奈月はもちろん急いでいた。原作がベストセラーになった小説だったからか、映画自体まだ何も撮っていないというのに既に話題となっていた。そこにオーディションで受かって出演するとなれば、いくら新人といえどもある程度の注目は浴びるはずだ。ただの新人女優として映画やドラマに出たところで大して話題にもならないだろうし、奈月はこのチャンスを掴んで自分に価値を付けたかった。そうすることで、佐倉家に嫁いでもおかしくない女になりたかったのだ。だから、すぐにでも入れる事務所が必要だった。まったく、なんだって私がこんなことー!イライラしながら親指の爪を噛み、タクシーを捕まえて希純の会社へと向かった。到着するなり早足で受付を通り過ぎ、社長専用のエレベーターに辿り着く。これらは彼女の姉がまだ生きていた頃から奈月に許されていた特権で、今まで文句を言われたことなどなかった。だが今ー「お待ちくださいっ」エレベーターの扉が開こうとした時、向こうから慌てて駆け寄る受付嬢が言った。「こちらは社長専用です。申し訳ありませんが、まずアポイントの確認をお願いします」「はぁ?」「……」急いでいる為か、奈月はいつもの猫を被り忘れていた。受付嬢はそれに引きつりながらも微笑みを忘れず、穏やかに彼女を宥めた。「社長は本日、どなたともお約束されていません。ですので、まずはご連絡をー」「ふんっ」だが奈月はその言葉を最後まで聞かず、開いた扉をさっさとくぐり、ボタンを押した。「お客様!」閉まっていく扉の隙間から焦る受付嬢を見ながら、奈月は嘲るように嗤った。誰よ、あれ。新人かしら?私がフリーパスだって、きちんと引き継ぎなさいよねっ。心の中で不快感に愚痴を言い、最上階まで昇る。そしてーバンッ!「希純さん!」奈月は思い切りオフィスのドアを開け、中にいた希純と秘書を驚かせた。「あら、ごめんなさい」瞬時に厳しい目を向ける彼らに、奈月は気まずげに微笑んだ。いつもなら、これで済んだはずだ。希純はいつだって、どんなに傍若無人に振る舞っても、奈月の味方だったから。でも今日は…。「どういうつもりだ?」「え…?」受話器を静かに置いた彼の冷たい態度と口調に、奈月はついていけなかった。目をパチパチと瞬く彼女に、希純は更に言った。「約束もなく急に来て、何のつもりかと訊いている」「…
Last Updated : 2025-11-17 Read more