Todos los capítulos de 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった: Capítulo 661 - Capítulo 670

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第661話

「……んっ」女の口から、くぐもった呻き声が漏れた。男は翡翠の瞳を伏せ、腕の中に抱いた女へ視線を落とした。女はゆっくりと瞼を開く。幼子のように澄んだ瞳は困惑に満ち、状況が呑み込めていないようだった。佳乃は、何が起きているのかまったく理解できなかった。なぜ突然意識を失ったのか。目を覚ました途端、息を呑むほどの美貌に圧倒され、自分が見知らぬ男の腕に抱かれていると気づくまでに、しばし時間を要した。いや、まったくの見知らぬ相手ではない。つい先ほど、一度顔を合わせているのだから。だが、いったい何が起きているというのか。頭の中はまだひどく混乱し、割れるように痛んでいた。「あなた……んっ……」佳乃は起き上がろうと身じろぎした。だが、動こうとした瞬間、後頭部を鈍器で殴られたような、あるいは無数の針で刺されたような激痛が走る。そのあまりの痛みに、額にはじわりと冷や汗が滲んだ。次の瞬間、ドクドクと脈打つこめかみを冷たい指先がそっと覆い、優しく揉みほぐした。男が顔を近づけると同時に、むせ返るほど濃厚な薔薇の香りが漂ってくる。その香りはあまりに濃密で、そして芳醇だった。不思議なことに、その香りを胸いっぱいに吸い込むと、頭を突き刺すような鋭い痛みがすっと和らいでいく。佳乃は深く息を吐き出し、力なく指を男の胸元に置いた。抗う気力もなく、そのまま相手に体を預けてしまう。……いい香り。「まだ痛むか?」耳元で、男の低い声がした。佳乃は首を横に振った。だが、首を振ろうとしたところで、不意に我に返った。「あなたは誰?私はどうしてここにいるの?雅臣は?」慌てて男の腕から逃れようと身をよじる。焦っていた彼女は、「雅臣」と口にした瞬間、自分を抱き寄せる男の翡翠の瞳が、ふっと暗く沈んだことには気づかなかった。当然ながら、逃げ出せるはずもない。細い腰をきつく抱きすくめられ、男の厚い胸板に力ずくで押しつけられる。あまりに濃密な香りに当てられ、視界が一瞬ぐらりと揺れた。「俺の天使よ、俺を忘れたのか?」――天使?香りのせいで思考が霞んでいた佳乃は、しばしの間を置いて、ようやく本能のままに声を絞り出した。「わ、私……あなたなんて知らない……雅臣、雅臣……んっ」その言葉を最後まで紡ぐ前に、強引に唇を塞がれていた。至近距離に迫った男
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第662話

「まだ見つからないの?」モニタールームで、小夜は必死に平静を保ちながら、目の前で次々と切り替わる監視映像を凝視していた。動く画面を長時間見続けていたため、その目は充血し、キーボードに置かれた指先も小刻みに震えていた。相手が周到に準備していた可能性を疑い、彼女は数日前までさかのぼって、リゾート施設全体の監視映像を洗い直していたのだ。それでも、何も見つからなかった。焦りを募らせた小夜は、隣で同じように画面を見つめている青山へ無意識に視線を向けた。青山は彼女の視線の意味を察し、静かに首を横に振った。「改ざんされた形跡はない」つまり、監視映像には一切手が加えられていないということだった。では、コルシオの手の者はどうやって侵入したというのか。「神崎、この数日間の車の出入り記録を調べてくれ」青山は突然パソコンを引き寄せ、監視映像の再生位置を巻き戻した。先に目をつけていたいくつかの場面を切り出し、リゾート施設所有の送迎車十数台と、普段使われている各種の業務用車両に印をつける。そして、客の送り出しを終えたばかりの神崎執事へ、その画像を即座に送信した。小夜もハッとした。先ほどは焦るあまり、外部からの強行突破か隠密な侵入ばかりを疑っていた。だが今日、このリゾート施設にはゲストだけでなく、内部スタッフや施設に出入りする業者の車両も数多く存在する。外部から侵入しなくとも、内部のスタッフや業者のなかに手の者が紛れ込んでいる可能性は十分にあるのだ。内部こそが、最も見落としやすい盲点だった。小夜の顔から、さっと血の気が引いた。婚約披露の会場をここにすると公表したのは、たった三日前のことだ。相手が本気で計画していたなら、この数日のうちに潜伏する時間は十分にあったはずだ。――くそっ、これじゃあ私がコルシオをここへ引き寄せたようなものじゃない!確かに、コルシオを早く国内へおびき出したかった。だが、こんな事態を引き起こすつもりなど、毛頭なかった!「自分を責めるな」青山は画面から目を離さないまま、空いた方の手で彼女の手をそっと握り、トントンと軽く叩いた。落ち着いた声で続けた。「長谷川家がここまで常軌を逸した真似をするとは、誰にも予想できなかった。そもそも、こちらは彼らを招いてすらいないんだから」もはや、これを計略と呼ぶこと
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第663話

そうなれば、すべてが終わりだ。「必ずしも最悪の事態とは限らない」と、青山が口を開いた。彼は長谷川家とコルシオの因縁には、完全な部外者だった。小夜が関わっていなければ、この件には一切関与せず、ただ傍観していただろう。だからこそ、今も冷静に分析できるのだ。「佳乃さんが彼を覚えていないのは、むしろ好都合だ。かえって感情のぶつかり合いを和らげてくれる。少しでも早く彼女を救い出せば、大事には至らない」小夜は苦笑した。――自分だって、見つけたくないわけじゃない。その時、神崎執事と一緒に車両を調べに行っていた奈々が、勢いよく扉を開けて飛び込んできた。「社長、分かりました!最近の走行経路がおかしい車が一台あります。今日もこのリゾート施設を出たきり、まだ戻っていません……」奈々はパソコンに一つの監視映像を映し出した。「この方角へ向かっています」小夜は慌てて画面を覗き込み、一瞬で顔色を変えた。「ここから先へ進むと……赤嶺?」青山も眉をひそめた。あそこの山道は尋常ではない。急なカーブと狭い道が延々と続く険しい山道で、操作を一つ誤れば、そのまま反対側の崖下へ転落しかねない。まさに、生死の境目だ。もしコルシオが本当にこの道を逃走に使ったのなら……厄介なことになる。追跡すればどちらも止まることができず、双方に命の危険が及ぶ。追うべきか、追わざるべきか。……曲がりくねった山道の上。黒い車が、片側を山肌、反対側を崖に挟まれた霧の立ち込める山腹を、一定の速度で静かに走っていた。ゆっくりと走っていたためだ。極端に険しいカーブを抜けても、車内の者には揺れがほとんど伝わらない。車内には、むせ返るような花の香りが満ちていた。佳乃には、険しい山道を走る車に乗っているという実感がまるでなかった。花の香りに侵食された脳は完全に鈍りきり、車がどれほど速く走ろうと、どれほど激しく揺れようと、反応すらできない状態だった。頭がひどく痛かった。息も詰まるような激痛の中、佳乃は男の腕に横向きに身を預け、荒い息をつきながら、男の体から濃く漂う薔薇の香りを貪るように吸い込んでいた。すると、張り詰めた神経を優しく撫でられたかのように、鋭い痛みが溶けていく。その心地よさに、魂まで震えるようだった。荒い息が、次第に落ち着いていく。ようやく息
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第664話

ゆっくりと、指が唇の中へと滑り込んでいく。薄い手袋越しに、湿った温もりと柔らかな感触が伝わってきた。エメラルドの瞳を細め、コルシオは低く掠れた声で命じた。「愛しい人よ、噛んでみろ」佳乃はまだ完全に意識を取り戻していなかった。だが、体の奥底に長く深く隠れ、骨の髄まで刻み込まれていた本能のせいか。あるいは、男が放つ抗いがたい芳香のせいか。彼女は無意識のうちにその声に従い、男の指に噛みついた。「完全に忘れたわけではなさそうだな。いい子だ」男は低く笑い、指を軽く引き抜いた。手袋がするりと脱げ落ちる。妖しいほど整った顔よりもなお青白い肌に、微かに青筋が浮かび、汗ばんでいた。そこには、極限の力強さと色気があった。その白く長い指が、熱に浮かされて頬を赤らめた女の顔をなぞり、ゆっくりと下へ滑り降りていく。ドレスの裾が、静かにたくし上げられた。太ももに冷たい空気が触れた瞬間、強烈な香りに眩暈を起こし、言いようのない本能に引きずられていた佳乃は、ついにハッと我に返った。――私は今、何をしたの?彼は何をしているの!「何をするの!」反射的に足を蹴り上げようとした瞬間、氷のように冷たい手に力ずくで押さえつけられ、佳乃はびくりと震え上がった。その強烈な刺激でようやく完全に目が覚め、まだ朦朧とする頭のまま、怒鳴りつけた。「私に何をしたの!?」おかしい。絶対におかしい!足の自由を奪われ、上半身だけを拒むように後ろへ反らした。あまりにも美しく、それでいて不気味なこの男を見つめるうちに、佳乃の目には遅ればせながら明らかな恐怖が浮かんだ。「あなたは一体誰なの!」「俺のそばから離れるなと言っただろう」コルシオの顔から、先ほどまでの甘い熱情が消え失せた。冷酷な無表情に戻り、彼は佳乃のドレスの紐を掴んで一気に引き寄せる。佳乃の体は男の硬い胸板に激突し、その冷たい手が容赦なく彼女の足をきつく拘束した。佳乃は必死にもがきながらも、状況がまったく呑み込めなかった。「放して!本当にあなたのことなんて知らない。人違いじゃないの……触らないで!」脚に触れた手の冷たさに、佳乃の声は恐怖で裏返った。時折頭を突き抜ける激痛さえ忘れ、半泣きで訴える。「わ、私には婚約者がいるの。やめて!」動く唇に、いきなり強く噛みつかれた。佳乃は慌てて
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第665話

イタリア語?首を締め上げられ、苦痛と窒息に身をよじる中で、佳乃の意識はますます遠のき、激しい眩暈が襲ってきた。しかし、薄れゆく思考の片隅に、ふと奇妙な疑問がよぎった。――イタリア語?なぜ、私に聞き取れるの?私が……?そうだ、お爺様に教わったのだ。でも、まだ身につけてはいなかったはず。記憶が少女時代で止まっている佳乃には、いつ自分がイタリア語を習得したのか、まったく思い出せなかった。それなのに、耳に飛び込んできた瞬間、何の壁もなくその意味を理解していた。深く考えている余裕はなかった。それでも、会話の内容ははっきりと分かった。誰かが追ってきている。助けに来てくれたの?雅臣?目の前が何度も真っ暗になり、視界がぼやけていく。無数の白い光の点が、視界いっぱいに揺らめいていた。――間に合わない。私、ここで死ぬの?朦朧とする視界の先を、突然、ひとつの人影が横切った。少年時代の雅臣だった。彼は顔を上げ、佳乃に向かって微笑んでいた。「佳乃、怖がらなくていいよ。僕がずっと、ずっと君を守る。一生ね。だから、絶対に僕の手を離さないで。僕のそばを離れないで」――雅臣。ぼんやりと、一筋の涙がこぼれ落ちた。それが、手袋を外したコルシオの剥き出しの手の甲に落ちた。その熱さに手がわずかに震え、何かに呼び覚まされたかのように、男はハッと我に返った。首を絞める力が抜け、腕から崩れ落ちそうになった女を、慌てて抱き留める。彼は低く荒い息を吐き出し、エメラルドの瞳を微かに揺らした。――俺は今……危うく、感情の暴走を抑えきれなくなるところだった。「旦那様?」運転席の男が、返事のない後部座席を案じたのか、主の機嫌を損ねる危険も顧みず仕切りガラスを下ろした。金髪碧眼の男だった。彼は振り返り、イタリア語で叫んだ。「旦那様、追手が来ました」長谷川家の追手だ。「……加速して振り切れ」コルシオは短く息を吐き、淡々と命じた。「はい」ジェリーは短く応じた。それまで一定だった車の速度が突然跳ね上がり、前方のヘアピンカーブへと突っ込んでいく。後方から迫る数台の車など歯牙にもかけず、車体を斜めに滑らせながら急加速した。後部座席でコルシオの腕の中にうずくまり、首の圧迫から解放されて激しく咳き込んでいた佳乃は、強烈な遠
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第666話

彼女にとって、それは抗いがたい魅力を放つ香りだ。無意識にその香りを深く吸い込むと、頭上から男の低い笑い声が響いた。佳乃はハッと息を止め、身動きすらできなくなる。男の声が、頭上から降ってきた。「気に入ってくれてよかった。君がこの香りを好きだと知っていたから、君のためだけに特別に調合したんだ」――どういうこと?佳乃が何かを口にするより早く、男は言葉を続けた。「それに、特別な薔薇も育ててある。君が見に来てくれるのを待っている」――特別な薔薇。その言葉に、佳乃はさっと血の気を失った。すっかり忘れていた。自分があの場所まで足を踏み入れてしまったのは、そもそも小夜が以前贈ってくれた香水をひどく気に入ったからだ。自分でも調香を試みたが、一番大切な主原料が手に入らず、失敗に終わっていた。その材料こそ、あの調香師の恩師が特別に研究して生み出したという、あの特殊な品種の薔薇だったのだ。それなら……佳乃は男の暗紅色のシャツを掴む手に、じわじわと力を込めた。上質な布地に、深いしわが寄る。彼女は、ある恐ろしい可能性に気づいた。頭上から聞こえる男の声と、言葉を紡ぐたびに響くその胸の鼓動が、残酷なほど鮮明に耳へ届いた。「気に入ったか?これは君のためだけに手間をかけて調合した香水だ。俺にここまでのことをさせたのは、君が初めてだぞ」まるで、それが光栄なことだとでも言わんばかりに。しかし、佳乃の顔色は青ざめ、もう返事をする気力さえ残っていなかった。男の胸にうずくまったまま、固く口を閉ざした。――小夜ちゃん。その時、車体が激しく揺さぶられた。運転席から、再び金髪の男の冷静な声が飛んできた。「旦那様、前方にも追手が来ました」「そうか」ジェリーの報告を待つまでもなく、コルシオ自身も窓越しに気づいていた。この先のカーブを曲がったところで、一台の黒い車が突然飛び出してきたのだ。狭い山道を塞ぐように、猛烈な速度でこちらへ突っ込んでくる。衝突は時間の問題だった。背後からも、何台もの車が迫っていた。明らかに、退路を断つための計画的な挟み撃ちだった。強硬手段に出てでも、こちらを止めるつもりらしかった。「俺を捕まえるために、随分と大盤振る舞いしてくれるじゃないか」コルシオは腕の中の女を抱いたまま、鮮血のように赤い唇を弧の字に吊
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第667話

佳乃はコルシオの腕にきつく抱きすくめられていたため、すれ違いざまの衝撃を直接受けることはなかった。二台の車がすれ違うその瞬間、コルシオは突然、片手で彼女の後頭部を強く押さえ込み、無理やり顔を上げさせてその唇を奪った。唇をこじ開けられ、強引に舌が侵入してくる。彼女は目を大きく見開いた。視界の端で、すれ違った車の運転席にいた彰と、ほんの一瞬目が合った。彰はわずかに眉をひそめていた。――雅臣はあの車に乗っていなかった。雅臣に見られなくてよかった。だが、すぐに胸が締めつけられるような思いが込み上げてきた。――どうして、彼は来てくれなかったの?だが、それ以上考える余裕はなかった。舌先を強く噛まれ、佳乃はビクッと我に返った。しかし、逃げる暇すら与えられず、再び深くねっとりとした口づけへと引きずり込まれた。コルシオは彼女が腕の中でぐったりと力を失うまで口づけを続け、かすかに息を弾ませながら胸を上下させ、「チッ」と不満げに舌打ちをした。「あの腑抜けは、乗っていなかったか」惜しいことをした。雅臣が怒りに顔を歪め、自分の女が奪われるのを何もできずに見ているしかない、あの絶望の表情を拝める機会を逃したのだ。さぞ見ものだったろうに……――やはり腑抜けはどこまでいっても腑抜けだ。あそこで心を鬼にして彰をそのまま突っ込ませていれば、俺を止められたかもしれないのに。結局、あいつは心を鬼にしきれなかったのだ。コルシオは低く笑った。今回は俺の勝ちだ。車は突然大きくカーブを切り、山を下る道へ突っ込んでいった。極端に速度を落とさないまま、いくつかのカーブを抜けたところで、車内に突然、通信の呼び出し音が鳴り響いた。運転席の金髪の男がそれに出る。少しの間耳を傾けていたジェリーは、わずかに顔を傾け、前方を見たまま、一切変わらぬ冷静な口調で報告した。「旦那様、仲間から連絡が入りました。山の下にバリケードが設置されています……どうやら特務機関まで動いているようです」コルシオは眉間にわずかにしわを寄せた。先ほどまで浮かべていた余裕の笑みが、たちまち消え失せる。――特務機関か。こんなに早く、特務機関と直接事を構えるつもりはなかった……それにしても、随分と念入りに準備したものだ。特務機関まで動かして、俺を永遠にここに留めるつもりか。そんなこ
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第668話

「ば、爆発した……!?」猛烈なスピードで山道を駆ける車の助手席で、奈々は開け放たれた窓の縁に身を乗り出していた。激しい山風に髪を後ろへなびかせながら、遥か眼下の谷底で燃え上がる巨大な火柱を眺め、ただ呆然とするしかなかった。彼女はまだ、目の前の事態を飲み込めていなかった。不審な車の走行経路を突き止めた後、彼女は小夜と青山と共に車へ飛び乗り、全速力でその後を追いかけてきたのだ。そして、山の中腹で、数台の車が追いつ追われつのカーチェイスを繰り広げる光景を目の当たりにした直後、そのうちの一台が突然、山道から斜めに飛び出した。車は険しい崖に沿って猛スピードで下へ突っ込み、ほどなくして激しく横転するのを、彼女はただ息を呑んで見ているしかなかった。凄まじい爆発音が山中に轟き、その震動で緩んだ岩肌が次々と崩れ落ちていく。炎が激しく燃え上がり、赤く染まった夕焼けの空を、さらに毒々しい赤へと染め上げていく。まるで、血のように。燃え盛る炎が、彼女の瞳の中で揺らめいていた。海外に数年留学し、珠季から特別な訓練を受け、この一年は実務で小夜と共に世界中を飛び回ってきた奈々は、修羅場を見たことがないわけではない。だが、これほど間近で車の爆発を目の当たりにし、その熱波が顔に押し寄せるのを感じたのは初めてだった。火柱の強烈な照り返しで顔は真っ赤に染まり、高速で回転するタイヤの真下では、地面がかすかに震えている。彼女は、ある錯覚に陥った。――一歩間違えば、自分たちの車も爆発の震動に巻き込まれ、反対側の崖下へ滑り落ちてしまうのではないか、と。窓枠に置いた手がかすかに震え、心臓が口から飛び出しそうだった。これ以上近づくのは危険すぎる。小夜に危険を知らせようと慌てて振り返った瞬間、奈々は言葉を失った。後部座席の小夜は、最初こそ驚愕していたものの、今ではすっかり落ち着き払っている。瞳に深い焦りの色は浮かんでいるものの、パニックや恐怖は見られない。運転席の青山に至っては、ハンドルを握る手が恐ろしいほど安定しており、遠くで起きた爆発などまったく意に介していないかのようだった。車は一定の速度を保ったまま、現場へと前進を続けている。いや、むしろ加速していないか!?――一体、どれだけ肝が据わっているんだ!パニック状態の奈々は、一瞬自分がどう
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第669話

幸いにも、青山の身分は特殊だった。彼が一本の電話を入れるだけで、すぐに足止めは解かれたものの、封鎖区域への立ち入りは許されなかった。やがて、知らせを聞いた彰が封鎖区域の中から駆けつけてきて、ようやく小夜は中で何が起きたのかをおおまかに把握した。彼女が知りたいのは、佳乃が無事かどうかだけだった。佳乃が爆発に巻き込まれてはおらず、ただ意識が戻らないまま病院へ搬送されたと聞くと、小夜はすぐにその場を離れ、コルシオのことには一言も触れなかった。特務機関の姿を目にした瞬間から。彼女は悟っていたのだ。この件は、自分が想像していたほど単純なものではない。だからこそ小夜は、この場で余計な詮索をしないのが賢明だと判断した。……同じく、私服姿の人員があちこちに配置され、密かに厳戒態勢が敷かれている病院。病室から離れた廊下の突き当たり、熱気のこもった非常階段で、雅臣は数段下に立つ黒い帽子とマスク姿の男を見下ろしていた。その声には、抑えきれない怒りが滲み出ている。「お前の計画を信じた結果がこれか。結局、あいつは捕まえられたのか?お前の母親まで危険に晒して……」「父さん」男は顔を上げ、帽子のつばの下から、妖艶な切れ長の目を覗かせた。その目には、暗く沈んだ光が宿っていた。「俺の計画に問題はない。それより、あんたが山の警備に当たらせていた連中が、本当に信頼できるのか考えたほうがいい」雅臣は顔をしかめた。「どういう意味だ」「言葉通りの意味だ」男はマスクを少しずらした。声はくぐもっている。「父さんが内部で暗躍している裏切り者を片づけるまで、桐生以外の家の人間はもう使わない」雅臣は黙り込んだ。数秒後、ようやく口を開く。「山の捜索班からさっき報告があった。爆発現場の残骸を調べたが、遺体は見つからず、爆発で痕跡もほとんど残っていないそうだ……」それ以上、雅臣は言葉を続けなかった。だが、二人とも痛いほど分かっていた。コルシオは逃げた。そしてまた、彼らの視界から完全に姿を消したのだ。「次に現れる時は、さらに用心深くなっているだろうな」雅臣は深く眉をひそめた。階段下の男は帽子のつばを押し下げ、その切れ長の目を隠した。声はくぐもっていたが、そこに焦りは微塵もなかった。「ああ、問題ない。まだ最悪の事態にはなっていない。家
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第670話

だが、いくら心が少女のままだとしても、ここまで呑気でいられるものだろうか?それとも……記憶が抜け落ちてしまったのだろうか?何しろ、今の佳乃は記憶が不安定なのだから。しかし、佳乃はすぐにその考えを吹き飛ばした。皿の菓子をかじって頬を膨らませ、憤慨したように言い放った。「とんでもない変態に遭ったのよ。私の首を絞めながら噛みついてきたの。本当にひどい変態!ほら、首が青痣だらけよ」そう言いながら、彼女は首を隠していたハイネックの襟をグッと押し下げ、首をぐるりと一周する痛々しい青紫色の痣を露出させた。目を背けたくなるような光景だった。小夜は胸が締め付けられ、身を乗り出して襟元を広げ、その傷跡をよく観察した。赤く腫れた歯型がいくつも生々しく残っているのを見て、息が詰まる。コルシオへの憎しみがさらに激しく燃え上がった。だが、その傷跡の上にきちんと軟膏が塗られているのを見て、ようやく少しだけ息をついた。それでも安心しきれず、尋ねる。「他のところは?まだ痛むところはない?」「……うーん」佳乃は首をかしげて考え込んだ。「もうないわ」次の瞬間、佳乃はハッとして眉を寄せた。「そうだ、小夜ちゃん。あなたの婚約披露パーティーは……」自分が途中で連れ去られ、あれほどの大騒ぎになったせいで、親しい友人の一生に一度の大切な日を台無しにしてしまったのではないかと、佳乃はひどく心配していた。彼女は、過去の出来事の多くを覚えていない。だが、小夜とはとても仲がよかったことだけは、はっきりと覚えているのだ。小夜を悲しませたくはなかった。小夜は喉の奥が熱く詰まった。たまらず佳乃をきつく抱きしめ、その首筋に顔を埋めると、くぐもった声で囁いた。「馬鹿ね。大馬鹿!」どうしてこんなに愚かで、優しい人がいるのだろう。自分のことだけをもっと心配すればいいのに。「小夜ちゃん?」佳乃は不思議そうに首をかしげ、慰めるように小夜の頬へ自分の頬を軽くすり寄せた。「婚約披露パーティーは、無事に終わったわ」小夜は涙声のまま低く答え、首筋から顔を上げようとした。その時、佳乃の肌から立ち上る、どこか馴染みのある特別な香りを感じ取り、思わず顔を近づけて鼻を寄せた。小夜の鼻息が首筋にかかる。佳乃はくすぐったさに耐えきれず、くすくすと笑いながら小夜の肩
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