All Chapters of 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった: Chapter 641 - Chapter 644

644 Chapters

第641話

「どうだった?」書斎で仕事をしていた小夜は、外の物音を聞きつけると、慌てて扉を開けて問いかけた。だが、その声に応えるよりも早く、樹が胸へ飛び込んでくる。「ママ、青山おじちゃんが僕に意地悪した!ママにも会わせてくれなかったんだ!」小夜は樹を抱き止め、どういうことかと視線で後ろの青山に尋ねた。青山は笑みを浮かべて頷き、声には出さず「もう大丈夫」と口の動きだけで伝える。小夜にも、おおよその事情は察せられた。樹の髪を撫でながら、なだめるように優しい声で言った。「そんなに意地悪されたの?じゃあ今夜は、ママと二人で遊びに行こうか。青山おじちゃんは連れていかないでおこうね」樹の目がぱっと輝いた。「うん!」青山は思わず笑った。「まったく、ちゃっかりしてるな」だが、その顔に腹を立てた様子はない。「ふん!」樹はママの腕の中へ隠れ、振り返って青山にあかんべえをした。ママにとって一番大切なのは僕なんだから。これからも僕を怒らせるなら、ママに相手にしてもらえなくなるからな!これが僕を怒らせた罰だ!小夜も、青山が本当に樹を納得させられるとは思っていなかった。わずかな時間で、樹はまだ怒っている素振りを見せながらも、婚約そのものには反発しなくなっていた。とはいえ、機嫌が直ったわけではない。青山を見送ったあと、スマホで彼から事の顛末を聞いた小夜は、樹を連れて出かけた。樹の好きなように思いきり遊ばせ、ようやく胸に残っていた不満を吐き出させることができた。何はともあれ、これで樹のことはひとまず落ち着いた。翌朝早く、玄関のチャイムが鳴った。小夜が扉を開けると、青山が外で待っていた。「行こうか」今日は、婚約披露パーティーで着る衣装を選ぶ日だ。日程はかなり迫っていた。パーティーは二日後で、今から一から仕立ててもらう時間はない。最近発表されたオートクチュールブランドの新作から、すでに仕立て上がっているものを選ぶしかなかった。珠季からは、スプレンディドへ直接行くよう言われている。二人が帝都にあるスプレンディドの本店へ着くと、貸し切りにされた豪華なホールは静まり返っていた。早くから待っていた店長が歩み寄る。「高宮社長、小林様。こちらへどうぞ」小夜はスプレンディドのイギリス本社で要職に就いているため、店長も役職で呼
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第642話

まだ出てこない。互いの衣装を選ぶと決めた以上、小夜は辛抱強く待つしかなかった。菓子を何個かつまみ、紅茶を半分ほど飲んだ頃、ようやく青山が衣装の山から姿を現した。だが、その手には何も持っていない。「衣装は?」まさか、まだ決められていないのだろうか。「やっと一着見つけたよ。試着室に置いてある」青山は腰をかがめ、小夜が持っていた菓子を口元へ運んでほしいと目で促した。それを一口で頬張ってから続ける。「君自身の目で見てほしいんだ。ちょっと驚かせたくてね。僕の分は?」小夜は笑った。「私が選んだのも、試着室よ」……それぞれ着替えて試着室から出てきた二人は、揃って目を見張り、やがて顔を見合わせて笑った。照明の下に立つ小夜は、色とりどりの花をあしらった、淡いピンクのチュールドレスに身を包んでいた。何層にも重ねられたチュールは膝のあたりで蕾のようにふくらみ、そこからさらに柔らかな布が流れ落ちて床を引いている。胸元にはピンクや白、紫の花が咲き、腰から裾へも連なるように散りばめられていた。細かな輝きが星屑のようにドレス全体を覆い、歩くたび、花々を乗せた天の川が揺らめくようだった。青山の目には、小夜が星の川に咲いた花の精のように映った。まるで、華やかな夢がそのまま形を得たかのようだ。あまりに真っすぐな視線を向けられ、小夜の頬が熱くなった。少しためらってから裾を持ち上げ、青山の前まで歩いていく。その場で軽く一回りすると、ドレスの裾が花と星の川のように広がり、露わになった背中には、白い肌がほんのりと紅潮していた。小夜は目を伏せ、そっと尋ねる。「似合う?」青山の喉が小さく動いた。返ってきた声は、かすかに掠れている。「あまりに綺麗だ。ささよ、魂も命も、何もかも君に捧げてしまいたい」この花の夢に、いつまでも溺れていたいと思うほどに。もう、この人は。また恥ずかしげもなく、こんなことを言って。ほかの人もいるのに!そばに控えていた店長や店員たちも小夜の美しさに見惚れていたが、青山の言葉を聞くと、口元を押さえて笑った。小夜はますます顔を赤らめ、慌てて青山の袖を引くと、今度は彼の姿をじっくり眺める。「私が選んだもの、気に入った?」ようやく小夜から目を離した青山は両腕を広げ、彼女の前でくるりと回ってみせた。「も
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第643話

やっぱり、あなただったのね。小夜は笑った。「でも、すごく気に入ってる。青山、ありがとう」「じゃあ、結婚式の衣装は?」「もちろん私がデザインするわ」そう答えてから、小夜は少し困ったように眉を寄せた。「でも、私がデザインして仕立てられるのは、あなたの衣装だけ。私のウェディングドレスは、大叔母様が自分で作ると前から決めているの。ずっと叶えたかったことだから」「うん。それもいいね」青山は、ピンクのチュールに包まれた小夜の細い腰をそっと抱き寄せ、その眉間に口づけた。「じゃあ、僕の衣装はささよにお願いしていいんだね?」「ええ」小夜はわずかに顔を上げ、避けることなくその口づけを受け入れた。照明の下に立つ二人は、どちらも息を呑むほど美しかった。ピンクとブルーを基調にした二人の衣装に、咲き乱れる無数の花。その華やかさが二人の整った顔立ちをいっそう引き立て、目が眩みそうなほどだ。そばにいた店長は思わず見惚れ、気づけばスマホを取り出していた。そして、その瞬間を写真に収める。咲き誇る花の中に浮かぶ、華麗な夢を。……時間はなかったが、婚約披露パーティーに必要な準備は、こうして滞りなく整っていった。ところが前夜になって、小夜のもとへ思いがけない人物から電話がかかってきた。「佑介?」前に別れたときの様子を思い出し、小夜は尋ねる。「……少しは落ち着いた?」「はい」佑介の声は穏やかで、特に変わった様子もなかった。だが、その次の言葉には鋭さが滲んだ。「お姉さんが婚約するって、どうして僕に教えてくれなかったんですか?僕たちは姉弟ではないんですか?こんなに大切なことなのに、僕はほかの人から聞かされたんですよ」「……ごめん」小夜は言葉を選びながら答えた。「事情があって、今回の婚約披露パーティーには、長谷川家の人を呼べないの」「呼べないんですか。それとも、呼びたくないんですか?」小夜は眉をひそめ、何も答えなかった。自分の口調がきつすぎたと気づいたのか、佑介は少し間を置いた。次に聞こえてきた声は、普段の柔らかさを取り戻していたが、どこか傷ついたようでもあった。「僕が長谷川の姓を名乗っているからですか?でも、お姉さんは僕のこと、本当に長谷川家の人間だと思っているんですか?お姉さんの人生にとって大切な
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第644話

深夜、竹園地区。書斎には暖かな明かりが灯り、机の上には、縁を金で彩った赤い巻紙が広げられていた。銀縁の眼鏡をかけた青山が筆を手に取り、金色の墨を含ませて文字をしたためていく。赤い紙の上に、金色の文字が一つ、また一つと並んだ。だが、十数文字を書いたところで青山は眉を寄せ、紙を破ってゴミ箱へ捨てた。そばに控えていた神崎執事が、すぐに新しい巻紙を広げる。青山は、また初めから書き始めた。同じことが、夜中にもう何十回も繰り返されている。ゴミ箱が赤い紙で埋まりかけているのを見て、神崎執事は新たな紙に並ぶ、力強く流麗な金文字へ目を落とした。ついに、見かねて声をかける。「旦那様、もう十分に素晴らしい出来です。文字にも申し分ございません。そのまま最後までお書きになってよろしいかと」「駄目だ。まだ足りない」青山は顔も上げなかった。「これは、僕とささよの婚約の契約書なんだ」完璧でなければならない。わずかな瑕も、あってはならないのだ。「ですが、そのお手が……」筆を握る青山の手は、かすかに震えていた。神崎執事は心配そうに眉を寄せる。青山の手は、まだ完全には治っていない。それなのに、これほど長い間、机に向かって書き続けている。「何か言った?」よく聞き取れなかった青山が尋ねた。「もう夜も更けております。今夜はお休みになり、英気を養ってからお書きになったほうが、かえって良いものになるのではないでしょうか」青山は首を横に振り、筆を走らせたまま答える。「明日は婚約披露パーティーだ。今夜のうちに仕上げないと」そこで筆を止め、顔を上げて笑った。「それに、どうせ眠れないんだ」パーティーが近づくほど、気持ちは昂る一方だった。これ以上言っても無駄だと悟り、神崎執事も諦めた。青山がこれほど浮き立っている姿など、めったに見られない。婚約は一生に一度なのだから、今夜くらいは仕方がない。時計の針が音を刻み、夜はさらに深まっていく。床には、破られた赤い紙が散らばっていた。やがて窓の外が白み始めた頃、青山はようやく筆を止めた。震える手で筆を置き、赤い紙に縦書きされた金文字を眺めると、晴れやかな笑みを浮かべる。「できた」赤い紙に、金の文字。伸びやかで流麗な筆致には、躍動するような力が宿っていた。最初から
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