Home / 恋愛 / ラブパッション / Chapter 41 - Chapter 50

All Chapters of ラブパッション: Chapter 41 - Chapter 50

94 Chapters

第41話 背徳の片想い

周防さんからの実務指導が終わったタイミングでよかった。もちろんこれからも、オフィスで顔を合わせることに変わりはないけど、二人きりになることはないし、仕事以外の会話をする機会もなくなる。週明けの月曜日から、私は長瀬さんの補佐に就いた。彼は明るくて楽しい人。周防さんとはまた違う意味で、テンポよく仕事を進めていく。長瀬さんの速いペースに巻き込まれ、私はついていくのに精いっぱい。彼との仕事に慣れるのに必死で、業務中は周防さんのデスクを気にする余裕もない。長瀬さんは、『新しいアシスタントとして、取引先にも紹介したい』と、商談にも連れていってくれた。外出で午前と午後を跨ぐと、お昼の休憩も一緒にとった。そばで過ごす時間が増えて、今までの関わりでは見えなかった面も、おのずと見えてくる。商談中は、彼の人柄のせいか、いつも笑顔が絶えない。ちょっと無茶ぶりだと思うことも、嫌みなく強気に押して、最後は相手に苦笑を浮かべさせる。若手の中では、営業成績もトップクラスというのも納得。なかなかの遣り手営業マンなのに、わりとそそっかしくて、書類は穴だらけだったり。まだ不慣れな私では、彼のミスを見つけられなくて、周防さんや課長に指摘され、二人で怒られることもしばしば。私がしゅんとする横で、長瀬さんは平然としていて、ペロッと舌を見せて笑うだけ。唖然としてしまうほどのおおらかさに、私もホッと胸を撫で下ろす。仕事中も隠すことなくまっすぐ向けられる好意に、ドキッとすることはある。当たり障りなく話題の方向を変えるのに、まだまだ神経を使うけれど……。忙しない日常を、笑って、怒って、戸惑って――。今までにないほど感情の振れ幅は大きいのに、平静でいられる自分がいる。そう。こんな平穏な日々が続けば、不倫とか略奪とか、怖いことを考えず、普通に過ごすことができる。知らなくていいことを、知る必要はない。そうやって、周防さんと接する機会をほとんど失い、私は、緊張もドキドキもない日常に埋没されていった。
last updateLast Updated : 2025-06-25
Read more

第42話

GWは実家に帰ってリフレッシュした。本日、休暇明け初日。休みボケで、エンジンがかからないまま一日を過ごした私の手元に、映画の招待券がある。一ヵ月ほど前に長瀬さんから渡されて、一度返したものだ。誘いを断った時、『もう少し落ち着いたらまた誘うよ』と、宣言されてはいたものの、補佐に就くようになってからもなにも言われなかったし、GWを挟んですっかり頭から抜け落ちていた。終業時間まであと三十分。今日は残って仕事を続けても能率が悪いと判断して、ぴったり定時で帰ろうと決め、資料の片付けを始めた時。『使用期限、今日までなんだ。帰りに行こう』長瀬さんに、ポンと肩を叩かれた。誘いは不意打ちで、とっさに断れなかった。仕事を通して、彼のペースやテンポ感にも慣れてきたと思っていたのに、最初誘われた時と同じく、あわあわしてしまった自分が情けない。途方に暮れて、映画の招待券を目の高さに掲げ、ジッと見つめた。困ったな。どうしよう……。心は揺れる。でも、最初にこの招待券を押しつけられた時と、気持ちは全然違っていた。あの時は、まだよく知らない長瀬さんと『デート』は困る、という思いが先に立った。それを周防さんに知られて、誤解されたくない、という焦りの方が強まった。だけど今、私はあの時よりも、長瀬さんという先輩を知っている。彼の誘いを受けても、周防さんに弁解する必要はない。それに、長瀬さんとなら普通の恋ができる。心のどこかでそう考えたのも確かだ。覚悟なんてしなくても始められる、至極平穏な恋。踏み出すことに躊躇する理由は、なかったはずなのに――。映画が終わった帰り道、私は長瀬さんに告白された。「わかってると思うけど。俺、夏帆ちゃんのこと好きなんだ」いつも笑顔の長瀬さんが、やや頬を赤らめ、真剣な顔で告げてくれた。「夏帆ちゃんに彼がいても、やっぱり好きだから。諦められなくて」「あの、長瀬さん。私……」『本当は、彼なんていないんです』と、異動してきて早々についた嘘を謝ろうとして、私は声をのんだ。「夏帆ちゃん?」と怪訝そうに呼びかけられても、一度のみ込んだ言葉は、再び口を突いて出てきてはくれない。『やっぱり好きだから』想いを真摯に伝えてくれる彼に、自分を重ね合わせていた。私も、周防さんが結婚してるとわかっていて、好きな気持ちを抑えられなくて……。――なぜだろう。長瀬さんの本気の告白に心が揺さぶられ、ドキドキしている
last updateLast Updated : 2025-06-25
Read more

第43話

翌日。長瀬さんはいつも以上に精力的に外訪のスケジュールを詰め、午前中からずっと外出しっ放し。『GW明けだし、取引先回っとかないとね』そうは言っていたけど、私と目線を合わせてくれないから、昨日の今日で気まずいせいだと感じ取れる。私はオフィスで一人仕事を進めていたものの、判断に迷って手を止めた。長瀬さんが担当する輸入取引で、取引先との間に輸入取引信用状、通称L/Cを開設している。L/Cに記載通りの書類が揃っていないことを『ディスクレパンシー』といい、銀行は輸入者に対して買取諾否を伺ってくる。今、私の手元にあるのは、銀行から受け取った、ディスクレパンシーへの回答書だ。長瀬さんならすぐ判断してくれるけど、彼はしばらく戻ってこない。銀行の営業時間も迫っているし、回答は明日に回しても問題ないのかもしれない。でも、その判断も、私はまだ心細い。上司の判断を仰ぐしかないと決めて、オフィスを見渡した。でも、課長は出張中。できれば、係長にはあまり近付きたくない。どうしよう……。その時ちょうど、会議で離席していた周防さんが戻ってきた。デスクに向かう途中、女性の先輩にお帰りなさい、と声をかけられ、笑って返すのを見て、ドキッとしてしまう。誰にでも変わらない、優しい笑顔。意識して目を向けて、はっきり見るのは久しぶりだ。すぐ次に予定が詰まっているのか、周防さんは大きな歩幅で速足。一瞬躊躇したものの、私は自分を叱咤した。躊躇ってる場合じゃない。私は書類を持って立ち上がった。だけど周防さんは、別のファイルを手に、またオフィスから出て行ってしまう。「あ……!」早く、声をかけないと。私は慌てて後を追って、廊下に飛び出した。「周防さんっ……!」「え?」私の大声に、周防さんは廊下の真ん中で立ち止まった。「驚いた。……なに?」言葉通り、本当にびっくりした様子の丸い目。「す、すみません。大声出して」自分でも大袈裟だったと思うから、頬を染めて小走りで駆け寄る。彼は口元に手を遣って、クスクス笑っていた。「いいけど。なに?」周防さんはゆったり対してくれるけど、私は急いで書類を開く。「会議に行くとこですよね。すみません。私では判断できないディスクレの連絡があって」口早に告げると、周防さんはフッと目を上げた。「長瀬は?」「今日はずっと外出で、捕まえられなくて……」「珍しいな。最近、どこに行くにも、楽しそうに君を連れていった
last updateLast Updated : 2025-06-25
Read more

第44話

それをしっかり見てしまって、動揺を抑えられない。私は、周防さんに気付かれないよう、そっと目線だけ上に向けた。彼は、男らしい薄い唇の先で、L/Cに書かれた英文を呟くように読み上げている。その声を聞くだけで、私の全身の神経が、彼に支配される。書類を持つ周防さんの左手から、私は目を逸らせない。今まで見たことがない、銀色のシンプルな結婚指輪が、薬指に光っている。どうして、今さら――?それが私への牽制のように思えて、心臓が沸き立つ。「銀行に、許諾連絡していいよ」書類がカサッと擦れる音に、私はハッとして顔を上げた。「決済が遅れると、荷物をリリースしてもらえない。国内営業部への引き渡しが滞る。その方が問題だ」「は、はい。ありがとうございました」周防さんから書類を差し返され、私はぎこちなく笑って受け取ろうとした。ところが、予期せず彼の手に触れてしまい、「っ……!」ビクッとして受け取り損ね、バサバサと廊下に落としてしまった。足元に散らばる書類を見て、周防さんが驚いた様子で瞬きをしている。「あ……! す、すみません!」なにやってんだろう、私。周防さんが指輪をしてるだけで、なにをこんなに動揺してるの。私は急いでしゃがみ込んだ。両手で書類を掻き集める私の前で、周防さんが無言で片膝をつく。ギクッとする私に、「はい」拾った書類を差し出してくれる。そこに目を落とすと、やっぱり薬指の結婚指輪が視界に飛び込んでくる。私はゴクッと喉を鳴らした。「あ、りがとう、ございます」目を逸らしながら受け取り、掠れた小さな声でお礼を言う。周防さんは何度か頷いてから、ゆっくりと立ち上がった。「だいぶ仕事に慣れてきたみたいだな。長瀬とのコンビ、相性いいのかな。その調子で、頑張って」上司らしい一言を残してくるりと背を向けて、エレベーターホールに歩いていく。周防さんの姿が見えなくなっても、私の胸はドクンドクンと大きく速い音を鳴らしていて、治まってくれない。どうして、そんなこと言うの。左手の結婚指輪に気付いて、動揺を隠せない私を見透かすくせに。なのにどうして、長瀬さんの名前を口にして、トドメを刺すようなことを……。こうやって私を惑わす周防さんを、本当に酷い人だと思った。廊下に手を着き、震えるくらい固く握りしめる。周防さんの無言の『牽制』に傷つきながらも、あの日、瀬名さんに言われたことが脳裏を過った。『君が踏み込んでくれたら。
last updateLast Updated : 2025-06-25
Read more

第45話

その日私は、一時間残業してオフィスを出た後、帰途には就かず、総合エントランスの片隅で、周防さんが出てくるのを待っていた。早い時間帯だと、セキュリティを通って出てくるのは、圧倒的に女性が多いけれど、午後八時を過ぎた頃から、男性も増え始める。何人か同じ海外営業部の男性も見かけたけど、まだ周防さんは出て来ない。気が逸っているせいで、なかなか姿を現さない彼に、ジリジリする。それでも根気よくその場で待ち続けていたら、周防さんは九時近くになってエントランスに降りてきた。さすがにこの時間、昼間よりも髪のセットがやや乱れている。立ち止まって高い天井を仰ぎ、「ふう」と息をついているけれど、ピンと背筋が伸びて姿勢よく、ビシッとしたスーツ姿が決まってるから、くたびれたサラリーマンという感じはしない。彼が顎を引いてしっかり前を向き、歩き出そうとするのを見て、「周防さんっ!」私は床を蹴って駆け出した。カツカツと、私のヒールの音が響き渡り、周防さんがピタリと足を止めた。「え?」彼が、ゆっくり振り返る。その目が私を捉えて、丸くなった。「椎葉さん。まだ帰ってなかったのか?」「はい」と返事をしながら、彼の前で両足を揃えて立ち止まる。「周防さんを、待ってました」思い切って続けると、周防さんは戸惑ったように口を噤む。「……俺?」わかりやすい警戒心を滲ませる彼に、私は一度黙って頷く。「周防さんに、教わりたいことがあって」緊張しながら口を開いたせいで、私の表情も声も硬かったんだろう。周防さんが、男らしい喉仏を上下させてコクッと喉を鳴らした。 「椎葉さん。俺はもう君の指導係じゃない。仕事のことなら、これからは長瀬に……」「仕事のことじゃないです。周防さんしか、答えられないことだから」彼が私をかわして逃げようとするのを感じ、その退路を断つべく、はっきり言い切った。言葉に詰まる彼に、「教えてください」と、畳みかける。「私は周防さんを、なにから解放してあげられるんですか?」
last updateLast Updated : 2025-06-26
Read more

第46話

「……え?」周防さんが戸惑った様子で、瞳を揺らした。それを見て、私は一歩彼に踏み出す。「瀬名さんがそう言ったんです。私が周防さんを溺れさせることができれば、周防さんは解放されるって」「アイツ……」彼は忌々し気に顔を歪め、「余計なことを」と小さく舌打ちをした。「瀬名の言うことなんか、真に受けなくていい」素っ気なく言って、私から目を逸らす。「別に俺は、なにかに囚われてるわけじゃない。君にできることもないよ」目を合わせてもらえないまま、突き放すように言われて、私の胸がズキンと痛む。「覚悟……」「え?」「私が周防さんを奪う覚悟をすれば、いいんでしょう?」一度目は喉に引っかかった言葉を繰り返し、グッと彼を見据える。周防さんが、小さく息をのんで私に視線を戻した。宙で目が合った途端、らしくないほど目線を揺らし、「はっ」と浅い息を吐く。「なにを、バカなことを」「そう言ったのは、周防さんです」「あれは、君にそうしろって言ったんじゃない。だいたい、どうして君が、そんなことを……」「決まってるじゃないですか。私は、周防さんが好きだからです」聞き分けのない子供を宥めようとするように、即座に返す彼に焦れて、私は顎を上げて声を張った。一瞬にして、周防さんの瞳に困惑が過るのを見て、私の胸はドキドキと高鳴り始める。「本気で言ってるの。お願いします。はぐらかさないで」速い鼓動で息苦しくて、私は自分の胸元をぎゅっと握りしめた。「……椎葉さん」俯く私の頭上で、周防さんが掠れた声を漏らす。「頼むから。俺を困らせないでくれ……」どこか途方に暮れた様子で、彼の声は力なく消え入る。言葉通り、困らせているのはわかっているから、私もぎゅっと唇を噛んだ。なんて言っていいかわからず、無言でいると、私の伏せた視界の中で、彼の靴の爪先の向きがくるっと変わった。そのまま、私を置き去りにして、歩き出してしまう。周防さんにはああ言ったものの、まだはっきり覚悟しきれないのは、重々自覚している。彼との恋に落ちたら、私はきっと世界を見失う。結婚してる人を好きになるなんて、正気じゃないのはわかってる。一度ならず二度拒まれた今、ここで想いを断ち切って、彼とは別の方向に歩き出すべきなんだろう。でも、やっぱり、離れていく彼の背中を追いかけて捕まえたい衝動が、突き上げてくる。目に映る世界が変わっても。私の中の常識が、不道徳に塗れていっても。理性
last updateLast Updated : 2025-06-26
Read more

第47話

崖っぷちに追いやられて開けた視界に、見たことのない清々しい世界が開けたような気分で、私は奮い立つ。その先の世界を知りたいなら……もう、飛び込んでしまえばいい。「ま、って……!!」ビルの正面玄関を出て、外の通りの人混みに溶け込んでいきそうな背中に、絞り出すような声を浴びせた。さっきよりも強く床を蹴って走り出す。人の波に紛れ込んでしまう前に、玄関ポーチで、彼の広い背中に抱きついた。私の腕の中で、周防さんが息をのむ気配を感じた。一瞬彼が強張ったのも、私の身体にリアルな振動で伝わってくる。「椎葉さん」「好き。聞き分けないってわかってるけど、こんなに我儘になるのも、全部周防さんのせいなんだから」周防さんの背に顔を埋め、彼のお腹に回した腕にぎゅうっと力を込める。「オフィスで出会っても、周防さん、私のこと知らないフリした。それでいて、思わせぶりなこと言ったりしたりして、私を狂わせたのは周防さんです。なのに、酷い。ズルい」「っ……」周防さんも、自覚はあるようで小さく口ごもる。「……それは」「何度拒まれても諦められない私を憐れんで、同情してくれるだけでいい。私が正気に戻れるように、責任とってください」こんな言い方、ほとんど脅しだとわかっていながら、私は彼の良心に訴えかける。周防さんが、小さな溜め息をついた。そして。「椎葉さん。とにかく離してくれないか。……ここじゃ、人目につく」言葉と同時に、私の両手に彼が左手を重ねた。解こうとする力に促され、私は腕を離して彼の背中から一歩後ずさった。周防さんが、右足を引いて回れ右をして、私に正面から向き合ってくれる。おずおずと顔を上げると、彼はわかりやすく苦い顔をして、私を見下ろしていた。「ったく」私から微妙に目線を外して、溜め息混じりに呟く。「本当に君は危なっかしい。まさか、俺みたいな悪い男に引っかかるとは」自嘲気味な言い方に、私はきゅっと口を噤んだ。「……だから、いっそ他の男のものになってくれれば。本気でそう思ってたのに」忌々し気に吐き捨てるのに、彼はなぜかとても苦し気に顔を歪め、私から背けてしまう。こんなところにも、私との間に一線置きながらも、思わせぶりに誘惑してきた周防さんの言動の矛盾が浮き上がる。そして私は、そんな彼に身も心も支配される。
last updateLast Updated : 2025-06-26
Read more

第48話

意思に反して鼓動が加速する。臨界点を超えて高鳴り、全身がふわふわするほどの熱に浮かされる。私をこんな風にするのは、周防さんしかいない――。「大丈夫。周防さんに、心は求めませんから」喉に声をつっかからせながらそう言って、私はぎこちなく微笑んでみせた。周防さんは手で口元を覆い、怪訝そうな瞳を私に向けてくる。「これは、私が周防さん以外の人を好きになって、普通の恋を始めるための、リハビリです」「え?」「責任とって。そう言ったでしょう?」周防さんが、グッと言葉に詰まって黙り込む。そんな彼は、心の葛藤が見え隠れするほど、危うく無防備だ。大きな手を顔に当て、答えを出せずにいる彼に、私は焦らされる。「周防さん」顔を隠す手をどかそうと、その腕に手をかける。抵抗なく離れた手の向こう、指の隙間から私に向けられる黒い瞳に、ドキッと胸が跳ねる。一瞬宙で視線が交差した後――。周防さんはいきなり私の腕を掴み、強引に引っ張った。「あっ……!」不意を衝かれ、足を縺れさせる私を、無言のままビルの陰に連れていく。正面玄関からも人が行き交う大通りからも死角になる一角に、身を滑らせ……。「っ……!」息もできないほど強く、掻き抱かれた。「お望み通り、責任とってやる」強い口調。なのに、なぜか、心ごと縋りつかれたような錯覚を覚える。「だからさっさと俺に幻滅して、他の男を好きになれ」周防さんが私を抱く腕に力を込め、意地悪に耳元に囁きかける。「っ……」最初にそう言って脅したのは私なのに、彼の口から言われると胸が抉られるように痛んだ。抱きしめられたままじゃ苦しくて、腕の力を緩めてもらおうとして、そっと両手をかけた。「すお……」彼の胸から顔を上げ、無意識に呼びかけると。「夏帆」周防さんが、私を名前で呼んだ。思わずドキッとして、胸を弾ませてしまう私に、彼が覗き込むように顔を寄せてくる。そして、大きく目を見開いたままの私の唇を、いとも容易く奪った。「んっ……」優しくて穏やかで女性社員の憧れの的。誰もが絶賛する、文句なしに頼れる上司――。きっと周防さんは、私に幻滅させるために、強引に乱暴に仕掛けてるつもりだろう。理性のタガを外して私に浴びせるキスは、確かにどこか暴力的なのに、熱くてとびきり甘い。まるで誘われるように舌を出し、激しく絡め合っていると、迸る情熱の奔流に飲み込まれ、見知らぬ世界に吸い込まれていくようだった。幻滅、なん
last updateLast Updated : 2025-06-26
Read more

第50話

抱き合って名前を呼び合うだけで、怖いくらい胸がきゅんきゅんする。『次の恋へのリハビリ』なんて嘘をついて、なりふり構わず彼への恋に飛び込んだあの夜から、二週間。私たちは仕事帰りに会って、こうして何度か身体を重ねた。『身体が目当てで会う約束をする男なんて、嫌だろ?』優さんは、私の想いを断ち切るために、幻滅させようとしている。だからか、私を抱く時の彼は、オフィスでの物腰柔らかい紳士的な雰囲気からは想像もできないほど、強引で荒々しかったり、気まぐれに私を焦らしたりもする。私は毎回違った顔を見せる彼に翻弄されて、怒ったり拗ねたり、泣いてムキになったり、縋ったり甘えたり求めたり……自分でも忙しい。いっぱいいっぱいだけど、行為の後、いつも肌を重ねてぎゅっと抱きしめてくれる彼に、蕩けてしまう。私に対する優さんの言動は、やっぱり今でも矛盾ばかりだ。そんな彼に、私はますます夢中になっていく。優さんの温もりを感じていると、堪らなく嬉しくて幸せで、泣きたくなる。胸に込み上げるものがあって、思わず彼に頬ずりをしてしまった。途端に、クスッと笑う声が耳をくすぐる。「なに、甘えてるんだよ」優さんがベッドに両肘を突いて、グッと上体を起こした。「あっ……」自分の腕の中に囲い込んだ私を、男の色香が匂い立つ潤んだ黒い瞳で射貫く。一糸まとわぬ身体だけじゃない、心の奥底まで見透かすような視線に晒され、私は反射的に両手で胸を抱きしめ、身を捩った。「そ、そんな目で見ないで」今さらの恥じらいを見せる私に、優さんがプッと吹き出す。「どうしようかな。早く俺に幻滅してもらうためにも、夏帆が嫌がることを積極的にやらなきゃいけないんだけど」彼が私の腕に手をかけ、剥がそうとするのを感じて、私はさらに身を縮める。「い、意地悪っ……」「そうだよ。こうやって徹底的に夏帆を苛める。俺を嫌いだって言わせる。それが俺の目的だからね」優さんはまるで歌うような口調でそう言った。「ひゃっ……」優さんが、私の首筋に唇を這わせる。ザラッとした熱い舌の感触が蠢き、私の背筋を、寒気にもよく似た官能的な痺れが貫く。無意識に足の爪先が反り返ってしまう。私の反応を観察して、優さんは吐息とともに妖艶な笑みを浮かべる。「感じちゃダメだろ。ちゃんと、嫌がってくれないと」「ゆ、優さ……」優さんが、私の横顔を探るように見つめている。私の胸はバクバクと爆音を立てて高鳴る
last updateLast Updated : 2025-06-26
Read more
PREV
1
...
34567
...
10
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status