雨に霞む春、陽射しに咲く夏 のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 22

22 チャプター

第21話

その結論は、翼から冷静さを奪った。彼は頭の中で必死に心当たりを探るが、紬が誰かに恨みを買うような状況は思い当たらなかった。玲司も自らのコネを総動員して捜索したが、例の黒い車が南郊の高架橋で姿を消して以降、その足取りは完全に途絶えていた。翼はノートパソコンを取り出し、追跡プログラムを起動した。それを見た玲司が、嘲るように言った。「まだ彼女に追跡装置をつけているのか?それが君の言う、彼女に選択の自由を与えるということか?」「君は知らないだろうが、紬はひどい方向音痴でね。以前二人で海外旅行した時、東西南北の区別もつかなくて大変だったんだ。道に迷わないための、ただの保険だよ。それに、この機能は紬自身が許可しない限り、作動すらしない」しかし、パソコンを開いても、追跡装置は沈黙を続けたままだった。翼の脳裏に一つの可能性が閃き、彼は口を開いた。「紬に恨みを持つような人間はいない。心当たりがあるとしたら…君の周りの人間じゃないか?」玲司は眉をひそめた。まさか、睦か?彼は慌てて秘書に電話をかけた。「すぐに調べてくれ。橘睦がここ数日、まだ海外にいるかどうかを!」時間だけが、刻一刻と過ぎていく。二人の男はもうじっと座ってなどいられず、焦燥に駆られていた。突然、パソコンの画面に緑色の点が点滅するのを、翼は見逃さなかった。「彼女が、位置情報をオンにした!」二人は、同時に叫んだ。「行くぞ!」冷静さを取り戻した二人は、一人が車を運転し、もう一人が位置情報を追うという見事な連携で、緑色の点が示す場所の特定を急いだ。翼は衛星測位システムを駆使し、正確な位置を割り出した。「ここだ!この座標に、廃ビルがある!」玲司はアクセルを床まで踏み込み、ハイウェイを疾走した。目的地に到着しようという時、秘書から電話が入った。「橘様はここ数日、海外でのカード利用履歴がございましたが、数日前に彼女のパスポートが青葉空港で使用された記録が確認されました。恐らく、利用履歴は偽装工作で、ご本人はすでに青葉市に入国しているものと思われます」「……分かった。位置情報を送る。すぐに警察を呼んでくれ!」翼は、玲司を鋭く睨みつけた。だが、今は責め合っている場合ではない。上で何が起きているか分からない以上、一人でも多い方がいい。
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第22話

睦は、玲司が屋上から転落していくのを見て、恐怖に引きつった悲鳴を上げた。紬と翼は、急いで階下へと駆け下りる。夥しい血の海の中、玲司は途切れ途切れの息の下で、かろうじて言葉を紡いだ。「俺は……すまなかった。これで、罪を償えたと、思ってくれ……」その時、ようやく遠くから、けたたましいサイレンの音が響いてきた。集中治療室(ICU)の外で。紬は虚ろな目で、ただ一点を見つめていた。医師が彼女に全身検査を勧めても、何の反応も示さない。翼がいくら説得しても、彼女は自らの傷の手当てさえ拒み続けた。見かねた彼が、半ば強引に処置をするほかなかった。紬は体力の限界で、翼の胸に寄りかかりながら、ただひたすら、玲司の無事を祈り続けた。翼は、その背中をさすりながら、繰り返した。「大丈夫だ。きっと、大丈夫だから……」やがて、治療を終えた医師が中から現れ、その結果を告げた。玲司は一命を取り留めたものの、下半身は二度と動かないだろう、と。紬が病室に入った時、玲司はまだ意識を取り戻しておらず、体は無数の管に繋がれていた。彼の布団をかけ直そうとした時、紬は、その手首に刻まれた無数のリストカットの痕に気づいた。それは、彼女が今まで一度も見たことのない、痛々しい傷跡だった。その時になって初めて、彼女は知ったのだ。自分が彼のもとを去った後の数年間が、彼にどれほどの苦痛を与えていたのかを。紬は、眠る玲司に語りかけた。「玲司、あなたはもう、私に何も償う必要はないわ。だから、早く良くなって」「だから、もう全部許すから。あなたとのこと、良かったことも、辛かったことも、全部……」紬自身の検査結果は、いくつかの打撲と擦り傷、そして精神的なショックを除けば、幸いにも大事には至らなかった。あの日以来、翼は紬から一歩も離れず、彼女の心身を気遣い続けた。玲司がこうなったのは、自分を救うためだ。その負い目から、紬は仕事を中断し、できる限り自らの手で玲司の看病にあたった。翼は、そんな彼女の選択を、ただ黙ってそばで支えていた。睦が逮捕された後、裁判が始まる前に、父の宗一郎は何度も紬を訪ね、示談を求めてきた。黒瀬グループの自社株を譲渡するという破格の条件さえ提示したが、紬はすべて拒絶した。彼女は聖人ではない。自らの命を奪おうとした人間を、赦せるほ
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