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第61話

私に気付いた彼は、頬を緩ませて手を振ってきた。返すように私も手を振る。「天音くん!明けましておめでとう」「うん、明けましておめでとう。今年もよろしく」「よろしく!あとね、さっきのライブも」凄く良かった、そう続けようとしたけれど止まった。天音くんの手がこちらへ伸びてきて、驚いた私は口を閉ざすしかなかったのだ。すると彼は私の頭をひと撫ですると、ふっと柔らかな笑みを漏らす。「感想聞きたいのは山々だけど、寒いでしょ。続きは車の中でね」そう言って、天音くんは私から離れて車の助手席のドアを開けてくれた。(な、なんか・・・今日の天音くん)初っ端から態度が甘すぎやしないだろうか。触れられたのは頭なのに、顔中が熱くなってきた。何だか彼の手のひらの上で転がされている気分である。「年が明けた感覚あんまりないや」「まぁね。やっと仕事がひと段落ついたって思うくらい」「天音くん忙しかったもんね。お疲れ様」「ん。青山も」車に乗った私たちは、天音くんが以前行ったことがあるという初日の出が見られる高台まで移動していた。寒かったら使って、と半分投げつけられるようにして受け取ったブランケットを膝にひいて買ってきてくれたホットカフェラテを手に持つ。本当、至れり尽くせりである。「明日は仕事休み?」「明日と明後日は休み。3日が仕事始めかな」「そっか。私は3日まではバイト休みなんだ。三が日はゆっくりしたいからお店開けないんだって」だから暫くはゆっくりできるよ。そうひと息つくと、「暇ならvoyageのライブDVDでも見たら」と隣の彼は告げる。確かにクリスマスライブ前に「勉強して」と過去のライブDVD全部の新品をプレゼントしてくれた。実はまだ封も開けていないんです、なんて口が裂けても言えない。「うん、そうしようかな。次のライブも行きたいし」「次はもっと良い席用意してあげる。この前、少し遠かったでしょ」「ううん。次はちゃんと自分の力でチケット取りたいな」そう言った私に「自分で言うのも何だけど、チケットの倍率やばいからね」と、この前のクリスマスライブの当選倍率を教えてくれた。その驚愕的な数字に、1人で複数名義を持つファンの子の気持ちがやっと理解できた。「今度は4人分のうちわも持っていく」「うちわで顔隠れて見つけられなくなるからやめて」 「えぇ、逆に目立たないかな」「それに両手が塞がってペン
last updateLast Updated : 2025-07-11
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第62話

他の人は誰ひとりいなくて、私たち2人だけだった。聞けば近くに有名な初日の出スポットの海辺があるらしく、殆どの人たちはそっちに流れているらしい。「じゃあ天音くんにとっては、とっておきの場所だね」「変装しなくてもいいからね。本当に楽」もうすぐ時間だよ、と外に出るように促されて車のドアを開ける。「うわ、さっむ」反射的に目を瞑ってしまった。さっきまで暖房でぬくぬくとしていた身体が、一気に冷風に当てられる。海の近くだから風も少し強い。マフラー持ってきたら良かった、なんて思っているとふとどこか嗅ぎ慣れた良い匂いが漂ってきた。「身体冷やさないように。アンタが風邪引いたらさすがに寝覚めが悪い」そしてふわりと首の後ろから前に回ってくる。目を開けると、天音くんが私にマフラーを着けてくれていた。あぁ、この匂い天音くんの香水だと分かる。分厚く無い生地でシンプルなマフラーだけど、暖かいし肌触り良いし絶対に良いマフラーだ。マフラーを巻かれながら、前にもカーディガンを貸してくれたことを思い出す。あれ、凄い神経研ぎらせて洗濯したんだよなぁ。「はい、これで少しはあったかいでしょ」「でも天音くんが寒くなるよ。喉大事にしないと」「これくらいで痛めるようなトレーニングはしてないから」少し口調は荒いけれど、その表情は柔らかくて穏やか。「・・・ありがとう」「どういたしまして」とりあえず向こうまで行こう。そう言って歩き始めた天音くんを追いかけるようにしてついていった。広場の手すり、2人で並んで手を掛ける。まだ日の出まで少し時間がある。寒いけれど、澄んだ空気にすーっと心が軽くなっていくような気がした。「1年が経つのって、早いね」「そうだね。今年は特に早く感じた」「もう4年生になるよ。授業も殆どないし、あとは卒論だね」天音くんは「来月のテスト次第だけどね」と苦い顔をする。彼の言うテストとは、1月末、春休みに入る前に後期の試験だ。去年に比べて出席日数が足りないということはないだろうが、必須科目はさらに6割以上の点を取らないと進級が出来ない。「大丈夫だよ。先輩たちから過去問の資料貰ってくるから、どうにかなるよ」「青山が言うと、本当にそう思えるから不思議」「大学の試験の秘訣は人脈とコネだから」天音くんの後期試験を考慮して、1月末までは仕事を控えめにしているらしい。事務所としてもこれ以上
last updateLast Updated : 2025-07-11
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第63話

凍てつく空気と霞がかった空は、陽気で緩やかな空気に桜色の景色に変わる。日本の趣深い季節の流れは、ニューヨークでは感じられなかったから凄く好きになったのだ。昔よりも今の方がずっと。「ま、就活もしなきゃいけないんだけどね」そう言って乾いた笑いを漏らす。あと3ヶ月後には就活も解禁になって、きっと私もリクルートスーツを着る毎日になるんだろう。「もう内定持ってる人もいるみたいだよ。すごいよねぇ」同じ学年の人でもインターン先で内定をもらった人がいるらしい。そうじゃなくても、多くの人がエントリーシートを作成していたり面接の練習、企業研究をしている。「青山は何の仕事がしたいとかあるわけ?」「んー、それがね。特にやりたいことってなくて」何もしていないことに、焦りがないわけじゃ無い。けれど今の所卒業後何の仕事がしたいのか、どんな人になりたいのか、全然思いつくことはなかった。料理の方は?と聞かれるけれど、料理は好きだけれど仕事にしたいとは思ったことはない。趣味で十分、自分が食べたい時に食べたいものを作るので十分なのだ。「ま、なるようになるよ。天音くんは?卒業したらもうアイドル一本?」「そうだね。去年セーブしてた分、今年から忙しくなると思う」私は「また不摂生な生活に戻らないようにね」と笑みを浮かべる。思い出すのは今年の春、アイドルらしからぬ不健康フェイスで出会った日のこと。サプリメントで栄養を補えば問題ない、なんて言っていた昔が懐かしい。「卒業してもちゃんとご飯は食べるんだよ」「・・・今だに覚えてるんだよね」「何が?」「初めてアンタからもらった、焼きおにぎり」そう言われて「あぁ、サークル部屋であげたやつ」と思い出す。「驚くくらいに美味しかった。不思議なくらいに、優しい味で、お母さんの味ってこんな感じなのかなって思ったくらいに」「いつから私、天音くんのお母さんになったんだろう」おにぎりなんて大層なものじゃないのに、と薄く笑う。レシピを見て握ったら、いくつでも同じ焼きおにぎりは作れてしまうのだ。ましてや炊きたてのご飯じゃなくて、昨晩の残りもので作ったものだったはずだ。「無償の愛、的な。そんな感じ」「ただひとりの女子大生が握ったおにぎりにそんなに夢は詰まっていないと思うけどな」「俺がそう思ったんだからいいの。細かいところは後で全部聞くから、雰囲気ブチ壊すのはやめてよ
last updateLast Updated : 2025-07-11
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第64話

「それに私だって嬉しかったから。美味しいって言われたの、今でも覚えているよ。お世辞じゃないかって、何度も思ったけどね」「お世辞だったら何度もあんたにおにぎりせびらないよ」確かにそうだね、と一緒になって笑う。すると天音くんは「でも、」と再び口を開いた。「最初の頃はただ単に煩くなくて騒がしくないから、アンタと一緒にいたけど」あぁ、そんなことあったな。と、思い出すのは「煩くなくて楽」と言われた去年の春。当時の私はvoyageの存在を知っていたくらいで、曲はもちろんメンバーの名前すら知らなかったのだから。“芸能人”なんだ、くらいのスタンスで出会ったのだ。「一緒に過ごすうちに、いつまでも、今日みたいな日が続けばいいのにって考えるようになったんだよね」語るように紡ぐ、ひとつひとつの言葉。それは紛れもなく、アイドルの天音光春ではなく、ひとりの男の子天音光春からの想いだった。彼らしくもなく緊張しているのか、それとも慎重に言葉を選んでいるからなのか、その声は少し詰まっているように感じる。「仕事の大事な時期なのは十分分かってる。もちろんこれからもアイドル界を牽引するほどの大きなグループになりたい。でも、アンタの隣も、誰にも譲りたくなくなった」そして天音くんは、少し間をあけてこう告げる。「好きだよ、青山のことが」愛の告白の重みが、熱量が、覚悟が、伝わってくる。 本来真面目な性格である彼が、一過性の想いだけで告白をするような人間ではない。それにここ最近、今日のこの日のためにフラグを立てていたことも知っている。それを知って、私は今日も天音くんと一緒にいる。「少しお節介なところも、ちゃんと怒って正しさに導いてくれるところも、アイドルの天音光春を応援してくれるところも全部」「うん」「あの時の、クリスマスの時の、保留分、今言ってもいい?」私は頷いた。それを横目に見ていた天音くんは、こちらへ顔を向ける。青みがかった瞳はやっぱり綺麗だった。惹きつけられるように、吸い込まれるように、その瞳の中に私の姿が映る。「青山と・・・三鈴と、ずっと一緒にいたい」そう願った天音くんの表情は、今までに見たことがないほどに穏やかで、砂糖を溶かしたように甘くて、朝日に照らされて造形物かのように綺麗だった。次に口を開いたのは、返事を求められている私・・・ではなく天音くんの方だった。眉を下げて
last updateLast Updated : 2025-07-11
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第65話 日常に探す君の面影

───新年明けて初めての「まごころ屋」でのアルバイト。ピークの昼時を過ぎて、休憩している2人の代わりに店番をしていた私はずっと天音くんのことを考えていた。まだ告白の返事はしていない。あの後「少し時間あげるから考えといて」と言われて、数日間そのままである。確かにあの時の私は、何と言って返したらいいのか分からなかった。きっと天音くんは、私からの連絡を待っている。告白も、天音くんと付き合うことも、嫌なわけではない。確かに格好良いし、優しいし、最近特にスパダリだし、理想の彼氏像なのは間違いない。だけど、といつもそこまで考えたところで止まる。(私は、天音くんのことが好きなのだろうか)きっとそんな悩みに対して、同年代の女の子たちは「付き合ってから好きになることだってあるよ」と返すのだろう。確かにそれも大切なひとつの意見だ。否定はしない。けれど、真剣に好きだと告白してくれた天音くんと、そのような考えで付き合うのは私が嫌だ。ちゃんと真剣に考えぬいた答えを導きたかった。ふと店の前を通った金髪の男性に、ふと頭に思い浮かんできたのは夏樹くんの顔。きっと、くよくよ悩んでいる私を見たら「今すぐOKの返事しなよ」と言ってきそうだ。「ダメだ、考えすぎてハゲそう」「あらあら、どうしたの三鈴ちゃん。そんな顔して」お茶とお菓子をお盆に乗せて、可奈子さんが現れた。「お客さんいないうちに食べちゃって」と彼女は私にお盆ごと渡す。年末年始に九州に旅行に行ってきたそのお土産らしい。明太子のおせんべいとひよこの形をしたお饅頭だった。「ありがとうございます」「何に悩んでいるのか聞かないけれど、甘いものでも食べて元気になりなさいな」その優しさが身に染みる。この煎茶のように。「可奈子さん、ひとつお願いしてもいいですか」「私に出来ることならね」「おにぎりのレパートリー増やしたいんですけど、何か良い案ありませんか?」そう告げると、可奈子さんは嬉しそうに「任せて!」とエプロンの紐をきゅっと縛った。***『めはり寿司』これは紀州の熊野地方の郷土料理らしい。よくSNSで「高菜包みおにぎり」と見たことがあったが、ちゃんとした名前があったなんて知らなかった。アルバイトを終えて帰ってきた私は可奈子さんにもらったレシピメモを片手に、自宅のキッチンに立つ。材料は高菜の漬物とご飯だけというかなりシンプ
last updateLast Updated : 2025-07-11
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第66話

諸説ではソフトボールほどの大きさだったなんて話もあるが、食べやすいサイズになるようにご飯を俵型に握る。そして登場するのは漬けておいた高菜の軸の部分。予め混ぜ込んでいても良かったが、今回は包んでみる。今度は梅干しとか昆布とか、他の具材を包んでみても美味しいかもしれない。最後に高菜の葉っぱで握ったおにぎり全体を包みこめば、完成である。材料も作り方も至ってシンプル。高菜さえあればいつでも作れてしまうな、とレパートリーに追加確定。「あとは、お味噌汁と昨日のきんぴらの残りでいっか」少し早いけれど夕食にしよう。即席出汁に味噌を溶かしてネギを散らして、作り置きしていたきんぴらゴボウを冷蔵庫から取り出す。見ての通り主菜がないが、まぁ今日はこれで十分だろう。きちんと3食バランスが良いご飯を!と念押しした天音くんの顔がちらつくけれど。「いただきます」呟いた声は誰に拾われることもなく天井に吸い込まれていく。そういえば前に比べて天音くんも「いただきます」「ごちそうさま」と言うようになった気がする。また頭に思い浮かんできたのは、天音くんのことだ。頭をブンブンと振って、例のめはり寿司を一口。「うん・・・美味しい」高菜漬の塩っ気が良い感じだ。それに中の刻んだ高菜で食感があるのも良い。それに寒々しい冬には暖かい味噌汁も身に染みる。味噌の匂いでさらに食欲が増す。作り置きのきんぴらはいつもの味だけど、一度冷まして冷蔵庫に寝かしておくと味が安定してこれもまた美味しくなっている。「うん・・・」もぐもぐと口いっぱいに含んで、噛み続ける。「美味しい。美味しい・・・けど、」美味しいのに。お腹は満たされるのに。でも、何かが足りない。何かが足りていない。やっぱり主菜がないから?味付けが物足りなかった?とぐるぐる考えている今も、胸のつっかえが気になって食事に集中できない。今までこんなことなかったのになぁ。ぽつりと呟いた声は誰にも届くことはなく消えていく。「もしかして何かの病気?いや、流石にそれはないか」前まで何を考えながら食べていたっけ。”アレ食べたい。この前のベーコン入ったおにぎり”“今日もごちそうさま、美味しかった””毎日飲みたいくらいには美味いよ”頭をよぎる天音くんの表情、声、姿。数日顔を合わせていないだけなのに、すごく天音くんが懐かしい。ちゃんと顔を向き合わせてご
last updateLast Updated : 2025-07-11
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第67話

その時、携帯のメッセージアプリに通知が来た。いつもの広告だろうと、何も考えずにパスコードをタップして内容を開く。「───え?」相手は天音くんからだった。しかし、その文面は少し変なもの。「しばらくテレビ見ないで」送られてきた謎のメッセージ。意味が分からなくて、詳細を尋ねようとしたところで、テレビの方からも騒がしい声が聞こえてくる。ふと視線を向けた私は次の瞬間、ヒュッと息が詰まった。『速報!大人気アイドルvoyageの天音光春!共演者Sと深夜密会か』ガラガラと音を立てて崩れる。 何だか、今まで過ごしてきた日々が一瞬で崩れたような気がした。 既読が付いているのに返信がないことに何かを感じたのか、何度も繰り返し電話が掛かってくる。それを全て無視して、私はテレビを見つめる。目の前に映るのは、紛れもなく天音くんの姿と共演すると言っていた女優さん。映画撮影の打ち上げで関係者らと店で食事会をしていた時に、2人で抜ける様子を激写したものらしい。映画の撮影で急接近か、とアイドルのゴシップニュースに番組の出演者は盛り上がっていた。天音光春の事務所は事実を確認中、女優の方についてはプライベートは本人に任せている。そう報道され、番組は流れるように別の話題に移行して言った。呆然として、その場から動けない。きっと、天音くんはこれを見て欲しくなかったのだろう。 分かっている、分かっているのだ。この報道が天音くんに取って不本意なものだと、分かっているのだけれど。  思い浮かぶのは、さっきのツーショット。大人気の若手の女優さんで、とても綺麗な人で手足も細くてスタイル抜群。人懐っこくてとても愛嬌のありそうな人だ。「私とは全然違うな」私から見ても、2人はお似合いだった。そのゴシップが本当か否か以前に、まるで映画のワンシーンのように並んで歩くその姿が脳裏に焼き付いて離れない。気付いた時には、頬に暖かいものが流れていた。ぽつりと雫となったそれは、手の甲に落ちていく。そして今になって、初めてわかる。どうやら私は、泣いてしまうほど天音くんの好きだったらしい。 次の日。いつの間にか眠っていた私は、半分寝ぼけながは無意識に携帯の電源をつけていた。「うわ、やっば・・・」スマホのロックを解除してホーム画面を見ると、ひと目でわかるすごい量の着信回数。そのほとんどが天音くん
last updateLast Updated : 2025-07-11
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第68話

天音くんのところの事務所はまだ事実を確認中だと出ていた。しかし相手の事務所が完全な否定をしていない辺り事実ではないかと番組は盛り上がっている。「大変なことになってるなぁ」天音くんに対してショックを受けているわけじゃない。だって彼は遊びで付き合うような人ではないことを知っているからだ。天音くんを責める気もないし、お相手の女優さんを非難する気もない。ただ、なんとなく、こう恋愛ひとつでテレビに取り上げられるような芸能人と私では釣り合わないと我に返ったのだ。今になって晒された現実が受け入れ難いほど自分の中では、その事実がショックだった。天音くんの他に、思わぬところでvoyageとの関係を深めてしまったことで感覚が鈍っていたのだろう。そうだ。芸能人と知り合いになる時点で、普通じゃないと思わないといけなかった。気持ちは嬉しかったけれど、きっと天音くんには私以上にお似合いで素敵な人がいるはずだ。私と一緒にいるよりも天音くんを幸せにできる人はこの世に沢山いる。 今回のお相手を含め、これからの人生を考えると私と一線引いたほうが彼の為なのではないか。そう思うとだんだん冷静になってきた。通常運転に戻ってきたその時、電話が鳴る。「天音光春」と表示された画面。このまま無視を貫こうかと思ったが、そうした所で結局大学で顔を合わせることになる。それに知らないフリをするのも、もう無理だろう。どんな方向に話が進むのか些か不安だが、意を決して電話に出た。「はい」その声は少し震える。「っ・・・やっと、出た」「今起きたの。ごめんね」「いや、それは良いんだけど。その、」歯切れの悪そうに、どんどん声がしぼんでいく。声色からして相当今回の熱愛報道は堪えているんだろう。あの着信量ほどの熱量と打って変わって縮こまってしまった雰囲気に、不謹慎だけど口角が上がってしまう。「天音くん、すごく騒がれているね」何から説明して良いのかと言葉を選んでいる彼より、先に私は口を開くことにした。「分かってると思うけど、事実無根だから」「うん」分かってるよ。「あの日、そんな軽い気持ちで告白したんじゃない」「うん」分かってるよ。「とりあえず、ドア開けて」「・・・え?」ドア開けて?と目を丸くする。状況を察した私はもしかして、と玄関まで小走りで向かった。鍵を開けて、ドアを開けるとそこには天音く
last updateLast Updated : 2025-07-11
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第69話

「家にまで来てどうしたの?」「今から事務所で話し合いがあるから、その前にちゃんと説明しなきゃと思って」そう告げる彼は息が上がって、冬なのに若干汗ばんでいた。ここまで走ってきたのだろうかと思っていたら、エレベーターですら待たずに5階まで階段を駆け上がってきたらしい。もし私が家にいなかったら、どうするつもりだったんだろう。「・・・とりあえず、コーヒーいれてもいい?」コーヒー淹れる。天音くんの分も一緒に。部屋に上がった彼は真っ先にテレビの電源を落とし、黙ってソファに腰掛けていた。よほど今回のことで気が参っているのか、その横顔はいつもより覇気が感じられない。「はい。インスタントだから味に文句は言わないでね」「・・・あー、」早速コーヒーに口を付けた天音くんは「身に沁みる」と天井を仰ぐ。少し気分が落ち着いた彼は、ポツリとことの詳細を口にした。「店を出たところをたまたま撮られたんだと思う。他のスタッフもいたから10人くらいはいたんだけど。随分うまい角度の写真だったんだよね」話によるとマネージャーや事務所も、きっと女優さん側の売名による仕組まれたものだろうと考察しているらしい。 そりゃあプライベートの大人気アイドルとツーショットなんて世に出回ったら、何が何でも注目されるだろう。「俺も、もっと警戒心を持つべきだった」不安にさせてごめん。と、天音くんは謝罪の言葉を口にする。きっと同じ言葉をファンの子も待ち続けているだろう。早く正式な文書を出したらいいのに、と思うけれどやはり手順を踏んでいかないといけないらしい。突然襲った不安に瞳が揺らぐ彼は、今も気が気じゃないだろう。それが嘘でも事実でも、熱愛報道1つで天音くんの明日が変わってしまうのだ。それが芸能人としての宿命だと割り切れたらいいけれど、やっぱり彼だってひとりの人間だ。気くらい滅入るに決まっている。「・・・私ね、スクープされた写真を見た時思ったの」ことり、と小さく音を立ててマグカップを置く。「やっぱり天音くんは本来私のような一般人には手の届かない存在なんだなぁって」その言葉の先にある言葉を察したのか、天音くんはきゅっと眉間にしわを寄せる。弱っている彼の心の傷をさらに抉るのが私だと思うと、心が痛まずにはいられない。「だから何?付き合えないってこと?」「それに2人並んで歩いている姿見て、いいなって
last updateLast Updated : 2025-07-11
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第70話

「じゃあ今から怒るけどいい?」「え、おこ・・・?」呆れて言葉も出ない、なんて言われるのかと思っていた。シリアスな雰囲気を一蹴。私はぎょっとした目つきで天音くんを見る。私、今から怒られるの?まさかの展開に頭が処理できずにいる私に、彼は当たり前でしょと云わんばかりに眉をひそめた。「第一に、釣り合うかどうかは俺が決めることで周りが決めることじゃない。俺がアンタがいいって言ってるんだからそれ以上のことはないでしょ」確かにそうだけど。そう思ったが、口には出さない。断ることにも相当勇気がいるのだ。その後すぐにころっと絆されるわけにはいかないと黙っていた。「そして別に気後れする必要ないから。俺が見た目だけで好きになるような奴に見える?」それはちゃんと否定しようと首を横に振ろうと思ったのに、「見えないよね?」と先に念を押された。だんだん天音くんの機嫌の雲行きが怪しくなっていく。いや、最初から割と良くはないけれど。告白を断る覚悟はあったのに、怒られる覚悟は出来ていなかった私はたじろんでしまう。「三鈴が言ったんでしょ。アイドルだって、ひとりの人間なのにって」「・・・、それは」「アイドルでもひとりの人間なんだから、好きな人を選ぶ権利はあるってことでしょ」そして天音くんは苦しそうに、吐き出すように、こう告げた。「アイドルを、振る理由にしないでよ」 思わず目を見開く。鈍器で殴られたような衝撃が襲った。苦虫を噛み潰したような悲痛の表情を浮かべる天音くんから、逃げるように視線を逸らしてしまう。「ごめん」そして流れるように出たのは謝罪の言葉。私を好きだと言ってくれた彼の思いも良心も、アイドルだからって天音くんが一番聞きたくなかったであろう理由で踏みにじってしまった。覚悟を決めて告白してくれた彼に対して、私は思い悩む苦しさから簡単に逃げようとした。「それはどんな意味のごめん?付き合えないってこと?」「ちっ違う、えっと」「うん」それなのに、天音くんは優しいままだった。自分勝手に話を完結させようとした私を見放すことをせず、ちゃんと待ってくれている。「・・・好き」やっぱり、そんなの好きになるに決まっている。「うん」「って、気付いてそんなにたってないんだけど」天音くんがひとりの人間として手を伸ばしてくれているように、私もひとりの人間として手を取ってもいいのだろ
last updateLast Updated : 2025-07-11
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