Semua Bab 江口透、バツイチ。綺麗なひと~大学院生、論文調査のつもりでした: Bab 41 - Bab 44

44 Bab

金の線がつなぐ場所

夕方の光は、もう橙というより灰色に近かった。薄く湿った風が廊下を通り抜けるたびに、透の手に持った風呂敷の端が揺れた。包みの中には、金継ぎを施した湯呑がひとつ。もう冷めきったはずの茶の匂いだけが、布の奥でかすかに漂っている気がして、透は何度目かの深呼吸をした。ドアの前に立ちすくむ時間が、現実のものとは思えないほどに伸びていく。ノックをすればいいだけなのに、その音が生む未来のすべてを想像してしまって、手が上がらなかった。指先は冷たく、掌だけがじっとりと濡れている。一歩、引いてみる。いや、やっぱり、もう一度前に出る。その繰り返しのなかで、透はふと、右手を見た。茶色の染みが残る風呂敷に触れている中指の第一関節が、わずかに震えていた。それに気づいたとたん、心臓が一度、強く鳴った。——こんなふうに、自分が“会いたい”って思って動いたの、いつぶりやろ。ようやく、指先がドアの表面を叩いた。控えめな音だったが、無音の廊下にはそれなりの響きがあった。中から物音はしない。透は再び、掌を胸の前で組むように重ね、唇をきゅっと引き結んだ。少しの間を置いて、内側の錠が外れる音が聞こえた。ドアがゆっくりと開く。隙間から現れたのは、少し伸びた前髪の奥に、眼鏡のレンズを光らせた湊の姿だった。透はその目を見て、何も言えなくなった。湊の瞳の奥が、確かに潤んでいた。光のせいではない、風のせいでもない。そう思えるほど、そこには感情があった。沈黙が一瞬、ふたりの間に下りた。湊は驚いたように見えたが、それ以上の何かを言葉にする前に、透が少しだけ首を傾げて、喉を鳴らした。「……ちょっとだけ、時間もらえる?」その声は、決して大きくはなかったが、凪いだ海のように澄んでいた。湊はうっすらと目を細めて、少しだけ顎を引いた。それが頷きなのか、戸惑いなのか、透には分からなかった。でも、ドアがゆっくりと大きく開いていったことで、それが答えだった。玄関の照明が廊下に漏れ出すと同時に、ふたりの影がゆっくりと交差した。靴を脱ぎながら、透はふと横目で湊の足元を見た。白い靴下の親指が、少しだけ内側に曲がっていて、彼がいまも緊張していることがわかった。そう思った瞬間、透の肩から余分な力が抜けた。自分だけじゃない。傷ついていたのは、離れた時間を生きていたのは、自分だけじゃなかった。リビングに通されても、透はすぐに座ら
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-29
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割れたあとも、きみがいた

湊の部屋に入り込んできた夕暮れは、柔らかい橙ではなく、どこか鈍く沈んだ灰に近い色だった。リビングの照明は点けられていたが、それでも空気には静けさが染みついていた。音を出さない風が、ベランダのガラスを揺らし、それがわずかに揺れるカーテンに映っていた。透はテーブルの正面に座った。対面には、湊。以前と変わらぬ配置でありながら、そこにある空気はまるで別物のように感じられた。張り詰めた緊張ではなかった。むしろ、割れ物を抱えていることを、お互いに意識したような慎重な優しさが、ふたりの間にあった。風呂敷の上に置かれた湯呑を、透は静かに開いた。生地の皺がゆっくりとほどかれ、中央に顔をのぞかせたのは、金の線が繋いだ湯呑だった。淡い藍色の釉薬の中を、金色が、まるで地図の川のように走っている。その線が、いくつもの断絶を繋ぎながら、一つの器を再び“形”に戻していた。透は湯呑を手に取り、言った。「まだ歪んでるけどな。これ、俺が直した」湊の目がゆっくりとその湯呑を見つめた。手を伸ばし、指先が触れる。その指は、恐る恐るではなく、むしろ懐かしいものをたしかめるように、器の縁をなぞった。手のひらで包み込むように持ち上げると、その中心に走る金の線が、湊の眼鏡のレンズに映り込んだ。「……すごいですね。ちゃんと、繋がってる」その言葉には、驚きよりも、安心に似た何かがあった。壊れたものが、もう一度“手の中にある”ということが、彼の中に少しの救いを生んでいた。透は、目を伏せて、ふっと笑った。「壊れた器でもな。ちゃんと使いたいって、思ったんや」沈黙が、再び落ちた。しかし今度のそれは、かつてふたりを切り離していたものではなかった。言葉がなくても、伝わるものがあると知っている人間同士の間にだけ流れる、やわらかい余白だった。湊は、湯呑を持ったまま、透の方を見つめた。「それって、俺たちのことですか」微笑みながらそう言った湊の声は、ごくごく静かだったが、深く心に沁みてきた。疑いではなく、確認でもなく。ただ、そこにある真実をなぞるような言い方だった。透は驚いたように目を瞬かせ、すぐに視線を逸らした。けれど、その口元には、どこか照れくさそうな苦笑が浮かんでいた。「……どうやろな」曖昧に返しながらも、否定はしない。その“逃げなさ”が、以前との違いだった。湯呑の中に茶を注いだわけでもないのに、
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声で、もう一度

窓の外が薄墨色に染まり始め、部屋の灯りが少しだけ強く感じられるようになったころ、湊と透はまだテーブルを挟んで向かい合っていた。金継ぎの湯呑は、ふたりの間に置かれたまま、ふたつの視線が何度も交差するたびに、静かにその存在を主張していた。透が、ふいに視線を落とした。湯呑の縁ではなく、その奥にある記憶を掘り返すように、ゆっくりと目を閉じた。「……読んだよ」その言葉に、湊の指がぴくりと反応した。「“俺が初めて恋をした日”。あのファイル。読んで、すぐには言えへんかったけど……実は、何回も開いてもうた」透の声は低く、けれど途切れずに続いた。その震えには、ためらいよりも、今度こそ逃げずに話そうという意志が混じっていた。「読むたびに、何でやろな……胸がぎゅってなって。これ、俺に向けて書いてくれたんやろなって、すぐにわかった」湊は何も言わなかった。ただ、机の上に置いた自分の手を見つめながら、言葉が落ちてくるのを待っていた。「俺、最初に湊くんが“好き”って言うたとき、自分のことばっかり考えてもうてたんよ」少し笑い交じりの声だったが、それは自己嫌悪の滲んだ苦い笑みだった。「嬉しいはずやのに、“受け止められへん”って言うてしもて……でもほんまは、受け止める勇気がなかっただけや」沈黙が、今度は湊の胸の奥をゆっくりと締めつけた。「怖かってん。好かれることも、誰かと向き合うことも……そんなん、自分には無理やって思ってた。でもな」透は、湊の手に視線を移した。その指先に触れないまま、数秒見つめてから、そっと自分の手を重ねた。「この手、ほんまは……ずっと離したくなかった」湊は、驚いたようにまばたきをした。それでも、指を動かさず、手のひらに感じる熱だけを受け止めていた。「昔な、誰かを守れると思って、一緒におった人がいた。でも……うまくいかへんかった。自分が弱いくせに、無理して背伸びして、結局その人を泣かせてもうた」透の口調には、過去の失敗を告白するための重さがあったが、それを聞いている湊の表情は、どこまでも静かだった。非難も拒絶もなかった。ただ、耳を澄ませて、その声だけを受け取っていた。「そっからや、自分は“誰かのために何かをしよう”とか、そういうのから逃げるようになったん。優しくすれば、また期待させてしまう。期待されたら、応えられへん自分が、相手を傷つける。そう思
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ふたりで置く湯呑

透宅のキッチンには、夜の色がゆっくりとしみ込んでいた。窓の外はすっかり暗くなり、薄いカーテン越しに街灯の淡い明かりが差し込んでいる。音といえば、どこかの部屋で水道が止まる音と、冷蔵庫がときおり鳴らす控えめな唸り声だけだった。湊は、キッチンの棚から急須を取り出しながら、振り返って言った。「今度は、俺が淹れていいですか」透は一瞬だけ驚いたように眉を動かしたが、すぐに小さく頷いた。「おう、頼むわ」その言葉に背を押されるようにして、湊は湯を沸かす準備を始めた。ケトルの中に水を注ぎ、スイッチを入れる。小さな灯りが点り、低く湧き立つ音が部屋に広がる。お茶の葉は、以前ふたりで話していたときに選んだものだった。袋を開けると、ふわりと焙じた香りが立ちのぼり、湊は思わず目を細めた。茶葉を急須に入れながら、彼はそっと息をついた。その動作ひとつひとつに、特別な意味が宿っているように感じた。単なるお茶の準備ではなく、ここに再び並んで立てていること自体が、奇跡のようにも思えた。湯が沸くまでのあいだ、ふたりはほとんど会話をしなかった。それでも、不思議と気まずさはなかった。言葉がなくても、少しずつ満たされていく時間がそこにあった。やがて湯が音を立てて湧き、湊はそれを一度湯冷ましに注ぎ入れた。急がず、丁寧に。それから茶葉の上に湯を静かに注ぎ、蓋をする。蒸らしの時間もまた、湊にとっては大切な“間”だった。「江口さん」湯呑を準備しながら、湊はぽつりと口を開いた。「これからは、茶の香りで、江口さんを思い出すんじゃなくて…一緒に味わえるといいなって、そう思いました」透は、ほんの少しだけ視線を落とした。心の奥にまで届くような言葉だった。何気ないようでいて、今までのすれ違いや沈黙を、まるごと抱きしめてくれるような。「……そやな。せやな、それがええ」その返事に湊は静かに笑い、湯呑に茶を注いだ。色は淡く、けれど芯のある褐色だった。香りは立ち上るように柔らかく広がり、部屋の空気をゆっくりと変えていく。ふたりは、テーブルを挟まず、隣同士に腰を下ろした。かつてのように向かい合うのではなく、肩を並べて、同じ方向を見られる場所に。湊は、金継ぎされた湯呑をそっと置いた。続けて透が、もうひとつの器をその隣に並べた。湯呑の底が、静かにテーブルに触れる音がした。その小さな音が、ふたりの間の何かをきち
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