「今はそれだけて十分。その言葉だけがずっと欲しかった」そう言って、天音くんは私を抱きしめたのだ。その力はとても優しかったけれど、思いの外背中に回された腕の力は強くて身動きが取れない。全身をがばりと包み込まれるような体勢に、まるで逃げるなと云わんばかりの圧も感じる。 これは暫く動くつもりはないのだろう。天音くんの顔はこちらからは見えないけれど、そう察した私は彼の気が済むまで静かにしていようと決めて身体の力を抜いた。それに、何だかんだこの温もりが離れると寂しいと思っている私もいる。 スゥーっと吸い込むと、大好きな天音くんの匂い。全身が包み込まれる彼の匂いと、暖かい体温と、心がいっぱいの愛で満たされる幸福感。あぁ、幸せだ。擦り寄るように彼の胸に顔を預けると、一層抱きしめてくれる力がぎゅっと強くなった。「ちょっと、匂い嗅がないで」「ごめんなさい」「とりあえず事務所通してコメント出さないといけないから」数分後、名残惜しそうに私の背中から腕を解いた天音くんはそう言って家から居なくなってしまった。ぬくもりが離れてひんやりとした身体に少し寂しさを覚えながら、立ち上がってベランダに出る。火照った体温が、冬の空気に充てられてどんどん冷めていく。それが気持ち良くって、しばらくベランダの淵に肘をつけていた。きっと、大丈夫だよね。これならどうなるのか些か不安が残るけれど、もうなるようにしかならない。むしろ胸のつっかえが取れて、変に吹っ切れてしまっている。「あ、天音くん」ふと下を見下ろすと、丁度マンションから出てきた天音くんの姿があった。どこに車を止めてきたんだろう。まさか地下鉄乗ってきたわけじゃあるまい、と考えていた時。「あ、」彼はその場で立ち止まって振り返った。そしてこっちを見上げた天音くんと、目が合う。もしや、私の視線が煩かっただろうか。少し遠くてどんな顔をしているかはっきりとは分からないけれど、天音くんは変装用のマスクを顎の下までずり下ろした。そして彼は口を動かす。 "好きだよ"「───、ずるい」そう微笑んで、今度こそ天音くんは前を向いて歩き始めてしまった。───その1時間後、思っていたよりも早いスピードで天音光春の女優との熱愛報道は鎮まることになる。その代わり、とある話題が再び世間を賑わせることになった。「待って、そんな話ひと言も言っ
Last Updated : 2025-07-11 Read more