周防さんからの実務指導が終わったタイミングでよかった。もちろんこれからも、オフィスで顔を合わせることに変わりはないけど、二人きりになることはないし、仕事以外の会話をする機会もなくなる。週明けの月曜日から、私は長瀬さんの補佐に就いた。彼は明るくて楽しい人。周防さんとはまた違う意味で、テンポよく仕事を進めていく。長瀬さんの速いペースに巻き込まれ、私はついていくのに精いっぱい。彼との仕事に慣れるのに必死で、業務中は周防さんのデスクを気にする余裕もない。長瀬さんは、『新しいアシスタントとして、取引先にも紹介したい』と、商談にも連れていってくれた。外出で午前と午後を跨ぐと、お昼の休憩も一緒にとった。そばで過ごす時間が増えて、今までの関わりでは見えなかった面も、おのずと見えてくる。商談中は、彼の人柄のせいか、いつも笑顔が絶えない。ちょっと無茶ぶりだと思うことも、嫌みなく強気に押して、最後は相手に苦笑を浮かべさせる。若手の中では、営業成績もトップクラスというのも納得。なかなかの遣り手営業マンなのに、わりとそそっかしくて、書類は穴だらけだったり。まだ不慣れな私では、彼のミスを見つけられなくて、周防さんや課長に指摘され、二人で怒られることもしばしば。私がしゅんとする横で、長瀬さんは平然としていて、ペロッと舌を見せて笑うだけ。唖然としてしまうほどのおおらかさに、私もホッと胸を撫で下ろす。仕事中も隠すことなくまっすぐ向けられる好意に、ドキッとすることはある。当たり障りなく話題の方向を変えるのに、まだまだ神経を使うけれど……。忙しない日常を、笑って、怒って、戸惑って――。今までにないほど感情の振れ幅は大きいのに、平静でいられる自分がいる。そう。こんな平穏な日々が続けば、不倫とか略奪とか、怖いことを考えず、普通に過ごすことができる。知らなくていいことを、知る必要はない。そうやって、周防さんと接する機会をほとんど失い、私は、緊張もドキドキもない日常に埋没されていった。
Last Updated : 2025-06-25 Read more