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第5話

作者: あれんちゃん
玲司よりも、見知らぬ他人の方がよほど優しい。

たった今知り合ったばかりの翼が手を差し伸べ、自分の上着を紬の肩にかけ、病院へ連れて行こうとしてくれたのだ。

翼は車をかなりの速度で走らせながらも、その運転は紬を気遣うように穏やかだった。

「もう少しの辛抱ですよ、すぐに着きますから」

紬は車の隅で震え、高価な内装を血で汚すまいと必死に身を縮こませた。

その気遣いを見透かしたように、翼は冗談めかして言った。

「白石さん、どうやらあのピンクダイヤモンドは、持ち主に災いをもたらす呪いでもかかっていたようですね。僕が買わなくて正解でしたか」

思わず笑みがこぼれ、紬は心からの礼を言った。

病院に着いても、紬は「一人で大丈夫です」と言い張った。

翼もそれ以上は強く出られず、心配そうに彼女を見送った。

病院の入り口に立ち、吹きつける冷たい風に、紬は身震いした。

彼女にとって病院は、トラウマが蘇る場所だった。かつて交通事故で血まみれになった両親が、ここで息を引き取ったのだ。

幼い彼女は床にひざまずき、何度も、何度も、神に両親の無事を祈った。

だが、その声は届かず、待っていたのは氷のように冷たくなった亡骸だけだった。

それ以来、どんな大病を患っても、彼女は二度と病院に足を踏み入れなかった。

前回、その禁忌を破って手術を受けたのは、すべて玲司のためだった。自分の耳のせいで、彼がこれ以上笑いものにされることに耐えられなかったからだ。

まさかこんなに早く、再びここを訪れることになるとは。紬は恐怖を押し殺し、一歩、また一歩と、重い足を進めた。

医師は眉をひそめながら膝のガラス片を抜き取り、傷が深く感染症の恐れがあるため、抗生物質の点滴を受けるよう勧めた。

一刻も早く立ち去りたかったが、医師の強い勧めに逆らうことはできなかった。

病室のベッドの上で、紬の顔色は土気色をしていた。丸一日何も口にしていない体は衰弱し、この騒動で熱まで帯び始めていた。

点滴を受けていると、親友の萌からSNSのリンクが届く。ネットニュースの見出しが、目に飛び込んできた。

【緊急速報 黒瀬グループ御曹司、謎の婚約者の正体は「あの令嬢」だった!】

記事には、玲司が睦を抱きかかえて人混みから現れる写真が添えられ、その心配そうな表情が二人のただならぬ関係を物語っていた。

とどめに、黒瀬グループの公式アカウントが、その記事に「いいね!」を付けていた。

このあからさまな愛情表現に、コメント欄は「美男美女でお似合い!」「結婚おめでとう!」など、二人を祝福する声で溢れかえっていた。

玲司の指示がなければ、公式アカウントがこのような行動を取るはずがない。

しばらく呆然としていたが、ようやく萌への返信をしようと思い至る。

だが、手の震えが止まらない。片手で文字を打とうとした拍子に、スマートフォンが床に滑り落ちた。点滴の針が抜けるのを恐れ、紬は慎重に身をかがめてそれを拾い上げる。

顔を上げた、その時だった。入り口から、聞き慣れた声がした。

「とりあえずこの狭い病室で我慢してくれ。すぐに個室が空くよう手配してあるから」

「そんなに気を使わなくてもいいのに」

続いて、見覚えのある二つの影が病室に入ってきた。

玲司が、まるで壊れ物を扱うかのように、細心の注意を払って睦を支えている。

睦は彼の肩に寄りかかり、玲司は愛おしげに彼女の頬を撫でた。

三人の視線が交錯し、気まずそうに目を逸らしたのは玲司だった。

「紬も……ここにいたのか?」

胸に、焼け付くような苦いものがこみ上げる。彼の婚約者は自分のはずなのに、今の自分は、まるで二人の仲を引き裂こうとする悪役のようだった。

「睦の怪我がひどいんで、仕方なくここに連れてきたんだ」

その言い訳を聞いた瞬間、紬の心にあったわだかまりが、ふっと消えた。微笑みさえ浮かんでくる。

なんという皮肉な偶然だろう。

紬は返事をせず、残りわずかとなった点滴の袋を見つめ、目を閉じて眠るふりをした。

すると睦が近づき、紬の手を取った。

「紬ちゃん、怒らないでくれる……?

私がわがままを言って、玲司に付いてきてもらったの……」

紬がその手を振り払った瞬間、睦は待ってましたとばかりに大げさにバランスを崩し、自ら床に崩れ落ちた。

そばにいた玲司が、即座に声を荒らげた。

「紬!いい加減にしろ!彼女は腕の骨にヒビでも入ったらどうするんだ!少しは思いやりというものがないのか!」

その怒声に、通りすがりの人々も何事かと振り返る。

玲司も自分の失態に気づいたのか、口ごもったが、謝罪の言葉はなかった。

彼は睦をベッドに抱き上げると、枕を快適な位置に直しながら、一般病室の環境の悪さに不満を漏らした。

紬はもう、この茶番に付き合う気力もなかった。自ら点滴の針を引き抜く。

そして、一言も発せずに部屋を出ると、玲司が追いかけてきた。

「お前は、大丈夫なのか」

紬は取り合わず、冷たく言い放った。

「もう処置は済んだわ」

玲司が何か言いたげに口ごもるのを見て、まだ用があるのだと悟った。

「……薬膳スープを作って持ってきてくれ。睦がかなり衰弱している。できるだけ早く頼む。病院で待っているから」

深夜の冷気が肌を刺しても、もはや寒さすら感じない。全身が麻痺していた。

薬膳スープ?睦のあの程度の傷で?

彼女の傷が実際どの程度か、紬は誰よりもよく知っていた。

「……玲司。あなたに、人の心は無いの?」

紬の反抗的な態度に、玲司の怒りが頂点に達した。

「睦が離婚したばかりで、精神的に不安定なのは知っているだろう。

友人として気かけているだけだ。お前こそ、いい加減にしろ!

今日倒れた一件だって、元はと言えばお前がわざとやったことだろう。俺はそれを黙って見過ごしてやったのに、一体何が不満なんだ!」

「私が、不満?」

どちらが真実かは、防犯カメラを見れば一目瞭然のはず。なのに、彼は睦の言葉だけを信じるのだ。

身に覚えのない非難に、紬は胸が押し潰され、息もできない。

処置したはずの膝の傷から、再びじわじわと血が滲み、スカートを赤黒く染めていく。だが、玲司は気づかない。

彼は通りかかった看護師を捕まえ、睦のために一刻も早く個室を用意しろと病院に催促するのに夢中だった。

その時、紬の中で、張り詰めていた最後の糸が、ぷつりと音を立てて切れてしまった。

すべての悔しさも、やるせなさも、この瞬間、霧のように消え去っていった。

紬はただ、この茶番を一刻も早く終わらせたいと、それだけを願った。
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