「わかりました」気不味そうに話していた相手は、美月の返事を聞いてホッとしたように息を吐き、『では…』とそそくさと通話を終えた。こんな電話はもう何度目だったろうか…。中にはお迎えに来た時に、彼女と同じように言って去る者もいた。美月は嫌な顔一つせず淡々と応じていたが、ある保護者が言い訳のように言った。「実は、今度この近所にもう一つピアノ教室ができるんです。そこの月謝がここよりもずいぶん安くて…。皆さんそれで教室を変えようって。来月入れば、初月の月謝が更に安くなるようなんです…」上目遣いで話す彼女に、美月は「そうですか」とだけ返した。実際、美月の教室の月謝は高かったし、安く教えてもらえるならそっちに行きたいという心理も理解できる。だから、彼女は特に何も思わなかった。月謝がなければ生活ができない訳じゃなし、何もせずにダラダラ過ごすのが嫌だったから始めただけで、やらなくても特に問題はない。ただ最近は、この生活が楽しくなってきていたので残念には思った。だから、彼女はずっと考えていたのだ。引っ越して他の場所でまた始める…?「それもいいかもね」小さく呟き、ほんの少し考え、とりあえず教室は閉める方向で決めた。せっかく遠くからわざわざ通って来てくれている准には申し訳ないが、以前のことも考え、やっぱり自分たちに縁はないのだと苦笑した。そしてー真田怜士は手元の報告書を見て、僅かに口角を上げた。やってくれる…。その眇めた瞳には不気味な嗤いが宿り、傍に控えていた執事や使用人を怯えさせた。彼の頭の中で今何が考えられているのか、想像するのも恐ろしかった。ただ一人、平然としていた怜士の秘書が問うた。「いかがいたしましょうか?」「しばらくこのままで。息子の意見も聞かないとな」「かしこまりました」秘書は頭を下げながら、珍しいこともあるもの
last update最終更新日 : 2025-09-24
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107.静怒

翌日ー。怜士は、美月の住む町に秘書の手塚を連れて向かった。昨日の夕食時、息子の准にピアノ教室の現状を伝え、それを誰がやったのか、何のためにやったのかを説明した。准は小学生とは思えぬほどの冷酷さで、父親に告げた。「潰して」それは「架純を」なのか「藤原家を」なのか、はたまた「関わった者全てを」なのかわざわざ示唆しなかったが、怜士はフッと笑って頷いたのだった。この件に関しては父子の意見は一致しており、少なくとも架純は排除されるし、藤原家もどれだけ無事でいられるかは分からなかった。手塚は普段の准の無邪気さも聡明さも知っていたが、ここまで父親に似て冷酷な判断ができるとは思わず、驚いていた。顔つきすら似ていた。無表情で、冷たい眼差し。残酷な決定事にも、なんの反応も示さず当然のように頷く。この年齢にして、まさに次期当主としての片鱗が窺えた。当初「音楽大学に進学したい」などと口にした時には、正直この子は駄目だな…とがっかりした手塚だったが、怜士が快く承諾したことから、もしかしたら何かあるのかも…?と心に留めていた。一度、なぜこんな進路を許すのか?と叱責を覚悟で尋ねた時、怜士は言った。「学歴で当主になれるのなら誰だってなれる。必要なのは資質であり、素養だ」と。つまり、准にはそれが備わっている、ということだった。手塚はこの時初めて、怜士が准の教育を自ら行っていることを知った。彼の日常はとても忙しいのに、どこにそんな時間があるのか…。手塚は考えた結果、所詮一般人の自分にはわからないことだとそれを放棄した。自分はただ、尊敬する社長についていくだけ。決して裏切らず、誠実に、丁寧な仕事を心がけていた。怜士がどんな判断を下そうと、自分の中にそれを疑う気持ちはない。彼が准の判断を尊重するのなら、自分もそうするまで。手塚はそう心に決めて、一人頷いたのだった。そして。怜士が訪ねたのは、この町の町長だった。アポイントがあった訳でもないのに到着するやいなや、町長は役場の職員を連れて揉み手をせん勢いで出迎えた。それから町長室へと案内し、怜士を迎える為だけに先日来用意していた最高級のお茶を出して、ソワソワと尋ねた。「本日は、どのようなご用件でお越しいただいたのでしょうか?」彼の卑屈な態度に、手塚は苦笑した。きっとこの町長は普段とても威張っていて、職
last update最終更新日 : 2025-09-24
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108.誤算

「わ、私は…言われた通りにしたまで…です…」「……」唇を舌で湿らせながらどうにか答えた町長は、終始怜士の顔色を窺っていた。隅に控えている男も顔を青褪めさせていることから、事情を知っていると思われる。怜士はただゆっくりと煙草をふかしていた。が、男たちにとってそれが彼の怒りをぶつける前触れのように感じるのか、目に見えて冷や汗をかき、視線をうろつかせ始めた。「お、お許しを……」「どういう意味だ?」「……」怜士は容赦がない。いくらここが普段の怜士の縄張りではないとはいえ、彼のことを知っていたらやらかさなかった不始末だ。そして彼らは…少なくとも町長は真田家のことを知っていたし、怜士のことも知っていた。最初にこの話を持って行った時点で彼は怜士に取り入ろうと必死だったし、その彼が支えている浅野美月という人物についても、当然調べているはずだった。怜士は何も悪いことなどしていない。むしろ、この町にとっていいことをしたというのに、こんな風に裏切ったのは彼らなのだ。だからそれについてのどんな言い訳も、弁明も、聞く耳を持つつもりなどなかった。後は彼らが契約通り、資金の回収と違約金の支払いをするだけだ。ただ、怜士は少しだけ興味があった。いったいどんな破格の条件を提示されれば自分を裏切ろうと思えるのか?それだけが知りたかった。「まだ言わないのか?」ふぅぅぅ…煙草はどんどん短くなっていっている。あと一口か二口、それでもう終わるだろう。そして怜士が次の一口を吸い込んだ時、町長は意を決したように口を開いた。「あ、浅野美月さんの教室を潰すことができれば…この町から…お、追い出せれば…いずれ、さ…真田家当主の側近にしてやると……」「……」話し終えて気不味そうに視線を泳がせる町長に、怜士の口から最後の煙が吐き出された。そして目の前の灰皿に煙草を押し付け、ポイッと吸い殻を捨てた。彼は不思議そうに言った。「俺以外に真田家の当主がいるとは、初耳だな」「え…」「お前の聞いたその〝真田家当主〟とは、誰のことか訊かなかったのか?」「……」町長は狼狽えた。彼は、今ここできちんと話しておかなければ、全ての罪を被せられてしまう!と焦って言い募った。先日、「自分は将来の真田家当主夫人だ」という女が現れて、夫の浮気相手である浅野美月を懲らしめたいのだと相談
last update最終更新日 : 2025-09-24
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109.勘違い

この時架純はー藤原邸の日当たりのいいサロンに、エステティシャンやネイリストを呼んで自身のケアに余念がなかった。父親から、佐倉家次期当主の佐倉希純との見合いを決められ気分を害していたが、相手に拒否権がないこちら側有利の場だと言われ、考えを変えた。もちろん、受けたりはしない。佐倉希純といえば、権勢を誇ってはいるが近頃の彼の印象はとてもいいものではなかった。女に手玉に取られた情けない男。顔だけは良かったが、怜士と比べるとまだまだ青臭いと言わざるを得ない。そんな男と結婚なんて、死んでもごめんだった。ましてや彼は、あの生意気な浅野美月の元旦那なのだ。考えただけでムカつく。でも彼女は思った。実情はどうあれ、彼が今の結婚市場において人気のある人物であるのは確かなのだ。それならば、そんな男との見合いをきっぱりと断ったら、皆驚くに違いない。架純は自分の容姿に自信があった。美人でスタイルもいい。魅了されないはずがない。ふふっ…浅野美月、見てなさい。あんたの元旦那なんか、私は相手にもしないわ。そう心で毒づきながら、気持ちのいいフェイシャルに唇を緩めた。彼女はつい先程まで何度も着信を告げていた携帯を手の中で弄びながら、自分を見て頬を赤らめる希純を想像した。男に追いかけられるのは気持ちがいい。彼女は学生時代のことを思い出していた。あの頃、自分は名家の子息たちの高嶺の花だった。いつも誰が自分を迎えに来て、誰が送って行くのか、誰が彼女をランチに誘うのか、争われていた。それを軽くいなしたり、何も気づかないふりをして「じゃあ、皆で行きましょう?」と困惑させたりしながら、日々楽しんでいたのだ。でもこの何年、逆に自分は怜士を追いかけてばかりだった。何をどうやってもチラリとも振り向いてくれない彼にほんの少し自信を失いかけていた架純は、今回のこの見合いでそれを取り戻そうと思った。あの頃のように、少しくらいいい思いをしてもいいんじゃない?あわよくば、それで怜士に気にかけてもらえるようになってほしい。そんな事を思いながら彼女はふふっと笑い、胸の中は期待に膨らんでいた。そして全てのケアを終えてスマホの電源を入れた。だがー「は…?」架純は今の今まで、翌日に見合いを控えた希純が早速連絡をしてきているのだと思っていた。だからそれら全てを無視して、焦らしていた
last update最終更新日 : 2025-09-28
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110.お見合いⅠ

どうしたいって、どういう意味だろう…?彼女が眉を寄せると、それを見た准がニコッと笑って怜士に言った。「お父さんの思う通りでいいと思います。自分が何を仕出かしたのか、知る必要があるでしょう?」「具体的には?」問い返しに、彼は「う〜ん…」と悩んだ末言いにくそうに囁いた。「後で、じゃ駄目ですか?」それが美月を気にしてだと理解して、怜士は僅かに口角を上げた。「いいだろう。邸に戻ったら聞こう」「はい」父子だけに通じる何かがあるのか、美月はそんな2人をただ見つめていた。だが次に自分にかけられた言葉に、彼女は戸惑ってしまった。「とりあえず、君は自分のマンションに戻りなさい。送って行こう」「……」なぜ、そうなる?自分は、今日で准のレッスンが終わりだと告げただけだ。なのに、なんでここを離れなきゃいけないの?え?強制退去?なんで?ここは土地も家も私のものだけど…?わけがわからず頭を捻って考え込んでいる美月に、准が言った。「ここは危ないから…。だから、戻った方がいいです」「危ないの?」「はい」コクンと頷く准を見て、美月は困ったように微笑んだ。「わかったわ。でも、今日は無理。何にも用意していないもの…。明日戻るわ」准は頷かなかった。「必要な物はうちで用意します。一緒に行きましょう?」「……」「明日また迎えに来るの、大変だし…」なんとか自分を言いくるめようとしている姿が可笑しくて、笑ってしまった。「わかったわ。じゃあ、お願いします」そう言うと、准はパッと顔を輝かせた。「はい!」「……」怜士は息子のそんな様子を見て、苦笑した。この歳で女に振り回されるとはな…。彼は、准がなぜこれほどまでに美月に執着するのか、分からなかった。特に自分とくっつけようという意図もなさそうだし、なんなんだろう。初恋か?そう思ったが、彼の顔にそんな照れのような様子も見られない。ふむ…。一度、じっくりと話し合う必要があるかもな。そうでないと、これから自分はどのスタンスで彼女に接したらいいのか、迷ってしまう。とりあえず、美月は最低限の荷物だけ持っていけるように急いで荷造りを始めて、怜士と准には一時間後に迎えに来てもらえるよう頼んだ。一方、架純は。父親の部下から受けた報告を聞いて、満足気に笑った。ふふふ…あっという間に誰もいなくなっちゃったわね
last update最終更新日 : 2025-09-28
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