「お祖父様、私、決めました。やはり留学します」電話の向こう側から、黒瀬宗厳(くろせ むねよし)の沈んだ声が聞こえた。「では、玲司(れいじ)との結婚式は……」「取りやめることにしました」白石紬(しらいし つむぎ)はきっぱりと答えた。電話の向こうで宗厳は無念そうにため息をついた。「黒瀬の家として、君には本当に済まないことをした。この数年、君の貴重な時間を縛り付けてしまった……玲司から改めて埋め合わせをさせよう」今となっては、埋め合わせなどどうでもよかった。これで、黒瀬家に対する紬の役目は終わったはずだ。一番良い終わり方は、お互いに何の貸し借りもない、白紙に戻ることだ。「いいえ、お気持ちだけで十分です」紬は言った。「このことは、まだ彼には内密にお願いします」宗厳は静かにうなずいた。かつてのように、耳が聞こえないことで卑屈になっていた紬はもういない。聴力を取り戻した彼女には、もっと明るい未来が待っているはずだ。彼女は目を閉じ、数日前の出来事を思い出していた。……数日前、紬は宗厳にこう告げていた。「私、鼓室形成術を受けようと決めました」怖くないわけではなかったが、その声には揺るぎない決意が宿っていた。医師の警告が、今も耳にこだまする。「手術が万が一失敗すれば、顔面神経に麻痺が残ったり、最悪の場合、聴力を完全に失ったりする可能性もあります。白石さん、それでも受ける覚悟はありますか?」紬が手術を決意したのは、黒瀬玲司(くろせ れいじ)が二人きりになるたび、苛立たしげに彼女の補聴器を外すからだった。そして、彼の友人たちが「まさか聴覚障害のある女性と結婚するのか」と彼をからかっているのを知ってしまったから。もし自分の耳が普通に聞こえるようになったら、玲司も喜んでくれるはず。そう信じて、彼女は大きなリスクを冒して手術に臨んだ。手術室に運ばれる直前、最後に見たスマートフォンの画面に、彼からのメッセージはなかった。とはいえ、玲司の気まぐれな態度には慣れていた。幸いにも、運命は彼女に味方した。手術を終えた紬は、玲司の帰りを心待ちにしていた。聴力を取り戻し、もう健常者と何も変わらない自分を、一刻も早く彼に伝えたかった。彼を驚かせようと、紬はあえて補聴器をつけたまま、彼が自分の手で外し
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